タイトル 本当に疲れました…
主人公 谷口梅(仮名・75)
放映日 1998.2.25
出演 桝添要一(国際政治学者)、近藤文子(弁護士)、山井和則(高齢社会研究家)、石坂晴海(ルポライター)
概要  1997年6月、ある町で、痴呆症の夫の介護に疲れた妻が、夫を殺害した。
 午後9時、用意していた風呂敷を手にした梅は、すでに寝ていた夫・健一の首に風呂敷を巻き付けると、風呂敷を力一杯引っ張った。このとき気付いた健一は一言、「俺のごど、殺す気だが」と言って抵抗してきたが、ここで止めるわけにはいかないと、さらに力を込めて風呂敷を引っ張った。
 犯行後、梅は犯行を次男に連絡し、次男が呼んだ医師によって、健一の死亡が確認された。
 身長150センチ、痩せて背の曲がった小柄な老婆が、50年連れ添った夫を殺害した訳とは・・

 梅は動機について「ボケたうえで、酒を飲んでは暴力やら文句やらを言ってくる夫と、たった二人で生活。こんな生活には耐えられないという、悲しいやら虚しいやらの、八方塞がりの気持ちになったんです」と供述した。
 さらに弁護士には「もしも、今でも一緒に生活していたら、私は心身ともに疲れ果て寝付いているか、私の方が死んでしまっているか、と思います」と、手紙を書いている。
 そして、犯行直後の心境について「本当に心の底から、ゆっくりしたという気持ちで一杯です」と述べた。
 そこまで彼女を追いつめた生活とは・・

−生い立ち−
 梅は1922年に生まれ、14歳のときに尋常高等小学校を卒業する。16歳の時に看護士の資格を得て上京した。終戦後、父母の元に帰る。その時、父母が間借りしていたのが、谷口家の一角だった。
 47年、谷口家の長男である健一と結婚。元々二人は、子供時代に同じ塾に通う中であり、恋愛の末に結婚したのだった。

−舅と実父の介護−
 結婚の翌年、舅がリウマチを悪化させて寝たきりになる。嫁である梅は、健一の弟や妹と共にその介護をすることになる。しかし、義弟も義妹も家を出てしまい、舅の介護を一人でしなくてはならなくなった。
 舅は肥満体のうえ人使いが荒く、22時に寝てから約2時間おきに、大声を出して梅を呼び、排泄の世話をさせる。もちろん食事、着替え、風呂の世話なども梅の役目だ。
 間の悪いことに、この頃、梅の父がぜんそくの発作を起こし、看護士の経験のある梅は医者から、発作の際には注射するよう言われていた。ところが実家からの連絡で梅が父のところへ行こうとすると、舅は「俺の小便をとってからにしろ」と、いやがらせをした。
 一方、健一は介護をするどころか、腹の虫が悪いと、梅に暴力を振るったりした。
 これらのことについて、この時代の嫁の立場から、梅は文句一つ言えなかった。
 こんな苦労を12年も続けた末、舅が死去。その3月後には実父も死去し、介護から解放された。

−義妹の介護−
 子供達が成人し、長男は上京して家庭を持ち、次男は地元で結婚し、梅夫婦と同居したものの、舅と嫁の間が悪く、次男夫婦とも別居することになった。
 81年に健一が定年となる。ところが、この頃、上京していた義妹が突然帰ってきた。
 義妹は東京で働きながら一人暮らしをしていたが、痴呆症となり、唯一の身寄りである健一のところに送られてきたのだ。結局、梅が世話をすることになる。
 通院、着替え、食事の世話。さらに明け方近くに小便をまき散らすなどするため、ゆっくり寝ることなどできない。そんな生活が、梅の身体をむしばむ。自律神経失調症になったのだ。
 ところが、寝込む梅に健一は「仮病だ、起きろ」と言って、頭を踏んだりする。
 93年には、その健一が病気になり手術を受ける。健一の退院後には、義妹だけでなく、健一の世話までしなければならなくなった。さすがの梅も、この状況を長くは続けられないと、義妹を老人ホームに入れた。
 ところが96年、今度は梅自身が脳梗塞で倒れる。

−夫の痴呆−
 97年1月、2ヶ月の入院から帰った梅は健一の痴呆に気付く。
 ズボンの前後ろが分からない、セーターに頭をどう通すかを忘れる、といった事を訴え、小便を辺りにまき散らす、水を出しっぱなしにする、といった行動を取るようになった。さらに、梅が寝ていると、頭をけっ飛ばしたり、スリッパで頭を何度も叩くなどの暴力も振るうようになった。
 健一自身は梅に暴力を振るう理由について、自分がボケていくことが分かる上、介護に疲れて妻が寝込むのを見て寂しいからだ、と知人に述べていた。
 そんな健一を病院に連れて行こうと、次男に連絡しようとすると、健一はその電話を邪魔した上でこう言った。
「俺はどこも悪くない。病院なんかには絶対にいかぬ」
 悲観した梅は自殺を図るが『自分が死ぬと、夫の面倒を子供が見なくてはいけなくなる』と考え、自殺を思い止まる。
 こんな状況に、子供達も何もしていないわけではなかった。次男は仕事帰りに時々立ち寄り、健一の世話をした。また、長男の嫁も東京からやってきて、10日ほど老夫婦の世話をしたりした。長男は梅達両親を引き取ることも考えていたのだが、健一が地元を離れたがらず、それなら梅だけでも連れていくと言うと、梅も、健一だけを残していけないということで、子供達の考えも実らなかった。梅は後に、子供達の家族に迷惑をかけたくなかったと述べている。
 また、民生委員も立ち寄って、老人介護のサービスを受けるよう助言するが、夫婦共に『大丈夫だから、構わないでくれ』と断る。世間体を考え、他人の世話を受けたくなかったのだ。
 夫の介護と自分の病気、そんな重圧が梅の気持ちを追いつめていった。

−事件へ−
 6月、数日前に夫に頭を蹴られた梅は、頭痛がひどく、なかなか起きられなかった。7時に次男から電話がかかってくると、健一は「バアさん、ダウンしたよ」と答えた。その日、次男は会社を休み、両親の世話をした。これを見た梅は「これ以上、子供達に迷惑をかけるわけにはいかない」と思った。
 次男が買い物に出た直後、健一は寝ている梅のところに来て『いつまでも仮病で寝ているな。次男が可哀想だと思うなら、すぐ起きて晩飯の用意でもしろ』とどなって、スリッパで梅の頭を何度もなぐった。このとき、梅の殺意は確定した。
 そして、次男が帰った30分後・・

−裁判−
 同年11月、梅は執行猶予の判決を受ける。
 裁判長は以下のように述べた。
「高齢者の介護が社会的問題となるなか、被告と同様に苦しい日々を送っている家族も多く、犯行の社会的影響は大きい。しかし一方で舅や義妹などを計16年も介護した上、病弱な体で独り夫の世話を続けていた被告に全責任を負わせるのは酷である」

山井「家族だけだと(痴呆問題を内々で)抱え込まざるを得ないのです。(痴呆の症状が出たら)少しでも早く、プロの人(他人)の手を借りて外に出て、外の刺激を受けることです。そして地域(世間・近所)は、そのような助けを受ける人を冷たい目で見ないことが重要です」



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