裁判所・部 東京地方裁判所・刑事第五部
事件番号 平成17年合(わ)第531号
事件名 殺人等
被告名
担当判事 栃木力(裁判長)中尾佳久(右陪席)長池健司(左陪席)
日付 2006.3.2 内容 証拠調べ、証人尋問

 この日は、24枚の傍聴券が、先着順で配られた。
 この日も、開廷前、二人の職員が被告人の後ろの刑務官の両隣を固めている。
 被告人は、白い肌の持ち主で、白い厚手の服を着ている。相変わらず、ピクリとも動かなかった。
 検察官は、この日は4名いた。
 429号法廷で1時15分より開始される予定だったが、予定より若干早い1時13分から公判は開始された。

 検察官は、弁護人請求の証拠、83,84,85には同意する。『生育歴においては』で始まる段落、12ページの4,5については不同意。後は同意する。
 検察官は、証言を聞いた上で決定するとして、79,80については留保する。検察官の同意のあった証拠については採用される事となる。

弁護人「83は、読書感想文。84は、被告人の日記。85は、被告人の作成した図面です」

 続いて、証人尋問が行われる。証人は、X2氏。眼鏡をかけた小太りの中年女性だった。優しい声の持ち主。被告人に随分入れ込んでいるような印象を与えた。
 証人は、宣誓を行う。裁判官は、偽証罪について注意を行い、証人を証言台に座らせる。
 先ずは、眼鏡をかけた中年男性、ムラヤマ弁護人による証人尋問。

−ムラヤマ弁護人の証人尋問−
弁護人「意見書を作成していただきましたね」
証人「はい」
 弁護人は、何か注意をし、笑いが起きる。
 続いて、弁護人は、弁76号証を証人に示す。そして、証人の経歴を確認する。
 弁76号証には、一字だけ誤字があった。証人は、発達、認知心理学を専門としており、言葉の獲得を研究していた。弁護人は、答えが質問と重ならないよう、証人に注意する。
弁護人「被告人の発達課題について意見を求められ、被告人の言語表現から見た発達心理学、第二に、生育歴がどのように影響を与えたか、被告人にどのような補償教育が必要か、意見を求められましたね」
証人「はい」
 検察官は、今の部分ははじめて聞くので、繰り返すよう求める。
弁護人「発達課題については、1〜6ページに記載されていますね」
証人「はい」
 発達心理学は、分野として、非行の問題点、虐待された子供にその後どうすれば良いか、に分かれている。
弁護人「弁護人から提出された調書を見て、被告人についてどういう印象を持ちましたか?」
証人「非常に厳しい状況で育成された方だと思いました。幼児初期、2,3歳頃に、親に愛され認められる経験が希薄であり、少年期になっても人間として扱われていない。感情を抑圧している印象を持ちました」
弁護人「調書から伺える印象は?」
証人「調書を見ると、感情表現が少ない。感情表現が見られるのは、祖父にあてた手紙の、『おじいちゃんにとって大事な息子を殺してしまったのだから守らなくて良い』という部分だけで、それ以外にはありませんでした。ウェクスラー検査では、動作性能力が高く、物にしか興味を持たない、という印象を受けました。アスペルガー症候群とも思えました」
 ウェクスラー知能検査は、母親が実施した場合が一番高く出るらしい。また、少年の場合、言語性能力は低く出ていた。アスペルガー症候群の疑いについては、証人は、他の証人の意見書を見て、否定したらしい。
 被告人は、映像記憶が性格で、感情表現が乏しく、動作性知能が高い、という事で、図鑑タイプに分類される。他のタイプと図鑑タイプには、器質的な優劣は無い。
証人「図鑑型タイプのお子さんは、目の前のものに興味を向けます」
 母親が子供に応じてくれなければ、図鑑型タイプの子供が作られる傾向が強いらしい。
弁護人「意見書では、『15,6歳の子供の特徴として、能力のアンバランス、難解な言語を使う』とありますが、図鑑型タイプの特徴ですか?」
証人「ゲームをやっている子供は、難しい言語を大人と見られたいと思って使うので、図鑑型タイプに直ぐに結びつくわけではありません」
弁護人「図鑑型タイプの子供の場合、母親と子供の交渉の中で作られる場合もあるとおっしゃいましたが、少年と母親の関係にどう影響しましたか?」
証人「物に興味がある子供は、母親に訴えることが少ない。育てにくい事があるかも知れない」
弁護人「(証言に割り込むように)育てにくい?」
証人「はい」
弁護人「お母さんは、被告人の生後一年、養育ノートをつけていましたが」
証人「克明に育児ノートをつけることで、最初は、強迫的な所を持った人かと思いましたが、不安な気持ちをノートにぶつけていたのかも知れないと思いました。それに、男のお子さんは育てにくいんです。女子の方が母親の言葉に敏感で、夜泣きも少ない。男の子は、傷つきやすく、育てにくい。育児ノートをつけていたのは、何故泣き止まないのかと思っていたからかも知れません。これは、育児を助ける人が近くにいなかったのかも知れない」
弁護人「育児ノートが一年しか続かなかったのは何故だと考えますか?」
証人「諦めてしまったのかも。あるいは、少し楽になったのかも」
弁護人「お母さんは、少年に、ピアノ、英語を習わせていますが」
証人「長子であるので過度の期待を持っていたのか、自分の思いで押し付けていたのか解りません。しかも、イグアナや蛇と同室に置く事を考えると、愛玩、生き物として扱っていたのかとも思えます」
弁護人「少年の発達を考えていない」
証人「はい」
弁護人「今の愛玩の様な養育から、子供に手伝いをさせるような養育になりますが、子供に対する処遇としてはどうなのですか?」
証人「父に代わって全部寮の仕事をさせてしまえ。雑役ロボットのように扱われている様に感じました。少しでも人格の燐片を見せると、罵倒、冷笑を与えられる。厳しい状況で育っていると思いました。自尊感情が育たず、発達課題が超えられません」
弁護人「幼児期には、何が必要なのですか?」
証人「人として愛される事が必要です。離れてまた戻ってくることを、1歳から1歳半まで、子供はやります。それと、父親と母親との絆を体験する事が必要です。将来の人との関係に対しても大事に働きます」
弁護人「思春期の課題は?簡潔に述べてください」
証人「是非善悪を区別し、人の中で、自己実現していくモデルを身近に見る事が大事です」
弁護人「少年の場合、それが無かった」
証人「はい。それぞれの発達課題を乗り越える上では、非常に厳しい」
弁護人「少年の人格への影響は?」
証人「自尊感情を持てません」
弁護人「社会性への影響は?」
証人「良い人間関係を見ていないので、未熟なままであったと思います」
弁護人「両親を殺めてしまいましたが、まず、お父さんとの関係はどのようなものだったのでしょうか?」
証人「幼少期においては無関心。大きくなれば、蛇やイグアナと一緒に置いて、怖がるのを喜ぶ。思春期になると、ロボットのように扱い、人格の燐片を見せると、皮肉、罵声を浴びせる。ゲームも壊される。閉塞感を感じていたと思います」
弁護人「ゲームを壊す事はどのような影響がありましたか?」
証人「母親は守ってくれない。父親に、安心感をもてるゲームを壊される事で、次は自分がやられると思ったと思います」
弁護人「お母さんとの関係は?」
証人「最初は一生懸命育てようとしていたと思います。でも、うつ病、自殺年慮、衣類を清潔にする事もできなかったと。愛を求めても叶えられない。母親を気の毒に思っていたでしょうけど、少年もロボットのように扱われて、余裕は無かったと思います」
 少年は母親を楽にしてあげたいと思っていたかも知れない、とも証人は述べる。
弁護人「発達課題について、4ページの3−1で指摘していますが、どうでしたか?」
証人「アイデンティティを確立する時期ですが、自尊感情を無視されている状況で、将来こうなりたい、という発達動機も抱けなかったと思います」
弁護人「第二次思春期については?」
証人「個人差がありますが、発達初期に無視し続けられている」
弁護人「少年について、肥大した自己イメージ、とありますが」
証人「自尊感情は低いですが、自分を支えるために、自己イメージを肥大化させた、という所があったかもしれない。自己防衛のために出現したと」
弁護人「次の発達課題に移るために必要だったわけですか」
証人「はい」
弁護人「犯行から半年後に、『星の王子様』、『路上の弁護士』、『博士の愛した数式』を差し入れて、感想文を書かせていますが、犯行直後と比べて、どう思いますか?」
 証人は、少年の感情表現、文章の構成力にうたれた、と述べる。『星の王子様』を読んだ感想文に、『自分も刺を持っていたかも知れない』という自分をリフレクトしたような文があったらしい。また、『博士の愛した数式』を読んでの感想文には、博士やルートの愛情へ感銘を受けた事が説得的に書かれていた。『路上の弁護士』を読んでの感想文には、尊敬の念を抱いた事が書かれていた。
弁護人「感想文に表れた、家族関係への心情についてはどう見ますか?」
証人「父母の愛を求めても与えられず、父親は恐怖しか与えず、母親は心を向けてくれない。その中で、父母との絆を築けず、自分を愛する事ができなかった。だから、人のために働く事が書かれていたので、心を動かされたと思います」
弁護人「感想文に見られるような感情が、あまり犯行直後には見受けられなかったらしいが、その時は少年はどういう心境だったのでしょうか?」
証人「閉塞感、緊張の中に居た。そこから、自分を壊すものから開放された後、弁護人との接見の中で、心を溶かしていったと思います」
弁護人「その後の少年の状況について、犯行直後から感想文を書くまでの変化は、発達課題の上でどういう意味を持っていますか?」
証人「人として大切にされ、接見が繰り返される中で、生直しを図る。人として付き合ってもらう中で、自尊感情を育んでいると思います」
弁護人「育児放棄例をあげていますが、少年はどういうタイプですか?」
証人「人は信頼できず、自分を破壊するものというイメージを持ってしまっている。母性的な人の下で信頼を作る事が必要と思いました」
弁護人「弁護人との面会の中で、そういう事が出てきていると」
証人「そう思います。本を読んでいる内に、誰かの支えがあって立ち上がる事が解ってきた、と少年は述べています」
弁護人「不同意部分についてお聞きしますが、自らの罪を悔いて贖罪の念を持たせるのは、短期間で期待できますか?」
証人「どのような状況かに依ります。人に受け入れられる事が無ければ、管理的な中ではなかなかそういった事は起こらないと思います。母親については、楽にしてあげたという気持ちが強いかも知れない。何時かは、やり方が悪かったと思えるかも知れない。父親に関してはどうでしょうか。反省という形ではなく、行為の捉え直し、という意味では出来ると思いますが、生き直し、という意味では少し時間がかかると思います」
弁護人「終わります」
証人「一つ付け加えさせていただいてよろしいでしょうか。(2006年)2月28日の接見で言っていた事ですが」
弁護人「2月28日?」
証人「『今の自分の状況は、底なし沼でロープが垂れてきている状況で、這い上がれるように努力しなければ』と言っていました。自立支援所で、対応の出来る所で這い上がれる力をつけていって欲しいな、と思います」

−検察官による証人尋問−
検察官「先ず、証人の方で、弁護人に最初に接触されたのは何時ですか?」
証人「1月・・・12月・・・」
検察官「証人の記憶でいいですよ」
 弁護人達は、恐らくは尋問の様子を笑った。
裁判長「弁護人、静かにしてください」
検察官「何時ですか?」
証人「去年の暮れですね」
検察官「どういう経緯で意見書を書くことになりましたか?」
証人「少年の事件があって、これについて意見書が欲しい、と言われて、調書を送っていただいて読みました」
 12月の始め頃の事だったらしい。
検察官「依頼を受けるにあたって、少年の刑事裁判はある程度進んでいたと知っていましたか?」
証人「はい。具体的な中身については存じ上げませんでした」
検察官「弁護団は、少年院に入れるほうが良い、という方針だったと知っていましたか?」
証人「伺っていません。ダンボール入りの試料を送られて、意見を求められました」
検察官「今も方針は知らない?」
証人「恐らく、専門家の居る少年院と考えていると思います」
検察官「弁護人がそう考えていると、そう、証人は考えている」
証人「はい」
検察官「証人も同意見ですか?」
証人「一致したと思います」
検察官「依頼された事項は、どういう形で依頼されたのですか?」
証人「先ほど、検察官が反復していた三点の観点から訂正して欲しいと依頼を受けました」
検察官「意見書を見ると、先ほどの三点について、はっきりとはどこにも出てきませんが、どういう・・・・明確に依頼されましたか?」
証人「成育歴を特に解説してほしいという依頼で、最初は文書による依頼ではありませんでした。最初は、どうやって社会復帰できる会見を求めに来ました。私は、檻の中に閉じ込められていた子供の治療にも携わっていたので、少年が世界の被虐待児のどのタイプに似ているか、意見を求められました」
検察官「先ほどの、檻に入れられた子供、というのは、何歳まで入れられていたのですか?」
証人「5〜6歳までです」
検察官「日本の事ですか?」
証人「日本です」
 その事件に関しては、産経新聞が最初に報道したらしい。閉じ込められていた子供達は、5〜6歳になっても首が据わらず、言葉も喋れない状態だった。3人が閉じ込められていたが、1人は死んでしまった。6歳でも体格は1歳並だった。1972年10月に子供達は発見されたが、結局刑事事件にはならなかったらしい。
検察官「直接面談したんですか?」
証人「はい」
検察官「医師としての資格は持っていない」
証人「いえ、持っていません」
検察官「意見書を拝見する限り、結論がはっきり出ていないので理解しにくいのですが、単純化して言うと、少年は、発達課題は未成熟で、対人関係に慣れていないという事でよろしいですか?」
証人「事件を起こした直後は、です。その後、印象は変わりました」
検察官「事件前の発達課題として書いているのですか」
証人「はい」
検察官「『家族の対人関係が上手く作れず、社会的に孤立している』とありますが、中学時代には友人が居て、祖父母とは上手くいっていましたが」
証人「密度の問題ですね。心の中を打ち明けるほどの友人だったのかどうか」
検察官「どの程度の深さかは解らないが、友人はつくっていたと考えている?」
証人「そうですね」
検察官「1ページのほうで、少年の読書感想文について書いていますが、少年は知能が高く、ナイーブで、人の気持ちにたって考えられて、可塑性がある、と書いていますが、対人関係が上手く作れない、というのと矛盾していますが」
証人「事件直後の封殺された中で行った行為、その後の、弁護人とのかかわりの中で、ゲームの中で培ってきた対人的なやり方。豊かな面も持っていたと思う。そうしたものを抑圧していたとしても、このような時期に、1月、2月の聴取書を見て、感情が表れていてびっくりしました」
検察官「拘留中に、良い点が出ていると」
証人「そうです」
検察官「8ページの、精神的な未熟性に関してですが、何に由来するのか、という所では、少年が図鑑型タイプの気質を持っているのと、親の養育によると」
証人「親の養育が大きいと思っています」
検察官「ワーキングモデルにおける、幼児期、思春期の親とのかかわり」
証人「そうです」
検察官「それらの時期に、少年の自尊感情の形成にとって最悪だったと。母は放棄し、父は使役をしたと」
証人「実際には人格を壊されるような・・・・」
検察官「質問に答える形にしてください」
証人「はい」
検察官「一歳半から二歳半の頃は、母との関係」
証人「はい、主として」
検察官「育児放棄が始まったと考える根拠は何ですか?」
証人「育てにくい子供だったかも知れない、と推測したわけです。またかなり最初から鬱病の傾向を持っていたかも知れない」
検察官「8ページ目では、育児放棄を断定していますね」
証人「はい」
検察官「証言と書面に開きがあると思いますが」
証人「断定しているのではなく、鬱症状を併発していると考えられる時点から、という意味です」
検察官「平成15年3月頃に事件時の寮に移った時点で鬱になったかもしれない、とムラキ証人は言っていますが、先生もそう考えていますか?」
証人「だと思います」
検察官「生後一年から十五年まで相当飛んでいますが、育児放棄があったという根拠は?」
証人「診断書は無いし、聞く事もできませんが、自尊感情を考え、育児ノートの無い事を考えると、母子関係が少し変わったのかな、と思いました。育児ノートをつけなくなって、母親の生き方が変わったのではないか、と推定しました」
検察官「幼児期の育児放棄については、推測を重ねているように思えますが」
証人「そうですね、それしかないですから」
検察官「『育児ノートを几帳面につけたのは普通ではない』とも書いていますが」
証人「普通ではない、というのは書きすぎですが、育てにくい所があったのかな、と。プラスマイナス両面で考えました」
検察官「一生懸命育児をやっているからノートをつけるかも知れない、とお認めになりますね」
証人「はい」
検察官「幼年期の育児放棄については解りました。お母さんが鬱状態を示したのは平成15年3月からという事ですが、それ以降は、完全な育児放棄だったという事ですか?」
証人「はい」
検察官「その根拠は?」
証人「うつ病になった人の家族への接し方のケースが沢山ありますので、そこから推測しました」
検察官「少年のお母さんが鬱病的症状を発生して、完全に育児放棄をしたと?」
証人「それだけとは限りません。夫と上手くいかない・・・・」
裁判長「根拠を聞いているんです。鬱病以外に根拠が?」
証人「夫との関係もあるかもしれません」
検察官「養育の完全な放棄があった、というのは、具体的なエピソードがあるのではなく、鬱病だと」
検察官「少年に、ピアノ、英語の学習をさせたことに対し、ペットのように育てた、と、厳しい表現をしていますが」
証人「イグアナ、蛇と同室に置く。早期教育に走る親は、自分の子供を思うようにしておきたい。イグアナ、蛇と同室において、少年が怖がるのを見て楽しんでいる事を考えれば、思い通りにしたいと思っていたかも知れません」
検察官「そういう親もいると」
証人「はい」
検察官「少年をイグアナ、蛇と一緒に住まわせる事に関してですが、少年も、イグアナ、蛇を可愛がっていた事はご存知ですね?」
証人「一番最初に入れられた時から可愛がっていたとは思えません。怖がるのを面白がっていた、という記述を見ると、怖がっていたと思う」
検察官「そこから、両親が少年をペットのように飼っていたと言う訳ですか」
証人「適切な表現ではなかったと思います」
検察官「適切なものではないと認めるのですか?」
証人「生き物として扱う、と書くべきでした」
検察官「雑役ロボットも、心理学的な用語ではありませんね」
証人「違います」
検察官「ロボットのように扱われている、というのは、どのような点について言っていますか?」
証人「寮の仕事を全部させる、という事ですね。父親が、仕事を全部させて、終わっていないとファミコンを割っている」
検察官「お父さんが仕事を全部やらせていると?」
証人「外に行く前に風呂の掃除を全部やっておけ、と言っていますし」
検察官「お父さんが全部やらせていると?」
証人「かなり、ですね」
検察官「全てではない?」
証人「はい」
検察官「弁護人の接見によると、少年の夏休みの生活は、朝8次に起きて、掃除をして、12時〜4時まで自由時間、4時からお母さんの手伝いをして、夜はテレビを見ていますね。このような生活も使役だとおっしゃるのですか?」
証人「時間の長さではなく、仕事のさせ方です。たくさんの仕事をさせているのも異常に思いました。ちょっと助けて、というやり方では無かったです」
検察官「社員寮が住居になっていたことを考慮して言っていますか?」
証人「はい」
検察官「そのほかの点について、少年がお父さんに対してした行為に対して、反省するのは難しい、と言っていましたね」
証人「言いました」
検察官「難しい・・・・・」
証人「やっと解放されたんですから」
検察官「ニュアンスを聞くと、反省する必要は無い、という事ですか?」
証人「生命をなくすのは短絡的だったと思います。でも、自分が壊されそうになった時に最後の抵抗をするのも、反省する必要があるかは解りません」
検察官「自己防衛は反省する必要が無いという事ですか?」
証人「命を奪ったのは短絡的だったと思います」
検察官「仕方が無いと?」
証人「常にそういう行為に出て許されるとは思いませんが」
検察官「・・・・・児童養護施設の中でケアを受けるのが望ましいという事ですか?」
証人「はい」
検察官「刑務所の中で集団生活を受けるのは適切でないと?」
証人「はい」
検察官「施設に送る必要すらない、と書かれていますが」
証人「そうですね・・・・・、専門家のケアを受ける事ができるのはどこだか解りませんが。ウェクスラーの測定よりも高い知能を持っていると思いますし、本を読んで埋め合わせが出来るので、そういうことも考慮されると良いな、と思いました」
 証人は、不良少年の質が80年代初期とは変わっている、と述べた。少年が母性を持った人と関われる施設に収容されるのが望ましい、とも。
検察官「証人の中では、二人の命を奪った償いをしていく必要がある、行為の償いの必要性は、感じていないのですか?」
証人「父と母は感じが違います。母に対する殺害は、助けてあげたいという考えが強いと思います。父親に対する殺害は、反撃だったと思う。父親に対して気の毒だった、と思い至るためにも生直しが必要だと思います」
検察官「生き直しにはどのような処遇が相応しいと?」
証人「人とのかかわりの中で自尊心を取り戻す。読書を通して自分の行為の省察はやって欲しいと思います」

−弁護人の証人尋問−
弁護人「少年には高い能力が見受けられると」
証人「はい」
弁護人「対人関係が未熟というのと矛盾する、と言われましたが、発達課題は克服されつつあるのか、まだ未熟性は残っているのか」
証人「後のほうです。犯行時は閉塞間の中に居た。弁護士との接見などの中で身につけてきたものをしっかり身に付けていく事が必要だと思います」
弁護人「未熟性はまだ残っている」
証人「はい」
弁護人「お母さんの育児放棄については、発達課題の状況を踏まえて、少年の生育歴の中で推測した中で、そういう問題があり、ノートの事もそう考えられるという事ですか?」
証人「そうです。有難うございます。先ほどは上手く説明できず。まさにその通りでございます」
 証人尋問は終わり、証人は証言台から去る。
 検察官は、証拠の不同意部分については、証拠に基づかず意見を記載したものに過ぎない、と述べる。

 休廷後は、遮蔽措置をとって、少年の伯父、叔母への質問が行われることとなる。
 3時3分から3時30分まで休廷となった。

 再入廷が許されたときには、証人は傍聴席、被告席からは衝立で遮られていた。傍聴人は、休廷前より少なくなっていた。
 証人は宣誓を行ない、裁判長は偽証罪について注意を行なう。証人の声は高く、どうやら被告人の叔母さんらしい。証人は、饒舌でやや早口で喋る女性だった。

−ワタナベ弁護人の証人尋問−
弁護人「貴方を証人、被告人を少年、両親を父母と言います」
証人「はい」
弁護人「両親から子育てのことで相談はありましたか?」
証人「全くありませんでした。母は聞かれたくない様子でした」
弁護人「少年とは、どれくらい会っていましたか?」
証人「休みや、ゴールデンウィークに。正月には会っていました」
弁護人「少年はどんな子供でしたか?」
証人「反抗したり、不貞腐れたり、へそを曲げたりした事は無く、怒った事も無く、年下の従弟の面倒を見て、えらいな、と思いました。食事が終わるとおばあちゃんの食事を片付けるので、偉いな、と」
弁護人「少年から親の悩みを相談された事もないのですか?」
証人「はい」
 母親は、少年の学校の事も話さなかった。
弁護人「少年が話したことで何か記憶に残っている事はありますか?」
証人「私の子供が、母方の祖父母の所に泊まりに行った時に、少年が『生き物がいる』と言っていました。おじいさんのテレビがかかっていて良く聞こえませんでしたが、生き物がいる、と」
弁護人「少年が、祖父母の所に骨休めに来ている、といった記述がありますが、そうした事を聞いた事はありますか?」
証人「あります」
 友達に会いたくないのかと聞いた所、少年は、「骨休めに来ている」と言っていたらしい。
証人「事件を知った時、信じられませんでした。よっぽどの事が、家の中で大変な事があったんだ。真実が知りたい、と思いました」
弁護人「警察から少年の事で何か言われたことはありますか?」
証人「『良くここまで耐えた。普通の子ならとっくに切れている』と言われました。他の人からは、よく気のつく良い子、と言われていました」
 少年の母親は、元々痩せていたが、事件の二年前からますます痩せてきたらしい。新年会の時の鍋もあまり食べなかった。
弁護人「正月には、祖父母宅に親族が集まっていた。母の様子は同でしたか?」
証人「大人しい人でしたが、部屋の側で正座して、醤油とかをすぐに取りに行ける様に待機していました」
弁護人「平成14年に兄弟の結婚式がありましたね。少年の家族は出席しましたか?」
証人「しませんでした」
 学生服の採算があった為出席しない、と答えがあったらしい。
弁護人「欠席について、少年に確認したことはありましたか?」
証人「ありました。前は、『僕は何々家の代表なんだ』と元気いっぱいで来ていました。でも、今回、制服の採算がこの時期あるかな、普通は子供が大きくなることを考えて時期をずらす筈なのに、おかしいな、と思いました。拘置所で、少年にその事について聞いた所、『母が行きました』と言いました。母は一日家を空けていたと」
弁護人「母は、事件の二年前から痩せて、結婚式にも理由不明に欠席した。他に気になった事はありますか?少年の関係者のことで、年賀状の事は?」
証人「平成14年の年賀状ですが、平成11年に父が亡くなったのですが、その時は普通でした。平成12年には私の父が亡くなったため、年賀状はありませんでした。平成13年には、太ペンで、謹賀新年、と書いてありました。平成14年には、私の名前の下に、様、とついていませんでした。几帳面なのに、どうしたのかな、と思いました。平成15年には、少年の名前が消えていました。平成16年には、父の名前だけとなり、平成17年には、年賀状はありませんでした。不幸は何もないのに」
 年賀状の字は、全て少年の母親の字だった。
弁護人「事件の2年前から元気がなくなったように感じていたわけですが、貴方の方で母に何か聞きませんでしたか?」
証人「聞けませんでした。寮の仕事をはじめた頃から段々痩せてきました。元々太っていた人には、ダイエットに成功したの?と聞けますけど、痩せた人には聞きにくかった」
弁護人「親族の集まりには、少年の父は来ましたか?」
証人「一度も来ません」
弁護人「他の家族は、家族全員で来ている」
証人「はい」
弁護人「来ない理由は尋ねましたか?」
証人「はい。ドアの調子が悪く、家に帰らない人も量には居るので、帰れない、と、妹・・・・母から聞きました」
 証人が寮に行った時には、ドアの調子は悪くなく、そんなに悪くないじゃない、と思った。
弁護人「来ない理由は、どう思いましたか?」
証人「親戚付き合いをしたくないのか、と思いました」
弁護人は、少年の七五三の時の事も質問した。
証人「少年の母は嬉しそうで、父は連れてこられた感じでした。少年は、両親が座った・・・・、炬燵がありましたが、父が座って、母、その隣に座っていました」
 その時の父と母の話は世間話のみで、少年を育てた苦労話は無かった。
 また、少年は、小学校高学年の時に、イギリスに留学している。その時、証人は、お土産を祖父母宅経由で貰った。母親は、少年の留学の事について、留学から帰ってきて、空港に着いた時、少年はホームシックになっていたのか、唇を舌の先で舐めており、そのために唇は出血し、チョコレートのように変になってしまっていたので笑ってしまった、と証人に電話で話した。
弁護人「それを聞いてどう思いましたか?」
証人「10歳になると、人と違う容姿を笑われるのは傷つくと思う」
弁護人「母は70万円かけて留学させましたが、教育熱心と感じましたか?」
証人「感じませんでした。あまり学校の事も良く知らないようでした。教育熱心ならば、学校で何をしているか気にすると思います」
 留学がちぐはぐ、という質問に対し、検察官は異議を唱える。
弁護人「母はどういうつもりでイギリスにやったと思いますか?」
証人「同じ塾の子が行っているなら家も、と見栄を持ったと思います。家族旅行に行った事もないし、イギリスに親戚がいるわけでもないし、親が向こうで会う事も無いのに、思い切りが良いな、と思いました」
 証人が知っている限りでは、少年の家は家族旅行をしたことは無いらしい。
弁護人「少年の家族の話について、何か思い出せることがありますか?」
証人「このこの名前を言って、『何々は後片付けするんだよね』と言った時、この子も側にいて、何も反対しなかったんですよね。親の都合で決めてるのかな、と思いました」
弁護人「調書では、『母は、少年に対しては解らないが、世間一般でいう母親だったと思います』とあるが、今の話と食い違いますが」
証人「事件の事を知った時、父は鉄アレイで頭を殴られて殺されていましたが、まるで、私が頭を殴られたような気持ちで、よく振り返って考える事ができない気持ちでした」
 証人は、時間が経ってから、少年の家族について、あれもおかしい、と思い出した。
弁護人「逮捕されてから、何回面会に行きましたか?」
証人「4回です」
弁護人「手紙のやり取りは?」
証人「しています」
弁護人「何通?」
証人「15通ぐらいですね」
 少年と面会した時は、最初は少年に気付くことができず、少年がいないと思った。少年に気付いた時、何か生きているけど人間ではないように見えた。
弁護人「どういう話をしましたか?」
証人「謝っていました。みんなに迷惑をかけたくないので一人でやっていきたい、と話していました。一人では生きていけない、住み込みでやっていきなさい、家も無いのよ、と言うと、家は(聞き取れず)と、ぼそぼそっと言っていました」
 現在は、少年は成長している、と証人は感じているらしい。
弁護人「あなた方夫婦で少年の面倒を見ていきたいと言っていますが、抵抗はありませんか?」
証人「ハードルはあると思いますが、この子は良い所をたくさん持っていたけど、親が気付かなかった。少年は保育士がむいていて、励ましたら、勉強を一生懸命やったと思います子の子には問題が無いと思う。苦しい時も支えていきたいと思います」
弁護人「ご主人と話し合って決めたことですよね」
証人「はい」
弁護人「終わります」

−検察官の証人尋問−
検察官「弁79号には、『事件当時住んでいた所に行ってから生活が苦しくなったとは解らなかったです』とありますが、そういう認識ですか?」
証人「・・・・・・・」
検察官「生活が苦しくなったという認識ですか?」
証人「警察に言われて現場を見たんですね。食器のサイズは半分で、食卓も安っぽくなっていました」
検察官「そういうことで、生活が・・・・・」
証人「後、パソコンも」
検察官「質問が終わってからにして下さい」
 証人は、母親がピンクのセーターを着ていたのが珍しく思えたらしい。
検察官「少年の父は、母方の祖父母とあまり付き合いが無かったという話ですが、少年の両親が母方の祖父母と同居する話は出ていた」
証人「同居というより、家を継ぐ、ですね」
検察官「要は、少年の祖父母の敷地内に家を建てて、少年の両親も其処に住むというものであり、少年の父も乗り気だったと」
証人「はい。でも、家の建設のことで、建てられない、と言われた時に、『建てられる』と父に少年の父が食って掛かったんですね」
検察官「それはいいです。少年に全ての責を負わせることが出来ない、というのは、証人の考えた言葉ですか?」
証人「はい」
検察官「何故ですか?」
証人「両親の育て方に問題があった。私達は良いところばかり見ていた。寮の管理人の子なので、職場内に家があり、何度も引越しをしている。好ましくなかったと」
 近所とのコミュニケーションも取れなかった、と述べる。
 証人は、前から、少年の父母が管理人をするのは早いと思っていた。少年の父は、管理人になるまで、定職についた事がなかった。結婚して子供がいるにしては定職の無い状態だった。少年の父は、同世代と肩を並べて働くのが嫌いなように思えた。
検察官「少年の成長にはあまり良くなかったと?」
証人「はい」

−弁護人の証人尋問−
弁護人「今の質問で、少年に事件の責を全て負わせることが出来ない、という事ですが、父の職だけが理由ですか?」
証人「よく解らないんですけど・・・・・・」
 弁護人は、再び質問する。
証人「親の養育にも問題がありました」
 両親が同居する話になったのは、証人が同居できなくなったからであり、祖母は、娘と同居できるので喜んでいた。その後、同居の話が出た後は、少年が祖父母の家に行っている時には、父は迎えに来るようになった。それまでは、少年は祖父母宅まで、雨が降ろうと、一時間かけて歩いていっていた。

 白い大きな衝立で遮られて、証人は退廷する。
 次の証人が入廷する。同じように、衝立で遮られ、証言を行なうこととなる。声が太いので、少年の叔父と思われた。

−ムトウ弁護人の証人尋問−
弁護人「弁117号証を示します」
検察官「留保となっていると思います」
 結局、質問は行なわれる。
弁護人「この陳述書の何処が間違っていますか?」
証人「少年の面会は、3回ではなく4回です」
弁護人「証人は、家裁での少年審判に、奥さんと出席した」
証人「はい」
弁護人「少年の後見人にもなっていますね」
証人「はい」
弁護人「後見人を引き受けた理由は何ですか?」
証人「兄弟の残した子を、私が面倒見ようと言う理由です」
弁護人「少年に、恨みはありませんか?」
証人「ありません。寧ろ、二人ともかわいそうだと思います」
弁護人「何故?」
証人「いろいろな所から話を聞き、気付いてやれなかったのが申し訳ない」
弁護人「色々な所から聞いた話とは、弁護人や親族から聞いた話ですか?」
証人「はい」
弁護人「現場に行って気付かれた事は何かありますか?」
証人「薄暗い所で生活していたのに気付きました。非常に可哀想だと思いました」
弁護人「貴方の家族は、少年の後見人になることについて、貴方の家族は賛成しましたか?」
証人「賛成しました」
 証人は、少年とは、新年の家族会で、年に一度顔合わせをしていた。少年に対しては、優しく、小さい子供に対して面倒見がいいと思った。その当時、少年は、10歳とちょっとぐらいだった。
弁護人「今回の事件後、少年とは何回会っていますか?」
証人「二回ほど会っています。鑑別所と・・・・・」
弁護人「拘置所?」
証人「拘置所です」
弁護人「鑑別署であったのは、審判のときですね」
証人「はい」
弁護人「少年は、どんな様子でしたか?」
証人「下を向いて、申し訳なさそうな雰囲気が伝わってきました。妻と話をする際は、打ち解けた、優しい子だな、と思えました」
弁護人「優しい、というのは、どんな所で思えましたか?」
証人「私に対して、申し訳なさそうな態度でした」
弁護人「正式に後見人になった後、どのように少年と関っていこうとお考えですか?」
証人「先ず、心療内科の先生に面倒を見てもらい、コミュニケーションを取れるようにしたいと思います。その後、学校に行かせてやりたいと思う」
 少年とは、家族として一緒に住みたいと考えている。同居に関しては、妻も認めていると思っている。
弁護人「何処かの施設を出てきて、成人になってかなり年数がたっていた場合は、どのように関っていくつもりですか?」
証人「少年のやろうとする事を後から協力していきたい、という事と、早いうちに出てこれるのなら、学校に通わしてやりたい」
弁護人「少年が出て来た時、成人として相当年数がたっている時、具体的に何か考えていることはありますか?」
証人「はい・・・・できる限り協力したいと思っています。ですが・・・・年齢が・・・・え・・・・」
弁護人「あの、迷わなくて結構です。思うままに答えてください」
証人「頭の中が真っ白になっちゃって、申し訳ないです」
 証人は、かなりあがっているらしい。
弁護人「少年を引き取るに当たって、不安に思うことはありますか?」
証人「心無い方の声や行動が私どもに及ぼす影響を考えると心配です」
弁護人「裁判所に伝えておきたい事がありましたら、仰ってください」
証人「家裁審判の時に、少年だけが悪い、と言う言葉で私は受け止めていましたが、家庭環境が悪かったと思っています。少年の更正を願って、皆さんに協力をお願いしたいと思います。自分の子供としても、兄弟の味を教えてやりたいと思っています。無くなった兄弟も、それを望んでいると思います」
弁護人「他の親族は、少年に対する処分はどう望んでいると思いますか?」
証人「刑罰ではなく、これから先の事を考えていることは、親族みんな一致していると考えています」
 家族や親族に関することについてはこの場では許して欲しい、と証人は答えた。
 検察官は、弁護人の質問の趣旨が解らない、と述べ、弁護人はそれを突っぱねた。
 証人は、弁護人の質問は、金銭面に関することと理解していたらしい。

−タカオカ弁護人の証人尋問−
弁護人「先ほど証言された中で、少年を心療内科に通わせたいと言いましたね?」
証人「はい」
弁護人「具体的には?」
証人「生活の中で、悩みが発生すると思います。そういう時に、専門の先生の意見を聞き、やっていこうという事です」

−検察官の証人尋問−
検察官「証人自身は、亡くなられた妹さんと生前どういう付き合いでしたか?」
証人「・・・・どういう?」
検察官「どの程度とか、連絡の頻度とか」
証人「先ほど述べたように、新年に会う時と、子供の入学祝、お中元程度の付き合いですが」
検察官「小さい頃は?」
証人「とても優しい、真面目な子だと思っていました」
検察官「仲良くしていた」
証人「はい」
検察官「大きくなってからは、年に何回会う程度だった」
証人「はい」
検察官「事件の事はどのようにして知りましたか?」
証人「妻から仕事場に電話が入りまして、それで知りました」
検察官「少年の両親が殺されたと聞いたのですか?」
証人「ガス爆発で心中、という報道だったと」
検察官「殺されたと、何時知ったんですか?」
証人「警察署に行って、刑事さんに聞いたと思います」
検察官「衝撃を受けた」
証人「はい」
検察官「犯人が少年と知ったのはどの時点ですか?」
証人「その時点では、まだそういう話は出てきませんでした」
検察官「知って、どういう気持ちでしたか?」
証人「・・・・・非常に悲しい気持ちになりましたね」
検察官「複雑な心境だったと理解して宜しいですか?」
証人「そうです」
検察官「親族の人の、少年への処分についての気持ちは一致していると思う、と言われていたと思いますが、どういう点で一致しているのですか?」
証人「刑罰を・・・・唯一考えてもらいたいのは、少年はまだ若い年齢であり、更正の方をお願いしたい、という事ではないですか?」
検察官「一致して、と思っている根拠は?」
証人「親族ですから・・・・」
検察官「聞いて回ったんですか?」
証人「聞いて回ってはいませんが」
検察官「証人はそう思っている?」
証人「はい。でも、電話の話では・・・・、いや、確認はしていません」
検察官「二人がかわいそうとは、母と、少年?」
証人「そうです」
検察官「どういう気持ちですか?」
証人「私が思うには・・・・、少年は、不本意な労働をやらされて、本業をやらせてもらえなかったと」
検察官「不本意な仕事とは、寮の仕事ですか?」
証人「そうです」
検察官「生前、少年の両親から聞いて認識しているわけではない」
証人「そうです」
検察官「証人にとっての妹さん、少年にとっての母がかわいそうとは?」
証人「それは・・・・」
検察官「少年が加害者の立場にある。可哀想という意味を教えてください」
証人「私が思うには・・・・・・・、大変申し訳ないが、これを述べる事は、互いに印象が及ぶので、勘弁してください」
検察官「最後に、少年が、少年院か刑務所に入る事になっても、証人は、帰りを待っていると言っていましたね」
証人「さっきも言いましたように、家族という気持ちで、学校とか、社会に、最低限必要な事は出来るのではないかと思います」
検察官「どういう期間でも、証人は待っているという気持ちですか?」
証人「はい」
検察官「終わります」
 白い大きな衝立で傍聴席と証言台は遮られ、証人は退廷する。退廷が終わり、両方の衝立は取り去られる。

 弁護人請求の証人X3さんについては、検察官は次回までに態度を決めるらしい。
 検察官の、少年の同級生関係の証人請求に対しては、調書の供述者を証人請求する。立証趣旨は、少年の犯行後の言動など。弁護人は、もし採用されるならば、期日外尋問を求める。意見としては不必要らしい。同級生は証人として採用されるが、弁護人は、遮蔽措置だけでは不十分であるとして、非公開の期日外尋問を求める。
 次回は、甲27号証関係の同級生の少年を調べることとなる。そして、検察官から不必要とされたタカオカ証人を採用して調べることとなった。
 また、検察官の不同意部分の証拠を採用する。検察官は、それに異議を唱え、弁護人は、「専門家としての知見を元に意見を述べたもので、鑑定書に当たる」と主張する。検察官の異議は棄却される。意見書は、「証人が持って帰ったので(笑いが起こる)後に届けます」と弁護人は述べた。
 同級生への反対尋問は、検察官が30分、弁護人が40分となり、尋問する証人は同級生が先となる。
 次回は、3月24日1時15分からに指定される。内容は、少年の同級生とタカオカ証人の証人尋問である。
 5時まで予定されていたが、4時58分に公判は終わった。

事件概要  少年は2005年6月20日、東京都板橋区で長年の父親への不満をきっかけに両親を殺害し、住んでいた社員寮をガスで爆破したとされる。
報告者 相馬さん


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