裁判所・部 | 東京地方裁判所・刑事第17部 | ||
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事件番号 | 令和元年合(わ)第333号(裁判員事件) | ||
事件名 | 殺人 | ||
被告名 | A | ||
担当判事 | 下津健司(裁判長)兒島光夫(右陪席)松下健治(左陪席) | ||
日付 | 2020.12.16 | 内容 | 被告人質問等 |
右陪席裁判官から被告人に略歴を教えてくださいと質問があった。 被告人はスーツで背が低くて丸刈りで神妙な表情。 (被告人の略歴) 地元の中学校を卒業して公立高校を2,3年のとき中退。 昼夜逆転生活をしていたので出席日数が足りなかった。 当時やっていたバイトをやめて鉄筋工の仕事をした。約1年勤めて18歳くらい。 そのときに無免許運転で捕まり地元にいると免許がないと生活できないので、鉄筋工の知り合いと一緒に大阪に来た。 大阪では夜のバイト(キャバクラ、おっぱぶ)のボーイを1年勤めていたが、同僚が東京に行くというので折角なので一緒に東京に来た。 水商売が好きで、キャバクラの従業員を約3年ほどやって、高校ぐらい出ておこうと思って通信制の高校に入学したのが22歳のとき。 同世代が大学を卒業して就職する頃。水商売で上に行くのが無理だと分かって昼間の仕事ということで、会社に営業職として勤めた。 営業はビットコインを中小企業の経営者に売る仕事で、約7年勤めて本件の月額の給料は手取り35万円くらい。 そして犯行日の11月2日の昼は鹿児島に行ってお母さん(祖母のことかも)に会って、鹿児島で一泊して大きな観光地もないから軽くドライブして空港に行って東京に帰ってゆっくりしようという話を彼女としていた。(事件があったため当然行けなかったが) 翌日には彼女のお母さんから、来ないけど大丈夫?といった電話やラインがあったが、通知画面を消した。このときの気持ちはその場から逃げたいという気持ち。最初の日は早く自殺して逃げたいという気持ちだったと振り返った。 (鹿児島の祖父母に事件当日会いに行こうとしていたこと) どうして祖父母なのかと聞かれると、彼女から聞いた話だと父親は名前も知らない、小さいときに離婚しているからいない、母は虐待、つまり育児放棄していた。母とは会いたくない、紹介したくない、私は会いたくないので、卓也くんが会うなら1対1になるけどどうする?とのこと。 (被害者の来歴) 私(被告人)が聞いた話では宮城県出身、埼玉か千葉の高校に通っていたが高校生の間から知り合いの夜のお店でバイトしていて、 卒業してから本格的に夜のお店の仕事を1年ほどしていた。さらに1年経って上野に来たと聞いた。昼の仕事も一時期やっていた。 今被告人の手元にあるのは (1)被害者と2人で映っている旅行のときの写真4枚 (2)被害者が1人で映っている写真1枚 自分が殺めてしまった人の写真を放棄したくないのは彼女との思い出を残しておきたいという気持ちです。今でも愛しています。彼女自身にはとても怖くて耐え難い痛みを与えてしまって、それをやめることもなく殺してしまって申し訳ない。 今、私は東京拘置所で食べたり寝たり本を読んだり運動したりできるがそれを全て奪ってしまった。何でとめられなかったかという気持ち。 ご遺族の方の強い私に対する怒りや悲しみは理解できる、彼女に対するご冥福を祈りながらどうやったら償っていけるか考えていきたいと思います。 ※若い男の裁判員から、写真を放棄しないことを突っ込まれていた。(遺族は被告人の手元から破棄してほしいと言っている。スマホの彼女の画像は消している) 被告人質問の次には情状証人として証人2名(被告人の母と当時の勤務先の社長)が証言台に立った。 被告人の母は写真は破棄させますと証言し(クリスチャンなので約束は守る)、勤務先の社長は被告人は実直な人柄で出所後雇用したい、後継者にするつもりだったと証言した。 裁判長「この仕事(判事)をやって長いけど、殺人罪の裁判で勤務先の人が証言するのはあまり聞かない」 勤務先の社長は酒席でトラブルを起こしたこと(同僚の襟首を掴む程度)は見たことがある、失敗するとしたらお酒、懲戒免職ではなく社内規定に基づく退職とも話していた。 社長は同僚が何人か面会に行ったと聞いている。他に裁判員は飲み会の頻度を質問していた。 | |||
報告者 | insectさん |