タイトル どうにでもなれ
主人公 後藤庄司(仮名・46)
放映日 1997.1.22
出演 香山リカ(精神科医)、斎藤茂男(ジャーナリスト)、諸星裕(大学教授)、高橋章子(エッセイスト)
概要  1983年2〜3月、後藤は、ある私鉄沿線で白昼に連続強盗を起こしていた。その中に強盗殺人事件が一つ含まれていた。
 後藤は2月23日に大きな家に盗みに入り、赤い着物を身につけた。そこへ買い物から帰った住人の老女が後藤を誰何する。後藤は老女を押さえるが、抵抗する老女にてこずり「どうにでもなれ!」と、以前別の家から盗んだ日本刀で、老女を刺殺する。
 その後、後藤は紙を集めて放火し、財布だけを盗んで逃亡した。
 家が全焼したため、証拠は焼けてしまい、捜査は難航したが、2週間後に類似の手口から後藤が逮捕された。
 刑事が後藤の家で見たものは・・段ボール数個分の赤い着物の山だった・・

 後藤は刑事に「後藤は赤い着物に性的興奮を覚える」と供述している。弁護士には「幼い時、母が赤い着物を縫っていたのが強烈な記憶として残っているんです。こっそり母親の着物を着て興奮したこともありました」と述べている。しかし、後藤の赤の記憶は、それだけではなかった・・

−生い立ち−
 後藤は1937年、東京で酒屋を営む父と体の弱い母との間に次男として生まれた。
 未熟児で生まれた後藤は幼い頃、体が弱く、よく泣き声をあげたため、父から虐待を受けていた。口答えすると、より暴力が激しくなるため、口をつぐみ、感情を押し殺すようになった。
 44年には、あまりに父の折檻がひどいため、大阪に住む母方の祖母が後藤を一時期預かる。そのとき、はじめて折檻のない日々を送ることができた。後年、後藤は「自分に優しかったのは大阪の祖母だけだった」と述べている。
 しかしそんな生活も半年で終わりを告げる。
 東京に帰った後、空襲により酒屋は全焼。このとき、紅蓮の炎にまかれた恐怖の記憶が、父の折檻と共に、長く悪夢として後藤を苦しめることになる。
 戦後、より荒れるようになった父は、母をも折檻するようになり、そんな環境をいやがった後藤は野宿するようになる。このころから空腹ゆえに食べ物を盗むようになる。

−犯罪人生−
 後藤は窃盗を繰り返したため、14歳のとき初めて検挙された。そして5度目の検挙では、少年院送致となる。
 翌年には出所するが、すぐに覚醒剤を使用したため、少年院に送られる。このころから、他人をどなったり、自傷するなどの傾向が見え始める。また、この時期から赤い着物を盗むという性癖も見せ始めている。
 3度目の少年院では、もう少しで出所というときに脱走して、刑務所に送られる。しかしこの刑務所で中学教育を受けた後藤は、この刑務所時代を「人生で一番楽しかった」と述べている。
 60年に出所。今度こそ更正しようと思った後藤だが、高度経済成長も大分進んだ世の中と、入所前から進んだインフレにとまどい、すぐに犯罪に手を染める。出所13日後に強盗致傷で逮捕される。
 次に出所したとき、後藤は真っ先に刑務所仲間の所へいった。しかし、すでに更正しようとまっとうな生活を送っていた仲間は、後藤の訪問に対してあからさまに迷惑そうな顔をした。敗北感に打ちのめされた後藤は、帰りの電車の中で、強盗事件を起こし逮捕される。出所から3日後の逮捕だった。
 15〜46歳の間に八度、少年院や刑務所に服役し、その間娑婆にいたのは1年程度であった。

−封印された赤の記憶−
 73年に後藤の父が死ぬと、服役中の後藤から母の元に千円が送られてくる。手紙には「位牌を作ってほしい」と書かれていた。しかし、その日付は父の命日のものではなかった。母がその日付の意味に気付いたとき、母は愕然とし、後藤が14歳のときの、ある事件を思い出した・・
 位牌に命日として刻まれた日、後藤は自分が可愛がっていた子犬を父に捨てられたため、子犬を探しに多摩川べりにやってきていた。そこで、赤い服を着た近所の女の子に出会ったので子犬のことを聞いてみると「あっちの方でみた」という。後藤は女の子に案内させ、ため池のほとりまできたが、子犬は見つからない。後藤が問いつめると、女の子は泣き始めた。
「自分はこんなに犬のことを心配しているのに・・」
 怒った後藤は女の子を抱えて池に投げ、浮き上がる体を足で押さえて沈めた。
 実はこのときの光景を目撃した人がいた。当時6歳のT氏である。彼の通報により警察は動くが、警察の追求にも後藤は否認し通し、結局この事件は「事故」として片づけられたのだった。
 後藤が本格的に盗みを開始し、初の検挙を受けたのは、これから一月後のことだった。
 母親は後の裁判で「息子の生涯を悪で染めることになったのは、空襲の真っ赤な炎と、14歳のときのあの事件だと思います。人を殺してしまったことで、もう普通と同じ道は歩けないと思ったのでしょう。いつもあの事件が頭をはなれず、苦しんできた様子でした」と述べている。

−自供−
 後藤は老女殺しについては全く自供しようとしない。しかし老女を殺しにより、悪夢にうなされる。
 そんなある日、刑事が一杯の水を差しだしていった。
「今日はお前を唯一可愛がってくれた大阪のお婆さんの命日じゃないか。せめて水でもあげてやるんだな」
 後藤の動きが止まった。
「年寄りはいいよな、優しくて。お前が殺したおばあさんも、早く白状して成仏させてやらないとな。かわいそうだぞ」
 後藤は大粒の涙を流し、刑事の手に額をつけてつぶやいた。
「あのおばあさんを殺ったのは私です。悪いことをしました」
 発生から5ヶ月目のことだった。
 その後、後藤は仏教の教誨を受け、被害者のために祈る日々を送るようになった。

−裁判−
 検察は死刑を求刑した。
 最終弁論で後藤は以下のように述べた。
「悪いことをしたと反省しています。あんな事件を起こしたのですから、死刑は当たり前です。でも、進んでひねくれたわけじゃなかった。これからまた長い間刑務所にいて獄死するのはつらい。お願いします。私を死刑にしてください」
 しかし裁判所は後藤が反省していることや人間性を喪失していないことなどをあげ、無期懲役を言い渡した。

−封印された事件に関わったもう一人の人物−
 赤い服の女の子が殺された事件で、赤い記憶を植え付けられたもう一人の人物。T氏。彼は今、教育者として、いじめや登校拒否に悩む子供達のための学校で、子供達と向かい合っている。
 そんな彼の原点も「あの事件」だった。
「子供を本当に愛していくことは絶対に必要だと思います。全ての子供は愛され、保護されるべき存在だと思います。それを十分に自覚できるようになったのも、恐らく影にあの事件の存在があると思います」

内藤「全ての子供は愛されなくてはいけない。この信念の確かさを、何よりもよく証明しているのは、同じ池のほとりにたたずんでいた後藤の人生なのかもしれません」



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