死刑による自殺−音を恐怖した男が望んだもの− | ||||||||||||||||
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西村義雄1928.6.4 -職業:無職 独身時代にレコード鑑賞していたのを、近所の主婦に「うるさい」と言われた時以来、音に対し敏感になり、他人の音に注文をつけるようになる一方、自分も極力音を出さないような生活するようになる。 なお、12年後にこの文句を言った主婦の転居先を突き止め、復讐しようと計画したことがあった。 音に対する注文があまりにもうるさいために、事件の数日前に妻が実家に帰っている。 |
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−概要−70年4月に西村は県営団地に入居する。音からの解放を期待したらしい。しかし、同年6月に西村の階下に引っ越してきた一家(夫婦と二人の娘)は、広い間取り(3DK)を喜び、特に娘達は部屋の中を走り回ったり、サッシ戸を開閉したりして遊んだりした。さらに主人は日曜大工をするなど、音を発し続けた。西村は階下の一家に文句を言うが、一家にしてみれば「生活の音」という意識があり、あまり取り合わなかった。 さらに事件の9ヶ月前になると一家はピアノを購入する。 西村はピアノの時間になると、図書館や土手に逃げるようになるが、この間にも西村のパラノイア(偏執狂)傾向は進んでいった。 そして決め手になったのが階下の長女の「おじちゃん。生きているから音は出るのよ」というセリフだった。こんな言葉は子供の思いつきで出るものではない。そうか、あの一家はそういうつもりなのか! まず、夫婦が居なくなるのを待ち、娘達を包丁で殺害。さらに帰宅した主婦も包丁で刺殺した。 被害者宅のふすまに「迷惑かけるんだからすみませんの一言ぐらい言え。気分の問題だ。来たときにあいさつにもこないし、馬鹿づらしてガンとばすとは何事だ。人間殺人鬼にはなれないものだ」と書き残している。 事件後、自殺するつもりだったが、できないまま自首する。3人殺しているから死刑になるだろう。自分で死ねないなら死刑になろう、ということだろうか。 西村はこんなことも言っている。 「主婦(この場合、自分に注意した主婦)一人殺しても死刑にならないから殺害相手を変えたのだ」 −裁判−一審・横浜地裁小田原支部で死刑。西村は控訴するつもりはなかったが、弁護士が控訴する。それならそれでもいいという気持ちだったらしいが、拘置所でも音が待っていた。 隣の房の水洗便所の音、雑音等が彼を苦しめる。死にたい! こうして西村は控訴を取り下げる。 弁護士はこの控訴取り下げに対し、「被告は取り下げ当時、パラノイアにかかり、訴訟能力を欠いていた」と主張。 この訴訟に対する決定は77年4月17日。弁護士の訴えを却下したものだった。これにより西村の望む死刑執行を妨げるものはなくなったはずだった・・ −獄中で−確定後の西村は弁護士とも家族とも音信を取ることを嫌い、ひたすら死を待っているが、一向にその「お迎え」がこない。刑事訴訟法には、次のような項目がある。 479条:死刑の言渡を受けた者が心神喪失の状態に在るときは、法務大臣の命令によつて執行を停止する。 確定後20年以上経つが、未だに東京拘置所に収監されている。音に怯えながら・・ | ||||||||||||||||
(C)笑月 |