憎む共犯−共犯の死を判事に頼んだ男− | ||||||||||||||||||||||||||||
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−概要−金を欲した3人は、小西の知り合いである青果商の朝鮮人一家を襲撃して金を奪うことを計画し、凶器のハンマー二挺を事件の8日前に仕入れた。そして事件当日は、市川・小西が凶器を携えて被害者宅に侵入し、市川が夫人を、小西が主人と長男をハンマーで殴り、さらに小西からハンマーを受け取った木下が次男と長女を殴打して瀕死の深手を負わせ、現金600円余を奪った。 その結果、長男・次男は死亡。他の3名は重傷を負った。 −裁判−横浜地裁で3名に対し死刑。すぐに3名とも控訴し、東京拘置所に移送される。東京拘置所には、東京管区内で死刑を受け、控訴・上告中または確定者が収監されている。 ここで木下は、長野刑務所看守殺しで死刑判決を受け、控訴中の高橋明と出会う。 以下は市川栄の再審請求書から引用する。 木下は共犯二人が自分を主犯に仕立てようとしたと思い込み、二人を恨んでいた。そしてこの気持ちを高橋にうち明けたようだ。すると高橋は次のように話した。 お前は子供を二人も殺しているから、控訴しても市川や小西は助かってもお前は駄目だ。俺は刑務所で役人を殺して逃げたので助からない事が分かっているので、近いうちに控訴を取り下げるつもりだ。お前も助からないのだから、控訴を取り下げてしまえ。そうすればお前が憎いと思う市川や小西も(注:共犯の量刑の均衡上か?)助からないのだから、結局お前の恨みも晴れることになる。 こうして高橋は6月26日、木下は6月29日に控訴を取り下げた。 それから間もなく、小西から市川に「刑が確定した木下に全てを押しつけよう」という手紙を書いて送るが、発見されて二審の証拠として使われることになる。木下は控訴取り下げの際に、被害者に対してあまりにも申し訳ないので控訴を取り下げるというような取り下げ書を書いているので、(表面的な)悔悟の差を表すこの手紙は二人の控訴棄却判決に大きく関わったものと思われる。 一方、二審での右陪席である久礼田判事は、木下に対する証人調べ(宮城刑務所で実施)の際に、手紙の件を木下に話した。 木下は大変怒り、二人を死刑にしてくれと久礼田判事に頼んだ。 こうしたことがあって、二人とも控訴棄却・上告棄却となり、死刑が確定する。 −獄中で−3名とも、確定直後に宮城刑務所に移送された。これは、当時東京拘置所には死刑執行施設がなかった為である。市川は木下の控訴取り下げの事情を、東京拘置所で木下の隣にいた川上という男から聞き、木下が久礼田判事に死刑を頼んだ事情を二審弁護人・福尾から聞いた。 手紙の件も、控訴取り下げの件も、市川には身に覚えのないことだったので、無念だったのか、市川は何度も再審請求を行っているが、53年4月25日に特別抗告を棄却されてからは、消息不明。 |