裁判所・部 東京高等裁判所・刑事第四部
事件番号 平成17年(う)第1115号
事件名 盗品等有償譲受け、有印私文書偽造、同行使、旅券法違反、殺人、銃砲刀剣類所持等取締法違反、殺人未遂、火炎瓶の使用等の処罰に関する法律違反、現住建造物等放火未遂
被告名 小日向将人
担当判事 仙波厚(裁判長)嶋原文雄(右陪席)秋山敬(左陪席)
その他 書記官:田村嘉之
検察官:牧野忠
弁護人:古川美、西村正治
廷吏:西本由香利
日付 2006.3.16 内容 判決

 3月16日午前10時30分から、前橋スナック乱射事件の小日向将人被告の控訴審判決公判が東京高裁725法廷(仙波厚裁判長)であった。
 傍聴券は抽選の予定だったが、定員を大幅に切ったので無抽選で傍聴することができた。
 2分間のカメラ撮影や被告人の入廷、ガラス板の設置は傍聴人が入る前に行われた。
 小日向被告はこれまで同様思いつめたような表情で、顔を紅潮させて下を向いていた。ズボンをお腹までたくし上げており、身長はそれほど高くない。

 仙波裁判長は口頭で「期日外で再開しまして、検察官からは遺族の意見陳述書の提出があり、そこでは大沢刑事との会話に対する部分や今でも苦しんでいることや、極刑を望んでいることを詳細に意見陳述されています。弁護人からは、被害弁償の関係で、示談交渉が一昨日終わって、交通事故の加害者から被告人に30万円が支払われることになり、それを被害弁償に充てたいという経過の報告がありました」と被告人に告げた。
 検察官も被害弁償の報告書には同意した。
裁判長「それではこの書面を採用します。これで結審することにします。合議しますが、ごく短時間ですのでそのまま待っていてください」
 裁判長が法廷外でわずかな打ち合わせをしたあと入ってきて、再び起立と礼をして再開した。

裁判長「それでは被告人に対する盗品等有償譲受け、有印私文書偽造、同行使、旅券法違反、殺人、銃砲刀剣類所持等取締法違反、殺人未遂、火炎瓶の使用等の処罰に関する法律違反、現住建造物等放火未遂被告事件について、控訴審の判決を言い渡します」
 仙波裁判長は主文を後回しにして理由から朗読したので、原判決破棄の無期懲役かと思ったが、実際は被告人への配慮に過ぎなかった。

−理由−
 本件控訴趣意は弁護人作成の控訴趣意書記載の通りで、これに対する答弁は検察官の答弁書記載の通りである。つまり論旨は
・三俣事件において、被告人にはすなっく加津の店内にいるのは暴力団員のみという認識で、一般の客がいるという認識はなかった
・被告人の自白は法律上の自首に当たる
・被告人を死刑に処した原判決は重すぎて不当である
というのであり、論旨に沿って検討を加える。まず次のような事実経過が認められる。
 被告人は昭和60年に埼玉県東松山市の中学校を卒業後、自動車整備工の過程を経て、板金工場やスナック手伝い、キャバクラのウェイターなどの職を転々としていたが、そのうちに暴力団員と親しくなり、矢野組に出入りするようになって矢野の運転手になった。そして同人と親子の盃を交わした。
 平成13年の秋に会派の分裂が起こったときも、Y4には付いていかず、矢野のもとに留まった。そこには行動隊長として土居がいた。
 被告人は妻との間に3児を儲けている。
 住吉会幹部の葬儀に潜入した稲川会幹部が拳銃を発砲して死者を出した四ツ木斎場事件が起こり、これに対する報復として矢野の指示により、被告人は土居らと報復の準備を始めた。その後住吉会と稲川会は手打ちをして、全面抗争にはならなかったが、矢野は稲川会に対する報復措置を解除しなかった。

○拳銃譲受け
 住吉会代行の高橋から一包を代金30万円で譲り受けることにして、所沢のホームセンターでそれを受け取った。この拳銃が三俣事件に使われた。

○h襲撃
 住吉会と稲川会は手打ちしてコトを収めることにしたが、矢野は大前田一家への報復をあきらめず、総長のhの襲撃を指示した。
 被告人は辰力とh方の下見をしたあと。盗難車を入手して用意し、「噴射機でガソリンを引火させろ」という矢野の支持を受け、これに従って同人宅に行き、辰力、瀬谷、渡辺とともにガソリンを散布して火炎瓶を投げつけたが、居宅にいた家人に発見されて未遂に終わった。またその際、弾丸合計8発を発射している。

○f襲撃の準備
 被告人は知人を介して盗難車のパジェロ、シーマを譲り受けた。
 矢野はhの襲撃は困難と判断し、fに切り替えるよう指示した。
 矢野は「斎場にあいつもいただろ。あいつもやるから」と言った。
 fの立ち回り方を下見したうえで、dたちはゴルフ場から戻ったfを白沢村で襲撃したが、被告人は交通事故で負傷していたため参加していない。
 次に矢野はキャバクラに通うfの射殺を決意し、土居が撃って、被告人は運転手役という計画をした。矢野は試射を土居に指示し、被告人も一緒に同行した。土居は6発試射し、被告人は土居に助言を与えたりした。
 結局それはfが出歩かなくなったことから失敗に終わった。

○三俣事件
 矢野はfをすなっく加津で射殺することにし、下見を指示した。
 被告人は拳銃を4丁渡辺から返還させて、土居とともにアジトに入った。
 すなっく加津の近くにあらかじめバイクを止め、それぞれ拳銃2丁ずつ持って、土居がfを射殺し、被告人はボディガードに対応し、使った拳銃は川に捨てる計画を立てた。
 矢野とは毎日連絡を取り合い、同人から「連絡するから待機せよ」と指示され、いつでも襲撃ができるように備えた。
 ところが土居は緊張のあまり拳銃を被告人に突きつけるなどしたため、このことを被告人から伝えられた矢野は土居の代わりに山田を使うことにして、山田をジャージに着替えさせて待機させた。
 被告人に矢野から連絡が入り「fが入ったらやれ」と指示され、被告人が運転して2人ですなっく加津に向かった。
 矢野は「fは一人でいる」「深く考えちゃダメだよ。ゲームなんだから」などと指示していた。
 止めてあったバイクがなくなっていたが、矢野から「そのまま車で向かえ」と指示されて公民館の近くに車を止めた。
 すなっく加津の前でfのベンツらしき車を発見した。そして近くにいる2名をfのボディガードと考えた。
 被告人は矢野に連絡を取り、「ボディガードが2人いる。店のなかには他の客もいるのではないか。ボディガードと撃ち合いになるかもしれない。中止しよう」という意向を伝えたが、矢野は「店のなかにいるのは3,4人だ。他の客はいない。全員fの仲間だから、やらないとやられるぞ」などと指示した。
 被告人は密偵を信頼していたこともあり「これを信じて実行するしかない」と考え、小日向被告はdから「どこに行くんだよ」と声を掛けられたことに対し、「ボディガードは拳銃を持っている」と思ったことから弾丸2発をdに発射した。またもう1人のボディガードを威嚇するために拳銃を発射した。
 一方山田は店内で発射し、被告人はその銃声を聞いて店内で発射した。
 当時はb、c、a、f、gがカウンター席にいたが、被告人らの銃撃によってbとcを脳挫滅、aを動脈破裂でそれぞれ死亡させた。またgとfにも命中し、gにはすい臓断裂、fにも加療3週間を要する左中指粉砕骨折を負わせた。そのとき原因は定かでないが、山田の撃った弾丸が被告人のヘルメットを貫通し、眼鏡の縁が落ちてしまった。
 その後山田が車を運転して逃走し、途中でヘルメットを捨てて、被告人は自宅に戻った。

○海外逃亡について
 被告人は矢野から「家にいるな。体をかわしてどこかに戻(潜?)ってろ」と言われたため、ホテルなどを転々としていた。
 被告人を出国させることを矢野は企て、他人向けの一般旅券を不正に入手して新国際空港から被告人を出国させた。これで数回に渡って日本と海外を往復していた。
 被告人は数次の逮捕で身柄を拘束され、やがて三俣事件についても逮捕された。

 以上の事実を前提に判断する。
 まず三俣事件において他の客がいたか否かであるが、原判決で被告人は一般人を巻き添えにするかもしれないと認識していたとされたが、被告人は店内にいるのはfとその関係者のみで、暴力団関係者以外の人がいるという認識はなかったと弁護人は主張している。
 だが現場は住宅街にある4件続きの普通のスナックで、午前11時ごろにはカラオケとかに客がいたことは当然予想できたはずだ。現に被告人は「何人いるか分からない」と矢野に伝えている。そこで矢野は「店のなかにいるのは3,4人だ。全員fの仲間だ」などと言ったが、矢野は前言ったことと事実は相違しているから、その新たな情報から他の客が絶対いないと被告人が認識したのは俄かに信じがたい。
 「やらなきゃやられるぞ」と矢野に指示されたが、相手側は何も発砲してこなかった。それなのに被告人は続けざまに発砲している。つまり被告人は絶対に他の客がいないとは確信しておらず、いるかもしれないと認識していたとするのが相当である。
 いないでほしいという気持ちは被告人の単なる願望に過ぎず、被告人は店のなかに誰がいようと容赦なく銃撃する意思を有していたのである。
 原判決に所論のような事実の誤りはない。
 次に三俣事件で自首が成立するか否かである。
 弁護人は捜査機関の捜査は被告人を特定できるほど進んでいなかった、この点において原判決には判決に影響を及ぼすことが明らかな事実誤認があるというのである。
 ところが捜査機関は被告人が実行犯の一人であると認識しており、当時フィリピンに渡航している事実を把握していた。
 現場に落ちていた眼鏡の縁が即日領置され、練馬区の眼鏡屋で被告人が同じ眼鏡を買ったことを確認していた。また科学技術捜査で、眼鏡の縁の成分と拘置中の被告人の血液でDNA鑑定を行い、それが一致した。それを示されて被告人が自白したものである。
 被告人が自白するか否か葛藤を続けており、その結果自供したとしても、三俣事件の犯人とすでに発覚していたため自首には当たらない。自白する準備をしていたというが、これも理由がない。
 また弁護人の控訴趣意には量刑不当とあり、被告人を死刑に処した原判決は重すぎて不当であるというのである。
 被告人の量刑を決めるにあたって、最も考慮すべきなのは三俣事件の犯情だ。
 事件の発端は四ツ木斎場事件のあと、大前田一家への報復を狙っていた矢野が配下である被告人に指示したことによる。
 被告人は矢野の指示に従って、dを射殺したあと店内にたまたま居合わせたb、a、cを射殺して、fとgに重い障害を負わせたものである。これらは人命を軽視した極めて反社会的な犯行で、情状酌量の余地などあろうはずがない。
 被告人は準備を整えて強固な殺意に基づき、至近距離から発砲して4人の生命を奪ったもので、人の生命を一顧だにしない冷酷で非情なものである。
 被害者ら3人は暴力団と何の関わりもない生活を送っていたのに、突如被告人らの犠牲となって命を奪われたもので、その無念は察するに余りある。遺族が被告人に対し極刑を望むなど、処罰感情が峻烈なのは至極当然と言える。
 dにしてもボディガードとしていたが、射殺されるような謂れはない。声を掛けただけで射殺された無念は察するに余りある。
 fにせよその苦痛も甚大で、その障害の程度は軽いものではない
 。本件は閑静な住宅街で起こった拳銃による銃撃で、周辺住民の恐怖は想像を絶する。社会を震撼させたものであり、社会的影響は極めて深刻であると言わざるをえない。
 被告人は現場を下見したうえで山田とともに犯行に及んだものであり、被告人はdに弾丸2発、gに弾丸2発で重傷を負わせ、aに2発中1発を命中させた。
 「一般の客がいるかもしれない」と被告人が考えていた経緯があったにせよ、店に入ったあとは何の躊躇いもなく犯行に及んでおり、戦慄を禁じえない。
 店のなかに何人いようと、その者を殺害してしまえというものであり、被告人の罪責は極に達すると言わなければならない。
 弁護人は、eが入院先の病院で射殺されたのは、eが計画に消極的な態度を取ったためと聞かされ、もしeと同じ行動を取れば自分や妻子に危険が及ぶという当時の心理的拘束を原判決は過小評価しているという。
 しかし本件における銃撃がいささかも正当化されるものではない。
 被告人は警察に保護を求めたり、計画から離脱すべきだった。それは十分可能だったし、その行動は期待されてもいた。それに被告人は自らの考えで暴力団に入ったのであり、このような状況は当然予測できたはずだ。この点は被告人の刑責を大きく減じるようなものではない。
 また被告人は三俣事件以外にも、四ツ木斎場事件の対応で、銃器に極めて近い位置にあったり、土居とともに拳銃の試射をしたり、事件に使う盗難車を譲り受けるなどしている。火炎瓶を投げつけて、抵抗されたので拳銃で弾丸を撃つといった犯行にも関与している。これらも軽視できるものではなく、地域社会の安全に与えた影響は大きい。これらの犯行に積極的に関わったことは被告人の反社会的人格の表れとも言える。
 他人名義で政府発行の旅券を取得したことも、これ自体反社会的なものだ。自らの安全を図るため海外に逃走したことに、人命の尊さに思いを致したりとか遺族の心情を考えたり、自ら犯した罪に反省する態度は見えない。
 身柄拘束されて逮捕されると、被告人はそれ以後は詳細に供述を始め、本件一連の犯行が解明され、計画的になされたその態様が発覚するに至った。被告人は事実関係を率直に供述し全容解明に貢献したので、弁護人はこれを評価すべきだと言う。
 ところが全く犯人を確知していなかった場合とは、大きな差異がある。被告人が全面的に自供したことを過大評価することはできない。
以上の事実を前提にして死刑の当否を検討する。
 死刑はその生命そのものを奪い去る峻厳な刑罰であり、最も慎重な態度で臨まなければならないのは言うまでもない。
 犯行の罪質、動機、態様、殺害された被害者の数、遺族の被害感情、社会的影響、犯人の年齢、被告人の反省状況など各般の事情を総合考慮したとき、その罪責が誠に重大であって罪刑の均衡の見地からも一般予防の見地からも、極刑がやむを得ないと認められる場合にはこれを選択することが許されるものである。
 そこでこれまで述べた犯行の事情だが、三俣事件の犯行態様や特に被害者の数の多さ、社会的影響を考えると、この事件だけでも極に達している。それなのに被告人は三俣事件以外にも関与している。
 そうすると被告人が事実を認めて反省し、一連の捜査に協力していることや、被告人の家族の事情、先ほどの被害弁償に向けての努力を最大限考慮しても、被告人の刑責はあまりに重大であり、無期懲役を選択する余地はない。被告人を極刑に処した原判決は誠にやむをえないところである。
 論旨は理由がない。

−主文−
 本件控訴を棄却する。

裁判長「裁判所の判断は以上になります。最高裁に上告することができますので、よく弁護人と相談して決めてください。それでは傍聴席の方から退廷してください」
 裁判所職員に促されて、遺族関係者以外は退廷させられる。
裁判長「それでは被告人は退廷してください」
 被告人の紅潮した、険しく下を向いた表情はあまり変わらなかった。
 仙波裁判長はいつになく神妙な面持ちだった。
 被告人がガラス越しに手錠と腰紐を掛けられるまでは見たが、傍聴席の遺族関係者にどのようなアクションをしたかは見ることができなかった。

 閉廷後、古川弁護人はエレベーター内で「上告する」「あまり接見時間がない」と報道人と話していた。
 報道陣は、仲間内で「一切認められなかったね」と言っていた。
 複数の遺族関係者は2階の司法記者クラブで会見して、激しい処罰感情を吐露していた。

 小日向被告は東京にある最高裁には出廷しない。そして2審の死刑判決が最高裁で覆ることも前例がほとんどない。
 つまり小日向被告にとって証人出廷がなければ、16日の東京高裁の死刑判決が外の世界の見納めになる。
 判決を終えて護送車が東京拘置所の門をくぐり終えた瞬間、小日向被告はもう門の外に出ることはないのだが気づいていたのだろうか?

事件概要  小日向被告は上長である暴力団組長の命令で以下の犯罪を犯したとされる。
1:2002年3月1日、他3名と共に群馬県前橋市の対立組織の元総長宅を放火しようとして失敗した。
2:2003年1月25日、他1名と共に群馬県前橋市のスナックで対立組織の元組長を射殺しようとし、一般人3名を含む4名を射殺した。
 その他、元組長殺人未遂事件にも、補助的役割を果たしている。
 小日向被告は10月31日に逮捕された。
報告者 insectさん


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