裁判所・部 東京高等裁判所・第六刑事部
事件番号 平成15年(う)第3264号
事件名 殺人、殺人未遂、犯人蔵匿
被告名 遠藤誠一
担当判事 池田修(裁判長)山内昭善(右陪席)吉井隆平(左陪席)
その他 書記官:金子いさを
検察官:野口敏郎
弁護人:下村忠利、高見沢
日付 2006.3.2 内容 被告人質問

 3月2日、法廷警備員が所持品チェックをして、再入廷できない厳重な法廷でオウムの遠藤誠一被告の控訴審の公判は開かれた。
 遠藤被告は細い縞模様の入った青いスーツ姿。ボサボサの髪に神経質そうな表情を浮かべた小柄な男性だった。話し口調は大学の教授みたいに細部まで話し、いわゆるオタク系である。

 まず弁護人による証人の申請だが、検察官は「取り調べの必要はない」と述べた。

−弁護人による被告人質問−
弁護人「裁判官には被告人の難聴について配慮していただきたい。この点はリムジン内で話が聞き取れたかについても影響します。あなたはいつ難聴であることを知ったのですか」
被告人「小学校の低学年のとき、学校の定期診断で知りました。聴力検査のグラフを見せながら、かなり低下していると言われた」
弁護人「いつぐらいから左耳が聞こえないのですか」
被告人「左耳が突然聞こえなくなりました。小さいころは片耳しか聞こえないと考えていました。もしかしたら先天的なものかもしれません」
弁護人「何か治療をしたのですか」
被告人「健康診断のあと、耳鼻科に2年以上掛かりました。その後左耳は数年内に聞こえなくなりました。右耳は回復したかと思いましたが、疲れると聞こえなくなりました。感音性難聴とのことです」
弁護人「日常生活についてはどうですか」
被告人「周囲に雑音がない場合は聞こえます。自分でも日常会話にどれほど支障があるとは思っていません。ただ人が話しかけても、聞こえ辛かったり、聞こえたふりをしたことはあります。狭い密室ではポツンポツンとしか聞こえない」
弁護人「一審の公判では左耳のことで支障があったそうですね」
被告人「傍聴人が咳とかくしゃみをするだけで、何を言っているのか分からなくなり、聞き返すことがよくあった」
弁護人「そのへんは控訴審の裁判官にも気をつけてほしいということですか」
被告人「はい」
弁護人「あなたは声が大きいですよね」
被告人「自分の声が聞こえないですから、自然と声が大きくなってしまいます」
弁護人「1995年3月当時の教団の状況ですが、出家している人とそうでない人がいたそうですが、説明してくれませんか」
被告人「信者は大きく2つに分かれ、出家していない信者は在家の信徒さんと呼ばれ、一般家庭で信仰している人です。一方教団で集団生活をしながら修行している信者は出家信者もしくはサマナと呼ばれていました」
弁護人「それぞれ何人ぐらいいたのですか」
被告人「在家の信者さんは新聞報道などでは1万人ぐらいいるとされましたが、それは脱会した人やセミナーに参加しただけの人も含まれている感じで、実際は3000人前後でした。そのなかできちんと活動しているのは1000人から2000人の間でした。サマナのほうは88年の11月時点では100人前後、90年の2月時点で300〜400人になり、95年では1500人ぐらいになりました」
弁護人「事件はどちらが起こしたのですか」
被告人「ほとんどがサマナです」
弁護人「宗教って言ってもいろいろあるけど、オウム真理教はどんな宗教に分類されるのですか」
被告人「仏教です。チベット密教にも近い」
弁護人「信仰の対象としているのは何ですか」
被告人「シヴァ大神です」
弁護人「教団内では尊師、グルというのは何を指すのですか」
被告人「グルとは霊的指導者の意味で、尊師は麻原さんを指す固有名詞です」
弁護人「控訴審ではあなたは麻原さんという言い方をするのですか」
被告人「尊師もしくは麻原さんと私は呼びます」
弁護人「なぜ2審で尊師と呼ぶようになるのですか」
被告人「これは最後のほうで話します」
弁護人「教団ではホーリーネームというのがあって、あなただったらジーヴァカ、村井さんだったらマンジュシュリー・ミトラというようにですが、当時もホーリーネームで呼び合っていたのですか」
被告人「はい。しかし公判では普通の名前で話すことがある」
弁護人「サマナは教団でどのようなことをしていたのですか」
被告人「信者が出家すると短期間研修を受け、その後建築班とかに配属されて奉仕活動をします。その奉仕活動のことをワークと呼んでいました。教団生活の大半はワークです」
弁護人「各部署を省庁名で呼んでいたのですね」
被告人「94年7月からの省庁制導入からですね」
弁護人「大臣とか次官とか使徒とかいろいろありますね」
被告人「教団は宗教団体ですから、各自の修行の進み具合を表すものとしてステージ制が導入されました」
弁護人「大臣は大臣同士、同格なのですか」
被告人「表面上はそうでした。しかし村井秀夫さん、あれは別格でしたね。あと石川公一さんと中川智正さんは尊師直轄ということで権限が強かった」
弁護人「彼らは遠藤さん以上の権限を持っているのですか」
被告人「はい」
弁護人「彼らとは友達付き合いをしていましたか」
被告人「石川さんとはそれほどでもなかったが、中川さんとは親しかったです。私は年上で出家が早いから、彼らは私に対して丁寧な言葉使いをするのですが、彼らは私の知らない何らかの秘密を持っていると感じていました」
弁護人「あなたの実験室はジーヴァカ棟と呼ばれていたのですか」
被告人「違います。それはマスコミがつけた名前です」

 ここで傍聴したい他の裁判があったため、傍聴を断念した。一回退廷すると、警備の問題から再入廷は許可されていない。

事件概要  遠藤被告はオウム真理教教祖の命令で、以下の犯罪に関わったとされる。
1:サリン製造に従事し、そのサリンが1994年6月27日、長野県松本市で散布され、7名が死亡、多数が負傷した。
2:サリン製造に従事し、そのサリンが1995年3月20日、東京都内の地下鉄で散布され、12名が死亡、約3千人が負傷した。
 その他、2件の殺人未遂事件に関わっている。
報告者 insectさん


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