はじめに

−死刑の現状と私の見解−



1:日本における死刑の現状(概況)

 89年12月−93年2月までの長期間、死刑の執行はありませんでした。それ以前に死刑が無執行だった年は1964、68年だけでした。
 1993年3月26日に3名の死刑囚の刑が執行されて、「平成の死刑」が始まりました。
 本当の平成最初の執行は89年11月10日ですが、そのときまでの死刑と93年以降の死刑は少々様子を異にしているので、私は区別しています。
 すなわち、93年以降は

 1:執行があれば必ず報道されるようになった。
 2:国会の閉会直後に行う。

 1については、私の調べたかぎりでは全国紙において89年以前の戦後で執行が報道されたのは8件(それまでの執行数約600弱)でした。
 2の原因は、法務大臣が死刑廃止勢力の議員の攻撃を国会で受けるのを避けるためです。

2:死刑賛成、反対論者、最高裁および私のおもな主張

@死刑反対派

 ・死刑は残虐である
 ・冤罪がありうる
 ・死刑に犯罪の抑止力はない
 ・憲法36条により公務員(刑務官)は残虐な刑罰を行うことを禁じられている
 ・故に即刻死刑は廃止すべきである(絶対終身刑などの代替案もあり)

A死刑賛成派

 ・死刑になる者はそれだけのことをしたので、残虐ではない
 ・冤罪になる者もいるかもしれないが、そういう者は多くはないのでやむをえない
 ・死刑は十分な抑止力をもつ
 ・被害者感情がおさまらない
 ・当然死刑は存続すべきである

B最高裁(昭和23年3月12日・大法廷判決)

 ・絞首刑は磔や釜ゆで、斬首とはちがい、残虐ではない
 ・死刑は十分な抑止力をもつ
 ・公共の利益を妨げる者には生命の権利を剥奪することも赦される
 ・世論が死刑賛成の流れにある
 ・現時点では死刑は廃止すべきではない

C私の考え

 結論としては、死刑を廃止して、仮釈放なし終身刑(以下絶対終身刑)を導入するべきと考えます。
 理由は、冤罪で死刑の恐怖を受け、執行されることが、絶対に許されないことだと思うからです。ただ、絶対終身刑の問題点もあるので、それは後述します。

 死刑存廃議論は、被害者側の感情や冤罪死刑に対する許容の可否、残虐性や人権などの感情的な側面と、犯罪抑止効果や再犯防止などの実利的な側面があります。

 当事者以外の人が、感情的な側面で死刑存廃を論じる場合、議論の前に、遺族の苦しさ・死刑囚の苦しさというのを、(完全に理解できるわけではないので)それなりに理解しておく必要があると思います。(ただし、それらだけにとらわれて論じてもいけないとも思います)
 被害者や遺族について書いた文などを、自分がその立場になったつもりで読んで、彼らがいかに苦しんでいるかをよく知る必要があるでしょう。その苦しさは、人にもよるようですが、うつ病になったり、自殺を考えたりするほどのものです。また、何故苦しんでいるかというのも、知っておく必要があると思います。参照
 一方、死刑存廃を議論する人の中には、死刑囚を全く別の人種と考え、また死刑を待つ恐怖について、浅く考えている人がいるように見受けられます。そいういう人たちには、死刑存廃論を議論するときには、自分もなにかのきっかけで死刑囚になるかもしれない、死刑囚の多くは、自分たちと基本的に変わらない人達であることを知った上で、論じて貰いたいと思います。また、死刑執行を待つ間の死刑囚の恐怖や苦しみも知って貰いたいと思います。死の迎えを待つときというのは、大変苦しいことです。それは、多少なりとも精神が異常になるという形で現れるようです。
 私はその上で、「有実ならば」死刑も仕方ないと思います。
 いかに死刑がひどいものでも、その死刑囚がやったこと考えると、仕方のないことだと思います。
 また、冤罪をなくして死刑を存置するという意見もありますが、人間が裁く限り、冤罪を減らすことはできても、なくすことはできないというのが、私の考えです。
 一方、冤罪問題と死刑問題は別問題であるという意見もあります。
 なるほど、取り返しがつかないのは、死刑でも懲役でも同じですが、懲役には、多かれ少なかれ精神異常を来す「死の恐怖」はありません。
 なお、残虐性と人権云々は、個人によってその内容が、あまりにも変わってくるので、特に意見を言わないことにします。

 実利的な側面の一つである「犯罪に対する抑止力」については、統計があるわけでもないので、断言できるわけではないですが、「ある」とは言い難いというように思えます(ないとも断言できませんが)。
 死刑犯罪は、とっさにおこなわれた場合が多く、1956年の死刑囚に対する調査では、犯罪前に死刑を意識した者はいなかったそうです。また、計画的に犯罪を犯す者は、「俺は捕まらない」という前提で計画を立てるので、死刑によって犯罪を止めることはできていないようです。
 一方で、死刑囚の中には再犯で死刑を受けている者も少なくないです。矯正教育が悪いのか、本人の素質によるものか、その両方か分かりませんが、再犯者によって、人の命が失われることがあるのは事実です。
 そのようなことをする(しそうな)者には、二度と外に出てもらっては困ります。

 これらを総合すると、死刑のかわりに絶対終身刑を設けるべきというのが私の結論です。
 無期懲役は一定の期間服役すると仮釈放されうるもので、いつかは出獄する可能性があります。

 あと、最初の方に書きましたが、絶対終身刑を導入したとしても、次のような問題点が、考えられます。
1:仮釈放のないことによって、それへの希望でおとなしく服役するようなタイプの囚人が、自暴自棄になって、刑務所運営が困難になる。
2:絶対終身刑囚は死ぬまで、生活費・管理費の一部を、被害者や遺族を含む国民に、負担してもらっている形になる。
3:刑務所収容人員増加への影響。絶対終身刑囚が寿命で死ぬまで、絶対終身刑囚に関しては増え続ける。

 死刑廃止の絶対終身刑導入が本当にベストな方法ではないですが、今のところ、それがベターだと考えています。

 なお、死刑存廃論からはなれて、現在の死刑の運用について一言。
 死刑執行をするなら、国(法務省や検察)のメンツ維持という視点ではなく、遺族の受けた傷が癒されるかどうかという視点で、やってもらいたいものです。
 例えば、(いいかどうかは別として)遺族自身に執行をさせるなり、公開するなり、知らせるなりする・・といった具合です。現状では、法務省としては、遺族に死刑執行を知らせるつもりは、ないようです。
 法務省の姿勢が端的に現れたのが、被害者の遺族が「犯人の死刑を望まないので減刑してくれ」と、恩赦嘆願書を書いたときです。
 法務省は理由も告げず、却下しました。
 この一件は、法務省が遺族の感情よりも、自分のメンツを大切にしていることが分かります。
 検察にしたところで、いくら被害者が「犯人を死刑に」といっても、死刑を求刑しないことなど、いくらでもあることで分かろうものです。


 以上、とりとめの無いことを長々と書きましたが、私の死刑存廃は、以下の例から考えて導き出したものです。(このケースは、最愛の人を殺した人もしくは冤罪で捕まった最愛の人が最高刑に処せられるのを前提とします)

ケース1:死刑がなかった場合で最愛の人が殺された場合
最愛の人の命を奪った犯人は終身刑なり無期懲役なりで罰せられる。が犯人は生きている。

ケース2:死刑があった場合で最愛の人が殺された場合
最愛の人の命を奪った犯人は死刑で罰せられ、犯人は死刑執行される。

ケース3:死刑がなかった場合で最愛の人が冤罪で捕まった場合
最愛の人は終身刑なり無期懲役なりで罰せられる。
最愛の人は多くの時間を失うが、長時間かけて再審を続ける。
最愛の人の自由・時間を奪った警察官・検察官・裁判官は罰せられない。

ケース4:死刑があった場合で最愛の人が冤罪で捕まった場合
最愛の人は死刑に処せられ、毎日死の恐怖におびえ、何年後かに死刑執行される。
最愛の人の命を奪った裁いた警察官・検察官・裁判官は罰せられない。

ケース1と3、2と4がペアになります。

 皆さんは、どちらの組み合わせが、ましだと思われますか?


(C)笑月



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