獄中発砲

−看守から拳銃を奪った男−

寒川孝次郎

1920.3.26 - ?

職業:飲食店経営

窃盗・横領などの前科で大阪刑務所に服役中に空襲のため負傷して左腕を失う。
45年9月17日に仮出獄後、服役時代の仲間を集めて強盗団(国際ギャング団)を組織し、その首領となる。団員に中国人等の外国人が多数いたため、国際ギャング団というらしい。

事件以後
事件 1945.11-46.3
大阪・兵庫・奈良
強盗殺人
死者2
一審 1947.12.22
大阪地裁
死刑
二審 1948.12.24
大阪高裁
死刑
三審 1950.6.23
第二小法廷
棄却
某年12月末
大阪拘置所
死刑執行


−概要−

 45年11月から翌年3月までの間に強盗殺人・同未遂・強盗傷人・強盗・窃盗などを実に22件も起こしている。そのうち寒川の死命を制した強盗殺人罪は46年1月12日大阪府忠岡町の信用組合の小使いを強盗の際に射殺したものと、3月2日大阪市の田辺製薬本社に強盗目的で侵入した際にやってきた大淀署巡査を射殺したものである。

−裁判−

 一審・大阪地裁で寒川に死刑、その他のメンバーに無期懲役を含む有罪を言い渡す。
 控訴・上告も棄却され、50年6月23日に死刑が確定する。
 なお、後に述べる脱獄未遂事件の共犯である看守も二審段階から併合審理されている。

−獄中で−

 話は前後するが、未決時代に寒川は大阪拘置所で西田政孝看守と懇意になる。寒川は彼に盗賊時代の話を聞かせてやったりし、西田はその見返りにタバコなどを与えて(これは懲戒対象となる)いた。
 ある日、西田は寒川に大陸に居たときに入手したモーゼルを持っていることを話してしまう。これをさばいて金を手に入れたいということだ。寒川は三万円で買ってやるから持ってこいと催促した。さすがに西田もそれは断ったが、寒川はタバコを被告人に供与したことをバラすと脅す。
 ついに西田は寒川にモーゼルを渡してしまうが、寒川は金を払わずにとぼけてしまう。西田は上司にも話せず、泣き寝入りした。

 48年2月9日、寒川の房で電球がきれたとのことで、杉内安志部長が電球を持って寒川の房に行った。
 房を開けた瞬間、パンパンと二発の銃声が拘置所に響いた。寒川がモーゼルを撃ったのだ。杉内部長は負傷しながらも寒川を取り押さえた。
 実は以前から、拘置所内の囚人が拳銃を持っているということは密告によって、拘置所側にも知られていたうえ、拳銃を持っているのが寒川であるという目星もついていた。しかし、これまでに数次にわたる捜索の結果、どこからも拳銃は見つからなかったのだ。寒川は拳銃を植木鉢に隠していたのだった。

 この脱獄未遂事件で西田看守は大阪高裁で懲役8年の実刑を受ける。

 彼の最後がいつかは分からないが、中山英蔵(十八話)の上告趣意書(53年提出)に彼のことが出ている。それによると「12月28日だったかか9日に処刑される時・・云々」とある。


(C)笑月

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