代用監獄

 「冤罪は戦後間もない頃のものだ」そういう意見をよく聞く。なぜか?「今は人権感覚は普及して、警察による拷問がないからだ」という。本当だろうか?
 タイトルの「代用監獄」とは、警察の留置所を指す。これは主に拘置所に対比して使われる言葉である。なぜか?拘置所では、取り調べに使える時間が決められており、食事の時間も、決まった時間に一定時間決められている。しかも管理者は拘置所の長である。しかし警察の留置所では、取り調べ時間も食事時間も、管理者である警察の思うがままである。
 ここでは、代用監獄で行われている取り調べの様子を記してみようと思う。

留置期間に関する外国との比較
 まず法律上、警察に留置できる時間を、ごく一部ではあるが、外国と比較してみる。

国名 留置期間 警官取調
可能期間
起訴前
取調
備考
2日 2日 × 期間中は弁護士をつけることはできない
西独 2日 2日 期間中は弁護士をつけることができる
数日 数日 × 期間中は弁護士をつけることができる
数日 1日 × 期間中は弁護士をつけることができる
取調が4時間を越えたら、自白は任意性がない
23日 23日 期間中は弁護士をつけることができる


 起訴前の取り調べが可能なのは、西独(当時)と日本だけだが、西独は基本が2日に対して、日本は留置3日+起訴前拘留20日の計23日まで可能である。なお、起訴予定の罪名が多数に上る場合、エンドレスに警察の取り調べが可能になる。
 例としては、過激派の爆破事件で逮捕されたある人は、73年4月−74年3月の330日間、代用監獄で取り調べを受けている。これは再逮捕などを併用して、可能にしたものだ。また、一般事件(政治犯ではない)では、ある殺人事件の被疑者が69年4月−7月の110日間代用監獄で取り調べを受けている。彼らはさらにその後、拘置所で取り調べを受けているのだ。
 なお、1日単位での取り調べを見てみると、午前7時10分−午後9時30分までの14時間20分というのもある(73年4月)。この間、食事も便所も刑事の思うがままである。さらにこの人は、この月(全30日)のうち、10時間以上取り調べられた日が21日あった。


肉体的拷問
 拷問の定義は難しいが、ここでの拷問は理不尽に人を追いつめる行為とする。以下の年は、取り調べのあった年である。

 顔をなぐる:70年(一審無期懲役)、81年、82年
 頭をつかむ:70年(一審無期懲役)、70年、73年
 その他の部分への暴行:70−82年まで6例
 大声でどなる:全期間20例以上
 食事の制限:71−82年まで8例
 便所の制限:71年
 運動の制限:全期間20例以上
 風呂の制限:全期間10例以上
 治療の制限:全期間10例以上

 食事の制限は、取り調べしたまま食事させることや時間を制限(夜遅くや夕方早くなど)する、または差し入れを許可しないことをいう。ちなみに代用監獄での食事(官弁)は、「弁当箱を傾けて、トントンとたたくと、飯の量が半分になるくらいで、おかずは少ない漬け物だけ」であるそうである。
 運動の制限は、ちょっとストレッチするとか、伸びをするようなこと、足を組んだりすることも制限されることである。これが長時間続く。
 治療の制限とは、ストレスから来る病気、官弁だけによる栄養不足からくる病気、その他の病気に対して、医者に見せないことをいう。中には、獄死を覚悟した人もいた。

精神的拷問
 精神的拷問は、恫喝につきる。内容は、家族に迷惑が及ぶ系のもの、刑が重くなるというものというのが定番のようだ。前者は、「村八分だ、お前の罪を言いふらして家族の職をなくしてやる、子供を学校にいけなくしてやる、家族を取り調べてやる」等(70−77年10例)。後者は、「認めないと死刑にしてやる」(70−82年15例)。
 特に前者で巧妙な例として、「お前がやっていないとすると、お前の家族で車の免許を持っているのは弟だけだな」という言い方をして、暗に弟を逮捕するぞと恫喝したケース(73年)や、別件の車窃盗の件で、「お前のオヤジは盗んだ車が自宅にあるのを知っていたはずだから、逮捕してやろうか」と言って、逮捕状と書かれた紙に親の名前が書いてあるのを見せられたケース(71年)がある。

自白の誘導
 71−82年に4例。その方法は、警察の思惑から外れた答えだと「思い違いだろう」とか、金額を聞くときは「〜万か?それとも〜万か?」と聞いて、うんと答えさせるとか、中にはあからさまに「ヒントを教えてやる」(82年)ということもある。

接見妨害
 家族や知人や弁護士との接見を妨害する。また差し入れの不許可などもある。これの効果は絶大で、心許せる人と会えずに数日〜数十日も自由を拘束されて取り調べを受けると、ある人は疑心暗鬼になり、ある人は警官に救いを求め、迎合するようになり、ある人はストレスで病気になり、そして殆どの人はどうあがいても、認めない限りだめだという気持ちになるようである。
 家族との全面面会禁止は71−82年に6例あり、3月に1回15分程度(69年、二審まで懲役12年)などの多大な制限を含めると、10例を越える。
 ある人は、家族が大きな心の支えになったという反面、家族がしっかりしていないと、警察に利用されるという意見もある。
 そして弁護士を雇おうとすると、「金が莫大にかかる」「一家の財産を食いつぶされるぞ」と言われる。その結果、弁護士を解任した例(71年)もある。またひどいのになると、「弁護士雇うから、家族に連絡してくれ」と言っても、無視された(73年)こともあったようである。

終わりに
 ここに挙げた例は、新しい例でもいまから20年ほど前のものであるが、この時代の取り調べと現在とでは、そう変わっていないだろう。
 警察がこのような取り調べをするときというのは、世間的に騒がれた事件や、犯人を長期間逮捕できずに、警察が世間の非難にさらされたときが多いようである。

 冤罪問題は、代用監獄の問題だけではない。検察・警察への近い心情をもつ一部の裁判官の存在も問題ある。例としては、ある爆破事件(本ページの例のひとつ)で、無罪判決が出たときの裁判長の言葉に表れている。
 「捜査官に対して、(無罪判決に対する)感慨を禁じ得ない」
 本当だったら、「もっとちゃんとした証拠固めしろ、長い間拘留して、この程度の証拠しか集められなかった上に、起訴したのか」というしかりの言葉があってもいいくらいである。なお、このような場合は裁判官は「遺憾」という言葉を使う。
 最後に、裁判官をはじめ、国民には「警察が逮捕するぐらいだから、犯人だ」と思ってしまう風潮があるのではないだろうか?それは「お上」に対する深層での信頼感があるからだろう。(これは私にも言えることであるが)
 警察や検察を無条件で疑うのは論外だし、最初から疑って見るべきでもないが、無条件に警察や検察が正しいと思うべきではないと思う。彼らは権力を持つ組織であり、調べられる側は、権力のない個人なのだということを、忘れるべきではないと思う。


参考資料

ぬれぎぬ(東京三弁護士会合同代用監獄調査委員会)


(C)笑月



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