刑部をたちあげるまで


 私は今日に至るまで、司法関係の職業や学業やと関係がない。大学は工学系大学だったし、現在はプログラマーをしている。親戚に弁護士・検察官・裁判官・調査官・書記官・司法書士などの司法関係者がいるわけでもない。まあ、あまり親しくないが、知り合いに警察官がいるぐらいであるが、親しくないので、彼とは殆ど話す機会もない。
 そんな私が、なぜ「死刑」を調査し、研究し、意見を書くようになったかというと、ある死刑囚に対して、冤罪で死刑を執行されたのではないかという疑念を抱いたからである。

 その死刑囚を知ったのは1992年頃。当時から犯罪に興味を持っていた私は、佐木隆三の「殺人百科」を購入した。それには「指定105号」事件も掲載されていたのだが、その犯人の強盗殺人の前科には共犯がいて、共犯は死刑になり、105号の犯人は死刑を免れたことが書いてあった。
 私はその共犯のことに興味をもち、105号当時(65年)の新聞を読んでみた。すると、105号の犯人は、「前科犯罪も俺がやった。あの青年(共犯)は見ていただけ」という記事を目にした。
 え!この共犯は冤罪で死刑になったのか!!
 そう思った私は、それから数ヶ月、暇を見てはこの共犯のことを調べたが、この犯罪は福岡で発生している上、時期が51年と古く、すぐに見れる朝日新聞縮刷版には載っていなかった。(注1)
 しかし調査の過程で、色々な死刑に関する記事を目にして、「死刑」全般に興味を持つようになり、「どういうことをすると死刑になるのか?」「どういう死刑囚がいるのか?」「いつ死刑が執行されているのか?」などを調べるようになった。このころ、「そして死刑は執行された」にも出会っている。
 しかし、まもなく大学受験があり、それどころではなくなり、いつしか死刑問題とも疎遠になっていった。

 やがて大学に合格し、94年になると、どこかの図書館で「死刑囚からあなたへ」という本に出会い、再び死刑問題に火がつく。このころは死刑の恐怖を知り、(被害者の存在を忘れて)死刑反対と考えていた。
 とりあえず、戦後の死刑囚全員を調べよう(無謀)と思い、色んな本や、例によって朝日新聞縮刷版を調べたが、それで分かったのが200人程度。当時はWEBページの活用など思いもよらなかったし、古本屋を活用することも知らなかった。
 しかし、大学の側に大きな古本屋があったことや、大学3年になるとWEB世界へ接するようになり、死刑制度の廃止にむけてというページに出会い、かなりリアルタイムに死刑情報を知ることができるようになった。
 大学も終わりに近づいた98年1月に「笑月ホームページ」を立ち上げたが、このころはまだ「刑部」はなかった。(注2)
 そのうち「刑部の高札」というコンテンツを立ち上げ、「これほどのことをすると死刑になるよー」みたいな内容を書いた。
 一方この時期になると「死刑制度の廃止にむけて」の更新が滞りがちになり、私としても不便を来していた。そこで98年9月に、内容が半端な「刑部の高札」を終了させ、死刑確定者一覧や未決者一覧を、新たに立ち上げたコンテンツ「刑部」の一コンテンツとして登場させた。一方、当時私は死刑問題に関する考えがまとまっていなかったので、自分の見解(現在の「はじめに」にあたる)は、特に書かなかった。
 この当時の「刑部」は、非常にマイナーな存在で、半年ほどでようやく1000hitを数えるほどだった。
 99年2月のことだった。私は家族単位でプロバイダーと契約し、そのプロバイダーのサーバにページをUPしていたが、父の「プロバイダ変えたから」の一言で、「初代刑部」は、お亡くなりになったのであった。(当然「笑月ホームページ」もヴァルハラへ・・)

 この頃、最高裁・法務省が発行する資料を目にする機会を得た。これを境に、戦後の死刑囚の名前が飛躍的に判明するようになる。
 一方、私の死刑感に大きな影響を与えるようなものを目にする。それは戦後間もないころの死刑事件の具体的な事例集だが、むごたらしい犯罪の事例を写真入りで目にした。
 特にひどいと思ったのは、当時18歳の少年Y(死刑になり、Yが23歳のとき執行された)が起こした事件だが、夫がシベリアに抑留されている妻と二人の子供の家に強盗目的で入り、妻に気づかれると、鈍器か何かで妻の頭を殴った。妻はYに家にあった200円を差し出し、「これで許して下さい」といったが、さらに頭をなぐったので、妻は衣類を出してきて、「これで許して下さい」といったのに、さらに頭を殴って殺害し、震えている二人の子供も殺害したという事件である。
 これは死刑は当然だ、と思った。「残虐」「人道的でない」「世界の潮流に反している」などの死刑廃止の理由など白々しいものに思えた。
 しかし、冤罪問題に関してはそうとは思えなかった。その時点で私は死刑の恐怖はある程度理解していた。本当にひどいことをしたのなら、死刑の恐怖は甘受すべきである。しかし、冤罪でその恐怖を受けるのは、やっぱり間違っている。そして、裁くのは人間であり、人間は絶対に間違いを犯さないということはない。
 結局私は、冤罪の発生が防げないのなら、冤罪者には最悪の恐怖を味わわせるべきではないというふうに思った。
 それでも問題は残る。遺族の感情の問題、再犯の問題、抑止力の問題である。
 再犯の問題は終身刑を提案することで落ち着いた。抑止力の問題は「ある」説も「ない」説も偏った見方をしており、ちょっと答えが出せない。
 問題は「遺族感情」である。私のまわりには私自身を含めて犯罪被害者(遺族)がいない。そんな私が軽々しくいうのもはばかれる問題である。ただ、新聞のコメントなどを見ていると、犯人が死刑になって「やった」「心が晴れた」と言っている記事を見たことがない。しかし、犯人が死刑にならないと納得できない人も少なからずいるだろう。ただ、この問題は「犯人を死刑に」という考えから切り離して、「遺族がどうすれば立ち直れるか」という視点を中心にすえて考える必要があるだろう。これはケースバイケースになるだろうし、その中に「犯人の死刑が絶対必要」というのがあれば、それはやむを得ないと思える。
 ただ、「絶対必要な犯人の死刑」の実現が死刑廃止で不可能になった場合でも、犯人は何らかの形で罰せられることは確実である。しかし、冤罪者を死刑の恐怖に追いやった人々が罰せられることは絶対にない。冤罪で死刑執行された人もいるだろう。その人を死に追いやった人々も罰せられることはない。なぜなら、個人の力は弱く、組織の力は強いからだ。
 死刑によるメリットは(大きいかどうかは別として)確かにあるが、そのメリットの為に少数を犠牲にすることは、私はどうしても許せないと思った。

 一方、世の中を見ると、犯罪のむごたらしさだけで死刑を叫ぶ人達が多すぎることが気になった。そういう人達に、むごい犯罪を許すべきではないが、死刑には多くの問題が含まれることをしった上で死刑問題を口にして貰いたいと思った。そして、そういう「死刑をあまり知らない人達」にちゃんと死刑問題を考えられる「材料」となるものを提供するために二代目「刑部」を立ち上げたのである。


注1:この共犯については、死刑囚列伝第五話を参照

注2:知らない方も多いだろうが、「刑部」は「笑月ホームページ」の一コンテンツである。(笑)

(C)笑月


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