裁判所・部 大阪地方裁判所・第八刑事部合議係B
事件番号 平成20年(わ)第1272号等
事件名 強盗殺人未遂
被告名
担当判事 中里智美(裁判長)末弘陽一(右陪席)中畑洋輔(左陪席)
日付 2008.8.14 内容 証人尋問等

 入廷してきた被告人は、スーツに目の細い色白で髭を伸ばした若い男性。膝の上に手を握っていた。
 傍聴席には被告人の妻らしき黒い服を着た女性(私が座ると軽く会釈してきた)とその母親らしき人、被告人の会社の関係者らしきダーツスーツの肌黒の男性等がいた。
 一方被害者の妻や妹もそこから離れて傍聴席におり、被害者の妻や妹は女性にしても眼鏡をかけてとても小柄なほう。
 判事補と検察官は婉曲的な言い回しをする人だったが、被告人は年齢の割りに受け答えがしっかりしていた。
 審理の最後で裁判長が訴因変更という意味深長なことを言ったが、この程度の攻撃で強盗殺人未遂を適用できるのかということを個人的に思った。
 審理が始まると検察官が被告人の供述調書を細部にわたって読み上げた。

−被告人の供述調書−
 私は友人のキャッシュカードや自転車やオートバイを盗んだ窃盗罪で5回ほど枚方警察署に捕まり、平成15年には大阪家裁に送致されたことがある。
 実母は再婚して、長女(姉)は結婚し、私にも妻と長男がいた。
 私は大阪市立の高校を地元の友達がいなかったことから2年で中退し、八百屋でアルバイトをしたが店長と喧嘩して4ヶ月でクビになった。次の鳶の仕事も大変で、親方と知り合って鉄筋工として働くようになった。
 19歳のとき17歳の子をナンパして結婚した。
 車のローンの残高は55万円や親方のX1君には50万円の借金があり給料は30〜33万円で、ローンや家賃、養育費などでギリギリの生活だった。小遣いは3万円では足りなくてサラ金から満額借り入れる状況だった。
 私は平成20年2月22日徒歩で歩いていた男性を鉄パイプで殴りバッグを奪って逃げた。その理由は一言で言うとお金が欲しかったからだ。そのとき500円から600円程度しか持っていなかった。私は武富士から50万円、アコムから20万円、レイクから10万円という計80万円を満額で借りていた。
 趣味で週2〜3回パチスロに行ったが負けることが多かった。妊娠中の妻から「パチンコしないで帰ってきてね」とパチンコをやめるよう言われたが再びパチスロに行った。引越し費用や家電製品を購入する費用でサラ金から借り入れ、ホンダのピットのガソリン代やパチスロ代でゼロキャッシングやジャガーファイナンスといったヤミ金からも8000円借り入れた。ジャガーファイナンスの件で門真警察署に相談したら「それはヤミ金ですよ。支払わなくていいですよ」と言われ放置していたら妻の携帯に非通知で電話がかかってきたり、FAXが20枚近く送信されるなどの嫌がらせがあり妻が病んで妻の叔母の家で寝泊りするようになった。ヤミ金に借金しているのかと聞かれたが「知らん」と答えた。借金がバレると妻と離婚するかもしれないし、私の母は過去に借金していたことがあり息子である私が借金していることを知ると悲しむだろうし、兄は私にとって怖い存在で姉は兄に言いつけるからだ。
 平成20年2月21日の夜はパチンコで負けて家に帰って息子を風呂に入れてソファーで寝た。横になりながらお金のことを考えていた。21日の夜の時点では他人からお金を奪おうというのは頭に浮かんだだけだった。朝になってダボダボした作業着と白色のタオル、足先がプラスチックでできている安全靴をつけて集合場所に行くために家を出た。妻が用意したおにぎりは車のなかで食べた。6時が集合時間だったので午前5時30分ごろ出かけた。ホンダのピットを運転しながらX1君から借りるのは無理だし「お金がない、どうしよう」と考えていた。アコムに最低でも9000円を返さなければならなかった。だが1000円の給油やタバコ代、仕事のコーヒー代やパン代でお金が減り、他人からお金を奪うしかないと思った。カツアゲをすると相手に顔が見られるしひったくりでも通行中バッグを奪い取るときに相手に顔が見られるので、歩いている人を後ろから襲って気絶させれば顔が見られなくて済むと考えた。
 仕事で使っている算木という木材を使おうとしたが新築分譲中の畦地のブルーシートで盛り上がっている部分に2kgぐらいある鉄パイプが落ちてあり「これでええわ」と指紋が付かないようゴム手袋を持った。そして襲う相手を探し一人歩きのひ弱そうな男性と決めた。女性を襲おうとは考えなかった。妻や女性に手を出したことは一度もなかった。
 明るくなりはじめ、集合時間が迫りつつあったとき、一人で右肩にバッグを持った男性を発見した。それが被害者となるaさんだった。
 まずaさんを車で追い抜き、自動車を停めるスペースに自動車を停め、ゴム手袋を右手に嵌めて金属バットを手に持って、道路を歩いていたaさんに足音を立てずに早足で近づいた。aさんは私には全く気づかなかった。そして両腕で後頭部目がけて勢い良く右上から左下に振り下ろした鉄パイプは命中した。私は中学のとき野球をやっており右打ちだった。調べのなかで検察官からの「殺そうと、もしくは死んでも構わないという認識だったのか」という問いには「殺そうとは考えてない。気絶させることが目的」と答えた。打力はある程度力を込めたとしか言えない。鉄パイプは路上に落ちて、倒れたaさんが両目を開いて私と目が合った。意識があって「私の顔を見るな」という思いで、左足で顔面を勢い良く蹴り上げた。安全靴の先端はプラスチックで出来ており力は100%の力で蹴り上げたのは、ないとしか言えない。

−被告人質問の一部−
 カツアゲの態様としてはバットを振り向けて「金を出せ」というのを考えていた。カツアゲの経験はないのでよく分からないが、道具を用いるシーンをテレビで見たことがある。道具を用いないと自分が不利になる。今まで人を気絶させたことはない。被害者の怪我の程度はよく考えなかった。自分からとくに言葉は発していない。怪我を負ってるとかは一切考えず、起き上がるやろとしか考えなかった。捕まるまでaさんの様子を考えたことは、起き上がったかな?病院行ったかな?という程度で重い怪我をしたとは考えなかった。サンギを持ったりもしたが、鉄パイプよりはサンギのほうが軽かったが、それくらい重いものは仕事で持ち慣れていた。こんなものを持って恐喝したら相手が逃げるのではないか等は考えなかった。殺意の部分は別として頭というのは一番重要な部分であり、頭を殴ると危ないというのは今思えばそう思うが当時は分からなかった。手とか足を殴るのは当時は大きな怪我になると思ってやらなかった。殴ったあと鉄パイプは直後に離した。

 また被告人質問では被疑者ノートに被告人が「殺意はなかった」ことを何度も綴っていることが明らかにされた。
 また犯行のときのバットの振り下ろし方について記録を見せながら三者から質問されていた。

−被害者の妻の証人尋問−
 主人と付き合い始めたのは平成14年の10月頃で、住電ファインコンタクトで派遣のアルバイトをしていたとき。彼は契約社員から正社員になったが、真面目な人で周囲の評価も凄く良く、残業もしていたし遅刻も欠勤もなかった。平成17年8月に結婚したが私も連れ子を含む6歳、2歳、1歳の3人の子どもがいて、とても良い父親で育児に非常に協力的だった。子どもたちと一緒にたこ焼きを焼いている写真があり、連れ子も含めて普通の親子と言って問題なかった。リーダーという役職に就いて朝6時ごろメロンパンを食べて出社していった。経済状況は厳しかった。
 そして警察から「どうもご主人が誰かに襲われた。状況は軽くない」と電話があり、手術室の彼は顔が腫れ上がって空を見ている状態だった。医者は「今から手術をしようと思うが助かる見込みはない。今すぐサインしてくれ」と言った。彼は意識もないし、頭はガーゼで覆われていた。左目が拳一つ腫れて目が閉じられない状態で瞬きもなかった。ドライアイによって角膜が損傷しないよう医療用のテープで瞼を押さえつけた。
 aという名前をニュースで聞いた。子どもたちや生活の様子だが、長女は私の仕草や様子を観察するので、私が情緒不安定なこともあり「お父さん死んだの」と聞く。以前は寝かしつけも全然良い子だったが、私が一緒にいないと「お母さん、私も起きとく」と言う。
 自分の意思を表現できる=意識が戻るということだが、それは1ヶ月間ぐらいかかった。会話は多少はできるが長い文はダメで、呂律が回ってなく以前の記憶もほとんどない。夫の様子が全然違うので長女はオドオドしながら喋りかけていた。事件前は我慢強い人で、自分のことより相手のことを考える人でしたが、事件で入院して意識が戻ってからは子どものように我慢ができなくなくなり「おなかがすいたあ」などと叫び、もう全然違う人です。利き腕の右腕も麻痺するようで手を広げるのも苦痛な様子でグーの手は半開きしかできない。足はハの字に広がり、激しい内股というか足首が交差している状態で歩くことはできない。ベッドから車イスに移動することも自分一人ではできない。今どんな治療を受けているかというと、投薬ではなく早く日常生活に戻るためのリハビリを受けている。
 住宅ローンや入院費などだが、通勤途中の事件だっため会社の労災を申請して日々決まった額は出ている。
 今は24時間介護の状態で寝ている時間のほうが長い。起き上がるところまではいっていないが、徐々に回復しているのかもしれない。謝罪は私はずっと待っていました。ですがあまりに遅過ぎます。本人が事件のことに触れることと言えば、自分が襲われたということは分かっていなかった、犯人の顔が見たいと言っていた。主人は私が顔を見せると「痛い」「嫌」と言ってリハビリに身が入らなくなるので、かえって行かないほうがいいかもと考えるときがある。今日の被告人質問では腹立たしいと感じました。

 被害者の妻は冷静で抑揚なく質問に答えていたが、検察官の質問で処罰感情の下りになると声のトーンが上がった。
 被告人は被害者の現状のところでは涙ぐんでいたが、処罰感情のところになると徐々に無表情になった。

検察官「被告人の言い分はね、殺すつもりはなかった、小突く程度だった、取調べでは言い分を聞いてもらえなかったということなんだけど、それを聞いててどう思いましたか」
証人「反省のかけらもないと思いました!まして(被告人にも)子どももおるのに!人のせいばかりにして本当に夫が可哀想です。希望する刑罰は死刑を望みます。頭が人にとってどれだけ大事なのか、腕だったら骨折で済んだのに!2ヶ月経って手紙を送ってきて何が謝罪や!」
検察官「死刑や無期懲役はなかなか難しいということでね、この事案では懲役30年があるんだけど、もし懲役30年になったとしてあなたはどう思いますか」
証人「50過ぎなら今の日本では普通に暮らしていけますよ。夫が元に戻るなら2年でも3年でもいいです。法律が無理なら、自分で死んでください!」

 被害者の妻の証人尋問が終わると、裁判長が被害者の母親と妹の氏名を証人に確認して、次回の9月12日を午後いっぱいで情状証人の尋問、情状関係での被告人質問等結審まで進む予定であること、訴因変更(強盗致傷?)のことを告げて閉廷した。

 被害者の妻は帰りにエレベーターに乗り込もうとしたところを、傍聴席にいた黒い執務手帳を持った検察庁の女性に呼び止められていた。

事件概要  A被告は、2008年2月22日、大阪府寝屋川市において、会社員の頭を後ろから鉄パイプで殴り、ショルダーバッグを奪ったとされる。
報告者 insectさん


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