検察内部の権力闘争

〜岸本義広VS馬場義続〜

 これは、検察トップの座を約束されながらも、終戦による体制変換のためにトップにつけなくなった岸本が、ありとあらゆる方法を使って、司法のトップに立とうとした物語。
 昭和初期のころ、検察は特高などを有する公安系の鹽野季彦(元最高裁判事・鹽野宜慶の父)と、脱税や汚職などを扱う経済系の小原直の勢力に二分されていた。鹽野は司法界に皇道精神を流布するなど、軍国化する時代にマッチして、やがて検察の主流となる「鹽野閥」を形成する。この鹽野の将来の後継者として目されていたのが岸本義広(1897-1965)である。戦前・戦中は、やがて岸本が検事総長になることを、疑う者はいなかった。
 ところが終戦となり、日本にGHQが入ってくると、軍国主義を一掃するための活動を始めた。この結果、司法界では公安系の人々が粛清の対象となり、岸本のボスである鹽野は公職追放となった。代わって台頭してきたのが経済系の小原閥である。
 小原閥に属する馬場義続(1902-77)は、同じ小原閥の木内曽益の引きをうけ、東京地検特捜部を作るなど、戦後メキメキと実力を発揮していた。そして木内が1950年に鹽野閥の大橋武夫法相を失脚させるのに失敗して辞職(注1)して以降は、小原閥の有力者と目されるようになり、57年頃には検察No5で人事権を持つ法務次官(注2)となっていた。
 一方岸本は、地位こそNo2の東京高検検事長であるものの、非主流派となり、人事権もない今、もはやNo1である検事総長を望むことは出来なくなっていた。そこへ、ある事件が起こるのである・・・

 57年10月18日、読売新聞に「売春汚職 U・F両代議士 収賄容疑で召喚必死 近く政界工作の業者を逮捕」
 という見出しが踊った。
 売春汚職とは、従来暗黙に認められていた「特殊飲食」と呼ばれた売春営業を禁止する法案に対して、売春業者達が一部議員に贈賄して、法案成立を阻止しようとしたものである。
 東京地検特捜部は、これを察知して贈賄側、収賄側の調査に乗り出し、この記事が出る頃には、逮捕対象者も絞られていた。
 ここで問題になるのは、この情報の情報源である。これは検察内部でしか、あり得ない。このような情報を外に漏らすのは、国家公務員法違反にあたる。
 岸本は、この情報源が事件の性質上、馬場子飼いの特捜部にあるとにらみ、情報源である検事を特定して、馬場を失脚させようと画策した。そこで岸本が起こしたアクションは、この記事を取材した読売の立松和博(1921-62)記者を逮捕することだった。
 実はこの記事が出たことを受けて、U・F両代議士が立松を告訴した。ところが岸本の東京高検は、その告訴と、ほぼ同時に立松を逮捕している。これは、告訴した代議士と岸本との間で、立松逮捕の取り決めがなされていた可能性が非常に高いことを意味する。
 この逮捕の真意を質すべく、各報道社が岸本に記者会見を求めたところ、岸本は「情報源を言えば、即座に釈放する」と言う。
 記者は「報道関係者には、情報源の秘匿は義務であり、認められた権利だ」と反論すると、岸本は「そんなことを書いた法文は、どこにもない。そのような誤った習慣は、この際改められるべきだ」と言い切った。まさに戦前に公安検察をひたすら歩いてきた検事の価値観がよく出ている言葉である。
 これを受けて各報道社は、検察避難キャンペーンをはった。
 一方立松は、拘留期限の21日間を、結核手術跡の痛みに耐えながら黙秘を通していた。そして、その拘留期限に東京地裁が、岸本側から出された拘留延長申請を却下したことにより、立松は釈放された。
 ところが、召還必死だったはずのU・F両代議士は、結局召還されなかった。これは岸本の強硬な姿勢に驚いた馬場が、及び腰になったためだという説がある。この結果、読売新聞は、記事修正の謝罪記事を掲載し、立松は左遷され、事実上記者生命を絶たれ、やがて(後輩記者の表現によると)「緩慢な自殺」を遂げるのであった。

 ところで岸本は、まだあきらめない。人事権をもつ法務次官への降格を希望して、それを実現させるが、人事権の行使は馬場派に阻止され失敗。こうして岸本の検事総長への道は、完全に絶たれた。

 しかし岸本は考える。検事総長は、所詮法務大臣の部下だ。
 というわけで、60年11月に自民党公認候補として大阪5区で立候補し、当選。法務大臣への道を目指すが、当然馬場はそれを黙って見てはいない。
 馬場は大阪地検特捜部に命じて、馬場派の選挙活動を徹底的に調査していた。そして戸別訪問のような軽微な公職選挙法違反を犯した末端運動員から、芋蔓式に上部まで逮捕していき、ついに岸本は逮捕された。こうして岸本の野望は、完全に潰えたのであった。

 なお、馬場はその後検事総長(1964-66)に就任している。


注1:

木内は当時最高検次長だったが、大橋が法相に就任すると、木内を追って岸本をその後釜に据えようとしたため、木内は大橋が顧問をしている会社の脱税を暴こうとしたが、失敗。その責任をとって辞職した。

注2:

検察の序列は、検事総長、東京高検検事長、大阪高検検事長、最高検次長、法務次官となっている。



(C)笑月



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