管区

はじめに

 ここでの管区は、行刑を行う際に設けた管区をさす。死刑の執行所なども、基本的には管区に1つづつある(例外もある)。またこの管区は、高等裁判所の管区にも1対1で対応している。
 このような管区分けされたのは1943年10月からである。


札幌管区

 都道府県では北海道にあたる。対応する高等裁判所は札幌高裁である。
現在、ここでの死刑執行施設は札幌刑務所(拘置は札幌拘置支所)にある。
 1948−2001年の確定者は46名で、このうち札幌地検(支部含む)で起訴された者が、全体の5割近くを占める。一方、一番少ないのは函館地検(同)の3名で、うち2名は共犯なので、事件数でいえば二件となる。


仙台管区

 東北全県がここにあたる。対応する高等裁判所は仙台高裁及び、同高裁秋田支部である。
 ここでの死刑執行施設は宮城刑務所(拘置は仙台拘置支所)にある。
 1948−2001年の確定者は47名で、仙台・福島両地検(支部含む)で起訴された者が、全体の7割を占める。ちなみに一番多いのは福島地検で起訴された者である。一方、山形地検(同)で起訴された者は、一人もいない(全国で最少)。


東京管区

 関東全県及び新潟・長野・静岡の各県がここにあたる。対応する高等裁判所は東京高裁である。
 ここでの死刑執行施設は東京拘置所にある。ただし、この執行施設が使われ始めたのは1966年以降で、それより前の死刑囚は宮城刑務所に送られていた。
 なお、現在の東京拘置所は旧小菅刑務所で、1970年に巣鴨から小菅に移転した。いわゆるスガモプリズンでの死刑執行は、戦後・一般刑事犯には行われていない。
 巣鴨拘置所(旧東京拘置所)の所在地は、今のサンシャイン60のあるところである。
 1948−2001年の確定者は260名で、管内全11地検のうち、8地検から各々二桁の確定者を出している。各起訴地検内で一番多いのは東京地検(支部含む)で、90名と確定者数の多さは全国一。続く横浜地検(同)も52名と全国二位で、この二地検が飛び抜けている。一方、一番少ないのは甲府地検(同)の3名である。


名古屋管区

 都道府県では愛知・三重・岐阜・富山・石川・福井がここにあたる。対応する高等裁判所は名古屋高裁及び、同高裁金沢支部である。
 ここでの死刑執行施設は名古屋拘置所にある。
 1967年4月までは名古屋刑務所で死刑を執行していた。なお50年確定者までは名古屋刑務所で拘置していたが、翌年確定者からは名古屋拘置所で拘置するようになった。
 1948−2001年の確定者は52名で、このうち31名が名古屋地検(支部含む)で起訴されている。一方、金沢・福井両地検(同)で起訴された者は各1名しかいない。


大阪管区

 近畿全県がここにあたる。対応する高等裁判所は大阪高裁である。
 ここでの死刑執行施設は大阪拘置所にある。
 1948−2001年の確定者は97名で、大阪・神戸両地検(支部含む)で起訴された者が、全体の7割半を占める。ちなみに一番多いのは神戸地検で起訴された者である。一方、奈良・大津両地検(同)で起訴された者は、非常に少ない。


高松管区

 四国全県がここにあたる。対応する高等裁判所は高松高裁である。
 この管区内には死刑執行施設がないので、確定死刑囚は大阪拘置所に移送される。
 1948−2001年の確定者は20名で、各地検で起訴された各確定者数の差は、あまりない。


広島管区

 中国全県がここにあたる。対応する高等裁判所は広島高裁及び、同高裁岡山支部、同高裁松江支部である。
 ここでの死刑執行施設は広島拘置所にある。
 1949年までは広島刑務所で死刑を執行していた。
 1948−2001年の確定者は35名で、このうち広島地検(支部含む)で起訴された者が、全体の5割を占める。鳥取・島根両地検(同)からは、殆ど確定者が出ていない。


福岡管区

 九州全県及び沖縄がここにあたる。対応する高等裁判所は福岡高裁及び、同高裁宮崎支部、同高裁那覇支部である。なお、那覇地裁が日本の司法に復帰したのは1972年である。
 ここでの死刑執行施設は福岡拘置所にある。
 1945年8月までは長崎刑務所浦上刑務支所で死刑を執行していたが、原爆で破壊され、1948年に福岡刑務所に処刑台を作成し、ここでは1965年まで死刑執行が行われていた。
 1948−2001年の確定者は102名で、このうち福岡・熊本両地検(支部含む)で起訴された者が、全体の6割近くを占める。なお、福岡地検で起訴された確定者数は、全国三位である。一方、一番少ないのは那覇地検(同)の1名。


(C)笑月


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