裁判所・部 | 仙台地方裁判所 | ||
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事件番号 | 不明 (裁判員事件) | ||
事件名 | 営利誘拐、逮捕監禁、強盗殺人、殺人 | ||
被告名 | B | ||
担当判事 | 鈴木信行(裁判長) | ||
日付 | 2010.8.24,8.25 | 内容 | |
aさん殺害はBがA達に持ちかけBの当時の住居で殺害。現場にもいました。 cさんはAが殺害を唆したと検察は述べていましたがBの決意で殺害決定。 Cを引き込んだのもBです。実行はBとC、トドメをさしたのはBです。 Aについてですが、cさん殺害現場にAはいませんでした。殺害計画をBと謀議し死体を埋める穴を事前に掘るなど補助的なことはしてるけど、実行に際しては「仲間だった人間を殺ったらうつになるから」と参加しませんでした。そのため、Aに重刑を課すには亘理の立証は不可欠で、Bとの間に司法取引があったのではと想像してしまいました。 B達は仙台でBTKというマフィアをモデルにしたグループを作っており力関係はBとcさんが2トップでその下にAらです。それとは別にBはヤクザに入っておりCの舎弟でした。 司法取引があった(?)かもしれませんがB自身は極刑も覚悟していたようで論告の間は青ざめ、放心したような顔をしていました。 ○aさん殺害 aさんの舎弟だったBは、aさんから突然暴力を振るわれたり理不尽な扱いをされることに恨みをつのらせ殺害を決意。親友のAらに殺害を持ちかける。そのため、AやDには全く利害関係はありません。 Aが鉄パイプで殴り、後ろからロープでDが首を絞めた。Bは自分が加わるスペースがなかったのでベッドから眺めていたそうです。Aの殴りっぷりは「鉄パイプで数十発という簡単な数じゃない。おもに顔や頭を中心に殴っていた」と。Dはこの事件のあと精神的におかしくなりうつのようになって家から出られなくなったそうです。 「aさんから逃げることは考えなかったのか?」 との問いには 「逃げるのは名誉をつぶすこと。生き方が間違っていたと。当時の自分としてはそれしか考えつかなかった。人を殺すことにたいして躊躇はあったがいつかはとらなけばならない道だと。それくらいの覚悟でこの世界に入ったので」 ○cさん殺害 殺害前にcさんを拷問して金の在り処を吐き出させるために茨城の別荘に寄った。ここではCが大活躍で「太ももを木刀で20〜30回殴りつけた」等供述してます。 瀕死のcさんを秋保の山林まで運び、事前の打ち合わせ通りここで初めてBが登場します。目隠しをされたcさんをCと2人で殺害。この時、Bがcさんの首をロープでしめているときに、cさんは目隠しを外しBの顔を見ます。渾身の力でBを突き飛ばして逃げようとしますが後ろからバールで殴りつけて殺害しました。この時髪の塊のようなものが飛び、登頂部のどこかが削れたのかと思ったがカツラでした。このカツラが飛んだ部分をCの供述とBのと二回も検察官が丁重に読み上げるので裁判員も微妙な顔をしていました。重要なんでしょうか? cさん殺害後、Aが何度も死体を動かそうと提案してきたので、Bは死体がなかったと聞いても不思議に思わなかったそうです。 「私が知るAは腐った死体を動かすぐらい平然とできます」と供述。 cさん、aさんに対しては自分達から望んでこの世界に入ってきたのだから殺らなきゃ殺られる世界ということで反省は薄いようでした。 ただ、遺族に対しては2度と会えなくさせてしまったのは申し訳ないと陳謝していました。 弁護人の読み上げていた中に「今日までの人生に1ミリの後悔もありません」という記述があったのが印象に残っています。 公判での供述は一貫してある種の誠実さが感じられましたが、自分の人生を清算するためかも知れないけど、自身の自供でかつての仲間を全員窮地に落としているってことでこの被告人の冷酷さも感じました。 なお、Bを傍聴に行ったのは懲役23年で済ませとけばいいのに、自分から不利な供述をするようになった心境が知りたかったのですが、現時点で真摯な反省をしているようには見えなかったです。 | |||
事件概要 |
B被告は、共犯と共に、以下の事件を起こしたとされる。 1:1999年1月31日、東京都中野区で、暴力団の兄貴分からの暴力等にさらされた恨みから、兄貴分を絞殺。 2:2004年9月4日、宮城県仙台市で、強盗目的で飲食店経営者を絞殺。 |
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報告者 | ゆいさん |