裁判所・部 東京地方裁判所・刑事第二部
事件番号 平成16年合(わ)第249号等
事件名 詐欺等
被告名
担当判事 毛利晴光(裁判長)宮本聡(右陪席)松永智文(左陪席)
その他 検察官:湯澤昌己、南智樹、中山大輔
書記:今村
日付 2006.1.27 内容 最終弁論

 午前10時から528号法廷で、Aの公判は行われた。
 弁護人は、丸顔で眼鏡をかけた黒いスーツ姿の5〜60代ぐらいの男性。開廷前、書記と論告の差し替えの話などをしていた。
 9時55分ぐらいに検察官が入廷。髪を短く刈った、浅黒い、眼鏡をかけた30代ぐらいの男性。開廷前、書証についての話を弁護人と行い、何か書類を読んでいた。
 傍聴人は、私を除いて5名程度だった。
 被告人は、頭頂部の禿げ上がった、太り気味で、やや小柄な初老の男性だった。目が細く、眼鏡をかけている。ジャージ姿。礼をして入廷し、開廷前は、弁護人と少し話をした以外は概ね俯いていた。

 この日は、最終弁論の前に証拠調べが行われた。弁護人は、弁論に資料を2点加えた。内容は、1つはデータの抜粋。もう一つは、衆議院のホームページからダウンロードされた物であり、その内容は、死刑と無期の格差が保坂議員から質問され、森総理がそれに答えた、という物。
 検察官は同意し、採用される。Aに弁論の事を、弁護士は説明する。
 検察官は、ぺティナイフの没収を追加する。
 そして、最終弁論が始まった。

−最終弁論−
 被告人Aに対する弁論要旨は以下の通りである。
 被告人はこれまでにも数々の刑事事件を起こし、本件に至ったのは遺憾である。東京事件の被害者のa氏は本職と同年齢であり、他人事とは思えず、深い哀悼の意を表したい。
 東京事件の強盗殺人事件は、強盗殺人ではなく窃盗と殺人である。
 a氏と諍いを起こし、同人を殺害した。
 現場の状況からすれば、推認は不可解である。
 レジスターに鍵をかけないでいる事はしばしばある事であり、a氏のジャンパー内にレジの鍵がある写真もある。
 a氏を刺した後にカウンター越しに金庫を窃取したという推認も不可解である。右足をカウンターに乗せて手さげ金庫を盗ったという被告人の供述に合致しているが、刺した後にカウンター内に入り盗ったというのは面倒であり不可解である。
 手さげ金庫を窃取したのを発見されa氏を刺した、というのも不可解である。
 諍いの原因は金銭とは関係ない。原因は手さげ金庫の窃取ではなく、被告人が便所でげろを吐いて、a氏が「便所ぐらい掃除しておけばいいのに」と言った事に対しての、被告人の「ぐずぐず言うなこのチビ」という心無い言葉が原因となっている。
 飲食代の支払いを免れようともしていない。
 携帯の履歴については、X1は情状証人として出廷したX1、カアチャンは、その母の事と思われる。
 本件は過剰防衛である。本件はa氏への心無い言葉が原因で発生した。
 a氏は被告人より10歳年下だが、被告人より体格に劣る。
 a氏がおたまで殴った事に触発され、ペティナイフで十数回刺して殺害したものであり、過剰防衛に入る。
 被告人は、自らの行為が被害者の死を招くとは考えていなかった。被害者に9箇所の創傷が見られることは客観的事実として認めるが、被告人の主観においては被害者が死ぬとは思っていなかった。
 京都の強盗殺人未遂事件においては、被告人は心神耗弱である。被害者は支払いを請求したら刺されたのだから、犯意は否定しない。
 他の事件については争わない。
 情状。
 生命は取り返しがつかない。
 被告人は、東京事件について、死刑にして欲しいと述べている。また、被害者の遺族の供述を聞いて、「殴られて私も刺してしもうた。(被害者の)妹さんの調書を検事さんが読み上げるのを聞いて、私も、死刑にしてくださいと言ったんです」等と述べている。刑は裁判所が決定するものだが、被告人の供述は反省の情の表れである。また、被害者に対する謝罪文を作成し、相手の住所が不明だった一通を除いて被害者のもとに達している。

 名古屋事件については、被害者の免許書などを返還している。
 被告人は、通報を遅らせるつもりはなかった。携帯によって犯行は早期に発覚している。
 獄中で、被害者の冥福を祈り、写経している。取り返しのつかない結果に対してのせめてもの行為と考えている。
 手さげ金庫の場所を進んで供述している。これは、刑事が、被告人の死んだ母親、Y1の墓を探してくれた事に対してと、a氏に済まないと思い、供述した。
 論告では拘留中に弁解を考えていたとしているが、何ら証拠は無い。
 粗暴犯の前科が在るのも関わらず被告人が犯行に及んだのは遺憾である。前科の殆どが満期出所であり、矯正が進んでいないのは事実である。しかし、それは矯正に身を置く者が考えるべきであり、被告の責任を問うのは筋違いである。
 出所できねば再犯は不可能である。無期懲役の仮釈放は少なくなっている。ここ5年の平均であるが、無期受刑者の出所者は年平均9.2人であり、在所20年を超えている。(答弁書について読み上げる。無期懲役は、医療刑務所に入所している男が、最高51年4ヶ月入っている。30年超は21名。50年を超える2名は医療刑務所に入っている、などという内容。)無期懲役の大半は終身刑に近いのではないか。
 被告人は、昭和15年生まれである。現状を前提とすれば、無期懲役は厳しく運営されている。服役用件は事実上30年であると考えられ、被告人が出所できるとは考えられず、社会復帰は事実上存在しない。一生を被害者の冥福を祈り過ごすのも被告人の使命と言える。
(永山事件にも触れる。一ヶ月の間に4箇所において4名を殺害した後、半年後に警備員を撃ち、連続射殺魔と恐れられた、実兄の自首の勧めを断っている、執拗かつ冷血、等とその判決内容を読み上げる)本件事案と異なる点は多々ある。
 被告人は、昭和15年5月15日に出生し、Y1の養子となる。
 Y2がY1の元へと通っていた。被告人は、Y1とY2の子であると聞かされていない。
 Y1が腸チフスで亡くなった後、Y2の元に引き取られる。
 被告人の強盗事件の裁判の際、Y2は出廷し、被告人はY1の実子であると述べている。被告人は肉親との縁が薄い。
 小学2年生の頃から家出を繰り返し、人生の殆どを施設で過ごす。中学校にもまともに通っていない。
 17歳で恐喝で逮捕される。
 強盗致傷で逮捕され、昭和43年に刑務所内での傷害で宮崎地裁で判決を受ける。
 昭和60年1月31日、覚醒剤取締法違反で逮捕される。
 平成元年、殺人未遂、強姦致傷で逮捕され、懲役13年の判決を受ける(その他にも前科がある)
 昭和59年、被告はY3と知り合い、同人と交際し、長女をもうけている。
 覚醒剤取締法違反の件で出所した時、Y3は拘留中で、Y3の母のすすめでY3との縁を切った。後にY3は死亡し、Y3と会うことは叶わなかった。Y3の夫であったX1が被告人と接見し、被告人は生きている限り罪の反省をすることが重要である、と述べている。娘との面会も果たしている。
 被告人は、被告人を案ずる人間が居る事を胆に命じるべきである。被告人は世の中から見捨てられたわけではない。これを見つめるべきである。
 a氏がかけがえの無い人であった同人の家族のことも考え反省すべきである。
 一生涯反省させるのが至当である。

裁判長「被告人、証言台に立って」
被告人はこの時、証言台の椅子に座ろうとした。裁判長に言われ、被告は立つ。

被告「被害者の家族の方に本当に申し訳なく思っています。他の被害者の方(聞き取れず)自分で(聞き取れず)死刑ですね・・・・・。後は裁判所の判決次第で、自分は償いをしたい・・・・・自分としては、あの・・・・・・前から何日も・・・・・aさんはいい人だった事は私も知っていました。私も、警察の人に、金を盗るために刺したと信じているのならそれを調書にして、裁判でひっくり返せるから・・・・・。15年うたれたら出所もできませんし、無期がどんなに苦しいか刑務所で見て知っていますから・・・・・。死刑をお願いしますと刑事さんにも検事さんにも話しました。金庫の事も、話してしまわなければ子供にばちがあたると刑事さんにも言われたし・・・・・。待ってくださいと言ったのは、X1に会って娘の事も知りたかった。娘は私の事で離婚しました。後は私の償いだけ。aさんには済まないです。裁判がはっきりするまで、私なりに供養はしたいです。娘にも申し訳ないと思っています」
 被告の声は、かすれた、やや小さい声だった。
裁判長「次回は4月19日に判決を言い渡します」

 これで、A被告の審理は全て終了した。公判は11時まで予定されていたが、10時50分ぐらいには終わった。
 被告人は、俯いて弁論を聞いていた。
 退廷する時、「ううっ」と声を上げ、顔をくしゃくしゃにして、50代ぐらいの男女の遺族に、「申し訳ありません」と言い、頭を下げた。
被告人の退廷後、検察官は、遺族に対し、「判決を待つだけです」等と声をかけていた。
 後に検察官に聞いたところ、被告の起訴罪名は強盗殺人、強盗殺人未遂、詐欺、銃刀法違反、詐欺、強盗であり、2004年9月10日に東京での第一回公判が行われた、という事だった。

事件概要  A被告は以下の犯罪を犯したとされる。
1:2003年11月5日、強盗目的で東京都荒川区の居酒屋にて店長を刺殺。
2:3日後、京都府京都市の飲食店で無銭飲食して逃亡しようとしたところを追いかけてきた店員を刺して負傷させた。
報告者 相馬さん


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