命がけの格闘

−死刑を納得できなかった男の処刑−

志村武

1941.7.10 - 1982.11.25

職業:労務者

岩手県に生まれる。
強姦、強盗、放火、窃盗など前科三犯。
1966年10月に山形刑務所を出所。
身長180cm、体重100kg。
事件以後
事件 1967.1.13
神奈川藤沢
殺人
死者1
一審 1969.3.18
横浜地裁
無期懲役
二審 1971.11.8
東京高裁
死刑
三審 1972.7.18
第三小法廷
棄却
1982.11.25
東京拘置所
死刑執行


−概要−

 67年1月13日夜、神奈川県藤沢市で帰宅途中の女子高生を発作的に襲って強姦し、殺害した上、造成地に死体を埋めた。
公開捜査によって事件を知った志村の従兄弟には、犯人の心当たりがあったようだ。
 彼の通報で死体発見。同時に志村は指名手配され、18日に逮捕される。

−裁判−

 検察は死刑を求刑するが、一審判決は無期懲役。
 似たような事例はいくつもあり、67年8月27日に同じ藤沢市で起きた女子高生殺しの被告に、横浜地裁は無期懲役。
 71年8月14日に群馬県で起きた女子高生殺しのKも前橋地裁桐生支部で無期懲役。
 この手の事件は無期懲役が相場らしい。
 ところが検察は、調書の段階で「死体を移動して埋めた」と言ったのを、公判で「暴行した場所で死体に土を被せただけ」と供述を変えたのことで気分を害したらしい。

 検事控訴の結果、東京高裁は強姦の前科などを考慮した結果、死刑を言い渡す。
 志村はあわてて上告したが、上告棄却で死刑確定。

−確定後−

 彼と同じ年に確定した死刑囚は7人。そのうち彼と奥西勝(名古屋・現在確定中)を除く5人は76年に処刑された。彼より後に確定した者も多く処刑されていった。
 いつしか彼は東京拘置所で一番の古株になっていた。
 なぜ彼は長生きできたか?
 このころは一般的に強盗殺人の方が処刑が早かったというのもあるが、再審請求をしていたからでもある。
 何で同じような事件なのに、あいつらは無期で俺は死刑なんだ!
 最高裁には79,81,82年に特別抗告している。最後に特別抗告が棄却されたのは82年9月10日。その2月後・・

 11月25日、彼は所長室に呼ばれた。
 再審に関することかと思っていたところ、処刑の知らせだった。

 志村「再審のことかと思っていたのに、何で今執行するんだ!」
 所長「法務大臣の命令なんだ。残念だが、お別れだよ。」
 志村「殺られてたまるか!」

 暴れるが、手錠に腰縄をかけられ、志村が踏ん張るのもむなしく刑場までの150mを引きずられていった。
 刑場についた志村は少しおとなしくなった。
 しかし、拘置所の役人が「観念した」と思って腰縄と手錠を外すと、志村は再び吠えて暴れ出した。
 100kgの大男の怪力で刑務官を投げ飛ばし、殴りつけ、死にものぐるいの格闘が始まった。
 本来は仏壇などに(死刑囚のために)備えられた供え物を頂戴し、坊さんの説教を聞いて死に赴くのが、拘置所にとって最も理想的な死刑囚の最後なのだが、彼の場合、よってたかって押さえつけ、強引に処刑台に引きずっていき首に縄を掛けて吊したという。
 そのあいだ約50分。
 享年41。


(C)笑月

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