取り下げ無効の訴訟

 上訴を取り下げた段階で裁判が確定するが、後で取り下げを後悔したり、説得されたりして、審理再開を求める訴訟を起こすことがある。
 以下に、死刑事件におけるこのようなケースを一覧に「知る限り」記す。(他にもあると思われる)
 なお訴えが認められ、公判が再開したものは除いた。

番号 訴訟
決着年
確定年 確定審 取下理由 備考
1949 1948 一審
後に恩赦で減刑される
1962 1960 一審 確定者の処遇がほしかった
1964 1961 一審

1977 1976 一審 死にたかった 拘置中
1997 1988 一審 恩赦期待
2004 1993 一審
拘置中


 1−6全てのケースで、該当者は控訴を取り下げて確定している。
 取り下げ理由の明確なのは2・4・5の3つだけであるが、4は自殺志願、5は恩赦期待と分かりやすい。問題は2の「確定者処遇がほしかった」である。これは当時、通常の被告人よりも死刑確定者の方が待遇が良かったことを物語っている。差し入れが多いものは良いが、たいてい死刑囚になるような者は貧しい者が多く、確定すれば有志からの差し入れや俳句の会に参加できたり、風呂にも頻繁に(しかも初湯!)入れる。
 2の死刑囚も幼いうちに両親に捨てられ、拾われた家では家畜の小屋に寝泊まりさせられ、暖かい食事を摂ったことがなかったそうである。故に、確定者処遇にあこがれ、一審判決後に弁護人が即日控訴すると、その4日後に取り下げてしまった。
 彼が審理再開を申し立てた理由ははっきりしないが、新聞を読んだ限りでは、弁護士主導で申立が行われていたようである。
 ちなみに確定者処遇を受けたいがために控訴を取り下げたケースは、他にも2件確認されている。いずれも無学な若者であった。
 ただ、最近の確定者処遇にいいところは全くないので、最近ではこのような理由で控訴を取り下げることなどあり得ない。

 3のケースは、どうも自暴自棄になって控訴を取り下げたが、後になって後悔したということらしい。本人の上告趣意書には、「あのとき(取り下げ時)の気持ちは、今となっては分からないが、そういう気持ちなった」と書かれている。

 4のケースは申立に消極的な被告人に弁護士が熱心に勧めて審理再開申立をしたというものであるが、東京高裁の調べに対し、被告人は「早く死刑になって死にたい」と言っており、被告人本人が申立に不服であるのが異色である。

 5のように恩赦期待で取り下げるというのは、恩赦の話が出ると必ず何人かは出てくる。52年のサンフランシスコ講和条約のときも、58年の皇太子結婚のときも、そして89年の昭和天皇死亡のときも、何人か取り下げている。
 5の死刑囚もその一人だが、彼が取り下げたきっかけは、ある弁護士のすすめだったともいう。彼は申立で、「恩赦があると錯覚した」という主張を展開した。だが、97年に最高裁で特別抗告も棄却され、2月後に死刑を執行されている。

 6のケースでは、一審終了後、弁護士の付いていない期間に控訴を取り下げたというもので、「一審判決後の、国選弁護人不在の状況で自ら行っており無効」と主張して申立を行っている。このケースでは大学の教授や弁護士の主導で申立が行われている。
 本人は「当時は、面倒さや精神的混乱から控訴を取り下げた。熱意ある弁護人の支援が得られれば控訴したいと考えていた」と語っている。

参考資料

最高裁判決集刑事
各種新聞




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