裁判所・部 東京地方裁判所・刑事第二部
事件番号 平成16年合(わ)第354号
事件名 銃刀法違反等
被告名 熊谷徳久
担当判事 毛利晴光(裁判長)宮本聡(右陪席)大村るい(左陪席)
日付 2006.4.17 内容 判決

 熊谷被告の判決公判は、528号法廷にて、10時より行われた。
 入廷前に、職員の男性から、撮影、入退廷に関する注意事項が伝えられた。
 記者席は15席指定されており、満席となった。関係者席は6席指定されており、全て埋まっていた。開廷前、眼鏡をかけた初老の男女が、硬い表情で話をしていた。
 弁護人は、眼鏡をかけた若い男性と、白髪の老人。老人の弁護人は、開廷前、目を閉じていた。
 検察官は、若い男性と若い女性の二名であり、今までの二人とは違う。
 裁判長は、眼鏡をかけた初老の男性。裁判官は、若い女性と、太り気味の若い男性。裁判長達が入廷すると共に、2分間の撮影が始まった。
 傍聴人は、私を除いて14人いた。
 撮影が終わり、熊谷被告は入廷する。ノーネクタイの黒いスーツ、スキンヘッドという、いつもどおりの格好である。入廷時に、遺族に向けて、申し訳なさそうな表情で、頭を下げていた。

裁判長「被告人、前へ出てください」
 被告人は、証言台の前に立つ。
裁判長「熊谷徳久被告ですね?」
被告人「はい!」
 被告人は、大きな声で答えた。
裁判長「それでは、貴方に対する、銃砲刀剣類所持等取締法違反、強盗殺人、強盗殺人未遂、強盗予備、現住建造物等放火未遂事件について、判決を言い渡します」

−主文−
 被告人を無期懲役に処する。(被告人は、その瞬間、裁判長に頭を下げた)
 没収した回転式拳銃一丁、及び実包四発を没収する。

裁判長「それでは、理由を言い渡します」
 被告人は、裁判長に促され、被告席に座る。4人を残し、記者は退廷した。

−理由−
1・被告人は、東京駅地下三階を焼損しようと企て、ダンボールを積み上げ、火をつけた。(被告人は、唇を噛み締め、頭を下げる)焼損しようとしたが、ダクト、照明器具を焼損させたに留まった。
2・被告人は、以前働いていたことのある山陽警備に押し入り、同所において、Z(63)に対し、銃を突き付け、「金を出せ」と申し向け、金品を強取しようとしたが、目的を果たせなかった。
3・被告人は、Xに対し、銃を突き付けたが、同人が悲鳴を上げたために殺意を抱き、発砲して同人を殺害した(被告人は、この時、目を閉じていた)。同人は、横浜医療センターで死亡した。
4・被告人は、6月23日、東京地下鉄株式会社駅員Yに対し、同人が紙袋を持っているのを見るや、金品が入っていると考え、「おい待て動くな」と申し向け、銃を突き付け、同人が抵抗するや発砲し、同人からドリンクなどの入った紙袋を強取した。同人に対しては、脊髄損傷を負わせるに留まった。
5・警視庁本部において、銃を提出し、自首した。

 被告人は、横浜での強盗致傷で懲役6年に処されるなどの前歴がある。
 訴訟費用は、被告人に負担させない。

 被告人は、一ヶ月の間に、東京駅への放火未遂、建造物侵入強盗未遂、強盗殺人、渋谷駅における強盗殺人未遂、4の際、上記拳銃を所持した、という事件を連続して敢行した。
 被告人は、鹿児島県内で出生し、養子に引き取られたが、戦災孤児となり、Tに引き取られ、熊谷徳久と名付けられた。Tの死亡後、非行を繰り返し、窃盗で前科五犯となった。横浜中華街で生活するようになり、内妻と暮らした。商売も始め、一時は成功したが、失敗し、借金を払えなかった。その間、前科4犯を賭博などで重ねた。
 拘置中に、護身用として拳銃を貰う。中国人女性と結婚したが、離婚した。
 被告人は、事業に失敗したにも関らず、かつての成功が忘れられず、銀行員を襲って鞄を強取した。同年5月、懲役6年に処され、網走刑務所に服役した。被告人は、成功の夢が忘れられず、自らが老齢に差し掛かることを考え、大きな事件を起こすことに決め、大金があったキヨスクに狙いを定めた。
 網走刑務所からの出所後、現金強奪のために車を盗んだが、逮捕され、服役することになった。被告人は、自分の計画を秘して服役し、知人に預けていた拳銃を、出所後に引きとり、拘束用のロープ、追っ手を防ぐための灯油を購入した。キヨスクに侵入したが、金を見つけることが出来なかったた。その後も、現金を手に入れるため、山陽警備事件、横浜事件、渋谷事件を敢行した。
 被告人は、東京駅に侵入したものの事務所の位置がわからなかった。そのため、計画を話していた知人から、口先だけだと思われたくなかった事と、憤懣を晴らすために、東京駅に放火した。燃え広がりにくい構造ではあるが、人名に危険もあった。悪質な犯行といえる。消化のために、15本の消火器を消費した。火勢は強かったといえる。従業員は強い恐怖を抱き、強い被害感情を持っている。電車も止まり、結果は重大である。不安も看過できない。
 山陽警備事件について。被告人は、警備員として働いていた事のある山陽警備に侵入し、丘陵を強奪することを企てた。あらかじめ準備をした計画的犯行であり、「動くな、金を出せ」と銃を突き付けており、普通の強盗と変わらない。給料日を一日間違えていたために強奪は未遂に終わったが、被害者に齎した恐怖は大きい。
 横浜、山手事件。被告人は、偶然知った被害者宅に現金があると考え、被害者が抵抗した場合は殺害する事を決め、下見をして犯行に及んだ。被告人は、用意周到に犯行を行っている。夜陰に乗じ、被害者に銃を突き付け、「黙れ、動くな、静かにしろ、家の中に入れ」と申し向け、「家の中に入れ」と言って、被害者を家の方に押しやった。しかし、被害者が悲鳴を上げたため、銃撃した。被害者は、77歳の高齢であったものの、健康で、真面目に家庭生活を送っていたが、銃弾を浴び、恐怖と苦痛の中で死亡した。遺族は、悲嘆に耐える毎日を送っている。被害者が血だらけで倒れていたのを見ている。被害者が倒れていた姿が忘れられず、思い出すたびに吐いてしまう。「被告人は極刑にして欲しい」と述べている。本件に対する社会的影響も無視できない。被告人は、被害者を殺害したことに対する悲嘆も見せず、奪った金額が少ない、と、遊興費に消費している。
 被告人は、渋谷駅でも強盗を企てた。下見を重ね、拘束用バンド等を新たに購入し、被害者を見つけるや、後をつけ、犯行に及んだ。被告人の現金への執着が見てとれ、情状酌量の余地は無い。犯行は計画的で、「おい待て動くな」と被害者の腹部に銃を突き付け、被害者が抵抗するや発砲し、現金を奪っている。犯行は残忍悪質であり、殺意は強い。被害者は、32歳の働き盛りであり、一家を支えていた。一時は生命の危機に晒されている。将来に対する絶望感に苛まれている。被害者や被害者の家族は、被告人に同じ絶望を味わわせてやりたい、と、極刑を望んでいる。加えて、本件に対する社会的影響も無視できない。
 拳銃、実包所持も悪質である。平成5年に護身用として購入し、埋めて隠して後に掘り出し、手入れするなどして、保管し続けていた。キヨスク事件を失敗するや、山陽警備事件、横浜事件、渋谷事件、と、次々に犯行を敢行している。
 平成8年における銀行員襲撃事件の時から、事件を計画していた。度重なる現金強奪計画の失敗、頓挫に懲りる事も無く、手口を凶悪化させている。人の生命を奪うことも厭わない傾向が顕著である。
 被告人は、戦災孤児として浮浪生活をしていたことに拒絶感を示し、「浮浪者だけにはなりたくない。人を蹴散らすのが世の習いだ。金のあるうちはちやほやし、無くなったら掌を返したようにする奴等を見返してやりたい」と述べている。
 被告人は、平成16年6月26日に自首しているが、自首を男っ気を示すためのパフォーマンスと考え、事前にNHKに連絡して、自首している。
 捜査官には、「犯罪を犯さざるをえなかった人間の気持ちが解るか。謝罪の気持ちは無い。失敗したのだから死刑になるのみだ」と述べており、公判時にはトーンダウンしているが、反省、贖罪の気持ちは十分ではなく、更正の可能性は見出しにくい。
 弁護人は、横浜、渋谷事件においては、被害者を殺害しようと考えていなかったと述べ、被告人もこれにそう供述をしている。確かに、問答無用で拳銃を発射したわけではなく、殺害を計画していたとは言えない。しかし、被害者は抵抗と言うほどの事をしておらず、場合によっては被害者を殺害する積りがあったことが認められる。
 また、弁護人は、横浜事件については自首が成立する、と述べている。自供は余罪追及を受けた後のもので自首は成立しない、と検察官は述べている。しかし、自首は成立する。7月1日の夕食後、被告人は、横浜山手事件、山陽警備事件、東京事件について話した。渋谷事件の取調べをしたK警察官は、7月2日付の上申書が7月1日付になっている、と被告人に注意したが、被告人は、「俺のやったことだ。日付は関係ない」と答えた、と述べている。しかし、K警部補の言うとおり被告人が上申書の日付を訂正させないのは不自然であり、疑問を覚える。回答書、検察官調書には、何らかの細工が疑われ、被告人の公判供述の信用性は否定しきれない。したがって、7月1日以前に被告人は自白したと思われる。
 山陽警備事件は、捜査機関には発覚していなかった。東京事件も把握していなかった。捜査官が、他にも拳銃を使用した事件は無いか、と被告人に聞いていたことで、山陽警備事件、東京事件の自白に任意性が無かったとは言えない。
 渋谷事件では、被害者は死亡していない。被告人の現金強奪計画は失敗しているが、計画が稚拙だっただけで、用意周到だったことは変わりない。
 被告人は、横浜事件の被害者の冥福を祈っている。渋谷事件においては自首をしている。被告人の自首により、捜査の進展したことは否定できない。
 被告人は、不遇な人生を送っており、尊敬する人物との出会いで更正の可能性もないではない。
 被告人の、特異な性格、反省の情、犯行の結果を考えれば、責任は極めて重い。死刑も、不当とは言えない。しかし、死刑はやむをえない場合に限るべきであり、被告人にとってはなはだ幸いあるが、被害者の一名は死亡しておらず、また、被告人に重大犯罪の前科はない。
 終生をもって、罪を償わせるべきだと判断する。

裁判長「被告人、前に出てください」
 被告人は、証言台に立つ。
裁判長「貴方の今の気持ちは解らないが、犯行の重大性を、遺族の気持ちを考え、更正に向かって努力してください」
被告人「はい」
 裁判長は、控訴に関して説明する。裁判長から諭されている間、被告人は、幾度も頷いていた。
裁判長「では、終わります」

 被告人は、俯き、きつく目を閉じて、判決を聞いていた。両手は膝の上にあった。判決言い渡しは、12時まで予定されていたが、10時50分ぐらいに終わった。
 二人の検察官と、若い弁護人は、判決が読み上げられる間、何かを書いていた。老人の弁護人は、目を閉じていた。
 判決文の朗読途中に退廷する傍聴人や記者もいた。
 被告人が退廷する時、遺族らしき初老の女性が立ち上がり、「馬鹿!死刑!」と被告人に向けて叫んだ。被告人は、初老の女性の前で立ち止まり、済まなさそうな顔で何かを言い、少し頭を下げた。しかし、遺族らしき女性は、「死刑!」と再び叫んだ。

 閉廷後、廊下で、遺族らしき人々と検察官は、何か話をしていた。検察官は、犯行状況について、「惨いと思う」と口にしていた。

事件概要  熊谷被告は主に以下の犯罪を犯したとされる。
1:2004年5月29日、神奈川県横浜市で強盗目的で中華料理店経営者を射殺した。
2:同年6月23日、東京都渋谷区の東京メトロ渋谷駅で強盗目的で駅員を銃撃して重傷を負わせた。
 その他、余罪多数。
 熊谷被告2004年6月26日に逮捕された。
報告者 相馬さん


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