裁判所・部 千葉地方裁判所・刑事第4部
事件番号 平成22年(わ)第1926号(裁判員事件)
事件名 殺人、銃砲刀剣類所持等取締法違反、窃盗
被告名
担当判事 小坂敏幸(裁判長)
日付 2011.8.3 内容 判決

 被告人は小太りで小柄、頭髪も薄く、老いを感じさせるが、体格は良く、筋力はまだ衰えていないように感じた。包丁を携帯しながら、凶器としては用いず、絞殺という方法を選んだのもうなずける。

−主文−
 被告人を無期懲役に処する。押収してある包丁1本を没収する。

−認定事実−
 被告人は昭和47年5月、強盗殺人罪により無期懲役判決を受け、平成7年6月、再度の仮釈放により無期限保護観察の処分を受けた。平成11年頃から生活保護を受けて生活し、平成12年頃から交際していた女性がいたが、その後別れた。
 平成22年9月22日、近所のアパートに住む被害者の主婦(当時63歳)から、一旦別れた女性のことで自分を小馬鹿にされたと感じ、強い怒りを覚えた。被害者を謝らせようと思って包丁を持ち出したが、被害者方アパートの階段を上っている途中、通報されると仮釈放が取り消しになることを恐れ、殺害を決意。アパート2階の被害者方玄関で、被害者の胸を突いて押し倒し、頸部をアンテナコードで絞めて窒息死させた。その後、室内から現金やキャッシュカードを窃取した。

−量刑理由−
 無期懲役仮釈放中の被告人が、人1人の命を奪った重大な犯行。被害者は夫とともに平穏な生活を送っていたのに、突如非業の死を遂げなければならなかった心情は察するに余りある。手で頸部を2、3分間絞めつけ、さらにアンテナコードを巻きつけて絞めつけ、包丁で突くなど、犯行は執拗。動機も被害者と被告人との些細なやり取りで、被害者に落ち度はない。仮釈放取り消しを恐れて殺害行為に及び、さらに、発見を遅らせるため、遺体を浴槽に引きずり、沈め、物取りに見せかけるための工作を施した。盗んだ現金は飲食費等に充てた。
 被害者の夫や子らの処罰感情は厳しい。遺族への賠償もなされておらず、夫や姉は公判廷で極刑を望んでいる。
 強盗殺人罪で無期懲役判決を受け、長期間服役したという立場をわきまえず、殺人の中でも最も重い部類に入る。
 他方、殺意の形成過程や、計画性がないこと、犯行を認めて謝罪文を書き続け、反省の態度を示していること、平成7年6月から15年間は警察沙汰を起こしておらず、更生の可能性はないとはいえないこと、過去の同種事案などから、死刑は躊躇せざるを得ず、生涯被害者の冥福を祈らせるのが相当と判断した。

 被告人はずっとうつむき加減であったが、判決後、裁判長から「一生反省の心を持ち続けてください」と説諭され、深々と一礼していた。

 量刑理由として「過去の同種事案」が挙げているが、無期懲役仮釈放中に殺人を犯した場合、極刑が選択される例が多く(特に2000年以降)、具体的に示してほしかったところである。被害者遺族に対しても、「判例から極刑にはできない」というような話があったという。
 40年前の強殺事件の被害者遺族も傍聴しており、極刑にならないことは納得できないと話していた。

事件概要  千葉市の無職・A被告(事件当時67歳)は交際していた女性のことで近所の主婦(当時63歳)から小馬鹿にされたと思い込み、平成22年(2010年)9月22日午後4時半頃、主婦の首をアンテナコードで絞めて殺害。物取りに見せかけるため、現金やキャッシュカードなどを奪ったとされる。

※以下の前科がある
 同被告は昭和46年(1971年)11月3日、埼玉県加須市でタクシー運転手を包丁で刺殺、料金を踏み倒した。翌年5月12日、浦和地裁(勝俣利夫裁判長)で強盗殺人罪で求刑通り無期懲役判決を受けて服役した。同被告は以前、埼玉県内でタクシー運転手をしていたが、ホステスとの結婚話を両親に反対され、ホステスとともに新潟市で新天地を夢見たものの、同女に逃げられた。被告は埼玉へ帰京しようとタクシーに乗車、その際、ホステスに復縁を迫るための道具として包丁を携帯した。タクシーは新潟市から加須市まで約300キロを走行。料金が払えなくなったため、運転手(当時34歳)を畦道で刺殺し、料金を踏み倒した。
報告者 けいさん


戻る
inserted by FC2 system