彼は冤罪か?


 今回のは特に論理的な文章でなくて恐縮なのだが、矯正関係(主に刑務関係)の人達が発行している月刊誌に、こころをうたれた部分があったので紹介したい。

 T・Mは茨城県で起きた強盗殺人事件の犯人として逮捕され、2年後に死刑が確定し、翌月名古屋拘置所に移送された、冤罪を訴えた死刑囚だった。
 名古屋に来て3年目のクリスマスにクリスチャンになり、その後自分を冤罪に陥れた(と彼は思っている)警官・検事・判事を恨むのをやめたということである。そんな気持ちを歌った歌がある。

 冤罪で 敵を救いつ 召されゆく この勝利こそ 神に帰すらん
 冤罪の 全てのことは 神ぞ知る 敵を赦して われ逝くらん
 人の罪 この身に背負い 十字架の わが主の如く われも死すべき


 歌中の「敵」とは、自分を冤罪に陥れた警官・検事・判事のことだろう。
 また三首目の「わが主の如く」とは、キリストが罪もないのに磔にされたことを指すものと思われる。
 彼が刑死したのは、入信の二年後で、最後の言葉は、次のようなものだった。

 天地の主なる父よ。死刑によって世を去るときが参りました。私は信仰を得て幸せでありました。冤罪死刑という残酷な死刑が私限りでこの国に無くなりますように。死刑がこの国から廃止されるようにしてください。父よ、彼らを赦したまえ。わが魂をみ手に委ねます。

 本当に信仰が深くないと、死刑の恐怖にはあがらえないだろう。そして本当の信仰を得ていたら、最後には本当のことを言うだろう。それでなお「自分は冤罪」といい、そして「彼ら赦す」と言えるのは、深い信仰を得た冤罪被害者にしか言えない言葉ではなかろうか?
 例外がまったくないとは言わないが、私はそう思う。

 それにしてもやりきれないのは、彼の「幸せ」という言葉だ。この言葉に死刑囚教戒の功罪が含まれていると思う。彼は「幸せ」だったかもしれないが、そのおかげで法務省は「冤罪による死刑はない」と強弁できるのかもしれない。

 彼の刑死後、彼を入信させたT牧師が独自に彼の冤罪を調査した。その結果、以下の疑問点がでてきたそうである。

○アリバイ
 犯行は午前1〜3時の間に行われた。T・Mのアリバイは午前5時半の出勤から発生するが、犯行現場から勤務地までには船渡場で船に乗り、その後汽車に乗らなければならないが、当時の船渡場の時刻表からすると、犯行後に犯行現場を出発しても、5時半までに勤務地に到着するのは不可能。

○凶器
 凶器とされたハンマーには微量の血液しか付いておらず、T・Mの指紋は検出されていない。また、被害者の傷が頭蓋骨にヒビが入った程度で、ハンマーよりも丸太ん棒の方がふさわしい。

○盗品
 T・Mは盗んだ衣服を着ていたため逮捕されたが、これは犯人の心理としておかしい。
 また、T・Mは犯行直後に13万円を持っていたが、これは被害額と相当開きがある。彼は金や衣服を某からもらったと主張していたが、裁判で一度も某を調べなかったのは問題がある。


参考資料

月刊刑政
毎日新聞




inserted by FC2 system