裁判所・部 静岡地方裁判所・刑事部合議係
事件番号 平成17年(わ)第105号等
事件名 公務執行妨害、傷害、器物損壊、強盗殺人、銃砲刀剣類所持等取締法違反、住居侵入
被告名
担当判事 竹花俊徳(裁判長)
その他 書記官:星野
弁護人:小川
日付 2006.2.14 内容 論告

 2月14日、強盗殺人などの罪に問われたA被告の論告・弁論公判が静岡地裁(竹花俊徳裁判長)で開かれた。
 31枚の一般傍聴券を求めて、傍聴希望者が駐車場に列をなし場倍率は5倍に達した。僕は外れてしまったが、女性記者が社に戻るということで、傍聴券を配慮でもらって弁護人の最終弁論から入廷した。心から御礼申し上げます。

 A被告は緑の服を着た、髪が襟までかかり、極端に痩せている男性だった。ずっと落ち込んだように下を向いていた。
 検察官は目の小さい白髪の男性と若い男女、弁護人は2名いた。

 検察側は「独善的な思い込みで2人を惨殺した結果はあまりにも重大」としてA被告に死刑を求刑した。

−弁護人の最終弁論−
■死刑の違憲性■
 最高裁の死刑は違憲ではないとの判断は解釈論として粗雑である。全体として単純で憲法の理念と合致しない。特別予防の見地というが、死刑に特別な威嚇力が備わっているのかは立証されていない。全体主義的な理論であり、個人主義の憲法とは合致しないのである。その判断には憲法の人格保障の意義が書いていない。
 火あぶりや釜茹でが残虐な刑罰なのに、絞首刑は残虐でないのか。被告人はこの事件で被害者が苦しまないように気絶させたうえで殺害したわけだが、苦痛を感じないよう配慮したからと言って残虐性は否定できない。死刑における殺害の方法如何は何ら問題にならない。どのようにしろ人間にとってこれ以上の残虐な行為はない。最高裁の死刑判断は粗雑で評価するに値しない。
 憲法の理念では死刑とは法制度であり、この制度のあり方を決めるのが憲法なのだ。憲法の価値基準で死刑を考えるのは当然だ。生命権の剥奪である死刑の法制度は憲法の理念に適さない。100歩譲って合憲だとしても、多数の死刑にせよとの感情は一見民主的に見えるが、単なる主観的な意見の集合であり、多数決によって決めることはできない。死刑の存廃は憲法の基本原理を前提にすべきだ。
 本件はなぜ犯行に至ったのか何ら解明されていない。被告人が独自の思考方法を形成するに至った過程に対して審理は尽くされていない。未だ闇の中で人格形成の解明がなされていないのに、被告人の生命を奪うことになる。被告人を十分に理解しないまま、死刑を適用するのは許されない。
検察官「異議があります!この事件は強盗殺人で起訴されており、弁護人も殺人は認めている。殺人の法定刑にも死刑はあり、争点とするなら審理の段階ですべき。最終弁論の段階でこのような主張をするのは極めて不当であります」
弁護人「死刑を求刑したのは検察ではないですか!」
 双方が揉みあう。
裁判長「合議の結果、これを不適当とは認めません。ただ検察側にはこれに対する補充論告の機会を与えます。異議があったことは公判記録に記載しておきます」
検察官「そこ(補充論告)は検討します」

■侵入経路■
 検察官は事件のあったY1クリニックに東側から侵入したと主張している。ところが被告人は市道を北上し、入ったのは西側だと主張している。検察官の主張は以下のことから合理性がない。
 目撃者は断定的に証言しているので確信的かと思われるが、それは識別能力を優位的にするものではない。その真偽たらしめるものを明らかにするのは困難だ。目撃者の証言内容では、信号待ちの被告人を目撃したとある。だが1月下旬はもう暗く、はっきりと目撃できるはずがない。よほど特と見ない限り、すれ違ったら忘れるのが普通であり、目撃者はごく短時間見たに過ぎない。短時間に目撃し、「上目遣いで、睨むように私を見ていたので怖かった」と言っている。そもそもちゃんと見ていたのか疑わしい。
 目撃者は、髪は整髪料をつけていない、目つきが鋭い、何かガッチリしていて筋肉質だったと証言していて、公判廷で被告人を見たとき「痩せたような感じがしました」と言っている。それなのに被告人がどんな荷物を持っていたかや乗っている自転車について記憶がないことは不自然だ。顔や目つきを明確に証言している人が、自転車は服装について覚えていないというのは不自然なのである。
 また目が特色だと言っているが、何で暗闇のなかで目だけ見れるのか。「目が怖かった」というのは印象に過ぎない。目撃者の証言は信用性がなく、検察官の侵入経路に対する証拠はならない。
 そもそも殺人という行為を認めている被告人が何ら嘘をつく理由がない。「車の量も少なく、暗いからです。人目につかないようにした」という被告人の供述は合理的で信用性が高い。
 睨み付けるようにしたというのも、これから犯罪を犯すような人間がいかにも相手の印象に残るようなことはしないものだ。
 被告人は公判廷で衝撃的とも言われる、殺人を認めたあと真摯に真実を述べている。以上のことから侵入経路については「西」と認定すべきだ。

■着衣■
 検察官の主張は合理的でない。
 検察官は、対応に出たY1医師の自信を持った証言を証拠にしているが、被告人には犯行当時の些末な点で嘘をつく必要がない。
 被告人は犯行当時には他の客もいないこともあって「ある程度目立つ格好でもいい」と供述している。この供述は迫真性があって信用できる。
 検察官の主張する、また被告人の主張する服は両方とも実際に存在している。その服には血痕が付着していないのは不合理だというが、気絶させて背後から喉を切ったものであり不合理ではない。

■凶器■
 凶器について検察官はランボーVラガーナイフ、被告人はファイティングナイフを使ったと言っている。
 だが検察官の言うランボーVラガーナイフは実物が存在しない。証人も被告人がランボーVラガーナイフを譲り受けた事実はないと証言している。検察官は「aさんに対して申し訳ないと思った」という理由から被告人はランボーVラガーナイフを使ったことを否定しているというが、単なる憶測で凶器を特定している。
 被害者の首の傷はbさんは長さ20cm・深さ2.0cm、aさんは長さ17cm・深さ2.5cmだったのであり、ファイティングナイフでも矛盾はない。
 そもそも何度も繰り返しているように被告人には嘘をつく理由がない。

■殺意が生じた時期■
 検察官は、被告人は今度こそY1を殺害して金員を強取しようとしていたとして、被告人がY1クリニックに向かう以前から殺害を計画していたと主張している。
 だが実際は被告人はY1一人を殺害するためにY1クリニックに行ったが、Y1が不在でたまたま居合わせた2名の従業員に「Y1は帰っていない」と言われて殺害に及んだものである。
 被告人はY2の死に対し、Y1医師のみに深く恨みを募らせたのであり、それ以外を恨む理由がない。
 検察官は被告人がドンキホーテを辞めてから収入が途絶え、家賃も払っていないことを理由に金員強取の意図があったというが、それならなぜ多額の現金が残されていたのか。
 被告人はレジスターや被害者のバッグを確認しているが、実際には奪っていない。合計36万あったが、6万しか奪っていない。そのまま、特にお札なんかを残しているのは不合理で、強取目的なら理解できない。被告人はもともとお金を取るつもりはなく、このまま逃走すると被告人が犯人だとバレるから、流しの犯行に見せかけて混乱させようと強盗に見せかけたと話している。
 被告人はアルバイトとして勤務していたドンキホーテを辞め、アニメ同好会に所有していたものを贈与してから退会した。それはY1を殺害したあと被告人は自殺するつもりだったからである。つまり何ら現金は必要なかった。
 現金が目的なら身辺整理する目的もなく、当初からY1を殺害したと自殺しようとしていた。
 検察官は、被告人がY1だけではなくクリニックの関係者に対しても恨みを募らせていた、そのため当初から2人を殺害するつもりだったと主張している。
 だが被告人の恨みの対象はY1のみで、それは捜査段階のときでも、証人尋問が行われたときの被告人の態度でも明らかだ。
 被告人はビデオリンク方式で証言するY1を睨み付け、体を震わせた。取調べでも被告人は「一息にY1を殺害することはせず、手足を切ったりして苦しめたい」と供述しており、Y1の殺害には極めて残虐な手段を考えていた。
 被告人は被害者を別々の部屋に移し、気絶させてから殺害した。被害者の苦しみを軽減される理由があったためである。

■強盗殺人の犯意■
 本件は殺人罪に当たる。本件では被害者を殺害した際現金を6万程度奪っているが、殺害はあくまで口封じで、現金を奪ったのも後日のY1殺害のため捜査機関を撹乱させるためであった。
 動機はY1を殺害するまで警察に把握されないようにしようというものであり、したがって現金を奪うことに何ら意思がなく、強盗殺人は成立しない。
 現金に血が付いていたので銀行のATMに向かって、同額の現金を引き出せるようにしたが、その理由は隠すためで「どんどん流出してしまえ、被害者の血痕と被告人の指紋がついた現金を流通に乗せて拡散させる」目的があった。これも強盗殺人とは評価できない。
■公務執行妨害■
 この件は警察官らが任意捜査なのに実力を持って強制的に取り調べを行おうとして起きたものである。
 警察は踏むべき捜査の行為を踏んでいない。Y3やY4はそのような事実はないと言っているが、被告人は任意同行で署に赴いて12時間以上深夜まで取り調べを受けた。被告人が帰ろうと廊下に出たら、警察官は手を前にして阻止した。
 被告人が逮捕された際ロッカーがずれていたが、それは被告人が帰ろうとしがみついて出来たもので、実力阻止した何よりの証左である。被告人が興奮してロッカーをずらしたなどということは、また被告人はY1の殺害の機会を伺っていたのであり、公務執行妨害で逮捕されるようなことをする必要がない。
 Y5に対する暴行の件も、それは被告人の肩を掴んで引っ張らなければ起こらないものだった。実力阻止しようとして被告人の足がY5の頭に当たってしまったのである。被告人にはY1殺害の機会を潰すようなことをする必要がない。
 被告人は帰るのを阻止する警察を威嚇するために椅子を持ち上げた。これらは静岡南警察署が被告人が帰るのを実力を持って阻止しようと無令状でなされた違法な取調べである。警察の捜査が適法性を欠くため、公務執行妨害は発生しない。
 傷害についても、警察官による違法な逮捕監禁、暴行があったのであり、被告人の行為は正当防衛である。
 器物損壊も警察官が4人がかりで来るのを止めるには、椅子を持ち上げて威嚇せざるを得ないのであり、当たらない。

■情状■
 本件は2人の女性をナイフで切り裂き残虐だと言われるが、殺害の方法として残虐と言えるかは疑問がある。
 被告人は被害者に死の苦痛や恐怖を感じさせないよう、羽交い絞めにして気絶させて殺害している。鑑定書には喉を絞められて窒息したとの記載もあり、それが裏付けられる。被害者が直前の死の危険を認識する前に死んだことは幸いである。
 被告人は捜査段階で犯行を否認・黙秘し、公判は長期化が予想されたが、衝撃的にも第1回公判で殺害を認めた。裁判官や検察官、弁護人の質問に対し真摯に証言していて、せめて遺族に真実を明らかにすることが責務であると考えた。
 遺族はY2さんを失った自分と同じだと話しており、被告人の人間性が見える。
 遺族にどのような言葉をかけるか見当たらない。被告人は「今更死んでも2人は帰ってこない」と言っている。
 被告人には申し訳ないという言葉は白々しいとも思いがあり、謝罪することを遺族から拒否されていることもあり、被告人なりの精一杯の謝罪の言葉がそれである。
 被害者に対する偽りのない気持ちは、取り返しのつかないことをしてしまったというもので、重大な犯行を認識し、どうやったら償えるのか思い至っている。
 第14回公判で、被告人は公判廷で遺族に土下座した。頭を下げて体を震わせ、裁判長から促されるまで続けた。
 犯行当時は24歳の若年で、静岡大学人文学部第二部に通っていた。前科はもちろん前歴や補導歴もない。
 なぜこのような犯行が起きたのか考えることが大事だ。
 殺人罪の量刑は上限が30年まで引き上げられた。
 殺人の法定刑が5年〜死刑まであるのは、犯行の動機が争点になっているからではないか。例えば介護殺人や家庭内暴力に耐えかねての殺人では執行猶予がつくケースもあることから、それは明らかだ。つまり動機が重要なのである。
 被告人はY2の死に対するY1の恨みなどから2人を殺害した。このまま引き下がっていたのではY1殺害を達成できないという口封じ目的だった。
 Y2は末期ガンで医学での治療も不可能な状態だった。そのY2に対しY1は、サウンドエナジー療法なるものを施し、機器などを買わせて食い物にしていると被告人は考えた。
 Y1は名古屋大学医学部から名古屋大学医学部大学院まで卒業しており、Y2は直腸ガンの末期で何でも試みる状態だった。生理食塩水の点滴から始まり、このテープの音を聞けばガンが治ると言われた。大真面目にこんな方法でガンが治るということに、誰でも怒りを感じるのは理解できなくない。
 被告人はY2さんがそばにいるだけで心から幸福を感じた。再入院ののち、被告人が見舞いに行くと、Y2は音楽を聴いていた。このようなY2の姿を見てあまりにも哀れで、詐欺的な営業活動に憤りを覚えた。
 そのY2の死に被告人は「生きる意味も気力も失った」といい身内の死以上に大きな喪失感を感じた。そのため復讐の念も大きくなった。
 被告人はY2の末期ガンがY1の責任ではないこと、Y1の療法が死を早めたわけではないことは自覚していた。では復讐としての殺害意思がなぜ生まれたのか。被告人は「プロだから」と言っている。プロだからガンを治さなければならないという。なのに偽善的な治療をした。
 生前Y2に被告人は「もしあなたが治らなかったら、Y1直樹を殺すよ」と言ったところ、Y2は「殺して」と返事した。Y2は本気ではなかっただろうが、Y1クリニックのパンフレットを渡されたことで本気にした。
 被告人はその後Y2に面会できず、その後の真意は分からなかった。
 被告人はY2の死に生きる意味を失い、「人間としての存在価値はない。殺害するという確約を履行するだけだ」と決意した。
 被告人自身の可能性を探ろうと、アルバイトや公務員試験に挑戦したが、結局意義を見出せなかった。
 被告人はY1を殺害するのが絶対的な目的だと考え、従業員を殺めないままY1を待つのが考えられなかった。目的のために無関係な2名を殺害するのはあまりにも短絡的で、2人殺すのに躊躇はしたが結局殺害してしまった。
 被告人の場合なぜ規範意識が働かなかったのか疑問である。
 検察官は被告人はY1の関係者を殺すことも、現に同人の妻が経営する店で働いているので報復措置として意味があり想定していた、また現金を取ったことも被害者に直接的・間接的な被害を与える目的があったと主張する。
 被告人はその後の逮捕時にもY1殺害の執念をあらわにしていて、被害者を気絶させて別々の部屋で殺害したことは、目的達成のためやむをえず殺したと言うことができる。
 動機は私たちにはただちに理解できない。被告人が説明すればするほど理解できないのである。
 サウンドエナジーや生理食塩水の療法はあるにしてもY1をなぜ殺したいほど憎んだのか、「Y2との約束があった」というのなら冷静に真意を探る努力をして然るべきでなかったか、なぜ無関係な人を殺すことに規範的障害が働かなかったのか。
 弁護人が申請していた鑑定は公判では認められなかったが、大阪大学のY6氏の鑑定書では虐待による部分が大きいという。
 虐待であるが、両親とも公務員で都内の団地から栃木に移った。両親は共働きで母は組合活動に熱中し、父が母よりも早く帰宅して子ども達の食事などを作っていた。
 父は暴力を加えることに何ら躊躇しない人物だった。2歳〜中学まで連日暴力を受けた。父は夕食のときなど、グリルやまな板など台所の手元にあるもの全部手にとって被告人を殴っていたと長女は証言している。
 また真冬に全裸に庭に出されて、近所の人が嘲りの気持ちで見ていた。まさに虐待にほかならない。
 母は被告人に金は出すが、愛情をもって接したことがない。母は被告人の成績について全く違うことを証言しており、無関心だったことが分かる。
 父にいつも虐待されていて被告人は怪我をして、そこにハエがたかる有様だった。それで近所の人から「銀バエ」と言われ、また被告人はアトピーだから気持ち悪がられ苛められた。
 母は3人の子どもと別居したが、その理由は「夫が長男だけでなく次男にも暴力をやった」というものであり「なぜ次男に対した暴力で別れるのか」とあたかも自分が次男に対しての防波堤に過ぎなかったのかと思った。
 高校のとき被告人は一生懸命勉強し、周囲にもそれが認められた。進路実現のための努力が評価されたが、そこには被告人特有の「力のため」というものがあった。
 長女が大学生になり、被告人は小学生の次男の世話をするようになった。被告人は父がしたのと同様に次男が勉強しないと暴力を振るった。これを見た母親は被告人に「以後家の敷居を跨がせない」と告げた。
 高校では校内模試で1位になるなど、教師をして模範的と言わしめた。
 静岡大学に入ってからも理性的に行動し、規範意識も一見確立したかに見えた。
 被告人には確かに父親からの虐待の影響がある。その顕れが次男への暴力で、まさに虐待の世代間連鎖であり、暴力を正当化する理屈でそれは現れた。父親も幼児期から虐待していたと周囲に言っている。
 被告人は「生きがいって言うけど、俺の場合は憎しみだけが動力源で、ガキのころから叩き潰されて死にてえと思っていた。そこには良心とかは付け入る隙がない」と言っている。
 また被告人はよく「あなたたち人間は〜」とも言う。これは戦争でのサバイバーや長期に虐待を受けた者と同様の兆候だ。この「自分が無価値である」と考えるのは典型的な兆候だとされる。被告人は「静岡に来るまでは全部人を憎んでいた。全部壊してまっ平らになればいい」と考えていた。傭兵になりたいと考え、上級生の口から煙草を取り上げるなどしていた。この世界での存在を無と考えたことが、こんな大胆な犯行に駆り立てた。
 母親は激しい虐待を加えられた被告人を防波堤としか見てなく、すぐ見捨てた。
 Y6氏によれば被告人には脆弱性に対する怖さが認められ、父親の重篤な虐待や母親の無関心など幼児期の虐待がおおいに影響したという。
 トラウマとは心の傷のことで時間の経過で癒されることなくその人の障害となることを指す。トラウマは帰還兵のように成人以後のショックからなることと、幼い時期から虐待を受けたことでなる場合がある。前者はある程度人格が出来上がった上で起きているが、後者は人格の構図が定まっておらず人格全体を歪める。成人後のトラウマというのは自分でもよく認識しているが、幼児期のトラウマは自分でも認識できないのだ。この幼児期のトラウマが大きくかつ無意識的に影響しているというのがY6氏の言っている骨子であり前提である。幼児期の虐待が犯罪に結びつくケースは多くある。それが十分に考察されるべきだ。
 連続射殺事件の永山則夫は極貧のなか親に見捨てられて育った。結局永山は死刑が執行されてしまった。
 これまで生育歴は犯罪の責任だとは考えられなかった。子ども時代の虐待から生まれるトラウマは心の傷で、健全な判断能力を育成できなかった。行為者に全ての判断を負わせることはできない。子どもの心の傷は好き好んでやっているわけではない。これまでの生育歴のことは「そのような環境で育っても犯罪まで至るケースは少ない」とされてきた。だがトラウマの影響が大きいことと小さいことがあるのは何の不思議もない。成人になって子どものときの虐待は無関係と言って、この傷がどうやって癒されるのか考えてこなかった。これは病気と同じで虐待でできた心の傷は、精神療法の適用が可能と言って専門家も矯正可能性を認めている。
 検察官は虐待の影響があることを否定している。だが父は床拭き棒やまな板で被告人を殴打し、「暴力ではなくお仕置きです」などと言っていた。虐待であったかを具体的に認定する必要はない。
 また検察官は判断が間違っているのは被告人自身の人格が歪んでいるだけとも述べて、単なる人格障害のみと捉えて、被告人もその範疇にあると言っている。それをY6は否定している。良心に対する反省の欠如、社会的規則を無視する、ストレス耐性が低い、不都合なことを他人のせいにするというのを人格障害の判断基準としているが、被告人がアルバイトやアニメ同好会で周りから高い評価を受けていたことに照らすと当たらない。被告人は単なる人格障害とは明らかに異なる。
 被告人は自分には何も責任のない幼児期の虐待から、人格の歪みが生まれた。人格の歪みが矯正可能なら精神的な病気と変わらない。是非、被告人には専門家の鑑定を受けさせてほしい。ところが裁判所にこれは認められなかった。これは司法の重要な役割であり社会の要請でもあったのに、それを認めなかった裁判所には謙虚にY6鑑定の趣旨を踏まえるよう願いたい。この問題は我が国ではようやく研究され始めた。単なる人格障害と排除することがないようにしてもらいたい。
 だが関係のない2人の命を奪った被告人の形責は重いことを弁護人としても認めざるを得ない。被告人を安易に軽く処罰することは許されないが、被告人は本件を深刻に受け止めている。これは一度だけの過ちであり、被告人はまだ若い。幼児期の虐待も、精神的な疾患と同様に減刑の事由となっている。これらを踏まえると、弁護人としては懲役20年が適正であると考える。ここで一言。

弁護人「A君、私は君に生きてもらいたい!君は辛い人生を送ってきた。人を信じることができないのも当然かもしれない。軽々しく言うなと思うかもしれないが、君は大切な命である」
 ここで検察官がまた横槍。
検察官「これは弁論の一部ではないのでは!制限していただきたい」
 弁護人には被告人に語り続ける。
裁判長「これは弁護人の意見ですし、被告人に意見を伝えるということは弁論の趣旨からずれるので、言い方を変えてもらえませんか」
弁護人「はい」
 検察官の指摘に、弁護人は君を被告人に直して弁論。

 被告人は人を殺めるために生まれきたわけでない。被告人の体や能力は無限であり、自信を持ってもらいたい。
 大きな過ちを犯してしまい、確かに取り返しがつかない。だが、今ではそれを自覚することができる。それを考え続けていくことが被告人の責務である。
 被告人でなければできないことがある。被告人に生きてほしいと考える人はたくさんいる。この法廷にもたくさんいることを信じてほしい。

裁判長「検察官、何かありますか」
検察官「2点異議があります。1点は人格障害関連でところで、Y7という学者の本をそのまま引用しているだけなので削除を求めます」
 もう一つの異議とは被告人が犯行現場では不当利得の意思がなかったと述べた箇所らしい。
弁護人「う〜ん・・・削除は構いませんが、趣旨は被告人は人格障害ではないということです」
 裁判長は人格障害関連の部分は削除する必要がないとした。
検察官「あと補充論告としましては、最高裁判決の死刑判断は憲法違反という弁護人の主張ですが、死刑に対する弁護人独自の見解ですので考慮すべきでないから、ただちに排斥されるべきだと思います」

−最終陳述−
裁判長「最後に被告人が述べておきたいことはありますか」
被告人「裁判に関係あることで言うべきことはすでに言いました。とくにありません」
 か細い消え入るような声だった。

 裁判長は次回の判決公判を6月12日13時20分からと定めた。検察官・弁護人ともに異論はなし。
被告人「もっと短くなりませんか」
裁判長「我々もきちんと検討したうえで判断したいから、そのくらいの時間はいただきたいということなんだけどね」
被告人「・・・」
裁判長「ね」
被告人「・・・」
裁判長「これで閉廷します」
 閉廷するとすぐに刑務官が被告人を素早く連行する。最後まで下を向いて、足元もおぼつかなかった。

 法廷の外で、弁護人と検察官を多数の報道陣が取り囲み、感想を求める。
 報道陣数人と検察官は近くにある静岡地方検察庁の建物に消えていった。
 年配の検察官は「疲れたね」と言っていた。
 女性検察官は「手首とかガリガリだったね」と言っていた。
 小川弁護士はやり手だったが、傍聴した限りでは、被告人は控訴せず、そのまま死刑確定の可能性が高いように思えた。

事件概要  A被告は、2005年1月28日、静岡県静岡市の健康用品販売店に、復讐心から店の経営者の夫を殺害しようと侵入して、店にいた女性店員2名を殺害したとされる。
報告者 insectさん


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