裁判所・部 東京高等裁判所・刑事第四部
事件番号 平成17年(う)第1115号
事件名 盗品等有償譲受け、有印私文書偽造、同行使、旅券法違反、殺人、銃砲刀剣類所持等取締法違反、殺人未遂、火炎瓶の使用等の処罰に関する法律違反、現住建造物等放火未遂
被告名 小日向将人
担当判事 仙波厚(裁判長)嶋原文雄(右陪席)秋山敬(左陪席)
その他 書記官:田村嘉之
検察官:牧野忠
弁護人:古川美、西村正治
廷吏:西本由香利
日付 2006.2.16 内容 弁論

 2月16日午後1時30分から、前橋スナック乱射事件の小日向将人被告の控訴審が東京高裁(仙波厚裁判長)であった。
 審理する場所が8階から7階に変わり、法廷警備員が来て所持品検査をするなど、モノモノしい雰囲気だった。
 結局傍聴人は少ししか来なくて、暴力団関係者もいなかった。
 被告人や裁判関係者は傍聴人が入廷する前に入廷し、傍聴席と被告人席の間には長いガラス板が設置されてあった。
 小日向被告はベートーベンのような髪型に眼鏡をかけ、若干鋭い目つきをした太った男性だった。

 まず検察官が申請していた遺族の意見陳述があった。亡くなったaさんの長女が柵の中に入る。自衛官らしく大きな声ではっきりと話す人だった。

−遺族の意見陳述−
 父の死から3年経ち、この事件で環境も変わり、様々な不満を抱えています。たまたま夫婦で自衛官をしているから傍聴が可能だが、パートだったらこうはいかなかった。マスコミしか頼ることはできなかっただろう。他の兄弟も父を失って苦労しています。一つ一つの不満がたまり、体と心がついていきません。
 他の兄弟は毎日なぜ父の死について考えなければいけないのか、もっと普通に18歳の高校生でいたかったと話している。
 四女は、15歳の年で父を失い、苦悩しています。裁判傍聴や暴力団は、考えられても頭がついていきません。周りの子供のように普通の子供として過ごしたかった、と言っています。
 兄弟のなかには傍聴したくてもできない人もいる。このように遺族は悲惨な現状です。
 純朴に生きてきた父は暴力団の犠牲になりました。時間が経過するごとに許せない気持ちは強くなります。
 小日向は「私の刑は犯行を否認している彼らより軽くすべきだ」と言っている。(※)罪をなすりつけ、目をそらしています!
 小日向は弾丸を父の胸部に命中させたあと、逃亡先の海外で弾丸を何百発も撃ちました。尋常な人間のすることでしょうか。
 この事件に関わった人につらさを経験してもらいたい、と思います。こんな裁判にも刑事にもマスコミにも関わるはずではなかったのです。
 反省や改悛の情はなく、小日向の言っていることは全て虚言です。
 真面目に生きてきた父は一時期暴力団扱いされました。正月に会った父があまりにも冷たくなっていました。どれも父の最期にはふさわしくない状況でした。望まれて生きて、年老いてやすらかにこの世を去りたかったと思います。
 もう父の手料理を食べることはできない、父に会いたい、子どもと遊んでほしい、これらを迎えることはできません。息子達も孫達も、父に会うことは出来ません。
 犯人は逮捕前に思い出作りに家族旅行をしたそうです。何て無神経なのでしょう。私たちは、父との思い出を作る事も許されませんでした。ずっと苦しみを持って生きていかなければならない。こんな苦しみは嫌です。
 彼の手紙の字は丁寧どころか書きなぐったような字です。回数を重ねるごとに酷くなっていて、その腹立たしさに吐き気がします。言い訳ばかりで心がこもっていません。手紙の送付はもうして欲しくない。
 この人は全然分かっていない、(命令されたから)仕方がないでは済まされないのではないですか。
 なぜ死刑を不服で控訴したのでしょうか。悪かったと思うのであれば負担を減らして欲しい。
 (被告の)親や妻は、まともに被告を育てられなかった事に罪の意識を抱かないのか。むしろ子どもが生まれてからも暴力団員だったことを恥じるべきです。
 被告人の妻の手紙は「彼は嘘が嫌いな、とても良い人です。どうか許してください」という内容でした。良い人が人を殺すのか。良い人が暴力団に所属するのですか。
 被告人やその妻の親戚も暴力団関係者で、これ以上言い訳は聞きたくありません。あなた方の家族の方こそ狙われる可能性は高かったのではないですか。
 小日向の元妻は3人の子どもを抱えていると言っていますが、私にも子育てを頼める父はいません。高い保育料を払い、幼子2人を置いて働きに出ることがどんなに悲痛か考えたことはありますか。したがって元妻には憐憫の情などありません。被告の妻には、ついたてが立てられ、遺影を見せる事が出来ませんでした。
 何故私たちは裁判所に足を運び、暴力団関係者に顔を覚えられているかもしれないのに放って置かれるのか。もし損害賠償請求を起こしたときに暴力団に危害を加えられたらどうするのか。これまでの公判で個人情報などとうに知られているでしょうから、怯えて暮らしています。
 父は大した贅沢もしませんでしたが、これほど家のことをやっている人はいないくらいで、これも長年一人でやってきたからでしょう。
 長女の私は夫とともに自衛官で、長男も自衛官、次男はJR、三女は前橋市役所に勤めており、私は我が国の安全を守るため一生懸命働いてきました。それが暴力団関係者に父親を殺されるとは、何て皮肉なことでしょう。
 父1人から子が6人でき、孫もどんどん生まれています。少子化の日本にこの上ない功労でしょう。
 今年は豪雪です。父の突然の死に、墓を用意する事もできなかったことを思い出します。また、雪が降ると、兄弟全体で雪かきをしたことや次男を自宅で無事出産したことを思い出します。
 父は社会的功績があったわけでも収入が高かったわけでもないが、魚とりや山菜取りをもっと教えてもらいたかった。当たり前の未来は暴力団によって変貌しました。
 私の長男は父の墓前で「俺、じいさんともっと遊びたかったよ」と話している。悲しくなりました。後藤組長を狙った事件で何故父が殺されなければならなかったのでしょうか。
 父は身長が154cmで顔も優しく、どうしても暴力団員とは間違えようがありません。
 小日向や暴力団員は、父の墓前に謝罪した事はあるのでしょうか。事件から3年もたっています。すまないと思っているだけでは済まされないのです。父に謝罪する気があるのですか?
 3年の月日が経ち、平穏に気楽に育ってきた私たちは、憎しみという抱いたことのない感覚に翻弄されています。
 これ以上精神的、金銭的に苦しめないでください。罪人より被害者を優先すべきではないでしょうか。私たちが納得できるような結果を下さい。あの溢れんばかりの父の笑顔が返ってくるようにしてほしい。小日向将人に一審どおり、死刑を求めます。

 遺族の意見陳述の間、小日向被告は終始険しい顔をしており、遺族が席を立つと頭を下げた。
 この後、若干の証拠整理。
 弁護人が証拠請求を申請した被告人と元妻の、遺族に対する手紙について日付や、ちゃんと届いているのかを明らかにするよう、裁判長が弁護人に求めた。
 小日向被告のことを取り上げた新聞記事の証拠採用については検察側も同意した。
 裁判長は「同意の書証は採用して取り調べることにします。弁護人が申請していた自首の成否のためのY1証人の証人尋問ですが、この点は一審の判決でも分かりますので、当審では採用しないことにします」と述べ、弁護側の証拠請求を却下した。

−古川弁護人による被告人質問−
弁護人「一審では死刑の判断になりましたが、どのように思いましたか」
被告人「はい、ショックでした」
弁護人「どういう点でショックだったのですか」
被告人「進んで事件の解明のために貢献したと思いましたが、このことが評価してもらえなかったのはショックでした」
弁護人「一審の裁判長が『君には少しでも長生きしてもらいたい。遺族に謝罪を続けていってください』と言ったことを覚えていますか」
被告人「はい」
弁護人「どういう趣旨で言ったと思いますか」
被告人「判断に迷いがあったと一審の弁護人も言っていました」
弁護人「一審の判決のどの点にあなたは不満があるのですか」
被告人「自首が成立しなかったこと、自分から上申書を書いたのに取り調べを受けて自白したとされたこと、自分は他の客がいると認識していなかったのに認識していたとされたこと、自治医大で殺されたeさんもいるのに差し迫った危険が自分や家族にはなかったとされたこと、あとは死刑です」
 このあたりで、遺族は、「あの人さっき私が言っていた事・・・・」と呟いていた。
弁護人「スナックで人を撃ったことについてはどう思いますか」
被告人「申し訳ないと思っています」
弁護人「どういうふうに申し訳ないと思っていますか」
被告人「遺族の方にも大切な家族の命を絶って、申し訳ないと思っております」
弁護人「犯行のときはどういうふうに考えて、ピストルを撃ったのですか」
被告人「車から降りて、殺すつもりはなかったんですけど、撃ってしまいました」
弁護人「後藤さんについてはどう思いますか」
被告人「怪我をさせてしまって申し訳ありません」
弁護人「後藤さんがあなたの組と対立する組の組長で、あなたの組は報復は当然と考えていたのですね」
被告人「個人的に恨みはなかったので、殺人に加担することはしたくなかったです」
弁護人「暴力団抗争についてはどう思いますか」
被告人「やられたらやり返すという、恨みというか連鎖を断ち切らなければ繰り返しになってしまう」
弁護人「連鎖は断ち切らなければならない、そう思っているのですか」
被告人「そうです」
弁護人「襲撃のとき、すなっく加津に堅気の人がいると分かっていましたか」
被告人「最終的には一般人はいないと聞いているので、いないと思っていました」
弁護人「どういうわけですか」
被告人「電話で確認しました。今までの情報は全部正しい情報だったので、信じてしまいました」
弁護人「あなたはすなっく加津で「(人が)こんなにいたのか、びっくりした」と供述している。ひょっとしたらこのなかに堅気がいるとは思わなかったのですか」
被告人「思いませんでした」
弁護人「すなっく加津の事件を正直に話さなければと思ったのはいつですか」
被告人「逃げ回っているときにいつか捕まるだろうと思っていたし、いつか話をしなければとは思いました」
弁護人「事件のあと家族と旅行しているのはどうしてですか」
被告人「家族に会いたかった、一緒にいたかったからです」
弁護人「被害者のお母さん(通称)はその点が許せないと仰っていますね」
被告人「はい」
弁護人「自首はすぐしたのですか」
被告人「いいえ」
弁護人「何か障害があったのですか」
被告人「そのとき付いていた弁護士です」
弁護人「弁護士が何と言ったのですか」
被告人「自分が話そうと思うと言ったら、『小日向君、家族いるよね。そんなこと言って大丈夫なの?』と15年の暮れに脅してきました」
弁護人「奥さんとの離婚届はどうやって出したのですか」
被告人「離婚用紙を差し入れしてもらい、自分がサインしました」
弁護人「いつその弁護士が付いたのですか」
被告人「平成15年の11月はじめです」
弁護人「三俣事件について自白をはじめるとき、DNA鑑定の結果がどうだとは聞いていますか」
被告人「聞いていません」
弁護人「自白するというのは組にはどういう意味があるのですか」
被告人「対立することです」
弁護人「組を裏切る行為だというのですか」
被告人「はい」
弁護人「今、組にはどういうふうに思っていますか」
被告人「自分は脱会しているが、もっと早くできなかったのか悔やんでおります。『堅気になったら殺す』と言われてできませんでした。悔やまれてなりません」
弁護人「一審判決で不満なのは、eの件でも正しく評価していないことですか」
被告人「はい」
弁護人「eさんというのは日医大で射殺された人ですね」
被告人「はい」
弁護人「あなたはeさんと会ったことはありますか」
被告人「はい」
弁護人「eさんが亡くなったのはいつ知ったのですか」
被告人「亡くなられた当日です」
弁護人「同じヤクザ組織に殺されたと知ったはいつですか」
被告人「すぐあとです」
弁護人「誰がやったとか聞きましたか」
被告人「聞いています」
弁護人「その時どう思いましたか」
被告人「誰を信じていいか分かりませんでした。計画に消極的だったら殺されるのかと」
弁護人「矢野は何と言っていたのですか」
被告人「最初は群馬の人間がやったと言った。だんだんeは襲撃のとき車に指紋を残したので、そのための口封じだったと聞かされました。その後事件に対して消極的だったという理由で殺されたと知りました」
弁護人「矢野に組を離れることについて何か言われましたか」
被告人「はい。「堅気になったら殺す」「逃げたら殺す」「いくら逃げても、子どもがいるヤツは学校や保育園を調べればすぐに分かる」と言われました」
弁護人「学校や保育園を調べればすぐに分かるというのはどういう意味ですか」
被告人「子どもは必ず学校に行くから、居所を調べればすぐに分かるということです」
弁護人「事件のことはどう考えていますか」
被告人「亡くなられた方や遺族には本当に申し訳ありませんでした。このようなことをした自分が本当に情けなくて、言葉になりません。申し訳ありません」
弁護人「母親と手紙のやりとりをしているのですか」
被告人「はい。10回から13回くらいではっきりと回数は覚えていません」
弁護人「どういう手紙の内容なのですか」
被告人「叱りの手紙とか近況とか体の調子のこととかです」
弁護人「面会には来たことはありますか」
被告人「ありません」
弁護人「その理由は何ですか」
被告人「母が書いた意見陳述には亡くなられた方は遺族に会えないのに、自分たちが会うのは遺族に対して申し訳ないとありました」
弁護人「母は意見陳述で遺族に対して何と言っていますか」
被告人「本当に申し訳ないと書いてありました」
弁護人「母の家には警備が入っているのですか」
被告人「事件のことを話し始めて、それからです」
弁護人「どういう警備が入っているのですか」
被告人「重点的にパトロールが行われたり、警報装置や電話録音機が取り付けられました」
弁護人「それは何のためですか」
被告人「自分が事件のことを話しているので、組織の者が命を狙うかもしれないと、そういうことです」
弁護人「元の奥さんとは一審の判決後も会っているのですか」
被告人「時間の都合ができたときだけ会っています」
弁護人「犯行後フィリピンに逃亡していましたが、その間奥さんはどうしていたのですか」
被告人「最初は組からの援助が出ました」
弁護人「援助はいつまで出ていたのですか」
被告人「自分が話すまでです」
弁護人「お子さんも元奥さんに連れられて面会に来るのですか」
被告人「はっきりといつかは覚えていませんが、平日でなおかつ学校がお休みのときです」
弁護人「拘置所でお子さんに会ったのは何回ですか」
被告人「はっきり覚えていないが、何回かです」
弁護人「そういうふうにお子さんに会ってどう思いましたか」
被告人「寂しい思いをさせてしまい、情けない父親だなと思います」
弁護人「元奥さんの嘆願書を読みましたか」
被告人「自分の子どもにまで辛い思いをさせているんだなと思うと、情けないです」
また小日向は、元奥さんが面会場で組織の人間と会ったりすると危険だと証言した。
弁護人「奥さんの証言を聞いてどう思いましたか」
被告人「苦労をかけて申し訳ないと思いました」
弁護人「証拠採用はされなかったけど、多くの人がたくさんの嘆願書を書いてくれているのは知っていますね」
被告人「はい。親しい友人や知人です」
弁護人「どういった内容ですか」
被告人「自分の人柄や進んでこのような事件を起こす人間ではなく組織に利用されたということ、何とか減刑してほしいといった内容です」
弁護人「それを読んでどう思いましたか」
被告人「心配してくれる人がいるのは有難いと思いました。親しい人まで迷惑をかけて申し訳ないです」
弁護人「山田や矢野の公判に証人として出廷したことはありますね」
被告人「はい」
弁護人「前橋地裁と東京地裁の両方行っていた?」
被告人「はい」
弁護人「山田や矢野は裁判でどういう主張をしていますか」
被告人「否認ですね」
弁護人「それについてどう思いますか」
被告人「被害者や遺族が悲しんでいるのに、話をしないのはひどいんだなあと思います」
弁護人「傍聴席を見たことはありますか」
被告人「組織の人間がたくさん来ていました」
弁護人「組織の人間が傍聴していて圧力を感じたことはありますか」
被告人「あります」
弁護人「矢野や山田の裁判で証言するとき、どういう気持ちなのですか」
被告人「亡くなられた方や遺族のためにも、自分が証言していかなければならないと思います」
弁護人「山田や矢野の裁判で証言する機会はまだありますか」
被告人「まだあります」
弁護人「それで支給された日当を被害者に送りたいと思うのですか」
被告人「はい」
弁護人「それはどういうことですか」
被告人「ほんのわずかなものだけど、お線香代の足しにしてもらいたい」
弁護人「結果はどうでしたか」
被告人「受け取ってもらえませんでした」
弁護人「受け取りを拒否されてどう思いましたか」
被告人「それだけ遺族の皆さんの怒りが強いんだなと思いました」
弁護人「遺族にはどう思っていますか」
被告人「本当に申し訳ないということしかありません。取り返しのつかないことをして申し訳ありません」
弁護人「aさんはあなたの証言はうわべだけだと言っていますね」
被告人「自分の気持ちが伝わっていないんだなあと申し訳ない気持ちになります」
弁護人「死刑にしてほしいとも言っています」
被告人「どうか生きて償いたいと思っていることを知ってほしい。生きて毎日事件のことを思い出して、事件のことを償っていきたい」

−西村弁護人による被告人質問−
弁護人「群馬県警の刑事があなたの取り調べを担当したのですか」
被告人「はい。Y1とY2です。一日3,4時間取り調べを受けました」
弁護人「いろんな話をしてくれたのですか」
被告人「事件が明るみになったから、自首に相当するだろうと言っていました」
弁護人「喋る前は事件について知らなかったが、あなたが喋ることでようやく事件が分かったと、そういうことですか」
被告人「はい、そうです」
弁護人「あなたの取調べを担当したのはY1さんですか」
被告人「はい」
弁護人「他にどんな話をしましたか」
被告人「遺族の方の家に線香を上げに行ったとき、事件は許せないけど、(小日向は)山田や矢野とは違うんだと遺族が言っていたと聞きました」
 ここで喪服を着た遺族の女性が傍聴席から「違う、違う!」と言う。
弁護人「最後になるんだけど、あなたとして強調したいことはありますか」
被告人「言い訳のように聞こえるのですが、自分はやりたくてやったわけではない。何度も計画から降ろしてくれるよう頼みました。何度も中止しようと言いました。言い訳になりますが、eさんのように殺されてしまうのではないかという恐怖感がありました。遺族に対して申し訳なく、自分が情けなく思います」

 弁護人からの最後の被告人質問が終わり、牧野検察官からの質問。
 冒頭、旅券法の件で訂正があって、安西ではなく浦島と被告人が証言した。

−検察官による被告人質問−
検察官「最初は私選弁護人を付けていたのではないですか」
被告人「はい」
検察官「誰が弁護費用を出していたのですか」
被告人「組織です」
検察官「一般人を巻き込んだことに申し訳ないという自責の念を持ったとあるが、いつからですか」
被告人「事件を起こしてすぐです」
検察官「ではなぜ組織の弁護人をずっと付けていたのですか」
被告人「どうしていいのか分からなかったです」
検察官「解任すればよかったじゃない」
被告人「自分の家族が危険な目に遭わされると思いました」
検察官「家族を安全なところに隠してから、出頭すればよかったじゃないですか」
被告人「できませんでした。昔から「子どもは保育園を調べれば分かる」と言われて、逃げても探し出される恐怖感がありました」
検察官「ご遺族の意見を聞いても死刑には不服ということですか」
被告人「はい」
裁判長「それでは元の席に戻ってください。弁護人は弁論を」

−小日向被告弁護人による弁論−
 要約になるが、原審は被告人に死刑を言い渡している。
 死刑制度をめぐる状況であるが、世界では廃止国が117国、存置国が78国という状態だ。存置国のなかでも死刑の執行がなかったり、死刑を廃止する動きにある。一度廃止した国が復活させることはほとんどない。
 国連は死刑廃止条約を採択した。これは画期的なことであり、人権規約と一体になっている。
 死刑を存置する根拠の一つになっている犯罪抑止力は、科学的な証明がなされていない。
 被害者感情の問題であるが、被害者問題と死刑の存廃は関係がない。つまり殺人はどうしても起こってしまうものであり、死刑の廃止問題と被害者感情の問題はもはやヨーロッパでは同列に論じられていない。
 遺族の悲痛な感情と死刑は別問題であり、犯人が全て死刑になっても、癒されることはない。
 名古屋保険金殺人事件の遺族である原田正治氏は加害者と交流を重ねるうちに、死刑廃止を訴えるに至った。そのなかで娑婆に出れない彼はすでに死んだのも同然。それなのに2度殺す必要があるのか。生きて悩み、苦しみ、悶えながら償ってほしいと言っている。
 アメリカの殺人事件被害者で作られた団体は死刑廃止を訴え、死刑は限りなく適用されない方法で運用してほしいと表明している。
 被告人の反省悔悟の念を思うとき、なぜ死刑でなければならないのか理解に苦しむ。
 情状であるが、自首の点を補足して論じると、原判決が自首は成立しないと言ったのは事実誤認である。
 被告人は三俣事件に対する自責の念に苛まれていた。その際当時の弁護人に「そんなこと言って家族大丈夫なの?小日向君家族いるよね?」と言われている。被告人は接見禁止が出て取り調べを受け、接見禁止の解除を申し出て家族と面会し、家族の安全も確認されたのちに自供に及んだ。つまり供述の準備は当初からなされていたのである。上記自白に至る経緯は自首になる。
 次に被告人は店には後藤一人がいると思っていた点である。被告人は矢野に「店のなかに何人いるか分かりません」と言っている。被告人には矢野が計画を中止するのではないかという思いがあった。
 情報伝達役の密偵文を被告人は信頼していた。これらは後藤の身近な者ではないかという認識があった。被告人がボディガードの存在を矢野に伝えたところ、矢野は「店のなかは3,4人だ。いるのは後藤の仲間だから構わない。みんな道具持っているから、やらないとやられるぞ」と指示したのであり、被告人には一般人がいたという認識はなかった。
 また原判決はe殺害が被告人に与えた影響を過小評価している。被告人は矢野から「逃げたら殺す」と言われており、原判決はこの点を評価していない。もし自白した被告人に減刑がなされないのであれば、将来は自白して反省している犯人と否認している犯人の結論が変わらないということになり、自白している方は共犯者の危険に晒されるだけ損である。是非原審の死刑判決を見直していただきたい。

裁判長「検察官はもういいですね」
検察官「はい」

 仙波裁判長は控訴審判決を3月16日の午前10時30分からに定めて閉廷した。
 公判は3時少し前に終了した。
 被告人は太い声の持ち主で、被告人質問に答える声の調子が変わる事はなかった。意見陳述、弁論の時には前を向いており、表情が変わる事は無かった。

 閉廷後、まず遺族を除く傍聴人のほうから先に退廷させられた。
 その間際、遺族が「解釈の違いがあるんですけど!」と言う。別の遺族に何か言われたが、それに対し、「だって許せないじゃん」と言っていた。
 遺族は、小日向は矢野と山田と違うと言っていたとされたことに不満があるらしい。

 傍聴人を出した後、裁判所職員が忙しく廷内の後片付けをしていた。
 終了後2人の弁護人と報道陣がやりとりをしていた。報道陣は弁論の用紙をコピーできないかと頼んで、弁論用紙を手に入れていた。
 先ほどの遺族感情との乖離の件で「小日向本人はそういうふうに理解している」と話していた。また「言うべきことは言った」とも。
 報道陣のなかの一人は「仙波裁判長はオウムのサリン事件で無期懲役を維持したように、組織犯罪には理解がありそうですが」と弁護人に話していた。おそらくオウムの中村昇のことを指していると思われる。
 弁護人は「自首は必要的減軽ではなく任意的減軽だから、裁判官の判断次第ということになる」と言っていた。
 他に記者と弁護人は全容解明への寄与が評価されて無期懲役になったのはオウムの林郁夫以外誰がいるかと相談し合っていた。(武まゆみがそれに当てはまる)

※相馬さんの傍聴記では「小日向は、犯行を否認している人は許せない、と言うが、自分の罪を軽くして欲しい、と言っているように思えます。自首が認められたわけではありません。」となっている。
※牧野検事はその後東京高検及び福岡高検で多くの死刑裁判の公判立会や上告判断に携わったあと、退官して弁護士になった。
事件概要  小日向被告は上長である暴力団組長の命令で以下の犯罪を犯したとされる。
1:2002年3月1日、他3名と共に群馬県前橋市の対立組織の元総長宅を放火しようとして失敗した。
2:2003年1月25日、他1名と共に群馬県前橋市のスナックで対立組織の元組長を射殺しようとし、一般人3名を含む4名を射殺した。
 その他、元組長殺人未遂事件にも、補助的役割を果たしている。
 小日向被告は10月31日に逮捕された。
報告者 insectさん、相馬さん


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