裁判所・部 東京地方裁判所・刑事第八部
事件番号 平成15年合(わ)565号等
事件名 殺人
被告名 AことA’
担当判事 飯田喜信(裁判長)大寄淳(右陪席)溝口優(左陪席)
その他 書記官:木村
日付 2006.3.13 内容 論告

 弁護人は、眼鏡をかけた初老の男性と、前頭部の禿げあがった老人。開廷前に、初老の弁護人は、職員の女性と書面の内容について何か話していた。老人の弁護人も、東京事件について何か話していた。
 検察官は、眼鏡をかけた、髪の長い30代ぐらいの女性。
 開廷前は、傍聴人は私を除いて8名程度だった。
 被告人は、髪を短く刈った、眼鏡をかけた痩せた男性。20代から30前後に見える。グレーの服、黒いズボン、といういでたち。開廷前に、耳に何か機械をつけていた。また、開廷前は俯いていた。
 本日は、415号法廷で、1時15分から予定されていたが、裁判長達は開廷予定より5分遅れて入廷した。裁判長は、眼鏡をかけた穏やかそうな老人だった。

裁判長「本日は双方のご意見を伺う日ですが、甲79号証の実況見分調書ですけど、横浜事件のもので、弁護人の方で一部不同意になっていましたが、不同意と・・・・・」
 検察官は、不同意部分については撤回する。そして、論告が始まった。

−論告求刑−
 事実関係は、当公判廷で取り調べた各証拠により証明は十分である。
 被告人は、平成15年付け起訴の横浜事件について、bの頭部を突き刺した覚えは無く、同年9月付け起訴の東京事件について、aに対する殺意は無かった旨述べている。
 被告人に対しては、二度の精神鑑定が行われている。これらについて、検察官の意見を述べる。
 東京事件においては、被告人とaは、客室で喧嘩になり、被告人は左手でaの首を絞めた。その後、aから殴られたので、またaの首を絞めた。
 翌日平成15年5月23日、被告人は、aに、「何故大した事ではないのに私を殴った」と尋ねると、aは「お前が気に入らない。殴ったからどうなんだ」と述べ、被告人と殴り合いになった。被告人は、その時は仕返しするつもりは無かった、その時に、aの首を刺した、aの首から血が流れている事は気付かなかった、と述べている。
 以上の弁解は信用できない。階段、踊り場の状況、aの首に索状痕が認められることから、現場、踊り場でaの首を絞めていないという供述は信用できない。鋏で首を刺した事からも、殺意が認められる。絞首行為を数分間続けていた事が、索状痕からは認められる。
 捜査時の供述は信用性が高い。
 捜査段階では、踊り場で、殺して良い、と思い、踊り場で首を絞め、「死ね」と考えて首を絞めた、と述べている。
 被告人は、「死んだりしないように腹を刺した。その時、aが殴りかかり、私は今までに無いほど腹が立ち、心でも良いと思いaの首を刺した。aは、ダメージを受けていたが謝らず、私の顔を指差して何か言っていた。私は、憎たらしいやつだと思い、死んでも良いと思い、aの首を絞めた。aは動かなくなり、私は、『a、a』と呼んだ」と述べている。
 被告人は、検察官に対して、絞首行為を再現している。検察官に対し、「私は、aを絶対に殺してやろうと思っていたわけではない」と、被告人の言い分も話している。捜査側は、情理を尽くして、被告人に質問を行っている。捜査段階は、初期を除き、一貫して絞首行為を認めている。供述の信用性は高い。
 被告人は、殺意をもってaの頸部を刺し、首を絞めて殺害した事が認められる。
 次に、横浜事件について。同僚であるY1の供述によれば、被告人は、牛刀を振りかざして、被害者bの方へ向かっていった。Y1は、被告人をbから引き離した。bには、刺創が残っており、牛刀で突き刺した事が認められる。脳幹部に深さ10センチの傷が認められるほど刺しており、左側頭部を殺意を持って突き刺した事が認められる。
 被告人の責任能力について。第一鑑定であるY2鑑定によれば、被告人は、横浜事件の時には鬱病状態で、責任能力は心神耗弱に相当する。
 第二鑑定は、Y3、Y4医師によるもので、横浜事件の時、被告人は、bを仮想上の敵とした妄想性障害の状態にあったが、人格水準の低下は見られない、とある。
 検察官の被告人の責任能力に対する評価は、被告人は敏感性の性格の持ち主で、異国の地で逃亡生活を送っていた事を考えると、横浜事件においては限定責任能力に留まる事は検察官も認めざるを得ない。
 東京事件は、犯情は悪質で、冷酷かつ残虐である。結果は、aの死亡という重大なものである。
 aは昭和40年、中華人民共和国福建省で出生し、大学を出ている。性格は真面目で温厚だった。殺害された時、aは無念だっただろう。
 aの母親は、「同国人に殺されるとは、aは無念だっただろう。悲しみで胸がふさがっている」と述べ、処罰感情は激しい。
 aの殺害を正当化するような理由は無く、被告人は責任転嫁を計っており、被害者の遺族に謝罪していない。
 出頭せずに逃亡生活を選んでいる。
 逃亡の理由について、借金を払わなければ成らないと述べているが、逃亡中の二年の中で横浜事件を起こしている。
 横浜事件について。
 bはフィリピン人で、優しい性格からみんなに親しまれていた。異国の地で、被告人によって命を絶たれた。
 被告人が牛刀を振りかざして襲いかかってきた時は恐ろしかっただろう。
 bの子供は「父は優しい人だった。何故殺したのか。もし被告人に会えば、この手で殴り殺してやりたい。日本で最も重い刑罰を望みます」と述べており、遺族の処罰感情は激しい。謝罪はなされておらず、反省の態度は無い。
 犯行については、bの嫌がらせが原因であると述べ、これは妄想が関与していると思われるが、その原因は逃亡生活であり、自業自得である。
 出入国及び難民認定法違反について。被告人は、一年間不法残留しているが、不法残留中に横浜事件を敢行している。犯情は悪い。
 現代は国民の体感治安が悪化しており、その原因については、殺人などの凶悪犯罪の増加が挙げられる。体感治安の回復が求められており、厳罰を下す必要がある。被告人のような危険人物から社会を守る必要がある。
 本件は、二年間で二名を殺害し、不法残留をしていた事案である。被告人に前科前歴はなく、横浜事件では、責任能力の低下が認められるが、それを考慮しても厳罰を下すより他無い。
 被告人を無期懲役に処するのが相当と思料する。

 検察官は、早口で論告を読み上げた。途中から傍聴人が多く入廷し、全部で14人ぐらいになった。
 同時通訳が行われていたが、検察官が論告を読み終えても、通訳は長く続いた。
 2時少し前に、通訳を含めて論告は終わった。

 次は、弁護人の弁論であるが、弁論要旨は連名になっており、どのように読み上げるか、初老の弁護人のヨシダ弁護士と裁判長は相談する。そして、東京事件の弁論について、ヨシダ弁護人が読み上げる。

−ヨシダ弁護人の最終弁論−
 東京事件に限定して意見を述べる。
 平成15年付け起訴、平成13年5月23日発生の、池袋のホテルでのa殺害事件について、被告人は殺意を否認している。
 意見を要約すると、被告人には、未必の殺意も認められない。犯行後の言動、被告人に前科前歴が無い事を考慮すれば、寛大な計になるべきである。
 被告人とaは、客室で喧嘩をした。喧嘩の原因は、被告人、a、同僚のY5が、客が退出した後に客室の掃除をしていた時、aがガムテープを被告人の傍の籠に強く投げ入れ、被告人は、それを挑発と取った。被告人は、aに体格的に劣り、部屋の隅に追い込まれ、喧嘩は終わった。
 Y5は、「aが中国語で被告人に怒鳴りかかった」などと述べており、喧嘩の発端はaである。被告人とaは、以前から時々口論をし、仲は良くなかった。
 被告人とaは、ラブホテルの清掃を行っており、嫌々ながら、留学費を捻出するために仕事をしていた。
 被告人は、昼は日本語学校に通い、夕方から仕事をする、という生活だった。
 被告人は睡眠不足に悩まされ、疲労も蓄積していたはずである。それはaも同じで、そのために喧嘩になった。
 5月22日の喧嘩が終わった後も、被告人は、aに一方的に殴られた意識があった。その後、何故殴られたかaに尋ねようと考えた。その時に殺意が無かったのは、喧嘩後に、被告人、a、Y5が一緒に客室の掃除をしていることからも明らかである。
 犯行現場となった踊り場は、備品が積まれていて狭かった。
 被告人は、Y5を「下に行っても良い」といって遠ざけたが、aと話し合いをしたかったからである。
 被告人が、階段に座っていたaに、何故殴ったか尋ねた所、aは、「お前が嫌いなんだよ。殴ったからどうなんだ」と答えた。
 二人は同時に立ち上がり、殴り合いになった。殴ったのは胸と腹で、被告人は、負けそうになり、被告人は、棚に置いてあった鋏を手に取り、aの腹を刺した。刺したのは、踊り場の端に追い詰められたからで、殺意は無かった。
 aは被告人の目を殴りつけ、被告人の眼鏡は飛んだ。そして、被告人はaの首を突き刺した。死んでもいいと思っていた、と捜査時には述べているが、信用できない。
 被告人は顔を殴っていない時に顔を殴られ、前後の見境無く首を刺した。被告人は極度の近視であり、眼鏡も無いのに首を狙って刺す事は不可能である。aのその時の怪我は致命的ではなく、その時に被告人には殺意は無かった。
 首を刺した後もaは向かってきたので、被告人はさらに首付近を刺し、aの首を絞めた。aは尻餅をついて倒れ、動かなくなった。
 被告人は弱って、眼鏡を探して逃げた。
 aの死因は低酸素脳症であり、被告人はaの首を絞めた事は認めている。しかし、殺意の証拠とはならない。
 Y6教授作成の鑑定書によれば、死因は明らかではないが、頭部損傷による脳幹部損傷を否定してはいない。員面調書には「X線検査によれば頭部損傷は認められず、死因は絞頸による窒息死とした」とあるが、それが真実ならば、鑑定書も同じになるはずである。
 被告人は、眼鏡が飛ばされて目が見えず、正常な精神状態ではなく、aの頭をぶつけた事も否定できない。
 捜査官は、aの首を絞めた事を執拗に認めさせようとし、被告人は抵抗していたが、仕舞いには屈服して、以後、言われるままに調書にサインした。
 被告人はaを死なせていたことは認めており、責任は逃れられないと思っていた。未必の故意という概念は、当時被告人は知らなかったはずであり、首を絞めた事を否定する必要は無い。
 被告人がaの首を絞めたら、首を刺していたために、手に血痕が付着していた筈である。aのシャツの上から首を絞めたと言うかも知れないが、aのシャツの形状や被告人の精神状態を考えると、シャツの上から首を絞める事はできない。犯行後に手を洗って血を落とした事も無い。
 被告人は、aが倒れてあわてて逃げようとし、壊れた眼鏡と鋏を拾って屋上から遺棄しているが、意識的に行ってはいない。首を絞めたのならば、鋏の重要性は少なくなる筈である。眼鏡は、使用できなくなったから遺棄したのであり、鋏は隠す必要性は無かった。
 被告人には、aを殺す意図は無かった。
 第一には、a殺害の故意は推測できない。東京事件までは、被告人とaの間には、殺害にいたる事情は見当たらない。
 第二には、被告人は、フロントに居たY7に、aの異変を知らせている。殺害し、逃走する事を計画していたのであれば、速やかに逃げるはずであるが、Y7に「三階、三階」「救急車、救急車」と叫んで、aの異変を知らせている。aの死亡、その時はまだ死んでいなかったが、意図していなかった。また、後にかかってきたホテルの経営者からの電話に、被告人は謝罪している。
 未必の故意も否定されるべきである。犯行数時間前にaと殴り合いをしているが、その後、一緒に仕事をしており、犯行後には、aの異変を知らせている。
 aを刺したのは、眼鏡を飛ばされ、右手に持っていた鋏で反射的に刺したものである。aの首を絞めた事であるが、証拠は無く、首を絞めたとしても、鋏で刺したのと同じ理由と思われる。先立つ喧嘩の際も、aの首を絞めた事はあるが、殺害は容認していない。
 情状についてだが、本件は偶発的犯行であった。被告人も結果を予想していなかった。
 犯行時の精神状態だが、被告人とaは、異国の中で精神が休まらず、被告人は、留学のため、親戚から借金もしていた。また、朝は日本語学校に通い、夕方からバイトに行き、アパートに帰って、朝、学校に行く生活だった。
 被告人は、本国においても善良な生活で、わが国においても事件を除けば非難される生活ではない。
 平成12年に日本に入国したのは、自分の可能性を試すつもりだった。調書では、それは建前であるとしているが、被告人の生活ぶりからすると、調書の内容は信用できない。Y5の調書にも「被告人もaさんも、休憩中に本を読んでおり、真面目な人という印象でした」と記載されており、被告人の入国が勉学目的である事も明らかである。
 被告人は事件を反省しており、「人を殺して、自分の人生は何だったんだろう」と述べている。
 被告人の犯行は、殺意が無く偶発的であり、情状を考慮されるべきと考える。

 2時30分ぐらいに、東京事件弁論の朗読は終わる。これも同時通訳だったが、朗読の終わった後も通訳は続き、2時33分ぐらいに終わった。
 弁論朗読中に、傍聴人は幾人か退廷し、10人ぐらいになっていた。
 弁論の読み上げについて、裁判長と老人の弁護人の間で話し合いが行われる。「責任能力と犯情については省略してもいい」と弁護人は述べる。2ページの東京事件とオーバーステイの部分は飛ばし、3ページの横浜事件の責任能力の部分と、7ページの結論について読み上げる事になる。

−老弁護人の弁論−
 要点だけを述べてみます。
 被告人は、横浜事件について、刃物で被害者を刺した覚えは無い、と述べています。警察では刺した事は認めています。刺した事は否定できません。
 被告人の服に血が付いており、犯行を目撃されており、仕事用の包丁で被害者に切りつけたことは否定できません。
 被告人は、本件被害者から、苛め、嫌がらせを受け、妄想により意識障害があったことが認められ、本件の被告人の意識の欠落は、それが原因である。妄想が犯行の原因というが、被告人が心神耗弱に追い込まれたのは、被告人に8万円という多額の家賃を要求された事も一因であり、出廷した証人は要求していないと述べているが、信用できず、被告人が8万円という多額の家賃を要求されたのは妄想とは考えられない。被告人がこのような状況に追い込まれた経緯も斟酌してもらいたい。
 記憶の欠落は、事件の性質上、当然である。
(ここで、裁判長から、オーバーステイの事は良いのか、と言われ、オーバーステイの事についても若干読み上げる事になる)
 オーバーステイについては疑問の余地は無いが、東京事件を起こして逃亡中のため、在留期間の更新は出来ず、また、被告人は、日本に留学するための借金を返済する必要があった。結果は仕方がない。以下は省略する。
 Y2及びY3鑑定により、被告人は心神耗弱の状態にあった事は明らかである。
 Y2鑑定は、責任能力は限定責任能力としている。Y3鑑定は、被告人は抑鬱状態だったとして、限定責任能力であるとしている。両鑑定はあまり差は無いと考えて差し支えない。Y3鑑定人の方が経験豊富であるが、両鑑定の結果を素直に採用すべきである。Y3鑑定は信用性に欠けることは無い。横浜事件の時は、被告人は限定責任能力であり、減刑は当然である。
 被告人は、本国においても前科前歴はない。
 被害者に対して弁償が成されていないのは、被告人の経済力からして仕方が無い。
 本件は申し訳ない次第である。
 被告人は、小学校、中学校、専門学校において成績は優秀であり、性格は善良だった。
 横浜事件は、被害者から挑発されたものであり、被告人の責任能力には問題があり、刑を減刑すべきである。

裁判長「被告人、前に出て立ってください」
 被告人は、証言台の前に立つ。
裁判長「大分長い間審理をしてきましたが、最後に何か言いたい事があればどうぞ」
被告人「法廷で言うべき事は全部既に話してありますので、特に言う事はありません」
 被告人は、席に戻る。
 裁判長は、判決はかねて決めてあったように3月24日午前10時から、と述べ、公判は終了する。

 3時30分まで予定されていたが、公判が終了したのは2時45分だった。
 被告人は、論告、弁論の間、終始俯いていた。退廷する時に、弁護人に軽く礼をしていた。

事件概要  A被告は以下の犯罪を犯したとされる。
1:2001年5月23日、東京都豊島区のホテルで、同僚の中国人男性と口論になり殺害した。
2:2003年4月8日、神奈川県横浜市の精肉加工会社で、同僚のフィリピン人男性を殺害した。
報告者 相馬さん


戻る
inserted by FC2 system