裁判所・部 東京高等裁判所・第九刑事部
事件番号 平成14年(う)第2564号
事件名 犯人蔵匿、犯人隠避、殺人、殺人未遂、監禁、死体損壊
被告名 新實智光
担当判事 原田國男(裁判長)池本壽美子(右陪席)佐々木一夫(左陪席)
その他 検察官:飯塚和夫、戸澤和彦
書記官:芝田朋美
日付 2005.3.18 内容 被告人質問

 この日も傍聴券の抽選となりました。ただ、もんじゅの裁判ほどの高倍率にはなりませんでしたので、二日連続で当選し、傍聴することができました。

 傍聴人が法廷に入ると、裁判官・検察官・弁護人はそろっていたが、肝心の新實被告がいなかった。傍聴人の入廷が終わったあと、原田裁判長が「じゃあ」といって新實被告を入廷させるようにいったが、書記官が「まだ入廷できる状態ではないので」と小声で原田裁判長に伝えていた。
 しばらくその状態が続くと、数分後に入廷の準備ができ、刑務官に連れられ新實被告が入廷した。頭が坊主で、入院患者が着るような紺の服を着ていた。
 新實被告が裁判長に促され、証言台の席につく。この時、原田裁判長は「水が欲しくなったらいつでも言ってくださいね」と伝えた。すると、廷吏が「じゃあ、もう用意しましょうか」といって、証言台にプラスチックのコップに入った水を用意した。どうやら新實被告は体調がよくないらしい。しかし、この日の被告人質問の弁護人の質問には、はっきりとした口調で答えていた。
 新實被告は弁護人の質問に答え、原審では23回にわたって被告人質問が繰り返されたが、事実認定についてはこれで質問が尽くされているとした上で、控訴審は、原審における被告人質問に答えてように、「この裁判はひとつのやまで、閻魔大王の裁きと同じ」という態度で臨んでいるという。また、原審の第75回公判において、閻魔大王とは自分の心境の表れであり、その正体は心の空であると供述したが、閻魔大王の裁きとは間接的にはこの裁判のことを指すが、この裁判は閻魔大王の裁きの予行練習のようなものだと述べた。そして、心の空とは一般的には、一切の観念的枠組みに実体はなく、相互依存をしている、ということで、例えばこの裁判にあてはめれば、被告人、裁判官、検察官、傍聴人という観念的枠組みよって成り立っているが、絶対的なものではないので、観念を取り払ってしまえば実体はなくなってしまうという。
 さらに、原審の事実認定には客観的な事実には不満はないと答え、私のスタンスは「真実は神のみぞ知る」ということですから、と付け加えた。新實被告は原審の最終陳述の中で、「人の言うことをそのまま取り入れるべきではない」といっていたが、弁護人は「これはあなたが話したことは全て真実とはかぎらないともとれるんだけども、あなたが公判で話したことは全て真実でしょう?」と尋ねると、少し沈黙して、「少し難しいですが、決して嘘をついたという意味ではありませんが、人間の脳の記憶はあいまいです。ビデオテープのように必ずしも全て正確に記録しているわけではありませんから、私が公判で話したことはかぎりなく真実に近いが、正確ではないかもしれないという謙虚な気持ちで言ったつもりです」と答えた。弁護人は「そもそも人間の五感は不完全ですからね」とフォローした。そして、「自己の不完全な記憶をもとに、誠心誠意正直に話しました」と述べた。
 チベット使者の書によればうそをつけば何度を切り刻まれるというが、これは閻魔大王の裁きと同じで、一時しのぎにうそをついても苦しみから逃れることはできないという。しかし、空を悟れば苦しみを感じない。例えば悪夢を見て、目が覚めれば「あ、夢だったんだ」と夢から覚めるが、その悪夢を夢と思えなければ、夢にとらわれて苦しむ、という。
 本件各事件にこれからも真正面から向き合い、それが罪を贖うことにもつながるというが、これは誰に贖うのかという質問に対して、「被害者や遺族、世間一般の人に対してです」と答えた。しかし、どのような罪になのかという質問に対しては、「今生において、救済計画が成功しなかったという反省です」と答えた。
 新實被告は最終意見陳述において、「世俗的な意味でごめんなさいとは何百万回でもいえる」と述べているが、これの意味は「ごめんなさい」ということで自分をかばって、麻原尊師のせいにして、あるがままの真実が覆いかぶさられてしまい、自己弁護、自己保身をすることになってしまうと述べた。(オウム真理教の)共犯たちは、表面的にはごめんなさいと謝っているが、それは口先だけで実際には他人に責任をおしつけ、ごめんなさいということで真実を明らかにしなくてもいいと思っている。私は真実を明らかにすることで罪を贖いたい。弁護人はこれに対して、「ただね、やっぱり被害者、遺族にとっては謝って欲しいと思うんだけども、それは理解できますか」と尋ねた。これに「はい、理解できます。最終陳述でも謝りまた。」と答えた。さらに、新實被告のいう、口先だけで他人に責任を押し付けている人について具体的には誰かと聞かれ、井上嘉浩被告と岡崎一明被告の名前を挙げた。井上被告はこの法廷にも出廷して証言をしていることについて、新實被告は「はい、『一部だけ』証言しました。」と答えた。「一部だけ」というのは、「井上くんが自分の関与した部分については証言を拒否したから」だという。また、「井上くんの証言を聞いていて、正直びっくりしました」とも述べた。井上被告は、「ヴァジャラヤーナの実践(地下鉄サリン事件)によるカルマは、グル(麻原)が負ってくるので、自分がカルマを背負うとは思ってもみなかった」という趣旨の証言をしたが、新實被告は「仏教には因果応報というように、自分がなしたことは、もちろんグルも少しは負うが、個々のなしたことは個人が負うというのが、仏教の基本的考え方で、井上くんの考えはオウムの教義に反している」と述べた。またに新實被告は田口事件から一連のオウム真理教事件に関与するようになったが、麻原から命じられたポアを喜んで行ったわけではなく、人を殺しているという認識はあったという。ポアを命じられて時は、これは神々が考え出したことで、グルの意思であると自分に言い聞かせていたと述べた。しかし、井上被告は「自分が人殺しに関与しているとは思ってもみなかった」と証言している。これに対して新實被告は「正直いってびっくりしました。言い方がおかしいかもしれませんが、井上君が何を考えていたのかわかりません。本人に自覚があれば私と同じ考え方になるはずですが、真意ははかりかねます」と述べた。
 井上被告と同じく、新實被告の控訴審で証言をした林郁夫服役囚は、麻原が村井を通して地下鉄にサリンをまくことを命じられたことについて、「麻原が自分を信用しておらず、実質的に口止めだと思った」と証言しているが、これに対して新實被告は「私は当時そんなことは考えませんでした。しかし、今思うと、林さんには心のどこかで自分に対して疑念があって、そのときに麻原尊師からの命令を自分に疑念がなげかけられたと心理学的に投影して、後になって記憶がかわったのではないでしょうか。私はむしろグルが信用しているから、そのような重大なことを命じると思っていましたから。まあ、林さんも私も尊師ではありませんからわかりませんが、切羽詰った場面において、信用していなかったとは尊師は考えていないでしょう。尊師は林さんを信用していたからサリンの散布を命じて、ただし当事者ではないので推測になりますが、少なくても林さんとは考えが異なります。」と述べた。しかし、井上被告や林服役囚と異なるということで、2人を非難するつもりはないという。だが、2人が尊師を「アサハラ」と呼び捨てにしていることについては、違和感を感じると答えた。「『アサハラ』と呼び捨てにすることで、怒りをむけることは人情としては理解できるが、彼らの心がどうなるか・・・。忠実的態度をとることにこしたことはありません。他の被告は松本氏とか松本被告と呼んでいます。オウムを信じたことで、とんでもないことをしてしまった。オウムを信じたことが間違いだったということは、人情としては理解できるが、仏教的には悲しいことだと思います。」と述べた。
 弁護人はここまでの新實被告の発言をまとめると、反省して欲しいといって、「ごめんなさい」と謝ると当時考えたことをごますことになる。当時は宗教的確信にもとづいて一連の事件を起こした。 ということになるかとたずねると、新實被告は「はいそうです」と答えた。
 さらに井上君や林さんのように、だまされたと思うと、後解釈になってしまい、当時の考え方が阻害されてしまうと述べた。
 また、あるがままの真実を話そうと思ったのは、一審の被告人質問の前に弁護人から、「真実を話せるのはあなたしかいない」というアドバイスを受けたからだという。一審では当初、起訴事実に対して松本サリン事件、犯人蔵匿罪、落田さん殺害事件について否認し、第2回公判では地下鉄サリン事件についても否認し、第3回公判以降は黙秘したことについては、否認したのは修行が足りないと指摘されたからで、黙秘をしたのは、うそをつけば天性を悪くし、被害者、遺族の怒りをかうと思ったからです。もし弁護人のアドバイスがなかったら、やはり黙秘をしたと思います、と述べた。真実を話すことに迷いはあったが、弁護人が「それは何に対してですか」と質問されると、「いや・・・・・まあ、話しをしたところで理解してくれるかどうかとか、教団に影響はあるかとか色々あったんですけど、考えてみて、理解するかどうかは個々の問題であって、むしろ理解しようとするかどうかという問題だと思いました。教団の一方的なステレオタイプを捨象して、あるがままの真実、アンチテーゼを提供しようと思いました」と答えた。これまで、はっきりとした口調で質問に即座に答えていた新實被告が始めて答えに躊躇した。
 弁護人は「それは端的に言って、教団に対する裏切りということになりますよね」と尋ねると、「そういう気持ちはなかったといえば嘘になりますが、やはりありました。真実というとおこがましいかもしれませんが、他に真実を述べている人がいなかったので踏み切りました。それが教団にもメリットになると考えたんです」と答えた。しかし、世間に理解してくれるかどうかという質問に対しては、「現実に通じること以外は永久にわからないでしょう。理解できる人はかぎられているが、いないわけではありません。そういう(理解できる)知的な人は一方的な情報しか得られないので、考える材料がないので、考える材料を提供したいと思いました。ただ、全ての人が理解できるとは思っていません。ですから、私の述べていることは一部の人のためといえるかもしれません」と述べた。弁護人はさらに、「現実の価値観とあなたの価値観とは著しく乖離していると理解していいんですね」と質問すると、「世間の人が受容するとも考えられません。心理学でいうところの防衛、心の抵抗、つまり理解したくないという拒否反応ですね。現代の日本では、多様な価値観を認めようとしない傾向があります。ただ、一部には認める人もいます」と答えた。さらに、自分たちの考えをわかってもらって、真実を述べることで、罪を贖うと述べた。
 一審の最終陳述の中で、「今ここで弁明することはありません。全てお話したとおりです」と陳述したことについては、「林さんや井上君のように、自分のことを殊更よくして罪を逃れることをしないということと、自分の罪で裁かれることはとやかく言わないという意味です」と述べた。さらに、林郁夫服役囚が捜査官にしゃべったことで地下鉄サリン事件がオウムの犯行だとわかったことについて、一審に被告人質問で新實被告は「そういう友人をもったことはわが身の不徳のいたすことかな」と答えたことについて、「林さんの供述の趣旨を考えると、自分のしたことを取調官や世間の人に認めてもらうためで、他の友人に思いをよせておらず、教団の影響を考えていないと思ったからです」と答えたが、弁護人は質問に答えていないとして、不徳とは何かを答えるように求めた。新實被告は「自分に徳があれば、自分のことしか考えないで教団や信者、友人のことを考えないような友人をもつことはなかったということです」と答え、さらに「林さんは事実を語るべきではありませんでした」と付け加えた。これに弁護人は「なぜですか」と問うと、新實被告は沈黙してしまった。弁護人はさらに「あなたの真実と何が違うんですか」と質問すると、「難しい質問ですね(笑)。まあ、つまり林さんは始めの一歩ということです。これがなければ私も黙秘していました」と答える。しかし、原田裁判長が「よくわからないな。もう一回言ってごらん」と言うと、「はじめに自白すれば、友人が死刑になったりとか、教団の宗教法人が取り消しになるなど、不利益になります。しかし私が証言するときにはすでにある程度事実がわかっていたので、真実を話すことにしました。そうすれば、世間にも教団にもよいことになると思ったんです。」と答えたが、それでも原田裁判長は「わからない」という。さらに新實被告は「林さんは自己保身ですが、自分は違うということです。また林さんの証言によって信者が死刑になったり、宗教法人の取り消しになりましたが、私の証言の段階ではそういうことはなかったという点でも違います」と述べた。
 弁護人は他の共犯の法廷で証言したことについて、最初は証言拒否をしたのに、どうして証言する気になったのかと質問すると、「自分の証言によって友人が死刑になったり、悪影響を与えると思ったからです」と答えた。また麻原の裁判にも証人として出廷したことについて、「本当のことを話しましたか」と尋ねられると「はい」と答え、弁護人が「証言は麻原に不利になることばかりでしたね」といわれると、「はい、世俗的にはそうです。所謂、敵対証人っていうんですか?それでも宗教的にはあるがままの真実を述べることが尊師の利益につながると思いました」と述べた。「しかし、麻原を窮地に追いやりましたね」といわれると、「正直いえば、100あるところに1つ、2つ足しても意味がありません。それと同じで私が証言したところで、尊師の刑罰に加担したということにはにりません」と答えた。また、井上嘉浩被告の裁判にも出廷したことについて、本当のことを話したかとたずねられると、「いえ、証言拒否をしたり宣誓拒否をしたりしました。」と答えた。なぜかと問われると、「端的にいえば、井上君をかばったからです。他の方は事実を認めていて、私を含めて同じ事実を述べただけで、私の証言はその供述を裏付けるものですから、利益につながります。しかし、井上君だけは共犯と違うことを述べていましたから、私が相反することを証言すれば彼にとって大きな不利益につながります」と答えた。
 飯田エリ子の裁判では、「飯田さんは仮谷さんの事件には関与していない」と証言したにもかかわらず、裁判所は新實被告の証言を信用できないとして採用せず、井上被告の証言をとって飯田被告に実刑判決を下しましたことについて、「まあ、裁判なんてそんなもんなんですかね〜。真実が全てではないということでしょうかね〜。」と言うと、弁護人が「証言が認められなくて残念ということですか」というと「はい、そうですね。井上くんは悪行をつんだと思います」と答えた。
 ここで、一旦20分間休廷した。

 休廷後の最初の弁護人の質問は、「緊張していますか」という意外なものだった。傍聴席から失笑がもれる。新實被告も苦笑しながら「はい、久しぶりなものですから」と答えた。

弁護人:「さっきからあなたらしからぬ答えが随所にみられたからね。リラックスして答えてね」
新實:「はい(笑)、できるだけ」
弁:「林服役囚や井上被告に対して非難がましかったり、裁判なんてそんなものなんて言ったりね」
新實:「はい、気をつけます。個人的にはそんなつもりはないんですけどね。自分の考えを林さんや井上くんを材料として述べたかったんです。もしそういうふうにとらえられたなら、申し訳ありません」

 このようなやり取りのあと、新實被告が一審の被告人質問において、「死刑制度は廃止すべきだ」と述べたことについて、「人を殺すことで、自分の命をなくすカルマを負うことになります。死刑を受けることで、被執行者はカルマを解消することになりますが、死刑をする人たちは悪行をつむことになってしまうのです」。弁護人は「しかし、それでは死刑になる人にとっては都合がよいのではないんですか」と質問すると、「いえ、死刑がなくなったからといって、カルマがなくなるわけではありません。殊更死刑をしなくても、必ずどこかでその報いが返ってきます。それが来世か未来世になってもです。死刑になった人は、カルマをおとすので、ある意味で救われ、天性がよくなります。私の場合は、死刑にならないで死ぬよりは、(死刑になったほうが)カルマがよくなるのかもしれません」と答えた。
 さらに、弁護人は「このような重大な事件では、弁護人がいなくては裁判はなりたちませんよね。そういう意味では、弁護人も死刑というカルマに加担しているということになるんですか」と質問すると、少し沈黙して「おもしろいといいますか、難しい考え方ですね。しかし、弁護人の中に死刑を望むわけでも求刑したりするわけでもありませんし、裁判というシステムに拘束されているのにすぎないのであって、死刑に協力しているわけではないと思います」。新實被告はまわりを見回して、「システムの中でこう適用して、こうならざるを得ないのであって、裁判官も検察官も死刑を望んでいるわけではないでしょうし、私人として望んでいるとは思いたくもありませんが、公人としてそうする以上、やはりカルマを負うのではないでしょうか。教典には、ある王が死刑判決を下したことで、500年地獄に落ちたと書いてあります。王は、恐らく裁判官にあたるでしょうから、まあ検察官まではいかないと思いますが、ただこの場合私利私欲ではないので、心の働きようが違いますから・・・、500年地獄におちることはないでしょうけどね」と述べた。また、共犯の裁判で証言したことで、共犯の死刑に加担したことにはならないのかということについて、実行犯の名前はすでにあがっていたので、言ってもいいと思ったが、それなりのカルマを負うと思う、と述べた。また、原審では、「自分が殺生をした以上、死刑になる覚悟はある」と述べたことについて、殺生をすると必ず死ぬことになるのかという質問に対して、まあ功徳を積んでおけば餓鬼の世界や動物の世界に落ちる現世において重傷を負う程度で済むかもしれませんが、例えば地獄に落ちるだとかということになると思いますと述べた。また、ここでの功徳を積むことは善行を積むことだという。さらに弁護人は「あなたが関与した事件はヴァジラヤーナの実践で、救済が目的でしたよね。そういう意味では本件の各犯行は善行になるのではないですか」と質問すると、「はい」と答えた。さらに、どうして悪いカルマになるのかという質問に対しては「要するに身のカルマ、心のカルマ、口のカルマと3つに分かれているんですね。ですから、心について善でも、身において悪であるということもあるんです」と答えた。「相殺されないのか」という質問に対しては、「身において死刑でも、心においては仏陀に近づくことができます」と答えた。
 さらに、「麻原はグルであるとこれまで繰り返し述べてきましたが、今でもそうですか」という質問に「はい」と答えた。さらに「グルとは霊的指導者で説法などをしてくれる人のことですが、今実際に説法を説いてくれることはありませんよね」という質問に「はい、直接的には」と答えた。さらに、弁護人は最近の一部報道で、麻原に接見した医者によると麻原には脳に器質的な障害があり、人格的・精神的に問題がある可能性があるということを挙げた上で、「このような状態ではグルたりえないのではないんですか」と質問すると、「おっしゃることはよくわかります。しかし、尊師がお説きになった法則や伝授された体験が私の心の中にあるかぎり、どういう状態になってもグルはグルです。それがあるから、今の私があるんです。」と答えた。
 質問はここから、新實被告の宗教遍歴について触れられた後、既成仏教にどのようなイメージを持っているかという質問に、「葬式やお参りをするところというイメージを持っていました」答えた。また、宗教本を読んだことはあるかという質問に、伝記ぐらいは読んだことはあるが、詳しく読んだことはなく、親鸞の悪人正機説なども知らなかったと答えた。さらに、新興宗教は修行できる場を提供してくれるから入りやすかったと述べた。麻原への帰依の気持ちは変わらないのかという質問に、「はい」と答え、麻原は最終解脱者だから誤りを犯さないのかという質問に対し、最終カンセン解脱(?)をしていないので、誤りもなきにしもあらずだと思う、と答えた。そして、麻原に誤りはあったのかという質問に対して、あったとしても、未来世の救済につながればいいと思うと述べた。救済に失敗したのは、宗教的にはそうだが、誤りというより責任であると答えた。また、誤りの原因は何かと問われると、シャクティパット・イニシエーションのやりすぎで、悪いカルマを背負い込みすぎて、カルマを十分に使う、十分な環境を準備できなかったからでしょう、と答えた。さらに、麻原の説法を信じていたかという質問には、予言については、最終戦争の予言もあったっていないが、それは成就しなかったということだ、と答えた。
 原審の第98回公判において、オウムの教義や説法に疑問はあったかという質問について、疑念はないが、疑問については自分が最終解脱をしたらとけると思うから、許容できる、と答えているが、これでは疑問があるが、許容範囲だと言う風にとれが、これについてわかりやすく説明してほしいと尋ねたところ、「自分で聞いていてもわかりにくいですね」と苦笑し、自分が到達したステージでは、そうだなと思いますが、到達していないステージでは、本当かどうかわからないということで、それが正しいかどうか実践していないので保留しているといった状態です、と答えた。また、「シャクティパットのやりすぎで他人のカルマを背負いすぎて判断を誤った」という発言について、具体的に麻原の指示に対して「これはおかしいんじゃないの?」と疑問を持ったことはと質問されると、しばらく沈黙し、「う〜ん、そうですねぇ〜、あのぉ〜・・・・」といい、うつむいてしまった。そしてしばらく沈黙したあと、「あったんですけど忘れました」と答えた。また、早川紀代秀被告と川村という宗教学者が出版した本の中で、麻原がサリンプラントを数ヶ月で作れと指示したことについて、「本当にできると思っているのか」と思ったと書いているが、これについてはどう思うかという質問については、命令だとしか思っていなかったと答えた。また、松本サリン事件を起こしたのはなぜかわからないということについて「まあ、どういう意味で言っているのかわかりませんが、サリンができていない時点で松本事件の計画をしたのは時期尚早だということでしょうかね。当時は、サリンの威力を示すためだと思っていました」と述べた。さらに本の中では、「麻原が人類のカルマを清算するという使命を負ってこの世に降りてきたと思い、弟子もそれに巻き込まれて、あのような悲惨な事件が起こってしまった」と書いてあるが、麻原にそういう能力があったのかと質問されると、「私には判断できません。しかし、使命をもっていたと信じたい、いや、今の取り消します。信じています。」と答えた。また、「私自身が救済でエゴを満足させていたという覚えはありません。しかし早川はそうだったでしょう。私は救済のお手伝いをさせていただいていたと思っていました。私には、早川くんの言うように、救済でエゴを満足していたということは当てはまりません」と述べた。また、「グルにエゴを明け渡すということは、崇高な宗教的行為と、早川はグルの権威を認めましたが、その権威が問題です。大乗仏教においては、全ての信者が仏陀となり、それを認めるためにグルが存在します。早川が何のために麻原尊師をグルと認めたのか、そこに問題があります」と述べた。しかし、それはどういうことかと問われると、沈黙してしまった。すると、検察官が「裁判長、被告人は何かの文献を引用していると思われます。証拠として、申請するべきであると思料いたしますが」と述べた。後日弁護人が文献を証拠として提出することになった。さらに、新實被告はグルにエゴを明け渡すことは権威主義であると述べた。グルですら空であって、絶対的なものではないと述べた。

 弁護人は法廷の時計を見て、「じゃあ、今日はこのくらいで・・・」と言うと、裁判長が次回期日を確認し、閉廷した。

報告者 Doneさん


戻る
inserted by FC2 system