太平洋の海戦

戦争初期
1941年12月8日、空母・赤城、加賀、蒼龍、飛龍、翔鶴、瑞鶴の攻撃隊が真珠湾を攻撃した。
以後、この集団は翌年4月まで、西はハワイから東はインド洋まで活躍した。有名なところでは、英空母・ハーミズ撃沈がある。
また、基地航空機による英戦艦・プリンス・オブ・ウェールズ、レパルス撃沈や、米空母・ラングレー撃沈もこのころなされた。
巡洋艦と駆逐艦の水雷部隊は、1942年2月に、蘭・ドールマン少将(戦死)指揮の米、英、豪、蘭連合艦隊を駆逐した。
一方、米海軍は同年4月の空母・ホーネットによる東京初空襲でお返しする。

珊瑚海海戦
同年5月にポートモレスビー攻略のため、翔鶴と瑞鶴、祥鳳(別働隊)がニューギニア島南方の珊瑚海に進出。 それを阻止すべく米空母・レキシントン、ヨークタウンが出撃する。
まず、米側が祥鳳を発見。撃沈する。しかし日本側も米空母を発見し、攻撃を開始する。一方、米側も2大空母を発見し、攻撃を仕掛ける。 その結果、レキシントン沈没、ヨークタウン大破。翔鶴大破であった。
戦術では日本側の勝利だったが、戦略では空母の沈没や損傷により、ポートモレスビー攻略を放棄せざるおえなくなった日本の敗北であった。

ミッドウェー海戦
同年6月、日本は米空母撃滅を計画し、空母をミッドウェーにおびき寄せる作戦にでる。
一方、米側は暗号を解読し、逐一日本側の動きを察知していた。
珊瑚海で損傷した翔鶴と、翔鶴と戦隊を組む瑞鶴は参加せず、赤城、加賀、蒼龍、飛龍の4隻を主体とする攻撃隊が参加した。
米側は、エンタープライズ、ホーネットと、完全には修復されてないヨークタウンを投入した。
日本側がミッドウェー島攻撃の準備中に米空母発見の報を受け、攻撃機の装備を対艦用に変換し、最初の機が発艦しようとするとき、米攻撃機が襲いかかった。
数波の攻撃機(魚雷)の攻撃を退けたが、護衛機が攻撃機対策のため低空に集中したとき、高空から爆撃機が襲いかかった。
この急降下爆撃で、赤城、加賀、蒼龍は沈没した。これにより作戦は中止された。
一方、離れていた飛龍は、独自に行動を開始し、ヨークタウンを大破(後に日本潜水艦により沈没)するが、エンタープライズ攻撃隊に捕捉され、沈没する。

ソロモン海域の戦い
1942年8月から翌年2月にかけてガダルカナル島をめぐり多くの海戦がなされた。
日本はこのころ夜襲を多用している。三川中将の第八艦隊が初の夜襲で米・豪艦隊を撃破したのもこの時期である。
他には戦艦金剛、榛名によるガダルカナルの飛行場砲撃である。
これに味をしめた日本軍は再度、戦艦比叡、霧島による飛行場砲撃を試みるが、夜襲を警戒した米艦隊(戦艦サウス・ダコタ含む)に捕捉され、戦艦2隻を失う。
一連の戦いで、日本は航空戦で空母・龍ジョウを、米側は航空戦でホーネット、潜水艦で空母・ワスプを失い、 日本空母翔鶴は大破。米空母・エンタープライズ、サラトガも中破し、両軍とも可動空母を著しく欠く状態になった。結局はラバウルから撤退した日本の敗北だった。

マリアナ海戦
1944年6月、米機動部隊を阻止すべく日本は空母を結集した。内容は、大鳳、翔鶴、瑞鶴、隼鷹、飛鷹、龍鳳である。
米機動部隊は、日本の残存航空戦力を駆逐すべく、空母・エセックス級多数を含む大部隊でこれを迎え撃った。
日本の小沢中将は、航続距離の優勢な日本航空機の特徴を生かし、米航空機が届かないよう空母同士の相対距離を保ちつつ攻撃を加える「アウトレンジ戦法」をとった。
日本は先手をとることに成功するが、米軍は音に反応して破裂する新兵器「VT信管」で日本機のほとんどをたたき落とす。これを「マリアナの七面鳥撃ち」という。
一方、米潜水艦も日本空母を捕捉し、旗艦・大鳳、翔鶴を撃沈する。翌日には米攻撃機が日本空母を捕捉して、飛鷹を撃沈。瑞鶴を中破させる。

レイテ沖海戦
米軍はフィリピンを奪回すべく、日本は阻止すべく総力をあげて出陣した。
マッカーサーの上陸を助けるのはキンケード、ハルゼーの両提督。
戦艦・大和率いる主力部隊でそれを阻止するのは栗田中将、米艦隊を引きつけるおとり艦隊を率いるのは小沢中将。
小沢艦隊は空母・瑞鶴、瑞鳳、千歳、千代田を含み、米軍にとっては魅力ある餌だった。
さきの海戦(マリアナ)で逃した空母(瑞鶴)を発見したハルゼー提督は、護衛の任務をほっぽりだして小沢艦隊に食いついてしまった。
これによりレイテ湾突入が容易になったが、栗田艦隊はなぜか謎の反転を行い、米艦隊を探索するのである。
この謎の反転でマッカーサーの部隊は九死に一生を得るのである。
しかし、とばっちりを受けたのがキンケード麾下のスプレイグ提督(護衛空母部隊)で、栗田艦隊に捕捉され、護衛空母や駆逐艦を数隻失った。
スプレイグ艦隊の損失が米艦隊の損失に、ほぼイコールなのに対し、日本は空母・瑞鶴、瑞鳳、千歳、千代田、戦艦・武蔵、扶桑、山城をはじめ、 重巡洋艦6隻、軽巡洋艦5隻、駆逐艦多数を失い、日本海軍は壊滅した。

その後
1944年11月19日に大和級を改造した空母・信濃が完成するが、10日後に潜水艦の魚雷を受け、紀伊半島沖で沈没する。
同月には、太平洋戦線で唯一、潜水艦に撃沈された戦艦として金剛の名が残る。
1945年4月には特攻機支援の海上特攻、菊水作戦が発動され、戦艦・大和は沖縄近海で300機以上に襲われ轟沈する。
同年7月の日本各軍港にたいする空襲で、残存艦艇の殆どが着底、転覆、破損する。
終戦時に水上に浮いていた主な軍艦は、
空母:鳳翔、隼鷹、龍鳳、葛城
戦艦:長門
重巡洋艦:妙高、高雄
軽巡洋艦:北上、酒匂
のみだった。


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