最高裁最高裁の判事は一様に年寄りである。昔は50代前半で最高裁判事に就任した人もいたが、現在では「格=年齢」がハードルになって、60代にならないと、まずなれない。 最近は判決の内容も、おおむね決まり気味だ。だいたい少数意見(注1)が出るのは各選挙区の1票の格差の訴訟だろう。3倍から5倍くらいの格差はがまんしなさいというのが、現在の多数意見である。自民党には、ありがたい最高裁である。 昔はアクの強い裁判官が多かった。まだ尊属殺は重罰(注2)が当たり前だった1950年に、違憲の意見を唱えた真野毅と穂積重遠と、彼らの意見を「曲学阿世の徒」「聞くにたえない」と(判決文の中で)罵倒した斎藤悠輔。逆に尊属殺規定が違憲になった73年に、「裁判所が法を変えるべきではない」と反対した下田武三。 松川事件第二次上告審で有罪説を採り、第二次控訴審判決(無罪)及び、多数意見を激烈に批判した下飯坂潤夫(ますお)と、彼の意見を補足意見でたしなめた斎藤朔郎。なお、下飯坂は八海事件の第二次上告審で無罪を破棄し、差し戻してもいる。 一度も無罪に票を投じなかった田中耕太郎元最高裁長官。 人事操作でリベラルな最高裁を作った横田喜三郎元最高裁長官と、それを保守に戻し、青法協(注3)を弾圧した石田和外元最高裁長官。 調書の山に囲まれて、真実を追究することを生き甲斐とした職人的刑事裁判官・岩田誠。 保守の裁判官に包囲されても、断固として人権第一主義を取ったため、少数意見を多数残した団藤重光。 超タカ派だが、退官後に「票の格差」を放置した最高裁を批判した岡原昌男元最高裁長官。 いずれもアクの強い人達だったが、どうも石田和外時代の強力な人事操作と最高裁事務総局を中心とした「上へならえ」の組織化が、裁判官の官僚化を進めたようで、元気な裁判官が少なくなったと思える。特に裁判官出身の最高裁判事に、その傾向が強いように思える。 ここで、最高裁判事がどういう分野から選ばれるかを見てみよう。 大きくは3分野。裁判官・検察官・弁護士である。そのほかに学者・官僚(外交官・法務官僚など)からも選ばれる。 裁判官出身者は、主に7高裁長官のうちから選ばれることが多い。最高裁判事に選ばれるような裁判官は、おおむね各地の裁判所で裁判をした時間よりも、最高裁で勤務した時間の方が長い。彼らは裁判官の中のエリート中のエリートで、「陸上勤務者」(注4)と呼ばれる。 検察官出身者は、大体退官時に最高検次長だった者が選ばれることが多いようである。 弁護士出身者は、日弁連推薦者の中から選ばれることが多い。もし最高裁長官が日弁連の意向を無視したら、当然最高裁と日弁連の関係は悪くなるので、あまり無視することはない。彼らは、東京の2つの弁護士会か大阪・名古屋の弁護士会会長を勤めた者や、日弁連副会長などを勤めた者が選ばれることが多い。ただし、全く弁護士会の役職に就かなかった無名の弁護士が、いきなり最高裁判事に選ばれたこともある。 学者からは、「〜法の権威」である各大学教授などが選ばれる。官僚、外交官が選ばれることが多いようだ。 さて話はもどって、おとなしくなった判事達だが、以前みたいな荒々しい意見をはく人はいなくなったが、おとなしく自己主張する人達は、いる。一審で無罪判決が出たネパール人の再拘置に反対した人。死刑確定者の手紙の発信を一様に厳しく制限しているのは、拘置所長の裁量としては「やりすぎ」と言った人。そして票の格差を「違憲」と主張する人達。そういう多数意見に反対する人達もいるのである。私は上に上げた例で少数意見が正しいとは言わない。正しくないと思う人もいるだろう。 最高裁の判決に不満がある人は国民審査を利用すれば良い。「自分一人がやったって・・」と思うなら、周りの人を巻き込んでみよう。WEBを利用すると、もっと効果的だろう。目に見えて、「不信任」のパーセンテージが高ければ、国民がその判事に「No」を突きつけていることが分かり、最高裁も次の人事を考えるかもしれない。それどころか、(難しいが)罷免も可能なのだ。 選挙や国民審査は、国民の「権利」ではあるが、民主国家の国民であるならば、「義務」とも言えると思う。ちゃんと判断するのは難しいし、そのために情報を集めたり(注5)勉強をするのはめんどくさいけど、国民の意見が無視される国家では味わえない、空気みたいな「自由」を守るための、それは「代価」であると思う。
(C)笑月 |