裁判所・部 東京高等裁判所・第八刑事部
事件番号 平成14年(う)第2807号
事件名 爆発物取締罰則違反、殺人未遂、偽造有印私文書行使
被告名 浴田由紀子
担当判事 山田利夫(裁判長)柴田秀樹(右陪席)原田保孝(左陪席)
日付 2004.3.18 内容 最終弁論

 3人の弁護人が1人ずつ弁論するという形式で、まず浴田被告は、斉藤和に利用されていただけということを改めて主張。
 三井物産爆破事件では、予告電話をいれ、避難する時間を作っているから、死傷者は出ないと斉藤に言われ、爆弾を置く役も内縁の夫である斉藤を危険にさらすわけにはいかないと思ったからであって、未必の殺意を認定するのは不当である。
 また、大成建設爆破事件では、1審において見張り役をしたとされたが、犯行時刻はその日の日の出の時刻から真っ暗であり、見張りをすることは不可能であり、また仮に(犯行後の)日の出に近い(少し明るい)時刻に見張りをしていたとしても、犯行場所から勤務先までその日のタイムカードにある時間に出勤することは不可能で、爆発物取締罰則第1条ではなく、同第5条と過失傷害にとどまるべきである。
 それでも浴田被告が虚偽の自白をしたのは、当時逮捕直後に斉藤を失った(服毒自殺した)悲しみと、斉藤の後を追うため階段から飛び降り舌を噛み切ろうとしたり、証拠品の硫酸を奪いかぶろうとしたり、タオルで首をつり自殺を図ろうとしたがそれが果たせなかったことから、自ら必要以上に罪を被り、自殺を遂げようを思ったからで、自らに不利を自白をすることはありえないということは、ここでは適用できない。
 浴田被告は、ダッカ事件で釈放される前の公判で謝罪や反省の弁を述べていないが、それは当時の新左翼、公安労働事件の公判の風潮(かなり荒れていた)から、むしろ述べることができなかった。1審の間も謝罪や反省の手紙を書いていないが、それは被害者を刺激したくないという弁護人の判断であり、1審判決後に自ら被害者1人1人に手紙を書いてることから、反省・謝罪の気持ちがないわけではない。
 1審の最終陳述で、武装闘争は間違っていたと述べ、その上で言っていることとやっていることが違うと述べているから、武装闘争をすでに放棄している。情状証人として出廷した母親は、「最後に一緒に暮らしたい」と述べたが、その後亡くなってしまい、それが果たせなかったことも考慮するべきである。(このあたりから、浴田被告が涙を流し、しきりに涙を拭き始める)
 最後に、30年来反日武装戦線の被告人の弁護人を勤めた内田弁護士が、「私が最初に浴田被告に接見したとき、浴田被告は、斉藤を失い、死に遅れた自分を責め続けるひとりの女性であった」と述べ(このあたりから、浴田被告はすすり泣きをはじめ、その声が聞こえはじめる)、ルーマニアから強制送還された後に接見したときは、「手段はともかくとして、反日武装戦線が訴えようとした、植民地、戦後保障などの過去の歴史の問題や天皇制などは、今日では広く議論されるようになった」ということを話したと述べ、さらになぜか神の国発言、三国人発言、爆弾を仕掛けられて当然という発言、同時多発テロを初めとするテロ問題、アメリカのアフガンやイラクへの侵攻などをあげたうえで、「今日中断はあったものの、この裁判は結審を迎える。この状況を浴田被告はどう思っているのだろうか。30年たって、ますます悪くなっているとでも思っているのだろうか」と述べ、さらに3月20日に世界的な反戦運動が予定されていて、日本でも日比谷公園で予定されていることと、この裁判を通して浴田被告はたくさんの支援者、反戦運動団体と知り合った。浴田被告には、これらの団体とともに反戦運動をしてほしい、事件の被害者たちへの謝罪の気持ちと、反省の気持ちを忘れることなく、と述べ弁護人の最終弁論を終えた。
 これに対して、検察側の弁論はなかっので、これで結審した。

報告者 Doneさん


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