ヨーロッパの海戦


シュペーの通商破壊作戦
1939年の大戦勃発と同時に、戦艦・シュペー(アドミラル・グラフ・シュペー)は大西洋で消息を断つ。
この艦の任務は連合軍の商船を撃沈することだった。
以来、3ヶ月にわたり、10隻の商船を撃沈した。これに対し、英国はハーウッド代将指揮の討伐艦隊を出撃させる。
ハーウッド艦隊には戦艦は無かったが、重巡・エグゼダーはじめ、3隻の巡洋艦を擁していた。
同年12月、南米沖で交戦し、英艦隊は傷つくも、シュペーをモンテビデオ港に追いつめる。
港側から退去を命ぜられたシュペーは、ここで自沈する。

ノルウェー侵攻
1940年4月9日、独・ボンテ代将のナルヴィク攻略部隊が、ノルウェーの海防戦艦・ノルゲ、エイズボルト(アスキム代将)を撃沈する。その翌日、リー大佐の英・駆逐艦隊がナルヴィク港に駆けつけ、独英両部隊は交戦した(第一次ナルヴィク海戦)。その結果、ドイツ側は2隻撃沈され、1隻大破し、ボンテ代将は戦死。一方、英側も同じ程度の被害を出した上、同じく司令であるリー大佐が戦死した。燃料が無くなった独部隊はナルヴィク港から出られなくなってしまった。
ドイツ側は、ベイ大佐が指揮を引き継ぎ、脱出を試みるが、英・ホイットワース中将の戦艦・ウォースパイト含む艦隊に捕捉され、全滅する(第二次ナルヴィク海戦)。
また、ノルウェー戦では要塞砲や魚雷攻撃により重巡・ブリュッヘルを、空爆で軽巡・ケーニヒスベルグを、潜水艦で軽巡・カールスルーエを失った。

1942年までの北海の海戦
同年5月、リュッチェンス中将率いる独戦艦・ビスマルク、重巡・プリンツ・オイゲンは英輸送船団の捕捉・撃滅を目的として行動を開始した(ライン演習作戦)。この艦隊は同月24日、デンマーク海峡で巡洋戦艦・フッド、レナウン、レパルス、戦艦・プリンス・オブ・ウェールズ等と遭遇、交戦状態となった。すぐにビスマルクや、重巡・プリンツ・オイゲンの主砲がフッドに命中し、装甲の薄いフッドはたちまち業火に包まれる。
フッドを失い、プリンス・オブ・ウェールズが被弾したため、一旦英海軍は後退するが、 戦艦・キング・ジョージXを加えて反撃し、ついにビスマルクを撃沈する。
同年6月、独戦艦・シャルンホルスト、グナイゼナウは、英空母・グローリアスを捕捉し、撃沈する。
1942年2月、ドイツ海軍は、制空権を失いつつある英仏海峡から主力艦を脱出させようとする(ツェルベルス作戦)。
この後、独海軍は潜水艦を除いて、しばらくなりをひそめる。

英艦隊による仏軍艦攻撃
1940年7月、フランス降伏後にフランス艦をドイツ軍に接収されることを恐れた英国は、空母・アーク・ロイヤル、戦艦・バーラム、レゾリューション、フッドを含む艦隊を フランス・メルセルケビル港に派遣し、軍艦の英国への回航または自沈を要求した。
しかし、6時間たっても返答が無かったので、英艦隊はフランス艦を攻撃し、戦艦・ブルターニュを撃沈、戦艦・ダンケルク、プロヴァンスを大破させた。
生き残った艦は、ツーロン軍港に逃亡した。

ダカール海戦
1940年9月、英艦隊はダカール軍港にも襲来し、英仏艦隊は交戦する。
仏艦隊は、戦艦・リシュリュー、巡洋艦4隻、駆逐艦4隻。英艦隊は空母・アーク・ロイヤル、戦艦・バーラム、レゾリューション、巡洋艦4隻、駆逐艦10隻だったが、 メルセルケビルの仇とばかりに仏艦隊は奮戦し、英艦隊の多くを被弾させ、退却させた。

地中海の海戦
地中海では英伊のあいだで制海権が争われた。
先手をとったのは英側で、1940年11月、イタリアのタラント港を空襲し、戦艦・カブールを撃沈する。
1941年3月のマタパン沖海戦では、旧式戦艦3隻が主力の英海軍が、新鋭戦艦・ヴェネトを擁するイタリア海軍と交戦し、 際だった被害を出さずに、伊重巡・ザラ、ポラ、フィウメを撃沈する。
同年12月にはシチリア海峡で、ストークス中佐の英艦隊(駆逐艦4隻)が、伊軽巡・ジュッサーノ、バルビアーノを撃沈している。
一連の戦いで、イタリア側の損失は、戦艦・1隻、巡洋艦・9隻、英側の損失は、空母2隻、戦艦1隻、巡洋艦・7隻(イタリアの戦果・巡洋艦3隻)だった。

トーチ作戦
1942年11月、連合軍は北アフリカの各港をおさえ、上陸する「トーチ作戦」を実行する。
主な地点は、アルジェ、オラン、カサブランカである。
各港の海軍は、仏・ダルラン提督の休戦命令まで激しく戦った。
カサブランカには、未完成の戦艦・ジャン・バール、巡洋艦・プリモーゲがあり、米艦隊の攻撃を受け、ジャン・バールは大破、プリモーゲ沈没という結果に終わる。
他の各港では小艦艇が損害を受けた。

ツーロンの自沈
同年12月、ドイツ軍は、いよいよツーロン軍港の仏艦艇を接収しようとする。
また、連合軍からも艦艇の連合軍による接収を要求する。
ヴィシー政府(ドイツと同盟しているフランス政府)の司令長官・ド・ラボルデ提督は、メルセルケビルの一件で反英感情が強く、 また、ドイツに軍艦を渡すのもよしとせず、80隻の軍艦を自沈させる。
このとき自沈した主な艦艇は、戦艦・ストラスブール、ダンケルク、プロヴァンス、巡洋艦7隻、駆逐艦27隻、潜水艦16隻等であった。


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