裁判所・部 | 千葉地方裁判所 | ||
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事件番号 | 平成17年(あ)第1644号等 | ||
事件名 |
C:傷害致死、殺人、死体遺棄、逮捕監禁致傷、逮捕監禁、監禁、監禁、詐欺、組織的な犯罪の処罰及び犯罪収益の規制等に関する法律違反 伊藤:傷害致死、殺人、死体遺棄、逮捕監禁致傷、逮捕監禁、監禁 D:傷害致死、殺人、死体遺棄、逮捕監禁致傷、逮捕監禁、監禁 |
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被告名 | 伊藤玲雄、D、C | ||
担当判事 | 彦坂孝孔(裁判長) | ||
日付 | 2007.1.10 | 内容 | 最終弁論 |
被告並び順は傍聴席より見て左側より、C・伊藤・D。また、検察官2名、刑務官4名、弁護人5名が在廷した。 9:59、三被告入廷 裁判長より開廷宣言(301号法廷にて審理) Cの弁護人 カワサキ弁護人より証拠申請 Cが振り込め詐欺被害者「e」に被害金額の一部 (金額を陳述していたが聞き取れず)を弁償したと報告 10:01、被告人伊藤玲雄に対する弁護側最終弁論開始(コヤマ弁護人) コヤマ弁護士は早口で書面読み上げを行い、聞き取れない箇所があった。 また涙声になる場面が幾度かあった。 今回の事件で4名の尊い命が失われたました。 弁護人としても伊藤の行為について、遺族被害者に対し深くお詫び申し上げます。 しかし量刑については犯罪行為の結果だけを見るのではなく、事件に至った経緯、事情を適正に判断していただきたい。 ●cさんの経緯 起訴状の内容については大筋で認めるが、cさんが死亡した件については殺人ではなく傷害致死であると認められる。 cさんにガムテープを巻き放置してから、長時間経過した後に死亡している。 伊藤は2005年6月8日に逮捕され同年9月2日まで取り調べを受けているがcさんの死亡について「傷害致死しか認めないのであれば、否認起訴になるぞ」と取調べ警察官に再三の誘導を受け渋々であるが殺人を認める調書に署名したものであり、cさん死亡の経緯については全体像が異なるものとなっている。 cさんへのガムテープの巻いた状況であるが、補助的な役目として体は押さえたがガムテープを巻く行為自体は行っていない。 cさんの体を押さえるだけで精一杯の状況であった。 当時は清水・渡辺純一に厳しい叱責を受けていて頭が抜け殻の状態であった。 ●cさん死亡時の状況 シャックリとゲップを繰り返すようになり胸を前方に反らす体勢になり、その後静かになった。 伊藤は直感でおかしいと気付き、Cもcさんの様子が違う事に気付いた。 cさんが気を失ったのかと思ったが死亡した事に気付きびっくりした。 当時はパニック状態であった為、C・Dが近くにいたかどうかは不明である。 cさんが死亡した件については被告人三名(伊藤・C・D)は首を絞めておらずガムテープで鼻を潰していない。 Dも「鼻の穴は見えていたので潰れていないと思う」と証言している。 cさんに対する殺人の故意は無く、生存した状態で「Y1」に引き渡す事が当時の目的であり、この認識についてはC・Dともに同じであった。 cさんの死亡は伊藤・C・Dにとって意外な形で訪れている。 検視の結果、cさんの肋骨が骨折している事が判明したが、生前に発生したものか、死後に発生したものかは不明である。 aさんやdさんも、cさん同様暴行を受けているが検視では骨折の確認はされなかった。 結論としてcさんの死亡については殺人ではなく傷害致死が適用される。 ●伊藤の情状面 1)本件は振り込め詐欺グループ内の内紛であり、無関係の第三者を巻き込んでいない。 2)本件犯行の発端は被害者4名が計画していた組織乗っ取り計画を聞き出す事にあり、被害者4名にも非がある。 3)監禁状態の被害者に対し渡辺純一が熱湯を掛けた事は伊藤にとり予想外の事であった。 4)渡辺純一の一言でdさんの拘束と、cさんの拉致及び拘束が決定し、恐怖により渡辺純一の命令を拒否できる状況では無かった。 5)ヒルトンホテル、及びNKビル前にて渡辺純一より叱責を受けており正常な判断が出来る状態では無かった 6)殺害を拒否すれば家族が殺される恐怖があった。(渡辺純一に脅されていた) 7)事件当時は心神耕弱状態であり、自首も考えられなかった。 8)被害者4名に遺棄についてはCが主導しており、伊藤は補助的役割である。 ●事件当時の伊藤の立場・役割 2004年10月12日夜、東京都新宿区の居酒屋にてdさんよりaさん等数名が振り込め詐欺グループ乗っ取りの反目計画を立てている事を聞かされた。 dさんは、aさんから計画を聞かされたとし、 「振り込め詐欺グループの幹部を中国人に拉致させ金の在りかを聞いて殺害する。 拉致した以上、金の在りかを聞けなくても殺害する。 さらに別の幹部を拉致し殺害した遺体をみせて脅し金の在りかを聞き出し、その幹部も殺害する」と話した。 計画内容を聞き、伊藤は「Y10」「Y11」に仲介を依頼する。 「Y10」は伊藤にaさんを紹介した人物であり、その当時沖縄へ旅行中であった為、接触する事は出来なかった。 「Y11」は伊藤にcさんを紹介した人物である。 時期・場所は詳細では無いが、伊藤は計画を聞いた後、振り込み詐欺をしていた事について自首を考え清水にその旨を告げ、新宿警察署に出頭しようとした。 Dも伊藤に賛同し出頭しようとするが、清水が止めてしまう。 その日の夜にNKビル近くのファミレスで清水・伊藤・Y11が話し合いを行う。 Y11より「cさんに会わせてほしい」との話があり、cさんが合流し、4人で話し合う。 Y11はcさんに「お前本当にそんな計画したのか?いくら貰うつもりだったのか?」と質問すると「最低1000万円」と回答を受ける。 その後Y11は「後は任せます」と言い、そそくさと帰ってしまい、清水と伊藤が唖然とした。 10月15日 午前3:00頃 dさんも監禁される (渡辺純一の指示にて aさんの暴露にてdさんも反目計画グループと判明した為) dさん監禁については渡辺純一が独断で指示した。 dさんは「すいません、その通りです」と認め、渡辺純一が「(dさんも)b達と一緒だ」と激怒し、殴る蹴るの暴行を始める。 伊藤はその状況にうんざりし悲しくなると同時に渡辺純一に対する恐怖を覚えた。 ●10月15日 午前4:00頃 京王プラザホテルでの合議 参加者8名(伊藤含む)いたが、伊藤は殆ど発言していない。 会議内容は「4名の解放の方法・流れについて話す」ものと考えていた。 渡辺純一が「シャブ漬けにして記憶を飛ばした後解放すると言うが、シャブでは記憶は飛ばない。自分もシャブをやるが記憶が飛んだ事は無い」と発言した。 その後様々な案が出たがどれも採用に至らず、Cが「もう殺すしかないでしょ」と発言し、4名を殺害する方向で話しが進み、清水が決議を採り、4名を殺害する事が決定した。 Cは殺害する事が決定すると急に口数が多くなった。 伊藤は殺害が決まった事で取り返しの付かない事態になると思った。 「この場から逃げたい。とんでもない話しになっている」という心境だった。 この時点で刑務所に収監される事を覚悟した。 監禁している4名を清水・渡辺純一に紹介しているのは伊藤なので清水・渡辺純一に逆らえなかった。 逆らえば伊藤自身も監禁される恐れがあった。 伊藤は京王プラザホテルでの合議について「清水・渡辺純一・Cの3人が中心となり最初から殺してしまおうという出来レース」のように見えたという。 清水が「4名を殺害する」という案について挙手による決議を採り、結果殺害する事が決定した。 その際動揺しているFに対し清水は「アニキ、目が泳いでいるぞ。もし話ししたら秋田の実家に行って家族を殺すぞ」と脅した。 京王プラザホテル合議について清水・渡辺純一は公判において不合理な言い訳に終始している。 京王プラザホテル合議後、清水はY1と接触し4名の殺害の交渉を開始し、5000万円を提示している。 ●ショーパブJでのやり取りと伊藤の立場 出席者は伊藤・清水・C・Y1。 伊藤は「このまま放っておけば話しが進み4名が殺されてしまう。しかし話しを止めれば監禁が継続される」と考えどうしていいか分からない状況だった。 結局ショーパブJで伊藤は金銭のやり取り・交渉には参加していない。 ●ヒルトンホテルでのやり取り 渡辺純一自身も伊藤への叱責について「強烈だったと思いますね」と公判で述べている。 (伊藤に「こんな時にくつろいでいないで、お前らで何とかしろ」と叱責した状況について) ●NKビルより出て行った清水・渡辺純一を追いかけて行った状況 自分が殺したくないという訳ではないが何としてでも殺害の流れを止めたく、また「人生でこれほどまでに追い込まれた事は無い」という状況で清水・渡辺純一を追いかけた。 以下は当時のやり取り。 伊藤「社長、見捨てないですよね」 渡辺純一「社長社長言ってんじゃねえ。一丁前の口聞いて何かあったら付いてくるな。ふざけるんじゃねえ」 清水・渡辺純一はそのまま行ってしまう。 ●Y1との交渉が決裂し、状況を清水に報告した後の状況 「分かりました。後の事はそっちで全部やって下さい。その後の事はこっちで当たりますから」と清水より電話で言われた。 伊藤にとり駄目押し・死刑宣告に等しい内容だった。 なすすべが無くなり、人生が終わったと思った。 命令に逆らえば妻子が殺されると考えた。 ●aさん、dさん殺害状況 同部屋に居たC・Dに「(清水に)こっちでやれと言われた」と告げた。 当時は伊藤自身、混乱の極みにあり、心身耕弱状態だった。 究極の選択を強いられ、心の中がグチャグチャだった。 耐えられない、逃げたい、悪夢だ、殺したくない、奇跡よ起きてくれ、しかし家族を守らなくては、という心境であった。 Cも伊藤を見て「追い詰められている」と感じたという。 殺害実行後は「これで妻・子供は生き延びられるな」と思い全ての気力を失い、ただその場に呆然としていた。 ●4名の遺棄状況 Cが主導となり、伊藤は補佐の役割であった。 遺棄後の居酒屋「村さ来」での会合時、伊藤について「落ち込んでいた」と共犯の多くが言っている。 ●事件後の状況 渡辺純一に 「(自首したら)家族ごとグチャグチャにするからな」 「刑務所に行っても、ハト飛ばすぞ」 「これからは俺の指示に従え」 と脅され軟禁状態にされ、また恐喝をされていて自首できなかった。 伊藤は事件後は詐欺を再開しておらず、また詐欺に関わっていない。 被害者への示談は進んでいない。 伊藤の父が被害者4名の遺族に100万円ずつ支払ったがcさんの遺族は受け取らなかった。 更正の機会があれば更正の可能性が現在もあると考えている。 ●生い立ち 昭和49年6月9日出生。 向上心が強く真面目で、動物を飼う優しい性格であり、両親の誕生日、結婚記念日に電話をしていた。 平成15年8月 Y12さんと結婚 ●事件後の伊藤の心境 心から深く反省している。 人命は尊いという認識があり深く落ち込んでいる。 初公判の冒頭意見陳述においても反省を述べている。 遺族に謝罪の手紙を送り「死んで詫びるしかない」と考えるようになった。 ●伊藤の家族の証言 伊藤の父「玲雄はしてはいけない事をしたが父として支えてきたいと思う」 Y12(現在は元妻)「子供の写真を百枚以上手紙で差し入れました。 玲雄とは縁を切ろうと思ったが、今は刑が確定するまで見ていきたいと思う」と述べている。 ●量刑について (永山基準を引き合いに出し)死刑は重過ぎる。 強盗殺人や第三者が被害者の事件ではない。 被害者4名を監禁した目的は反目計画を聞き出す事が主旨であり、被害者にも落ち度がある。 殺害実行行為は「家族を守るため」に追い詰められての結果である。 被害者4名が行方不明になれば、知人である伊藤は警察に怪しまる。 またaさんの車は警察が押収しており、近い将来に伊藤自身が収監される事は分かっていた。 被害者4名への暴行の程度は他の共犯者と比較し、量・質ともに少ない。 殺害行為については残虐性は無い。 被害者遺族の方々の感情が強い事については、犯行の結果から見れば当然であり、伊藤自身も謝罪の意志を持ち続ける事を表明している。 伊藤は現在32歳であり、やり直しがきく年齢である。 aさんの拉致を実行する際、見張りも無く、杜撰と言える行為であり、殺害という結果に繋がるとは思っていなかった。 京王プラザホテル合議で清水・渡辺純一・Cが被害者4名の殺害する方向に話しを持っていった事について「幼稚な思いつき」と感じた。 清水より殺害命令を受け、断腸の思いで殺害行為を行った。 一連の犯行については、絶対的権力を持つ清水大志と、狂気の凶暴性を持つ渡辺純一が居た事が事件に繋がった。 両名に逆らえる状況に無かった伊藤が、両名と同じ刑になる事は正義に反する。 伊藤を懲役刑に処する事を弁護側として切望します。 11:16 被告人Dに対する弁護側最終弁論開始(弁護人名 不明) 以下弁論内容。 被告人D自身「こんな大事件に発展するとは思わなかった」と述べており、清水・渡辺純一の存在があったからこそ事件が引き起こされたのである。 被害者4名が計画した反目計画が実行されていたら山に埋められていたのは被告人等であったかも知れず、立腹した為に暴行したのでは無く、計画を聞き出す為にやむを得ず暴行に及んだものである。 暴行に使用した凶器(金属バット・熱湯)については渡辺純一が独断で暴走して使用したものであり、DとH、Gも被害者をかわいそうに思い、治療の為の薬を買ってきている。 事件中は渡辺純一の一言で自身の立場がどうなるか分からない不安定な状況であった。 DはGと相談し一緒に逃げようと考えたが渡辺純一が怖く、結局逃げられなかった。 cさん死亡については殺人ではなく傷害致死が適用される。 (弁論内容は伊藤の内容とほぼ同様) aさん・dさん殺害行為については絶対絶命の状態で意に反しての行動だった。 「清水と渡辺純一から『家族と子供を巻き込む』と言う言葉が無ければ逃げるか自首していたと思う」と述べている。 殺害行為は「生きる為、家族を守る為」に行ったものである。 aさん・dさん殺害については起訴状内容を一貫して認めている。 cさんの死亡経緯については医学的見地からしても検察は殺人を立証できていない。 清水が電話で伊藤を突き放した時点でaさん・dさん殺害が決まった事が分かった。 伊藤と目が会い、Dは立ち上がりaさんに近づいた。 aさん殺害後、Cが「次d、次d’」と言い、伊藤、C、Dがdさんに近づいていった。 当時、DはCについて「見届け人」と考えていた。 aさんは伊藤の親友なのに、残虐にも伊藤を含む振り込め詐欺組織幹部を中国人に拉致させる反目計画を立てている。 この点の残虐さについては渡辺純一に劣らないものである。 被害者を批判する事は心苦しいが弁護士の職務として敢えて指摘致する。 Dは毎朝晩、被害者に手を合わせて謝罪している。 謝罪はいくらしてもしきれないと思っている。 子供が成人した時に出所出来る様、減刑をお願い致します。 11:44 閉廷 13:12 3被告人入廷 13:15 裁判長入廷 再開 13:15 被告人Cに対する弁護側最終弁論開始(カワサキ弁護人) 以下弁論内容。 本件犯行についてCとしてもお詫び申し上げています。 弁護人としてもご冥福をお祈りします。 起訴状については殆ど認めますが一部争う箇所があります。 Cは拉致には関与しておらず、10月14日AM3:00より監禁に関与している。 清水・渡辺純一に電話で無理矢理呼ばれてNKビルに行った際、被害者らは既に監禁状態にあった。 Cは当時詐欺を中断しており、清水に「どうすんの?やめんの?」と不信感を持たれていた。 NKビルに呼ばれた際、監禁暴行の様子をただ見ているだけでは清水に何か言われそうなので、自己保身の為、bさんを殴った。 清水と同じ立場である事を思わせる為であり、ボクシンググローブを付けて殴ったが威力は弱いものである。 「Y1に中国人の件を確認したい」と言い、清水の許可を得て外出しようとする際、渡辺純一に「部長、大丈夫?逃げたら並べちゃうよ」と言われた。 実際の監禁暴行されている被害者を見ていてリアルに恐怖を感じた。 清水・渡辺純一に脅される形で、Cは監禁に引きずり込まれた。 暴行で「熱湯を掛ける」という事についてCにとり全くの予想外であった。 熱湯を掛けたのは渡辺純一・Iが暴走して勝手に行った事である。 bさんの死因が熱湯に起因するものであれば、Cはbさんの傷害致死について責任は無い。 暴行後のaさんら被害者4名の処置について、清水は警察に発覚するのを恐れ 清水「aは生きて返せない」 C「殺しちゃうって事ですか?」 清水「ここでは話せない」 と言い、京王プラザホテルに移動した。 (上記会話の場所はよく聞き取れなかったが、NKビルと思われる) 京王プラザホテルにてaさんら4名の処置について話合いが実施された。 (8人が出席) 「シャブ漬けにする」「マグロ船に乗せる」「闇医者に見せる」という案が出たが、却下された。 渡辺純一に「部長はどう思うんだ」と聞かれ、「消すしかないでしょう」と言うしかなかった。 会議に出席している皆が思っている総意を発言したものである。 その後の話合いで、Cと伊藤が4名の処置についてY1と交渉する事が決まる。 10月16日午前3:00 ヒルトンホテルよりCがY1に電話した際、「殺しは受けられない。死体にしてから持って来い。顔も潰して指も詰めろ」と伝えられる。 ヒルトンホテルではC・伊藤ともにバスローブを着てルームサービスの食事を取っていた。 合流した渡辺純一に「てめえこんな時にこんな格好でくつろいでんじゃねえよ」と叱責を受け、Y1との交渉がうまくいっていない事についても叱責を受ける。 この時、Cは渡辺純一に、伊藤・Dの補佐に付く事、Y1に4名の処置を断られた場合、伊藤の殺害行為を手伝う事の指示を受けた。 cさんへの殺意は不存在である。 Y1に処置をはぐらかされ、Cから伊藤に交渉役を交代する事となった。 10月16日午前10:00 cさんの体にガムテープを巻く。 C・伊藤・Dともに「ガムテープを巻くのはあくまでもY1に生きたまま渡すため」という認識であり、死亡する事は全く予想しておらず殺意は存在しない。 cさんの死因について(検視した)X1医師は公判において「遺体は半腐乱・死蝋化していて臓器損傷の確認が出来ない。 覚醒剤の要因もあり死因は不明である」と証言している。 10月16日午後2:00〜3:00 cさんの無理な呼吸音が聞こえ「うっ」と声を出し呼吸を再開する。 2〜3分後、「うっ」と言い動かなくなった。 「スースー」と言った後、静かに眠るように亡くなった。 cさんの肋骨骨折は生前か死後によるものかは、現在も不明である。 10月16日午後3:15頃 cさんの死亡をY1に知らせると、Y1との交渉は決裂した。 伊藤はcさんの死亡、Y1との交渉決裂を清水に電話で報告すると「そっちでやってくれ」と言われる。 Cはあまりにも急にaさん、dさんに殺害が決まり、一緒にバーベキューに行った事があるdさんが殺されてしまうのはあまりにもひどいと感じた。 Cは二人に何かしてあげられる事はないかと思い、aさん、dさんにコカコーラを飲ませた。 aさん殺害の体勢を取る伊藤・Dに視線を投げられ、Cはaさんの足を押さえた。 dさん殺害についても同様に足を押さえた。 殺害行為を手伝わなければ「Cは裏切った。伊藤・Dに押し付けた」と清水・渡辺純一に言われる恐怖・負い目があったからである。 Cは殺害した二人の足を押さえただけであり、殺人への関与度合いは伊藤・Dとは著しく異なる。 ●自首の成立について 2005年2月22日、詐欺容疑にて徳島県警に逮捕される。 取調担当官はY4警部補で当初、詐欺容疑については否認した。 取調べの中で「明日(3月4日)はお前の誕生日やな。生まれ変わったらどないぞ」と言われ、告白する事の重大性に「一日時間を下さい」と返答する。 3月4日に詐欺容疑を認め、4名の被害者を死亡させた全容を話す。 4月初旬〜5月中旬にかけ千葉県警よりY13・Y14の二警察官が徳島県鳴門警察署に来てCを取り調べ、千葉県船橋警察署宛に上申書を提出した。 Cは事件を反省し真摯な気持ちから自ら進んで、殺害の全容を申告した。 当時の記憶に基づき全てを詳細に話しており、事件解決に大きく貢献している。 法的にも自首は成立する。 Cは高校まで岐阜市で生活していた。元々は純朴で夢を追いかける青年だった。 補導歴は無い。 2000年3月、音楽で生計を立てる事を目指し目黒に上京した。 読売新聞奨学生寮に住み、朝刊・夕刊の配達、集金やガソリンスタンドの仕事をし、また音楽家の付き人をして、ひたむきに音楽の勉強をした。 父、母、兄も「事件の全容を知らなければ更正に手助けを出来ない」と公判を傍聴していて、父も「必ず更正させる」と誓っている。 勾留されていた千葉県行徳警察署では旧約聖書を読み、現在はキリスト教徒の洗礼を受けている。 (詳細な時期は聞き取れなかったが)自らの音楽への才能を感じるようになり、同時期、友人より清水を紹介され、清水に対し音楽プロデュースの夢を語る。 2003年5月、清水の経営する会社「PRC」に誘われ入社し、音楽部門を立ち上げる。 「モードクラシック」分野を開拓し、ミュージックエンターテイメント事業部長に就任した。 2003年12月、清水より融資保証金詐欺に誘われる。 「PRC」で面倒を見てもらっている負い目があり清水の依頼を断れず、誘われるがままに引きづられてしまった。 融資保証金詐欺から架空請求詐欺に移行する際も、当然の如く参加した。 詐欺行為については清水の強引な誘いがあったものであるが、弁解の余地は無く、弁護人としても申し訳ないと思っている。 2004年8月、会社「バンディット」を立ち上げ、詐欺行為の現場からは離れる。 Cは部下のQに詐欺行為を移管し、詐取した現金の管理のみを行うようになった。 2004年9月中旬、清水が詐欺行為の再開を求めてきた。 Cは「バンディット」の経営に忙しかったが ・善悪の感覚が麻痺していた ・清水の要求を断れなかった ・金があれば、多方面に経営が出来る との思いから2004年10月6日より詐欺行為を再開した。 ●詐欺行為での被害者に対する弁償について 取調べにおいて被害者にどれ程までに経済的苦痛を与えていたかを知り、被害者25名に対し詐取金額の3%を弁償した。 (被害者1名は弁償を受け取らず) ●事件当時の犯行グループの役割について 清水大志・・・絶対的権限を持つ存在であった。 伊藤玲雄・・・元ヤミ金経営者で修羅場をくぐって来ていて、清水と同等の地位にあったが、被害者を監禁した後は、渡辺純一に引きづられるようになった。 渡辺純一・・・威圧的、暴力的で犯行グループ内で大きな勢力を形勢していた。 事件を通して直情径行と暴力性を余すところ無く発揮した。 Cについては「裏社会では役に立たない」と評価していた。 D・・・「メロン」(清水が統括していた詐欺グループ)の店長で、清水と中学校の同級生であり、中学時代は粗暴であったという。 H・・・当時は別の事件で仮釈放中であり、清水と不良仲間だった。 F・・・覚醒剤使用者であり、粗暴性があった。 G・・・清水と小中学校の同級生で大麻、覚醒剤使用者だった。 I・・・渡辺純一の舎弟のような存在だった。 E・・・清水の中学校の同級生で不良仲間だった。 暴走族グループ「モッコリーズ」メンバー。 O・・・ Eと暴走族グループが一緒で、Eには逆らえなかった。 事件中は渡辺純一グループに属していた。 N・・・ 清水が経営していたうどん店「テネキュウ」一号店店長だった。 P・・・ Cの部下だった。 事件中は話しや相談をする相手はおらず、孤立した状態だった。 暴力を振るった事も振るわれた事も無く、暴力に対する恐怖は人一倍あった。 反目グループの役割は、bさん→主犯、aさん→中国人との連絡役、cさん→拉致対象者の情報収集と聞かされた。 4名への暴行についてCが関与した程度は、他の共犯者と比較して著しく低い。 熱湯を掛けた事で被害者の皮膚に出来た水泡を潰してマキロンを買ってこさせ、またニガリを掛け治療している。 (医学的には間違った治療であるがCは良かれと思い上記処置を行っている) 他の共犯者に裏切り者と見なされない程度に4名に気を使っている。 4名の死体遺棄後に居酒屋「村さ来」にて渡辺純一に「俺が主犯でやったんだからな。死刑か無期だな。絶対言うんじゃねえぞ」と口止めされる。 Cは毎日被害者4名の冥福を祈っている。 2006年7月、Cの父が死体遺棄現場を訪れ、花をたむけている。 被害者4名の対し、それぞれ500万円を見舞いとして贈っている。 (cさんの遺族は受け取りを拒否した) Cが逮捕前に所有していたマンションは売却している。 2005年3月4日に犯行の全容を告白しており、清水に出会う前の真摯なCに戻っている。若年であり、寛大な判決を求めます。 裁判長「熱湯を掛けた行為が死因であるという点が争点なのですか?」 カワサキ弁護人「Cには予想出来なかったという事です」 14:48 伊藤玲雄 最終意見陳述 伊藤、証言台の前に移動して一礼、座る。 用意してきた書面を読み上げる。 「まずはbさん、cさん、aさん、dさんのご冥福を深くお祈り致します。 大それた事件を起こしてしまい申し訳無さ過ぎて言葉も見つかりません。 起訴内容は大筋で認めます。 私としては精一杯真実をお伝えしたつもりです。 理屈っぽいと思われても事件と正面から向き合ってきました。 『生き延びる為』と言う言葉を検察は意味を取り違えています。 事件後にじっくりと見渡せば、逃げる可能性はゼロでは無かったですが、当時はどうしても逃げる事が出来ませんでした。 当時の私にはそれしか出来ませんでした。 検察にしても完全に意味を取り違えています。 犯行を重ねたくないと清水を追いかけた直後に殺したいと思うわけがないです。 一貫して事実を認めたうえで、刑を軽くしようと思ってそういう発言をしているのではありません。 深く後悔して反省の気持ちでいっぱいです。 どれだけ多くの方に深い悲しみを与えてしまった事を深く深く反省しています。 毎日欠かさず独房の中で被害者の冥福を祈っています。 日々ラジオから流れてくる悲しい事件に、自分の事と重なってしまい悲しく息苦しくなっています。 いまだに事件の夢を見てまともに眠る事が出来ません。 被害者に土下座して誤り続ける自分を第三者の立場で見るという不思議な内容の夢を見ました。 被害者の家族、自分の家族の人生も崩壊させてしまい、もうどんな事があったとしてもこんな事は犯しません。 だから更正不可能という事はございません。 地球上から抹殺されてしまう事は余りにも悲し過ぎます。 私の命もかけがえの無いものと考え、生きて贖罪して私の犯した事の重大性を思い、生き地獄の中でお詫びさせて下さい。 社会人として生きる資格は無いですが、人間の端くれとしてどうか私に生きて罪を償い続けご供養させていただく道を与えて下さい。 最後に被害者4名、(自分の)妻と子供に本当に申し訳なく思い、謝罪させていただきます。 本当に申し訳ございませんでした」 15:00 D 最終意見陳述 D、証言台の前に移動して涙声で陳述を始める。 「私が今回してしまった事は私がどんな状況に置かれたとしても絶対に許される事ではございません。 私がこれから先どのように償っていけばいいか正直分かりません。 それが今回起こした事の責任の重さだと思っています。 私は今回の事件で被害者になる事も出来ましたが、私は被害者になる道を選ぶ事が出来ませんでした。 私は被害者と同じ道を選ぶべきでした。 今はそれが後悔でなりません。 妻と母より『あなたが被害者であればどれだけ楽だったか』と責められました。 bさん、cさん、aさん、d君に対して『ごめんなさい。すいません』と言い続けたいです。 bさん、cさん、aさん、d君に対してご冥福をお祈りする事を許して下さい。 本当に申し訳ありませんでした」 D、裁判長に一礼した後、傍聴席に向き直り、 「本当に申し訳ありませんでした」と一礼した。 15:04 C 最終意見陳述 C、証言台の前に移動して用意してきた書面を早口で読み上げる。 「私は公判の証言では嘘をついていません。 事件の全体像について警察・検察の観点のずれを感じました。 この事件を正しい目で見てくれるようにと思います。 dさんが渡辺純一に手錠をされたのを見て裏切り行為への恐怖を感じました。 事件中は渡辺純一の威圧の中で思考停止になっていました。 なぜ清水に呼ばれてNKビルに行ったのか自分でも分かりません。 殺害行為については伊藤・Dの気迫に押されて手伝ったのだと思います。 cさんへの行為について殺人罪で処罰される事は十分予想していました。 私に出来る事の償いは正直に真実を述べることです」 C、書面を読み終わり、ゆっくりとした口調で自身の考えを陳述する。 「私はひどく偏愛的な人間でした。 清水大志の影響もありましたが『自分の周りの人間が幸せであれば他の人の事なんてどうだっていいじゃないか』という言葉に同調してしまいました。 4名の方々を許せなかったから殺したわけではありませんが、当時の私は事件については『やる方もやられる方も悪いんだ』と冷酷な目で見ていました。 もし私に本当に許してやろうという気があったなら、体を張ってでも4人への暴行を止めていたと思います。 今更ながら心から後悔しています。 詐欺の被害者にも本当に申し訳なく思っています。 到底償いきれないと思っています。 本当に心から申し訳なく思っています。」 裁判長と傍聴席にそれぞれ一礼して陳述を終了した。 15:15 裁判長より次回日程を告げ、閉廷 | |||
事件概要 | 3被告は架空請求詐欺グループの仲間割れから、2004年10月14日、他の被告と共に対立するメンバーを拉致し、東京都新宿区内のビル事務所で1名を暴行の末死亡させ、3名を殺害したとされる。 | ||
報告者 | S325さん |