裁判所・部 | 東京地方裁判所・刑事第三部 | ||
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事件番号 | 平成14年合(わ)501号 | ||
事件名 | 住居侵入、強盗殺人、出入国管理及び難民認定法違反 | ||
被告名 | 陳文貴こと謝建松こと謝依俤 | ||
担当判事 | 成川洋司(裁判長)柴田誠(右陪席)牛島武人(左陪席) | ||
日付 | 2006.2.16 | 内容 | 証人尋問 |
傍聴人は、私を除いて十数名居た。 この日は、弁護人は小太りで眼鏡をかけた大熊弁護人一人だけだった。 検察官は、眼鏡をかけた2,30代の男性と、眼鏡をかけた20代ぐらいの女性一名ずつ。 男性の検察官と大熊弁護人は、開廷前に書類を見ながら何か話していた。 被告は、短い髪を七三分けにした、20代ぐらいの痩せた男性。眼鏡をかけていて、ごく普通の、どちらかといえば真面目そうな容貌の持ち主。上半身は黒いジャンパー、下半身はジーンズといういでたちで、赤いハンカチを持って入廷する。開廷前には、弁護人と少し話をしていた。 本日は、被告の親族に対する証人尋問が行われる。 弁護人は中国まで行き、被告人の情状報告書を作成する。検察官は、報告書の14ページまでは同意するが、他に関しては不同意。同意のあったもののみ採用される。 弁護人「内容は、弁護人が昨年中国へ行き、被告人が生まれた家について調査した内容が書かれています。趣旨は、被告人の出生地である福建省について」 検察官は、不同意部分は、伝聞に当たる、と述べる。遺族の調書についても一部不同意にされており、嘆願書については、確認できない、と述べる。 裁判長「とりあえず現段階では、証人尋問を行うことにします」 最初の証人は、被告人の姉。二人来ている証人のうちの一人。ウェーブがかった長い髪の持ち主だった。 裁判長「名前は?」 証人「X2と言います」 裁判長「職業などは、書いていただいた通りですか?」 証人「はい」 証人は宣誓を行い、裁判長は偽証罪の注意を行う。 −X2証人に対する大熊弁護人の証人尋問− 弁護人「貴方は、シェ・イーディの姉?」 証人「そうです」 弁護人「四人兄弟で貴方が一番上」 証人「はい、そうです」 弁護人「家族構成についてお聞きしますけど、貴方が生まれた頃の家族は両親祖父母がいた」 証人「はい」 弁護人「それで、シェ・イーディを含む三人の弟、妹が生まれた」 証人「四人です」 弁護人「お祖父さんの仕事は?」 証人「運送の仕事をしていました」 弁護人「港で物を運ぶ仕事?」 証人「はい、そうです」 弁護人「お祖母さんのお仕事は?」 証人「主婦です」 弁護人「内職はやっていましたか?」 証人「母が商売をやっている時、それを手伝っていました」 弁護人「お父さんの仕事は?」 証人「漁業です」 弁護人「魚を捕りに行く?」 証人「はい」 弁護人「お母さんのお仕事は?」 証人「主婦です」 弁護人「内職をしていたということですね」 証人「おやつを売っていました」 弁護人「貴方の家は、この付近は漁村ですか?」 証人「はい」 弁護人「漁業は何パーセント?」 証人「85パーセントです」 弁護人「近くに海があるんですか?」 証人「はい、そうです」 弁護人「貴方が生まれた頃の家の状態は?」 証人「私が生まれた頃は中流でした」 弁護人「持ち家?借家?」 証人「借りた家です」 弁護人「家具はありましたか?」 証人「ありませんでした」 弁護人「お父さんやお祖父さんの収入は?」 証人「私は幼かったので解りません」 弁護人「貴方の小さい頃、食べ物はどうしていた?」 証人「父親が漁師をやっていたので、売り残ったものを食べていました」 弁護人「品質的には良くないものですか?」 証人「良くないでした」 弁護人「それ以外におかずは無い?」 証人「かなり少なかったです」 弁護人「貴方が何歳までそういう状態が続いた?」 証人「私が小学校を卒業するまで」 弁護人「貴方と、シェ・イーディの年の差は?」 証人「四歳です」 弁護人「子供達の衣類はどうやって調達していましたか?」 証人「以前は、下の子が上の子のお古を着ていました」 弁護人「貴方の服を下の妹さんに着せる?」 証人「はい」 弁護人「貴方の服は如何調達を?」 証人「母が縫ったり、近所の子のお古を貰っていました」 証人「シェ・イーディの服は?」 証人「私のお古を着る事も」 弁護人「近所から貰ったりは?」 証人「それもありました」 弁護人「新品を買ってもらう事は?」 証人「ほとんどありませんでした」 弁護人「家具は手に入った?」 証人「父が作ったもので、椅子や、板で作ったベッド板しかありません」 男性の検察官が、被告人の生育暦について詳細すぎる、犯行に関することについて早急に入って欲しい、と述べる。 弁護人「四歳下ということで、証人の経験を聞いているだけです。時間内に終わると」 検察官「被告人の関係で聞かれるわけでは?」 弁護人「被告人の生活状況の立証につながると」 裁判長「その上場に焦点を当てて聞いてください」 弁護人「貴方とシェ・イーディは何時まで一緒に住んでいましたか?」 証人「私が結婚するまで」 弁護人「何時結婚しましたか?」 証人「21歳の時に結婚しました」 弁護人「1994年ごろ?」 証人「はい。1994年です」 弁護人「そうすると、この・・・・貴方とシェ・イーディが一緒に暮らしていた頃、家に電化製品はありましたか?」 証人「ありませんでした」 弁護人「照明は使っていましたか?」 証人「私が生まれた頃には電気はありませんが、小学校に入り、8,9歳の頃には電気があるようになりました」 弁護人「それからも電気はあまり使っていない」 証人「はい」 弁護人「電化製品は何時頃入った?」 証人「私が17歳の頃。白黒テレビでした」 弁護人「それは、買ったものですか?」 証人「父が運送の仕事をしていた時に買ったもので、香港に行った時に買ったと思います」 弁護人「貴方の家庭は、その、生活は楽ではなかった?」 証人「はい。苦しかったです」 弁護人「どうして生活は苦しかった?」 証人「父の漁業の景気が悪かったです」 弁護人「貴方も家計の手助けをしなければならない?」 証人「多少は手伝わなければ」 弁護人「貴方は、中一で学校を辞めている」 証人「はい」 弁護人「働き始めた」 証人「網を織る仕事を始めました」 弁護人「中一の時、貴方はいくつでしたか?」 証人「13です」 弁護人「被告人は9歳」 証人「はい」 弁護人「働いて家計を助けなければならなかった?」 証人「はい」 弁護人「それと、小さい子供さんですが、貴方のお祖父さんはどういう人?」 証人「誠実な人です」 弁護人「2000年に亡くなった」 証人「はい。2000年1月です」 弁護人「シェ・イーディと祖父の関係は?」 証人「とても弟を可愛がっていました」 弁護人「おばあさんはどんな人?」 証人「賢い人です」 弁護人「シェ・イーディに関しては?」 証人「とても可愛がっていました。シェ家の跡取りだからです」 弁護人「お祖母さんも2004年に亡くなった?」 証人「はい。2004年です」 弁護人「お父さんはどんな人ですか?」 証人「とても厳しい人でした」 弁護人「どんなところが?」 証人「夜の外出は禁止され、宿題はやるように厳しく言われていました」 弁護人「躾は厳しかった?」 証人「はい」 弁護人「被告人は、結構怒られていた?」 証人「はい、そうです」 弁護人「口で怒られるのか、手も出すのか」 証人「手を出す事はありません」 弁護人「優しい面もありましたか?」 証人「はい、ありました」 弁護人「例えば?」 証人「病気になった時には、きめ細かく看病されていました」 弁護人「シェ・イーディに対してもあった」 証人「はい」 弁護人「(父は)仕事はきちんとしていた?」 証人「はい」 弁護人「船に乗るときにリーダーに次ぐ立場でしたか?」 証人「はい。船を運転する立場でした」 検察官「とても必要とは思えません。要約して下さい」 弁護人「聞いてもおかしくないと思います」 裁判長「情状に焦点を当ててください」 弁護人「貴方の父親ですが、シェ・イーディに対し、躾は厳しかったが、可愛がってもいた?」 証人「はい」 弁護人「シェ・イーディと父親の仲は良かった?」 証人「はい」 弁護人「お母さんはどんな人ですか?」 証人「とても優しい人です」 弁護人「貴方や、シェ・イーディに対しても?」 証人「私たちをとても愛してくれました」 弁護人「シェ・イーディの事も可愛がっていた」 証人「はい」 弁護人「シェ・イーディはお母さんに対してはどうだった?」 証人「体を大切にするように言っていました」 この時、被告人は、涙を流し、ハンカチで目を拭っていた。嗚咽が漏れている。 弁護人「仲は良かった」 証人「はい」 弁護人「両親から可愛がられて育った?」 証人「そうです。弟は、よく祖父母らの言う事を聞く人だったので」 弁護人「シェ・イーディ被告は、小さい頃、アタンと呼ばれていた事もありますか?」 証人「はい。とても可愛かったので」 弁護人「貴方と、シェ・イーディ被告は、仲は良かった?」 証人「はい。小さい頃は何時もそばについていました」 弁護人「一緒に遊んだ事もあった」 証人「はい」 弁護人「何をして遊びましたか?」 証人「映画を年二回見に行ったり、仕事を手伝った貰ったり」 弁護人「仕事とは、網の修理ですか?」 証人「はい」 弁護人「シェ・イーディ被告が述べた事では、河口でお父さんと一緒に遊んだ事もあったと言いますが、そういう事もありましたか?」 証人「基本的に上の三人の子です。父と一緒に河口に行って、蟹を取っていました」 弁護人「食べるために?」 証人「はい」 弁護人「生活の一環でもあった」 証人「はい」 弁護人「シェ・イーディは、小さい頃、貴方の言う事も聞いていた」 証人「はい。何か用事を頼めば必ずやってくれました」 弁護人「貴方から見れば素直で良い弟さん?」 証人「はい。よく言うことを聞く、頭の良い弟でした」 弁護人「頭が良いとはどういう所でですか?」 証人「上の兄弟が何かやっていたら、黙って手伝ってくれました」 弁護人「シェ・イーディは、小学校、中学校は、学校に行っていましたか?」 証人「中学三年までは行きました。内容は全部クリアーしたが、試験は受けていません。私達の農村では、試験をうけずとも卒業できました」 弁護人「卒業証書は貰っていますか?」 証人「それは知りません」 弁護人「弟さんは、試験も受けておらず、卒業もしていないという認識ですが、証書を貰わないで卒業になりますか?」 証人「はい」 弁護人「被告人の学校の成績は?」 証人「とても良かったし、先生にも可愛がってもらいました」 弁護人「家でも勉強しましたか?」 証人「はい」 弁護人「被告人は、外で、悪い事や喧嘩をした事はありましたか?」 証人「ありません」 弁護人「悪い事をしている人と付き合ったりはしましたか?」 証人「ありません。良い人ばかりです」 弁護人「夜遊びをしたりもしませんでしたか?」 証人「ありません。父がとても厳しかったので許されませんでした」 弁護人「シェ・イーディ被告は、周りの人や地域社会を困らせる事はなかったですか?」 証人「私達の住んでいた所は貧しい人ばかりで、家に残っているのは女子供ばかりで、トラブルの起こったことはありません」 弁護人「被告人は、中学校が終わった後、どんな生活をしていましたか?」 証人「港に行って物を運ぶ仕事をやりました」 書記が交代する。 弁護人「中学の後、遊んだりせず、真面目に働いていたのですね」 証人「はい。ずっと働いていました」 弁護人「家計が苦しかったからですか?」 証人「私が貧しかったので家計のために働く必要がありました」 弁護人「小、中学校在学中は、働いていませんでしたか?」 証人「小、中学校の時は、休み中は働いていました」 弁護人「働いて得たお金は如何していましたか?」 証人「全部私の母に渡していました」 弁護人「貴方は21歳で結婚したという事ですが、結婚後の行き来は如何でしたか?」 証人「近くで生活していたので、よく実家に帰っていたので、付き合いはありました」 弁護人「シェ・イーディーの弟が韓国に行ったことも知っていますか?」 証人「はい」 弁護人「理由は聞いている?」 証人「家が貧しく、家の近くの仕事は収入が少なかったので」 弁護人「勧告へ出稼ぎに行った」 証人「はい」 弁護人「シェ・イーディーが韓国に居る頃も連絡を取っていた」 証人「はい。母によく電話をかけていました。私も連絡を受けました」 弁護人「どういうことをやっているかは知っていましたか?」 証人「電話で全部話していました」 弁護人「どういう事を聞いている?」 証人「一年は工場で働いていたが、其処が不況でつぶれ、その後は仕事を見つけて働いていました」 弁護人「送金はあった?」 証人「はい」 弁護人「韓国では、最終的には上手くいっていませんね」 証人「はい」 弁護人「シェ・イーディが韓国を離れて何処へ行ったか知っていますか?」 証人「国に帰ってきました」 弁護人「その後、どういう生活をしていましたか?」 証人「福州に居て、調理の仕事をやっていました」 弁護人「福州に居る時、連絡は取っていましたか?」 証人「月に一、二回、帰って来ました」 弁護人「お金は家に入れていましたか?」 証人「月に二回お金を持って帰ってきました」 弁護人「シェ・イーディーが、中国や韓国に居る頃は、真面目に働いていた、という事ですか」 証人「はい」 弁護人「警察沙汰を起こした事はなかった?」 証人「ありませんでした」 弁護人「村の中での評判は?」 証人「大人たちは弟の事を可愛がっていました」 弁護人「シェ・イーディーは日本に来ていますが、その事は知っていましたか?」 証人「皆知りませんでした」 弁護人「日本についてから、連絡はあった?」 証人「日本についてから電話してきました」 弁護人「何のために行ったか知っていますか?」 証人「母が大変なのを見て行ったと思います」 弁護人「何が大変でした?」 証人「父の仕事がスムーズに行かず、母が大変なのを見て、家計を助けるために行ったと思います」 弁護人「海外に行く事は、貴方の出身の地方では良くある事?」 証人「はい。いっぱいあります」 弁護人「どういう人が行く?」 証人「若い人です」 弁護人「シェ・イーディのような例は珍しくない?」 証人「はい」 弁護人「どういった国に行く?」 証人「いっぱいあります。韓国、香港、台湾」 弁護人「若い人が海外に行くのはどうしてですか?」 証人「私達は海に近いところで生活をしているので、父などは漁業をやっていましたが、若い人にはきつく、それを嫌がって海外に行っています」 弁護人「生活は大変だった?」 証人「漁業は元が取れないこともありました」 弁護人「外国に行くと、どういう点がいいんですか?」 証人「仕事は、楽な仕事に就ける」 弁護人「稼ぎは?」 証人「家の近くでやるよりは多いです」 弁護人「日本で出稼ぎに行って成功した話を聞いた事はある?」 証人「聞いています。交通は不便ですが、口コミで聞いています」 弁護人「地元の若い人たちが海外に行っている事ですが、不法な手段で出ている人も居る?」 証人「正規の手続きで行っている人もいます」 弁護人「不法手続きで行っている人もいる?」 証人「その様な風潮があります。そういう人も多くいます」 弁護人「不法入国が悪いという認識は乏しい風潮がある?」 証人「一般的なことです」 弁護人「蛇頭に頼んで海外に行く人もいる?」 証人「はい」 弁護人「地元警察の取り締まりは厳しくないんですか?」 証人「厳しく取り締まりはしています」 弁護人「でも矢張りそういう風潮があって、海外に出る人が後を絶たない」 証人「はい」 弁護人「貴方の家の収入は、シェ・イーディが海外に行っても驚かない状況ですか?」 証人「はい」 弁護人「貴方から見て、シェ・イーディの性格は、どういったものですか?」 証人「私にとっては、利口で素直で優しい弟です」 弁護人「例えばどういったときにそう思いますか?エピソードとかね」 証人「小さい頃はいつも私の周りから離れずついて来ました。用事を言っても全部やってくれたし、私が子供を産んだ時、福州に居ましたが、子供のために玩具を買ってきました」 弁護人「貴方のお子さんにも優しかった」 証人「はい」 弁護人「もう一人のお姉さんや弟さんにも優しかった」 証人「はい」 弁護人「親にも」 証人「とても親孝行でした」 弁護人「例えば?」 証人「海外で働いていた時、夜電話をかけてきて、両親に、体に気をつけてください、生活は質素にしないで下さい、等と言っていました。お祖父さんが死んだ時には、お祖母さんを心配して電話をかけてきました」 弁護人「人と喧嘩した事は?」 証人「ありません」 弁護人は、報告書の同意部分を示す。 弁護人「同意部分、写真部の1,2番を示します。一番は、貴方たちの生まれ育った所ですか?」 証人「以前はここではありません。火事が起こってからこうなっています」 弁護人「場所はここでいい?」 証人「はい」 弁護人「2番は?」 証人「私の家のメインホールです」 弁護人「3番目は、家の中の状況?」 証人「はい」 弁護人「4,5,6を示します。これが地下の状況?」 証人「はい」 弁護人「6番ですが、これは誰の写真?」 証人「お祖母ちゃん。真ん中が母で、左が父です」 弁護人「7から10を示します。これが貴方の生まれ育った家の周囲の状況ですか?」 証人「はい」 弁護人「12。これが被告人の通っていた小学校ですか?」 証人「はい」 弁護人「13。これが被告人の通っていた中学校ですか?」 証人「はい。上の写真が」 弁護人「14ですが、上に写っている人は?」 証人「シェのクラス主任です」 弁護人「先生?」 証人「中学校の先生です」 弁護人「私が中学校に行った時に会って話をしてくれた先生ですね?」 証人「はい」 弁護人「わざわざ来てくれて弁護人に説明をしてくれましたが、被告人の事を心配している?」 証人「はい」 弁護人「シェ・イーディについて、どういうことを言っている?」 証人「このような優秀な学生がこんな事をするとは想像できないし、とても意外でした」 被告人は、涙を流し、眼鏡を外し顔を拭く。嗚咽が漏れていた。 弁護人「被告人の事を褒めていた」 証人「はい」 弁護人「挨拶をきちんとし、生徒ともうまくやり、成績も良かったと説明していたね」 被告人は、鼻をかむ。 証人「はい」 弁護人「先生も、シェ・イーディが事件を起こしてショックを受けている」 証人「はい」 弁護人「寛大な刑になるよう努力してくださいとも言っている。貴方も聞いていますね」 証人「はい」 弁護人「シェ・イーディが日本に行った後、連絡は取り合っていましたか?」 証人「弟と他の家族?」 弁護人「とりあえず貴方と」 証人「1,2回電話を受けたことはあります」 弁護人「どんな話をしましたか?」 証人「私には、出来るだけ実家に帰ってお祖母ちゃんの健康に気を配って欲しいと」 弁護人「健康に気を使っていた」 証人「はい。とても心配していました」 弁護人「被告人は、母によく電話をかけていた」 証人「はい」 弁護人「どんな話をしていましたか?」 証人「解りません」 弁護人「近況報告でしたか?」 証人「一般的にはそういう話でした」 弁護人「被告人は、家計を助けるために日本に来た」 証人「はい」 弁護人「中国へ送金する事はあった?」 証人「はい」 弁護人「どれくらいの頻度でありましたか?」 証人「その後について、どれくらいかは知りません」 弁護人「今回、被告人は日本で事件を起こしていますが、大体の事は知っていますね」 証人「はい」 書記が交代する。 弁護人「この事件を、シェがおこしたのを知ったのは、何時ごろですか?」 証人「かなり日にちをとってから、母の電話で知りました」 弁護人「日にちとは、事件から?」 証人「はい」 弁護人「どのくらいですか?」 証人「具体的には覚えていません」 弁護人「如何聞いた?」 証人「母は、自分が電話を受けた翌日には電話をかけてきました。母は泣きながら電話をしてきました。どのような事件かは其の時母も解らず、ただ、人から、事件を起こした事を聞かされていました」 弁護人「シェから、お母さんの電話はどのようなものかは聞いている?」 証人「聞いていません」 弁護人「どんな事を話したとか」 証人「母は話しませんでした」 弁護人「シェから母への事件後の電話は何回あった?」 証人「一回です」 弁護人「シェの様子は、電話の時、どういう口調だったか聞いていませんか?」 証人「泣きながら話をしていたと母から聞かされました」 弁護人「酷い事になったとか大変な事をしたとかいう趣旨ですか?」 証人「何を言ったかは解りません。母は、どのような事件かは詳しくは知らなかったようです」 弁護人「その後、貴方の両親は事件の内容を知る事になった?」 証人「はい」 弁護人「どういった形で知った?」 証人「母の話では、女性からの電話で知りました」 弁護人「大家さんの夫婦に対する強盗殺人だと、女性からの電話で知った?」 証人「はい」 弁護人「それで、シェ・イーディ被告人が逮捕されているという電話でしたか?」 証人「一回目の電話では、まだ逮捕されておらず疑われているという電話でした」 弁護人「二回目は逮捕されたと?」 証人「最後のものはそうでした」 弁護人「事件のことを聞いて、ご両親の様子は如何でした?」 証人「一回目の弟の電話を受けた時点で、母は寝込んでしまいました」 弁護人「お父さんは?」 証人「その時は海に出ていました」 弁護人「お父さんも何れ知りますよね」 証人「数日後帰ってきて知りました」 弁護人「お父さんの様子は?」 証人「してはいけない事をしてしまった、と言っていました」 弁護人「事件の事を知った後、ご両親はお参りに行ったりは?」 証人「毎日、その様な所に行って線香を上げてお参りをしていました」 弁護人「階段のあるお寺ですね」 証人「海辺に在る所です」 弁護人「どういった交通手段で行っていましたか?」 証人「歩いてです」 弁護人「どのくらいかかりますか?」 証人「40分です」 弁護人「お母さんは毎日行っていた」 証人「はい。雨が降っていようが風が吹いていようが行っていました」 弁護人「何故40分かけて其処に行っていたのですか?」 証人「私達の地方では、其処の遠くの方が効き目があると聞いていたので」 同意部分の写真14〜19を示す。 弁護人「このお寺の写真が、今言われたお寺ですね」 証人「はい」 弁護人「貴方のご両親は、お寺に何をしに、何故行ったのですか?」 証人「そこのお寺ですが、海外に居る人の守り神と言われています。息子のやった罪を自分たちで償えるのなら償いたいと思っていたと思います」 被告人は、嗚咽を漏らす。鼻をかみ、俯く。 弁護人「誰のために祈っていますか?」 証人は、質問の趣旨を勘違いしたらしく、そこのお寺の神様の名前を言う。 弁護人「神様の名前じゃないんですよ」 証人「そこの神様に対し、両親は、自分の命をあげて息子のやった罪を償えるのならば、と思い祈っていたと思う」 弁護人「シェのために祈っていた」 証人「はい」 弁護人「被告人が殺害した被害者に関しては?」 証人「母は、本当に申し訳ない、自分の命で代えられるのならば自分の命で償いたい、と言っていました」 弁護人「被害者のためでもある」 証人「はい。成仏できるようにと言っていました」 弁護人「そう言っていた」 証人「はい」 弁護人「(両親は)何時までやっていましたか?」 証人「続けている、という事です。亡くなるまでです」 弁護人「亡くなったのが2003年3月」 証人「3月28日です。3月28日に一人が亡くなり、3月30日にもう一人が亡くなりました」 弁護人「母が先に亡くなった」 証人「はい」 弁護人「お寺とは別に大晦日にもお祈りしていましたか?」 証人「大晦日には深夜12時以降に行っていました」 弁護人「お母さんですが、被害者について貴方に話したことはありますか?」 証人「被害者に対して申し訳ないと言い続けた。弟が申し訳ないことをしたと、責めるような事も言っていました」 被告人は、鼻をかむ。 弁護人「自分の命で償いたいとも言っていた」 証人「はい」 弁護人「よく言っていた」 証人「はい」 弁護人「シェ・イーディの命について、助かって欲しいと言っていましたか?」 証人「母は何も言葉がなかったが、父は死ぬ間際に、兄弟がまた一緒になれるように言っていました」 被告人は、嗚咽を漏らした。 弁護人「お母さんもそういう気持ちだった?」 証人「はい」 弁護人「お母さんたちがやつれたとかは?」 証人「母が、弟の事件の事を聞いた時、老け込んでしまいました。食べるのも寝るのもままならない状況が続きました」 弁護人「お母さんは何故なくなった?」 証人「そのお寺に行って被害者が成仏できるよう法事を家でやっている時、二階から火が出てその場で亡くなりました」 弁護人「お父さんも火傷で三日後に亡くなった?」 証人が小声で答えた為、通訳に聞き返される。 証人「怪我をして入院し、そこで30日に亡くなりました」 被告人は嗚咽し、鼻をかむ。 弁護人「貴方の気持ちは?」 証人「両親が亡くなった時に、私はとても悲しみましたが、両親は本望だったのではないか、自分の命で息子を助けたかったのだから、と思うようになりました」 弁護人「助かるかは解らないが、辛かった気持ちを考えれば、楽になったのではないかと考えましたか?」 証人は、一瞬意味が解らなかったらしい。 証人「はい。思いました」 弁護人「お父さんは(聞き取れず)で運ばれた?」 証人「はい」 弁護人「亡くなる前に兄弟がまた会えるように言っていた?」 証人「兄弟四人でまた会えるように言っていました」 弁護人「それが最後の言葉でしたか?」 証人「父が亡くなる時、私は側に居ませんでした。側に居たのは叔父、叔母で、其の時イーディの名をずっと呼び続けていたそうです」 証人「臨終間際に意識がはっきりした時があり、その時に、イーディの為に一生懸命やってくれる先生に感謝する、兄弟四人がまた会えるのを祈っている、後は、イーディの名を呼び続けていました」 被告人の嗚咽は激しくなった。 弁護人「両親はこういうことになって、貴方が証言する事になった」 証人「はい。私は両親の代わりに来ました」 弁護人「お祖母さんには、事件のことは知らせていた?」 証人「それはちょっと言えませんでした」 弁護人「何故?」 証人「お祖母ちゃんにとって、弟はシェ家の跡取りであるし、弟の事を可愛がっていたので、年老いたお祖母ちゃんに言うと耐えられないのでは、と思いました」 弁護人「亡くなったのは2004年ですね」 証人「はい」 弁護人「なくなるときに、被告人の事を気に掛けていた?」 証人「私達に、弟の事を呼び返して欲しい、とずっと言っていました」 弁護人「何か言っていた事は?」 証人「お祖母ちゃんの夢の中で弟が帰って来たのを見たので、好きな食べ物を出して、と言われました」 被告人の嗚咽は激しくなる。顔は赤くなっている。 弁護人「気をかけていた」 証人「はい」 弁護人「拘留中、手紙のやり取りはしていましたか?」 証人「母が居た頃は母に手紙を出していましたが、居なくなった後は私に手紙を出していました」 弁護人「どういうことが書いてありました?」 証人「被害者に対して申し訳ない、後悔している、という気持ちと、自分の両親に対して申し訳ない、という気持ちです」 弁護人「貴方はどう思いました?」 証人「弟の気持ちは理解できました。また、弟には贖罪の気持ちを持ち続けていってほしいと思います」 弁護人「他の家族から手紙は来ていますか?」 証人「妹は台湾に居るので出しにくいが、弟は出しています。私は教育を受けていないので、弟に書いてもらう場合も在ります」 弁護人「どういう事を書いてもらっている?」 証人「毎日自分のやったことに悔いを持つようにです」 弁護人「今回、日本にいつ来ましたか?」 証人「7日です」 弁護人「今年の2月7日?」 証人「はい。そうです」 弁護人「日本に来てから弟さんと面会しましたか?」 証人「はい」 弁護人「拘置所では、普段は中国語が喋れない」 証人「はい」 弁護人「日本に来てから何回も面会しましたか」 証人「はい」 弁護人「一回目は?」 証人「8日です」 弁護人「何人で面会に?」 証人「弟と王さんです」 証人は、王さんに拘置所まで連れて行ってもらったらしい。 弁護人「面会した時は、被告人はどういう状況でしたか?」 証人「最初会った時には、弟と信じられなかった。私の顔を見て最初に言ったことは、『申し訳ありません』でした」 弁護人「通訳の人を介して聞いた」 証人「はい、そうです」 弁護人「今、被告人は涙を流していますが、面会した時もそうでしたか?」 証人「はい。ずっと弟は泣いていました」 弁護人「シェ・イーディ被告ですか?」 証人「はい」 午前中の証人尋問はこれで終わる。午後は2時30分から来るように、裁判長は証人に述べる。 裁判長「午前中はこれで終わります。午後は2時30分から開廷します」 午前中の審理は、12時丁度に終わった。 証人は冷静な口調で証言を行なっていた。被告人と証人は、証言の間、目を合わせることは無かった。 私は、小日向の公判を傍聴に行っていたので、再入廷したのは、3時12分だった。眼鏡をかけた若い男性である神渡検事が、被告人の姉に対して証人尋問を行なっている最中だった。 −X2証人に対する検察官の証人尋問− 検察官「私達としては、形式的な反省の言葉は誰にでも述べられると思っています。本当に反省していないのならば、貴方は弟さんに対して何か言いたい事はありますか?」 証人「両親が命をなくして、弟は心から反省していると思います。形式的ではないと思います」 検察官「貴方はそう信じている」 証人「はい」 検察官「貴方は本当にここで証言しても良いか躊躇していました?」 証人「死刑にして欲しくないというのは私達の願いですが、そう述べて良いものか」 検察官「今、貴方の横に座っているのが弟さんでなければ、死刑相当の罪だとわかっていますか?」 証人「私達にはそういうことを言う資格はありません。最終的には裁判所の決める事です」 −X2証人に対する弁護人の証人尋問− 弁護人「生命を助けて欲しい気持ちはある」 証人「はい」 弁護人「それを言うためにこの法廷に来た」 証人「はい」 弁護人「裁判官三人に、その事を嘆願したい」 証人「はい」 これで、被告人の姉に対する証人尋問は終わり、証人は退廷する。 検察官は、被告人が極刑を覚悟している事について意見を述べる事は差し控えたが慎重に判断して欲しい、と述べる。 弁護人「異議を出さなかった事には感謝しますが、心配をしている感情について聞き取ったので、伝聞ではない」 続いて、別の証人が入廷する。眼鏡をかけた若い男性。 裁判長「名前は?」 証人「X3」 証人は、宣誓を行なう。 −X3証人に対する弁護人の証人尋問− 弁護人「貴方は、シェ・イーディの弟さん?」 証人「はい」 弁護人「幾つ年上のお兄さんですか?」 証人「6歳です」 弁護人「貴方と被告人は幾つまで一緒に居ましたか?」 証人「12歳までです」 弁護人「貴方から見て、お兄さんはどんなお兄さんでしたか?」 証人「私にとって良きお兄さんでした」 弁護人「どんな点が?」 証人「幼い時によく学校に連れて行ってくれたし、働くようになってからよくプレゼントをくれました」 弁護人「幼い頃は面倒を見ていた」 証人「はい」 弁護人「どんな思い出がありますか?」 証人「私達が住んでいるところが田舎なので遊ぶところがなく、学校などしかないが、兄はそういうところに連れて行ってくれました」 弁護人「そういう楽しい思い出が残っている」 証人「はい」 弁護人「兄弟げんかはしない」 証人「はい」 弁護人「貴方にも優しかった」 証人「はい。私は末っ子なので」 弁護人「シェ・イーディが貴方に何かプレゼントしてくれた事は?」 証人「帰る時はお土産を持って帰って来てくれました」 弁護人「プレゼントしてくれる」 証人「韓国から帰ってきた時にはプレゼントをくれましたが、福州に居た時には、帰ってくるたびにプレゼントをくれました」 弁護人「そういった意味で弟思いだった」 証人「はい」 弁護人「被告人は、仕事を真面目にやっていましたか?」 証人「間違いなく真面目に働いていたし、毎月電話をかけてきました」 弁護人「貴方はアルバイトをしていた?」 証人「私も高校を卒業して働きに出ました」 弁護人「高校卒業までアルバイトをしたことはない?」 証人「休みの時には帰って、母の店を手伝っていました」 弁護人「貴方は、お姉さんやシェ・イーディと違い、高校に行っている」 証人「はい」 弁護人「シェ・イーディーが家計を支えてくれたお陰もある?」 証人「私達の田舎は貧しい所で、大学に行く人は居ませんでした。でも、兄としては私に大学に行って欲しかったので、学費を稼いでくれました」 弁護人「貴方の事を思っていた」 証人「はい」 弁護人「貴方から見て、シェ・イーディの性格は?」 証人「友人との関係は良い関係を築く人で、親孝行な人です」 弁護人「そうしたエピソードで覚えていることは?」 証人「二番目の姉が結婚する時、私を学校まで迎えに来てくれた。其の時雨が降ってきて、兄は傘を私に渡して、自分は濡れて帰りました。また、近くの老人を助けていました」 弁護人「具体的にはどのような事を?」 証人「年老いた人達には生活の世話をしたり、物を差し入れたりしていました」 弁護人「お兄さんは、貴方や周りの人には優しかった」 証人「はい」 弁護人「そういったお兄さんは好きでした?」 証人「好きでした」 弁護人「お兄さんは日本に来た」 証人「はい」 弁護人「貴方は其の時中学生ぐらい?」 証人「中二でした」 弁護人「年齢は?」 証人「16歳です」 弁護人「お兄さんは何のために日本に来た?」 証人「当時、家に借金があり、親も年老いていてお金が出来ず、兄は私の学費を工面するためにも日本に来たと思う」 弁護人「日本に来た兄とやり取りは?」 証人「電話に出た事はあります。電話では、何時も私に、真面目に勉強しなさいよ、と言っていました」 弁護人「イーディが事件を起こした時、貴方は何歳ですか?」 証人「19歳です」 弁護人「何をやっていましたか?」 証人「高二です」 この時、証人がいっている年は数え年であり日本の年とは違う、と、被告人は通訳に伝えた。弟は留年したわけではない、と言いたかったのかも知れない。 弁護人「お兄さんが学費を出してくれた?」 証人「そうです。当時、父の漁業は上手く行かず借金を作ってしまい、仕事が上手くいかなかった。母の屋台も上手く行かず、兄が学費を出していました」 弁護人「兄の事件はどうやって知った?」 証人「学校が始まって、お姉さんから聞きました」 弁護人「何と?」 証人「姉から、兄が外で事件を起こした、と聞きました」 弁護人「如何思った?」 証人「お姉さんから聞いた時には、不法入国の事と思い、中国に送り返されると思いました」 弁護人「今回のような大事件とは思わなかった」 証人「はい」 弁護人「事件の内容を知ったのは?」 証人「最初姉から話を聞いてから数日後です」 弁護人「如何聞いた?」 証人「お姉さんは母から聞いた話を私に言っただけなので」 弁護人「詳しい話は?」 証人「兄が外で人を殺したというだけで、電話によれば兄に疑いがある、というだけでした」 弁護人「大家さんに対する強盗殺人と何時知りましたか?」 証人「それも母から聞いた話で、ある女性からかかってきた電話でした」 弁護人「事件の事を知って如何思った?」 証人「その時は、私はその様な話は信じませんでした。兄はその様な事をする人ではありません。今に至っても信じられない事です」 弁護人「何故そう思う?」 証人「以前、家に居た時、兄や家族や周りに示した態度からもそう思いました。真面目に働いていると信じていました」 弁護人「中国に居た時、兄さんは粗暴だったりした?」 証人「全然在りません」 弁護人「人のものを盗んだりは?」 証人「ありません」 弁護人「そういうお兄さんを知っているから信じられなかった」 証人「はい、そうです」 弁護人「お兄さんの事件を知って、両親の様子は如何でしたか?」 証人「兄さんが事件を起こした時は、私は学校で勉強していました。その週末に家に帰ったら、母は細くなっていました。父は、帰ってきて話を聞いてから、目に見えて落ち込んでいきました」 弁護人「両親がお寺にお参りに行ったのは知っている?」 証人「母は朝三時におきて食べ物を売るような事をしていましたが、その時に寺にお参りに行っていました。私も手伝った事がありました」 弁護人「お母さんが死ぬ前にシェ・イーディや被害者に対していっていた事で覚えている事は?」 証人「お寺に、被害者のためにお参りしてお詫びしたり、申し訳無いと言っていました。もし自分たちの命をもって償えるのならば差し出すつもりだと言っていました」 被告人は、鼻をかむ。 3時45分に休廷して、4時に再開する事になる。 証人は、退廷する時、兄である被告人の方を見ていた。しかし、被告人は、弟の方を見なかった。弟は、冷静な口調で証言していた。 傍聴席には、前に来ていたシスター姿の女性の姿があった。 | |||
事件概要 | 謝被告は、2002年8月31日、東京都品川区で自分のアパートの大家にあたる製麺業夫婦を刺殺したとされる。 | ||
報告者 | 相馬さん |