裁判所・部 東京高等裁判所・第七刑事部
事件番号 平成16年(う)第676号
事件名 殺人・殺人未遂・逮捕監禁致死・死体損壊・爆発物取締法違反
被告名 中川智正
担当判事 植村立郎(裁判長)荒川英明(右陪席)伊東顕(左陪席)
その他 書記官:関口義雄
検察官:牧野忠
弁護人:後藤貞人
日付 2006.3.1 内容 初公判

 傍聴券配布はパソコン抽選の予定だったが、定員に大幅に達しなかったので希望者全員に配られた。
 102号法廷という法廷で開かれたこともあり、傍聴席はガラガラだった。
 被告人は長い髪に黒ずんだ肌、細い目に眼鏡をかけた小太りの男性だった。背は高くない。ノーネクタイのスーツ姿で、傍聴席を見渡し、にっこり微笑んでいた。教団犯罪の全てに関わった凶悪犯には見えなかった。

 開廷すると被告人は、証言台の前に立つ。

裁判長「それでは開廷します。お名前は?」
被告人「中川智正です」
裁判長「生年月日は?」
被告人「昭和37年10月25日です」
裁判長「本籍は?」
被告人「兵庫県姫路市です」
裁判長「お仕事は?」
被告人「無職です」

 髭を生やした弁護人が控訴趣意書の一部を読み上げる。なおこの弁護人は森健充被告や三井環被告の弁護もしている、その筋では有名な人である。

−控訴趣意書朗読−
 ここにいる中川君が生来犯罪とは無縁の人間だったことは、あらゆる証拠から明らかだ。
 幼少期のことは母親が、入信前は友人や恋人や同僚の医師が、彼の人となりについて証言している。これは出家後の性格でもある程度垣間見える。このように多くの者が心優しい青年であったと言っている。
 一方で中川君は幼いときから、光の粒が降ってくる、傷痍軍人を見たときに自分の手足もなくなった、死んだ祖父がそばにいるという感覚に捉われていた。
 中川君は医師国家試験の前にオウムのセミナーに出席したが、その2,3日後異常体験に見舞われた。彼の供述によると
「晴れた日の太陽よりも何十倍も明るい光が、胸から頭に抜けていった」
「心臓のあたりから、お前はこのために生まれてきたんだとの声」
「前世において麻原の弟子だった」
というものを、感じたのではなく、記憶として蘇ってきたのである。そして入信後も異常体験に見舞われた。その例は気が体内を上っていると感じる、医師であった彼が手術室で倒れてしまう、犬の吼える声が人間と同じ声に聞こえるなどである。
 親しい友人も中川君がピョンピョンと跳ねたことを証言している。
 中川君の責任能力を否定するのに成し難い問題があると原判決は言っているが、専門家はこのような体験をした人が自らの異常体験については話さないことはよくあることとしている。これは他のオウム被告人の審理のときに証人として出廷したことでも明らかだ。
 原判決はこれらの異常体験を被告人が「見えるように感じられた」と認定したに留まった。留まった結果、被告人は良心の呵責や優れた判断能力が備わり、責任能力に欠けることはないと言った。
 また原判決は麻原との関係では、下位の者が上位の者から受ける一定の心理的拘束に過ぎないと言っている。ところが「見えるように感じられた」ではなく、彼には見えたんです。
 根本的に原判決は誤りで、中川君は乖離性人格障害の一種と診断される。
 神秘体験、異常体験は信徒も体験しているが、根本的に違う点は多くの信徒は教義に心頭して入信しているのに対し、中川君は信仰とか教義とか関係なく起こり、それは極めて強く異常なものだった。このような体験でやむにやまれず出家をすることになる。
 中川君と麻原の関係は、上位者に下位者が従うのとは全く違う側面がある。マインドコントロールとも全く異なる。一種のトランス状態だった中川君は、自分の考えは麻原の考えと同一だと考えて、犯行に及んでいった。実際別の側面からもそれは言えて、中川君は出家からわずか63日目で殺人事件に至っている。坂本弁護士一家殺人事件である。他の共犯者と比較すると例えば端本悟は308日目、早川紀代秀は462日目にそれぞれ殺人に至っており、明らかに差がある。他の人は教義に賛同して入信し、麻原の信者となっていったが、中川君の場合は麻原や教義とは関係なしに異常体験が先行していった。
 中川君は精神科医の治療も受けていたのに、原判決では責任能力に問題ないとされた。あまりにも粗雑ではないか。専門家の意見を聞くべきだ。これが原審弁護人である私たちの主張であったが、原審は受け入れなかった。
 医師の意見書も出しました。この裁判所では彼の責任能力に関して専門家の意見を取り入れるよう望む。原判決は誤りが明らかである。

■事実誤認■

1.松本サリン事件
 メスチノンに関する基本的な誤りもあるが、最大の事実誤認は、当時の中川君のサリンの危険性に対する認識である。原判決は被告人は悲惨な結果を予期し得たと言っている。
 サリンの生成室ではすぐそばに土谷が寝ていた。土谷は何度も中毒にかかるが、軽い症状だった。それを持ってある教団の教祖を襲いに行った新実が中毒になったことを、原判決はこれも含めて危険性の認識があったとした。ところが新実の中毒も即死とかいうのでなく軽いものであった。同じようにサリンを撒いているわけだけど、新実のほかは誰一人として中毒にかかっていない。新実のサリンによる中毒は予防薬との混同があったためという認識だった。これは勝手な想像ではなく文献として存在していた。その役割を見てもサリンを作った土谷は幇助犯に留まっている。
 医療役の中川君はサリンを詰め替えるという誰にでもできる作業をしていた。医療役というのも、中毒になった人を治してまた攻撃に参加させるというのは無理な話だった。それらにどれだけ寄与したかが問題だが、共同正犯とされるべきではない。
 予想を遥かに超える結果になったのは、気象条件がおおいに左右している。稀な気象だった。
 中川君が人が死ぬという予想までできた事件ではない。

2.地下鉄サリン事件
 直前の教団を取り巻く状況だが、少なくとも中川君の認識では、逼迫した情勢ではなかった。
 早川はロシアに行く予定だったし、麻原も近くロシアに行こうとしていた。こんなときに今にも強制執行が行われるとは思わない。石井さんは今までだったら事前に外出するのにそれもなかった。原判決は情勢認識について誤っている。
 中川君はリムジン謀議に参加していない。「自衛隊が進出してくる」という井上さんの情報も、中川君とは関係ない。
 またサリンをどこでどう撒くか知らされていない。地下鉄サリン事件の場合、事件の線が中川君の場合細い。本当に細い、薄い証拠によって彼の共同正犯が認定されている。井上も中川君は地下鉄サリン事件について知らなかったと言っている。

3.新宿青酸ガス事件
 ガス発生機で意図したガスが発生したのか、厳密な意味での捜査を捜査機関はしていない。
 次に不特定多数の人に確定的殺意を抱いていたとあるが、公衆便所の利用者の殺害に留まっているのは明らかだ。
 3番目に中川君が本件について中心的役割を果たしたというが、基本的には麻原の指示で行われている。当時は井上嘉浩が積極的な役割を果たし、他の共犯者もそう供述している。

4.VXガス殺人事件
 中川君は本件については未必的殺意に留まっているのに、本件は死刑を選択されている。本件で中川君に死刑を選択することは極めて均衡を失っている。
 原判決の確定的殺意の認定は誤りである。
 何よりもVXガス殺人では中川君に死刑を選択している。
 中川君はVXガスの製造にはサリンと違って関わっていない。
 殺人を実行した山形は原審では有期懲役だった。井上も死刑になったが、原審は無期懲役だった。これらの量刑判断は際立って異常である。量刑は関与の濃淡に応じた適切なものでなければならない。明確な量刑不当がある。

裁判長「検察官は補充されて陳述するものはありますか」
検察官「ありません」

 弁護人の事実取り調べ請求1〜19のうち、1〜14、16〜18の証人尋問については不必要、15は証人の名前が分からないので未定、19の被告人質問のみ然るべくと検察官が意見を述べた。
 被告人の鑑定意見書にも検察官は不同意。

 植村裁判長は被告人に「内容については被告人は聞いていますか」と何度も尋ねていた。被告人は机に眼鏡を置き、終始険しい表情で目を瞑っていて、裁判長の問いかけには頷いていた。
 検察官は証人尋問は不必要で、雑誌の写しについては同意したが、その1と2には関連性に疑義があると付言した。

 ここで裁判長は次回の期日は追って指定として閉廷した。

 先に傍聴人から退廷させられたが、被告人に会釈をする傍聴人も数人いた。

事件概要  中川被告はオウム真理教教祖の命令で、以下の犯罪に関わったとされる。
1:1989年11月3日、神奈川県横浜市で、5名の信者と共に教団による被害者を救済する活動を行っていた弁護士とその妻子を殺害した。
2:1994年1月30日、山梨県上九一色村で、4名の信者と共に信者を逃がそうとした元信者を絞殺した。
3:サリン製造に従事し、そのサリンが1994年6月27日、長野県松本市で散布され、7名が死亡、多数が負傷した。
4:同年12月12日、数人と共に大阪府大阪市でVXガスを使用した殺人事件に関与。
5:1995年3月1日、山梨県上九一色村で、元信者の兄に麻酔薬を与えているうちに死亡させた。
6:サリン製造に従事し、そのサリンが1995年3月20日、東京都内の地下鉄で散布され、12名が死亡、約3千人が負傷した。
 その他、5件の殺人未遂事件に関わっている。
報告者 insectさん


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