遺族の心情


 死刑は被害者遺族の心情を落ち着かせるのに役立つか?残念ながら現在も私にははっきりとは分からない。ただ、犯人を死刑にすることだけにこだわっていては、解決する問題ではないと思う。

 遺族が本当に何を求めているか?色々な本を読んだ範囲で多かったのは、「事件の真相を知りたい」ということだった。それを知らないうちには、何もはじまらないというのだ。例えば加害者が少年などで、家裁で決着がついた事件の場合、ちょっと前までは、遺族に加害者が誰なのか?事件の真相はどうなのか?ということすら知らされなかったようだ。
 家族を殺された遺族が、損害賠償の民事訴訟を起こすのは、金がほしいことよりも、そうするしか事件の真相を引きずり出せなかったからだ。
 殺害された弁護士一家のある親族が、毎回裁判の傍聴に行っていたのは、「犯人の口から真相を聞き出しかったから」であるという。

 真相を知ることが、事件からの立ち直りの出発点になるとすると、次にはいかに立ち直るか?という問題になる。
 ある事件(犯人は一審で死刑確定)で子供を殺された親は、犯人が死刑執行されたことに対して「関係ないんです。そんなことは。ただ、あのことで、気持ちが落ち着くのが少し早くなった気がします。執行ではなく、確定したことで。もし裁判が続いていたら、あの激しい気持ちをずっと持ち続けなければならなかった。それはとてもストレスがかかることなんです
 遺族が立ち直るとは、この「ストレス」から解放されることだと思う。遺族は今後も生き続けるのだから。恨み続けるて生きていくのは、やはり苦しいのだろう。
 別の事件で弟を殺された遺族は言う「俺は人を憎んだり恨んだりして生きたくはないんだ」
 しかし、加害者が軽い判決を受けると、遺族の心がさらに傷つくことが多いのも事実のようだ。ここらへんに、遺族の心情と死刑に関係があるような気もする。

 さて、最近では遺族や被害者をどのようにして癒すかという問題についても、試行錯誤されているようだ。
 加害者と直接話し、罵倒したりして癒しのきっかけを見つけた遺族もいるし、同じような経験をした人に話を聞いてもらって、一緒に涙を流してもらって癒されていく遺族もいる。
 しかし、まったく遺族の気持ちを理解できない非経験者の慰めは、ストレスや反発の気持ちを起こすしかないようだ。ある遺族が、加害者の死刑執行のニュースを知った人から「おめでとう」と言われたことには、「何がめでたいんだ!そんなことで私の子供は帰ってこないんだ。関係ないんだ!」と思ったそうである。
 結局、彼らのような立場にない人達は、余計な慰めをするよりも、犯罪ができるだけ起こらないような社会を、ささいなことでもいいから作っていくほうがいいのだろう。

(C)笑月


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