裁判所・部 東京地方裁判所・刑事第八部
事件番号 平成15年合(わ)565号等
事件名 殺人、出入国管理及び難民認定法違反
被告名 AことA’
担当判事 飯田喜信(裁判長)大寄淳(右陪席)溝口優(左陪席)
その他 書記官:木村
日付 2006.3.24 内容 判決

 では、開廷します。チェン被告人、前に立って下さい。(通訳が入り、チェン被告が証言台に立つ。以下、通訳が入ったことを単に(通訳)と表記する)
 被告人に対する殺人、出入国管理及び難民認定法違反事件につき、裁判所の判断を言い渡します。(通訳)

−主文−
 被告人を懲役20年に処する。未決拘留日数中780日をその刑に算入する。
(通訳)

 理由の要旨を告げます。着席して聞いていてください。(通訳。チェン被告が座る)

 まず犯罪事実について、被告人は第一に、中華人民共和国国籍を有する中国人であるところ、平成14年3月に新東京国際空港から本邦に上陸し、在留期限が4月13日までだったのに、それを過ぎても本邦に滞在しつづけた。
 第二に、ホテルラバーズインの3階と4階の間の踊り場において、aとけんかになり、はさみで同人の左頸部を突き刺し、殺意をもって同人のけいぶを両手で圧迫した。同人は同傷害による低酸素性脳死状態に陥り、搬送先の病院で死亡した。
 第三に、精肉加工場の同僚bの左側頭部を、殺意をもって刃渡り25センチの牛刀で突き刺した。同人は同傷害に基づく脳幹部損傷により、搬送先の病院で死亡した。
以上の事実はこの法廷で取り調べた証拠によって認めることができる。(通訳)

 第二の事件、東京での殺人について補足説明をします。
 この東京事件で、検察官は、殺意をもって左頚部をはさみで突き刺し、殺意をもって首を両手で締めたと主張し、弁護人は、突き刺したが、殺意はなく、首を締めたときも殺意はなかったと主張している。裁判所ははさみで突き刺したときは殺意はなかったが、首を締めたときに殺意があったと判断しました。
 被害者は、直接は脳に生じた脳浮腫が進行したことによる低酸素脳症によって死亡した。救急隊員によると被害者の頭部は赤紫色に変色していたため、犯行時にかなり頸部を圧迫したと推認できるが、切創、切り傷のことですが、これによって死亡したとは認められない。
 犯行は被告人と被害者が二人きりのときに行われているが、被害者のけいぶは被告人が締めたと認めている。また、取り調べでも両手で首を締めたと供述しており、これは被害者の遺体の状態とも一致しているため、被告人が犯行を行ったと認めることができる。
 また弁護人は通訳がついていなかったと主張する。確かに警察の取り調べでは通訳がついていなかったが、検察での取り調べでは通訳がついていたので問題はない。
 殺意について、検察官ははさみを突き刺したときに殺意があったと主張する。確かに一般的には危険だが、はさみには殺傷力が低い。また、被害者に殴られ眼鏡がとび、視力が低下した状態でとっさにはさみを突き刺したため、殺意があったとはいえない。しかし、頚部を締めたときはかなり強い力をかけている。低酸素症になるには人の頚部をかなり強い力で数分間締めつづけなければならない。これは十分に殺傷力のある行為であり、被害者が死なないように被告人が手加減したとはうかがえず、確定的殺意によってなされたものと認めることができる。
 弁護人は、殺意がなかったと主張する。被告人は見つかりやすいところに死体を放置しているため、激情にかられて犯行に及んだというものである。しかし、事件後に後ろめたさからわざと見つかりやすくなるような行動にでることはよくあることである。
 よって結論ですが、被告人は被害者の頚部をはさみでさし、その後確定的殺意をもって頚部を強く締めたと認定した次第です。(通訳)

 次に第三の犯行、横浜での事件について補足説明します。
 この横浜事件で、被告人は被害者とは面識がないのに、牛刀で突き刺すという凶行に及んだ。
 犯行時の責任能力について、弁護側は心神耗弱にあったと主張しますが、裁判所も同じ判断をしました。検察官は当初争っていましたが、最後は心神耗弱を認めました。Y2医師とY3医師の鑑定と証人尋問で、いずれの医師も被告人が心神耗弱にあったと認めました。Y2鑑定では、被告人は精神病で、被害妄想と重度のうつとされ、Y3鑑定では被告人は抑うつ状態で、被害者を想像上の迫害者とする被害妄想に陥っていたと鑑定された。裁判所はY3鑑定の信用性が高いと判断しました。被害妄想や抑うつ状態にあったことは関係証拠とも一致する。
 被告人はフィリピン人の同僚bから蹴られたり、「ヤクザに言ってやる」と言われるなどのいやがらせを受け、手首を切って自殺を図るまで追い詰められたと主張するが、実際にbはそのようないやがらせをしていなかった。
 ただ、被告人が手首を切って自殺を図ったのは事実であり、欠勤が著しく多くなり、目つきも異常なっていた。これらから被告人は実際にはないのにいじめられているという被害妄想に陥り、自殺を図るまで憔悴しきっていたと推認でき、犯行前には被害妄想や抑うつ状態に陥っていたというY3鑑定の信用性は高い。
 Y3医師は多くの鑑定を手がけ、証人尋問でも検察官の質問に真摯に答え、平明に説明し、その主張を維持している。
 なお、Y2鑑定はY3鑑定に比べ信用性が低いが、心神耗弱にあったという結論は一致しており、その範囲で認められる。よって、被告人は横浜事件のとき、妄想性反応と抑うつ状態による心神耗弱に陥っていたと認めることができる。(通訳)

 最後に量刑の理由ですが、本件は中国人の被告人がアルバイト中に中国人の同僚を殺害し、在留期限が過ぎても本邦に不法滞在し、フィリピン人の同僚を殺害したという事案である。
 被告人は2年の間に、1人ならず、2人もの命を奪う重大な犯罪を犯し、その重大な結果は厳罰に値するものである。
 東京事件においては、確かに被害者の方から殴りかかり、被告人は踊り場に出て被害者に殴りかかった理由を問いただすうちに激昂し犯行に及んだが、被害者を動かなくなるまで首を絞め続けるいわれはない。
 被害者は昼は専門学校で学生として勉学に励み、夜はアルバイトをして生計をたて、祖国の家族に仕送りをしていた。前途有望で希望に満ちて日本に来たのに、27歳の若さにして突如命を奪われた被害者の無念は察するに余りあり、このような事実を突きつけられた遺族の処罰感情は厳しいものである。被告人は何ら慰藉を講じておらず、被害者の無念に思いを致していない。
 横浜事件も、精神病で心神耗弱にあったとはいえ、犯行自体は刃渡り25センチの鋭利な牛刀で頭部を突き刺すという残虐な犯行であり、十数年もの間家族と会えないうちに非業の最期を遂げた無念さは察するに余りある。
 被害者の長男は「犯人と会えるなら、殴り殺してやりたい」と供述しており、処罰感情は峻烈なものである。
 本件は極めて異常で悪質な犯行であり、検察官も無期懲役を求刑しているが、被告人に酌むべき情状もある。
 被告人は東京事件については殺意を否認し、横浜事件については心神耗弱にあったと主張しているが、被害者両名を死に至らしめた事実は認めている。東京事件は突発的な犯行で計画性はない。
 横浜事件では妄想性反応と抑うつ状態で心神耗弱にあった。検察官は、これらの症状は逃亡中に生じた通常の心理であると主張するが、被告人の症状は異常で病的なもので、通常のものとは比べものにならない。
 被告人はこれまで3年弱拘束されており、被告人に前科はない。
 これら被告人に有利な情状を斟酌すると、被告人を無期懲役に処するのは躊躇せざるをえない。よって、横浜事件について無期懲役刑を選択し、心神耗弱を適用して被告人を有期懲役の最高刑に処するのが相当と判断した次第です。(通訳)

 それでは被告人、そこに立ってください。(通訳。被告人がその場に立つ)
 裁判所の判断は以上の通りです。東京事件の殺意ですとか、横浜事件での責任能力ですとか、相当の期間審理してきましたが、最後に残るのは被害者2名の無念です。この無念については忘れてはならない。まあ、かなり長い服役になるけれども、被害者の冥福を祈るように。(通訳)
 この判決に不服があるときは14日以内に控訴することができる。そのときは、東京高裁宛の控訴申立書をこの裁判所に提出すればよろしい。(通訳)
 これで判決の言い渡しは終わります。(通訳)

(注:平成17年の刑法改正により、無期懲役を減軽して有期懲役とする場合の最高刑は30年となったが、本件は改正前の事件なので改正前の刑法が適用されている。なお改正前の刑法では無期懲役を減軽して懲役20年で処断することはできないので(15年まで)、もう一つの東京事件で有期懲役を選択していて、両方あわせた併合罪加重により懲役20年となる)

事件概要  A被告は以下の犯罪を犯したとされる。
1:2001年5月23日、東京都豊島区のホテルで、同僚の中国人男性と口論になり殺害した。
2:2003年4月8日、神奈川県横浜市の精肉加工会社で、同僚のフィリピン人男性を殺害した。
報告者 Doneさん


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