裁判所・部 東京地方裁判所・刑事第十一部
事件番号 平成12年合(わ)第457号等
事件名 準強姦、準強姦致傷、準強姦致死、猥褻誘拐、死体損壊
被告名
担当判事 栃木力(裁判長)中尾佳久(右陪席)長池健司(左陪席)
日付 2006.4.25 内容 意見陳述

 この日は、65枚の傍聴券が配られた。締め切りは9時40分だった。多くの希望者が並んだが、定数には満たなかった。
 入廷前に、荷物預かり、金属探知機によるチェックが行われた。
 入廷前のマスコミ関係者の会話に寄れば、この日もAは出廷しないらしい。弁護人に聞いた所、そう言っていたという事だ。そして、その通りに、被告席はこの日も空席だった。
 報道記者席は20席程度用意されており、17人が座る。その内二人は白人男性だった。
 関係者席は、十数席用意されていた。
 弁護人は8人であり、その内の一人は坂根慎吾弁護人だった。
 検察官は、眼鏡をかけた青年二名と、眼鏡をかけた中年男性一名。
 裁判長は、眼鏡をかけた痩せた初老の男性。裁判官は、眼鏡をかけた青年と、かけていない青年。
 前回に引き続き被告人不在の第54回公判は、104号法廷で、10時から開廷した。

裁判長「では、開廷します(通訳)。えー、当裁判所は、東京拘置所から、被告人が本公判に出頭を拒否しているとの連絡を受けました(通訳)。えー、本件は、被告人の出頭が無ければ開廷出来ない事件ですが、えー、刑事訴訟法286条の二の規定によれば、被告人が出頭の請求を受け、正当な理由が無く出頭を拒否し、拘置所職員による引致を著しく困難にした場合には、被告人が出頭しないでも、その期日の公判手続きを行なう事が出来ます(通訳)。えー当裁判所は、本期日において、被害者bの遺族の意見陳述を予定し、被告人を召喚しましたが、被告人は、当事件の犯人ではないので、被告人が犯人である事を前提とする被害者遺族の意見陳述の期日には出廷出来ないとして、拘置所職員から出頭を促されたにも拘らず、下着姿で、房内の設備等の壁の間の狭い部分に入り込むなどして出頭を拒否し、引致を著しく困難にしました。えー、これらの事情は、刑事訴訟法286条の2に規定する、被告人が公判期日の召喚を受け、正当な理由が無く出頭を拒否し、拘置所職員による引致を著しく困難にした時に当たると考えられます。また、当裁判所は、本期日を延期する事も考えましたが、えー、被告人の出頭拒否には正当な理由は全く認められない上、被害者の遺族が国外から来ている事情も考慮すると、被告人の出頭を待たないで公判手続きを行なう事もやむをえないものと考えました(通訳)。そこで、刑事訴訟法286条の2の規定により、被告人の出頭を待たないで本公判手続きを行なう事とします(通訳)。今日、意見陳述を予定している被害者遺族の方、前に来て下さい(通訳)」

 X5氏、証言台に立つ。黒いスーツを着た、初老の白人男性。

裁判長「じゃあ、ちょっと立っていただけますか(通訳)?名前は何と言いますか(通訳)?」
証人「私の名前は、X5です(通訳)」
裁判長「年齢、職業、住所は、先程このカードに書いてあった通りで間違い無いでしょうか(通訳)?」
 通訳は確認し、頷く。
裁判長「それでは、予定していた被害者遺族の意見陳述を行ないます。えー、じゃあ、座ってするか、立ってするか、どっちでも良いですから、自由に決めて下さい(通訳)」
証人「立った方が良いです」
裁判長「では、立っても座ってもどちらでもよろしいので、寧ろ立った方がよければ、立ったまま行なってください。では、どうぞ(通訳)」

−X5氏の意見陳述−
 娘のbの死は、私の人生の中で最も悲惨で辛い事です。娘を失った事によるショックと精神的苦痛が、私の残りの人生をすっかり変えてしまいました。
 私がまだ26歳であった昭和53年9月1日に、私の第一子として産まれたbが初めて息をし、蒼い体がピンク色に変わるのを見ました。その瞬間から、父親だけが初めての娘に感じる事ができるような愛情から、娘を愛し続けてきました。そして、私達の本当に特別な愛が始まったのです。
 その日から、私は、神から助けられた、このすばらしい命を育てる責任を抱えていましたが、毎日、どんな時にでも、bは、私に、いつでも幸福感と、愛と歓びを感じさせてくれました。
 bの死により、私は打ちのめされ、空虚感に苛まれ、呆然としました。
 私は、娘が一番美しく、幸せを感じた筈の結婚式や、私の初孫を抱く、すばらしい将来を望んでいました。しかし、これももはや叶えられません。
 私は、娘がまだ自立していない子供の頃から、思いやりのある大人になるのを見守っていました。bは、もはや、心の支えになってくれることも出来ません。
 Y16とY17へのトラウマがどのように影響を与えるか心配しながらも、私は、彼らを言葉で慰める事しかできません。
 私には、時がたつにつれ、bの死によって、息子の人生が傷つけられているのが解ります。息子は、感情を安定させるため、薬と治療を同時に必要として、この状態から抜け出そうともがき続けています。大学も留年してしまいました。病身の息子を支えるのは大変な負担となっています。
 bを捜索中の7ヶ月間、娘のY16はその強さと勇気で世界中を驚かせました。しかし、bが埋葬されて以来、大好きだった姉が死ぬという精神的苦痛に耐えられる事が出来なくなり、それ以来、精神科に通院し、現在は精神病棟に入院しています。
 私自身は、この残酷な犯罪を常に思い出すことにより、娘の死だけではなく、他の二人の子供も受けた、痛ましい打撃と戦わなければなりません。
 bの死によって、私は自分の感情を抑制できなくなりました。bは、2000日間生きていましたが、私の心には、娘との沢山の思い出があり、日常生活のふとしたきっかけで、会議の時や友人の前で涙を流してしまう事があります。
 たまに乳母車に乗っている子供を見ると、bを思い出し、涙が出てきます。遊んでいる子供を見ると、bの事が可愛そうになる。電車の中で若い母親を見ると、bは二度とこのようになれないと思ってしまいます。
 私の美しい娘にされた恐ろしい様々な行為は、美しく、無防備な者を餌食にする汚らわしい動物が行なったものです。長年、規制の無い野放しの状態で育った怪物の堕落した行為です。この怪物は、人間性に反する罪や悪事に対し、恥も、罪悪感も無く、悔いの涙一つすら零していません。それどころか、bを知っている事を否定した当初から、bの死への責任を否定するまで、否認、否定の繰り返しでした。
 要は、この獣の餌食になっていなかったら、私の美しい娘は、今も生きていられたのです。
 これらの行為によって、私と子供たちは、一生、嘆き、悲しむような刑を科せられ、その悪夢の中をすでに6年も過ごしているのです。私達は、死によって始めて解放されるでしょう。私達に対するこの卑劣な犯罪は、絶対に、最上限の刑に処せられなければなりません。見守っている世界の人々は、この罪は殺人であり、死刑に処するべきだと信じています。私も同意します。最上限の刑を科せられることが無ければ、公平な裁判であるとは言えず、娘の命と、苦しみを辱める事になるでしょう。
 bの私の首に回す愛らしい腕、そして、「お父さん、愛してるよ」という時にかかった暖かい吐息を、私はもう二度と感じる事ができません。
 娘の命が絶えた瞬間、娘の脳が機能を停止した瞬間、その痛ましい最後の一時を思わずにはいられません。どれだけ苦しんだだろうか、恐怖に慄いていたのだろうか、私を呼んだのか、と思いを巡らせます。今、私の頭に残るイメージは、削られた娘の体、骨に残る電動鋸の跡、腐敗した肉片、砂浜に埋められビニール袋に詰めこまれた体の部分部分。それから、Y16とY17との顔に浮かぶ悲しみ。これらは、私に一生付き纏うイメージとなって、娘を思い出すたびに、また、ポートレートを見るたびに、これらの恐ろしいイメージが蘇ってくるのです。
 眠りの中で娘の声が聞こえ、一瞬、もうすでに娘が死んでしまっている事を忘れることがあります。しかし、娘が死んでいることに気付き、すぐに苦痛に苛まれます。もう、夢でしか会う事ができません。
 これらの全てによって、私は全く違った人間になってしまいました。子供を殺人で失うのは異常な事で、bが生きていた頃の私と全く同じ人間に戻る事は決して出来ないでしょう。言いようの無い深い悲しみに心を乱され、苦しみます。私は、十分に眠れず、抑えきれなくなって泣いてしまう事があります。皆の上に悲しみを見ると気が動転してしまうので、友達や家族に会うのが恐ろしいのです。孫であるbを可愛がった私の両親は、年をとりすぎて悲しみをどうすることも出来ないので、日によっては、人生に何の意味も感じられなくなったり、仕事に集中できなくなったり、緊急会議で大事な意思決定が出来なくなったりする事もあります。
 私は、忙しすぎるという理由で娘に会えたのに会ってやれなかった事、幼い頃の娘に苛立っていた事、娘が必要としていたお金をあげられなかった事、娘が私を一番必要としていたときに一緒に居てあげられなかった事などが、何時までも悔やまれてなりません。一層苦しんでいます。
 しかし、私にとって最も気がとがめる事は、娘の事を忘れてしまっているのに気付いた時や、一瞬何かに幸せを感じてしまっている時です。苦しみからは、娘が殺された精神的な影響からは、本当の意味で一生自由になれる事はないでしょう。そして、娘と一緒になるまでは、この悲惨な思いからは開放される事にならないだろうという思いは、心の何処かにあります。死だけが、私をこの苦痛から解放してくれるでしょう。死ぬ時に、娘が、私の首にまた腕を回すのを感じられるであろう事だけが、私が人生を生きていく支えになっているのです。
 以上です

 証人は、左手を後ろに回し、右手に陳述書を持って、微動だにせず、声も乱さず、意見陳述を行なっていた。裁判長ら、検察官たち、弁護人たちは、それを真剣な表情で聞いていた。

裁判長「では、元の席に戻ってください。次回は新件ですが、検察官の方で立証を予定して・・・・」
検察官「証人として、674号証作成者の検察官の証人尋問。それと、新たに書証を二点請求します」
裁判長「弁護人にお聞きしますが、証人尋問については・・・・」
弁護人「証人の申請についてはしかるべく。674号証については、不同意という事で」
裁判長「証人の申請についてはしかるべく、674号証については不同意という事で」
弁護人「ええ」
裁判長「次回は、検察官から証人請求があった、佐藤さんを証人尋問します」
弁護人「裁判長、検察官に釈明を求めたいのです」
裁判長「どういうものですか?」
弁護人「では、書面の方を。えっと、それではよろしいですね?四点あります」
裁判長「えっと、ちょっとお待ちください」
弁護人「ええ」
裁判長「はい、どうぞ」
弁護人「えーと、それでは第一にですね、平成13年4月27日付け追起訴状記載の公訴事実第一、すなわち、bについてですが、起訴状について、死因について公訴事実では、上記薬物の作用等に基く、となっておりますが、起訴状の内、何を根拠に、このような事を検察官は書いたのでしょう。因みに、解剖が完了し、つまり、bの解剖が完了し、解剖鑑定書が作成されたのは、起訴から4ヶ月以上後の事です。二番目は、この解剖鑑定書を見ると、死因は不明とあり、起訴状記載の死因とは関係が無いとも思われますが、この点を検察官はどう釈明されるのでしょうか。次に、平成13年2月16日付け追起訴状記載の公訴事実につきまして、本日、本法廷において、aは、西広島病院入院後、多数の肝障害誘発性抗生物質を投与され、同人のがウィルスによるものだと診断されている事実が明らかになっておりますが、死の結果は、被告人が薬物を投与したためだという訴因を維持されるのでしょうか。次に、bの腹部全体を覆っていた、そして、口の中からも検出された黒い物質について、検察官は全て処分したとおっしゃいますが、全て処分したというのは、破棄したという事でしょうか。その辺に関して、釈明をお願いします」
裁判長「検察官、異議については」
検察官「全て釈明の要無しと思料いたします」
裁判長「えー、では、今日、釈明、急釈明が出ましたが、検察官に釈明をさせるかについては、決定は次回にいたします。今日はここまでといたします・・・・・・・では、次回は5月25日1時30分から。一応、検察官が本日請求した証人の証人尋問を行ないます。はいっ、では今日はこれで終わりますので、法廷に居る方は退廷して下さい」

 公判は、11時30分まで予定されていたが、10時35分に終了した。

事件概要  A被告は以下の犯罪を犯したとされる。
1:1992年2月、神奈川県逗子市のマンションでオーストラリア国籍の女性に催眠導入剤入り飲料を飲ませて暴行し死亡させた。
2:2000年7月2日、神奈川県逗子市のマンションで英国籍の女性に催眠導入剤入り飲料を飲ませて暴行し死亡させた。
 その他、準強姦致傷、準強姦5件を起こしたとされている。
 A被告は、同年10月12日に逮捕された。
報告者 相馬さん


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