裁判所・部 大阪地方裁判所・第六刑事部合議係
事件番号 平成17年(わ)第4843号等
事件名 殺人、死体遺棄、未成年者誘拐、脅迫
被告名 前上博
担当判事 水島和男(裁判長)中川綾子(右陪席)山下真(左陪席)
その他 書記官:大島一雄
検察官:長谷透
弁護人:下村、寺田
日付 2006.1.26 内容 被告人質問

 1月24日午後1時30分から、自殺サイト連続殺人事件の前上博被告の被告人質問が大阪地裁201号大法廷で行われた。
 前上被告はこれまで通り、丸坊主で薄グリーンのズボンを来て、眼鏡をかけていた。

 審理の予定は被告人質問だが、最初検察官が被告人が通っていた精神病院のY2医師の検察官調書(甲64号証)を読み上げた。弁護人も一部は不同意で大半は同意した。

−Y2医師の検察官調書−
 前上さんは平成7年に暴行、傷害で逮捕された当初、自分が自分でないという異人感や不眠症を訴えていました。私に「女の裸体では性的興奮しない、人が苦しむ姿に性的興奮を覚えます。白いソックスを履いている人を見ると、襲いたくなります。今まで50人ぐらい襲いました」と打ち明けました。私は前上さんの異常な性癖に薄々気づいていました。出所後、前上さんは母親と一緒に私を訪ねられ、心理療法を行っていくことにしました。
 前上さんのような性的倒錯は稀で、日常生活でストレスを感じないようにする、感じたらそれを吐露したら直るとアドバイスしました。前上さんは2週間に1度は通院され、その後はCPによるカウンセリングも受けるようになりました。
 平成16年になると前上さんは6月に雇用保険の関係から前科が仕事先にバレると不安になっていました。
 7月に入ると鬱症状が起こりましたが、その後は精神的に安定しました。
 9月には恋人のことで不眠や鬱症状を訴え、10月には「とうとう窒息させるのを抑えきれずに手袋を買ってしまった」と言いました。前上さんは母親から監視されているのをストレスに感じていたみたいで、私は薬を処方しました。
 平成17年になると前上さんは勤務先のリストラ問題から、不眠や鬱症状を訴え始め、他方今度は恋人の関係で鬱症状を訴えるようになりました。前上さんが今回3人の人間を殺す事件を起こしたことはニュースで知りました。
 前上さんは性嗜好障害という人格障害の病名に該当すると思います。

弁護人「今の君の気持ちはどうですか」
 被告人は予め用意した書面を見て答えた。
被告人「今回私は自己の欲望を抑えきれずに、3人の人間の命を奪ってしまいました。被害者や遺族の方には誠に申し訳なく思い、この場を借りてお詫びします。私は事件の責任を取らなければならないことは理解しています。死刑の覚悟はできています。なぜこのような事件を起こしてしまったのか、考えることが大切です。これは性犯罪的な要素が大きいと思います。刑務所で性犯罪者プログラムというのができましたが、その対策に私の事件が役立てられたらと思います」
弁護人「これは全文あなたが自分で考えたんですよね。弁護人からこう書けとか一切言われていないね」
被告人「はい」
弁護人「責任を取る覚悟はできていて、自分の心境を正直に述べたということですか」
被告人「はい」
弁護人「人が窒息して苦しむ姿に性的快感を覚えるというのはその通りなのですか」
被告人「その通りです。小4か小5のとき、初めて読んだ推理小説のなかの誘拐シーンに性的興奮を覚えました」
 具体的には犯人が麻酔薬を染み込ませたタオルを口に当てて連れ去るシーンだという。前上はそれを見て勃起し、独自の性癖に気づいたが、みんなそうだろうと思っていた。その推理小説での相手は女性だったが、前上のなかでは男女の違いというのはなかった。
弁護人「女性の裸を見ると、男性が興奮するというのは知っていましたか」
被告人「理屈としては分かりますが、自分は違いました」
弁護人「だから女性の裸を見て性的興奮を覚えるということはなかったのですか」
被告人「今まで一度もありません」
弁護人「女性とのセックス経験はありますか」
被告人「ありません」
弁護人「自分だけが特殊な性癖を持っていることは気づいていたのですか」
被告人「中学2年のとき、いじめられていたのですが、いじめっ子がそのような(エッチな)本を見て興奮するのは見ました」
弁護人「初めて他人に対して窒息行為を行ったのはいつですか」
被告人「小5のとき、よその校区の女の子を襲いました」
 前上の手口は公園で、女の子に走りよって口を塞ぐというもの。ドキドキして非常に興奮したのを今でも覚えているらしい。その後も次々と同じ手口で犯行を重ね、中学校を卒業するまで50件弱の犯行に及んだ。手口も少し変化して、背後からエチルアルコールのガーゼで鼻や口を塞いだという。
弁護人「被害者は口を塞がれてどうなったのですか」
被告人「うめき声を上げて、暴れます」
弁護人「対象となる相手はどんな年代ですか」
被告人「小学生から成人の方までです」
弁護人「すると必ずしもあなたよりも幼いというわけではないと」
被告人「はい。男女問いません」
弁護人「あなたは襲うときどんな状態なのですか」
被告人「人を襲いたいということしか頭になく、他のことが見えなくなります」
弁護人「また白のソックスに興奮を覚えるのはなぜですか」
被告人「刑事の取り調べでもなぜかと聞かれたのですが、白のソックスを履いた、教育実習の女の先生を襲いたかったということが結びついていると自分では思っていますが、確かなことは分かりません」
弁護人「今でもそれは続いているのですか」
被告人「はい、ずっと続いています」
弁護人「結局当時の犯行はばれたのですか」
被告人「同じ校区の女の子を襲ったときに学校にばれましたが、喧嘩だと思われました。親が謝罪に行きました」
弁護人「大学は金沢に行っていますが、そこでどういう事件を起こしたのですか」
被告人「同級生の家に行き、口を塞いで、首を締め上げました。その家に行くきっかけとなったのは、喧嘩とほとんど同じようなものですが、首を絞めたのは白色ソックスに欲情したからです。向こうもびっくりして、「離せ」と言われて離し、そのまま下宿先に戻ってマスターベーションしました」
弁護人「その事件は刑事事件になったのですか」
被告人「襲った件はなっていませんが、その被害者は私の他にもプログラムの盗作をしていたからか、イタズラ電話がかかってきたというのです。そのイタズラ電話をかけたのが僕ではないかと警察が動きました。その後教授から「このままだと教授会にかかって退学になる」と言われて自主退学しました」
弁護人「大学を退学して、どうなったのですか」
被告人「そのあと1年ほど、発掘補助のアルバイトをして、母親のツテでプレハブの製造会社でもアルバイトをしました」
弁護人「そして平成7年の2月頃、郵便局に勤めることになるのですが、そこでどんな事件を起こしましたか」
被告人「同僚を後ろ手に手錠をかけて、スタンガンを撃ったと調書で読みましたが、記憶がありません」
この事件で被告人は逮捕されたが、当時のことは覚えていないという。
弁護人「あなたは記憶力が良くて感心するんだけど、郵便局の事件は全然覚えていないというわけですか」
被告人「年賀の配達ぐらいからあやふやで記憶がありません」
弁護人「その事件は起訴猶予になっているのですが、記録によると1年半ぐらいあとに起訴猶予になっていますね」
被告人「はい。また検察官が「精神的におかしな状態なので、医者に見せたほうがいい」と親に言いました」
弁護人「郵便局の事件のことを覚えていないのは、何かおかしいと思いませんか」
被告人「今思えば気持ち悪いと思います」
弁護人「ここで精神科医に診てもらうようになるわけですが、これまで精神科に通院した経験はあったのですか」
被告人「ありません」
 この時から前上は大阪府立病院のY2医師に掛かることになる。なぜ大阪府立病院かというと、前上の母親が病院の事務をやっていたことがあり、当時の院長と仲が良かったからという。
 精神科で診て貰ったのはY2医師だけであり、当初は母親と通い、それからは一人で1週間か2週間に1回、来外で通った。診察は2〜3時間待って、3〜4分足らずだった。そこで記憶がなくなっていないかとか、自分が自分でない感じはしないかという話をして、投薬治療を受けたという。その精神科病棟は閉鎖病棟だった。
弁護人「あなたは平成9年の入院までに自殺を図っていませんか」
被告人「はい。平成7年の秋口に」
弁護人「何が原因で自殺を図ったのですか」
被告人「郵便局事件で襲った被害者から1500万円もの賠償請求が来たので、自分には1000万円の死亡保険金があるから自殺して、それに充てようとした」
弁護人「どういう方法で自殺しようとしたのですか
被告人「完全自殺マニュアルという本を全て読んで、楽に死ねるという服毒自殺を図り、酔い止め薬120錠を呑みました。ところがゆっくり薬を呑んでいたものですから、途中で眠くなってしまい失敗しました」
弁護人「関連して、あなたは酒が飲めない体質なのですか」
被告人「酒は飲めません。煙草はむちゃくちゃ吸いますけどね」
弁護人「そして検査病院に入院したのですか」
被告人「2回入院しました」
弁護人「1回目の自殺未遂は分かりましたが、2回目はどうなるのですか」
被告人「平成11年の8月ころ、勤めていた印刷会社の人間関係に疲れて、夏の終わりだったと思いますが、自殺を図りました」
弁護人「前回と同じ薬を呑んだのですか」
被告人「はい。今回は多い薬(150錠)をすぐに呑みましたが、翌朝田んぼに落ちているところを発見され一命を取り止め、すぐに救急病院に運ばれました。ところがその病院はヤブで有名だったので、府立病院に変えてもらい、そこで腎臓がイカれてて心臓も止まる直前だったと聞かされました。そこで人工透析を受けることになりました」
弁護人「窒息願望はどうなっていたのですか」
被告人「依然として続いていたが、抑えていました。ところが翌年の平成12年の5月ころ、休日出勤のストレスからか抑えきれなくなり、伝票整理をしているときにムラムラきて、会社にあったシンナーをタオルに染み込ませて、それで男子中学生の鼻と口を塞ぎました。その後手を離して、僕自身は逃げました」
弁護人「男と分かっていて襲ったのですか」
被告人「はい」
弁護人「その後も同じようなことを繰り返したのですか」
被告人「はい。平成12年から平成13年にかけては、タオルにベンゼンを染み込ませて、通行人を襲うようになっていました」
弁護人「連続して何件起こしたのですか」
被告人「6件ぐらいです」
弁護人「それははっきり覚えているのですか」
被告人「はい。郵便局の事件を除いて、事件のことはほぼ覚えています」
 平成13年6月に前上は逮捕され、6件のうち2件のみ起訴されて、大阪地裁堺支部で執行猶予付きの有罪判決を受ける。執行猶予の判決を受けるまで5ヶ月間、泉北警察署の留置所に留置され、そこでの生活は辛かった。
 窒息願望という性癖は誰にも言えずじまいで、裁判では2度とやらないと言っていたし、そう思っていた。そして前上は高校のとき、小説を書くことで性的欲求を解消していたことから、同じことを考え、インターネット上で自作の小説を書いた。
弁護人「作家なんかは妄想でいろんな殺人事件を考えているけど、実際に実行に移すことはあり得ない。ところがあなたは移してしまった。小説の世界と、実際に行為に移すことはかなり飛躍があると思うんだけど、どう思っていますか」
被告人「僕にとってはそんなにハードルは高くなかったです。スッと乗り越えました」
弁護人「あなたの小説は本件と同じようになっているんだけど、自分をコントロールできなかったのですか」
被告人「できませんでした」
弁護人「それは異常なことですよ、あなた!」
被告人「自分では分かりません」
弁護人「またも路上で中学生を襲って、逮捕されるまでですか」
被告人「はい。他に2件やっていました。職安の帰りに衝動が抑えきれなくなり、手にゴム手袋をはめて、鼻と口を塞ぎました。そのときですが、中学生が走っていて、私も走って追いかけたので2人ともこけました」
 この事件で前上は懲役10ヶ月の実刑判決を受け、執行猶予も取り消されて併せて服役することになる。損害賠償はしていない。平成14年11月9日、控訴が棄却され、1年6ヶ月、加古川刑務所で服役する。
 留置所でY2医師に、今まで話していなかった自身の性癖を告白した。もう2度と同じことを繰り返したくなかった。「男女問わず白色のソックスを履いていると襲いたくなる」という告白に、Y2医師は励ましてくれたという。
弁護人「刑務所生活はどうでしたか」
被告人「辛いです。洋裁工場で、ミシンの作業をしていました」
弁護人「あなたのような異常な性嗜好を持つ人に、刑務所は何かプログラムを実施したことはありますか」
被告人「ありませんでした。刑務所のなかの新聞で、カナダではそのようなことをやっているのを見た記憶があります。出所後、今までの事件をワープロで打って、先生(Y2医師)にそれを読んでもらいました」
弁護人「自分の文章を先生の持っていくことで何とかしたかったのですか」
被告人「はい」
 最初は挨拶したいということで、母親と一緒に行った。それから前上は弁護人も驚くほど2週間に1回、Y2医師のところへずっと通院していた。府立病院ほど待たせないものの、10〜15分の診療で、その後別の医師とのカウンセリングが始まった。
弁護人「どういう気持ちで通院していたのですか」
被告人「原因を明らかにして、対策を取ってもらいたかったです。また刑務所の本で読んだのですが、性欲がなくなる薬を処方してもらえるのではないかという期待がありました」
弁護人「あなた自身として努力してきたと」
被告人「はい」
弁護人「満期出所のときのアンケートの項目にあなたは何と書きましたか」
被告人「僕はどうしようもないと思ったときには、自ら命を絶つと記入しました」
弁護人「医療に使うお金はどうしたのですか」
被告人「1回3000〜4000円で自分の給料から出しました」
弁護人「Y2医師のところに通うようになったのではいつですか。また例の薬の件はどうなったのですか」
被告人「平成16年の夏のお盆明けからです。薬は倫理委員会を通さなければならないらしく、処方されませんでした。入院するかとY2先生に言われましたが、仕事がなくなるという理由で断りました」
 前上はこのころから、襲う人と襲われる人がいて、同意を得て窒息できるという理由から、SMの趣味を持つ人とインターネット上で連絡を取るようになる。ところがそのやりとりでは「Sはガタイの大きい筋肉マンでなければならず、薬物を使ってほしい」ということであり、自分は筋肉マンではないし、薬物事犯で捕まったらたまらないと理由で断念した。
 自殺サイトも閲覧だけはしていた。
 病院でのカウンセリングは、45分間前上が話し、医者がアドバイスをしてくれるときもあれば、話すだけで終わることもある。
 自殺サイトのいろんな書き込みを見ているうちに「練炭自殺を図ったが、死に切れずにドアを開けた」という失敗談を見つけるとともに、自殺を望んでいる人が多いと思った。
弁護人「結局あなたは3件の犯行をカウンセリングの最中にやっていますね」
被告人「はい」
弁護人「医者にこういうことをしたという話はしたのですか」
被告人「それはできませんでした。惰性で通院していた感じがします」
弁護人「平成17年8月5日に逮捕されたわけですが、逮捕されたときどう思いましたか」
被告人「やってしまったことは責任を取らないといけないと思いました。3人殺しているので間違いなく死刑になるから、幕引きしたかったので、その日に全件自供しています。その場では死体の遺棄現場を書いています。自分で自分を止められないということにピリオドを打ちたかったのです」
弁護人「自分で幕を引きたかった、そういうことですか」
被告人「はい」
ここで弁護人が男性から若い女性の弁護人に交代する。
弁護人「あなたは昭和43年の8月8日に生まれましたが、両親の職業は分かりますか」
被告人「父親は大阪府警の警察官で、母親はタイプライターの内職をしていました」
弁護人「あなたの幼少期はどうでしたか」
被告人「僕を含めた3人でバス通園の幼稚園に通っていました。幼なじみにはガキ大将が多くて、いじめられるようでした」
弁護人「母親のしつけが厳しかったというのが調書でもありますね。具体的に教えてください」
被告人「言うことを聞かなかったら、お灸ややいとで線香の火をお尻に当てられました。小さいころは結構ありました。低学年の間は月1,2回はありました」
弁護人「布団叩きで叩かれたこともありますか」
被告人「ありました。(母親に)反抗したことはなかったです」
弁護人「お父さんはどうだったのですか」
被告人「普通の時間に家に帰ってくることが少なかったので知らなかったのではないかと思います」
弁護人「お母さんにしつけを任せているということですか」
被告人「はい」
弁護人「どんなことで怒られたのですか」
被告人「言われたことを守らなかったり、失敗をしたときです。例えば(通園していた)3人を車で送ってもらったとき、みんなと「バイバイ」とか言うのですが、送ってもらった保護者に「ありがとうございました」という挨拶を言いそびれたときなどです。世間体を気にする怒り方が多かったですね。言い返すとやり返されるというのが分かっていたから、我慢していました」
弁護人「お父さんはどうでしたか」
被告人「父親と遊んだ記憶はありません」
弁護人「父親はお酒の飲んで帰ることがあったのですか」
被告人「それが多かったです」
弁護人「父親が虐待というかお仕置きをしたことはありますか」
被告人「小4のとき、酔っ払った父親から妹と一緒に、顔面にアザができるほど殴られました。母親は僕と妹の言い分を聞きませんでした」
 前上には父親と食事中に喋った記憶がなく、3人で阪神パークに行ったときも父親だけは行かなかったという。前上の父親は人ごみが嫌いで、「わし、人ごみが嫌いや」と言っていた。また父親が育児に関わらなかったことについても「世間の父親はこんなもんかな〜」と考えていたし、それを比べる友達もいなかった。
弁護人「小学校に上がってからは誰と遊んでいたのですか」
被告人「一学年上の子と遊んでいました。公園が多かったので、そこでメンコとか縄跳びをしました、当時はファミコンとかなかったですからね」
弁護人「小学校でのいじめはいつからですか、またきっかけは何だったのですか」
被告人「小5からですね。きっかけは新しく着任してきた先生です。自己紹介のとき突然変わりました。僕は親の職業や自分のあだ名を言ったのですが、今から思うと先生は警察官が好きじゃなかったのでしょう。先生が筆頭となって、僕に訳の分からない質問をしてきたり、本読みを飛ばしてきました。それで無視していたら、「お前は先生のことを無視するんか」と言ってきました」
弁護人「それはみんなの前でですか」
被告人「はい。本読みを飛ばされたことは多々あります。卒業するまで2年間ずっとでしたね」
弁護人「クラスメートはどうでしたか」
被告人「仲の良い友達も多かったが、離れていきました。今まで一番がっくりきたのは、修学旅行で撮った写真を注文して焼き回しするとき、僕の写った写真が一枚もなかったことです」
弁護人「あなたは誰かに意地悪したことはありますか」
被告人「ありません」
弁護人「家庭の状況はどうでしたか」
被告人「父親は酒を飲んで野球中継を見たり、母親は今までと変わりませんでした」
弁護人「その担任の先生のことを覚えていますか」
被告人「あの当時で小さな子供がいましたから。担任の先生はクラスの回覧板みたいなものに「あなたは先生を無視する」といったようなことを書いていた記憶があります」
弁護人「父親にいじめの話をしたことはありますか」
被告人「はい。当時主義思想の難しい話をされましたが、分かりませんでした。両親ともども「学校に這ってでも行け」と言われました」
弁護人「おばあちゃんとはどうですか」
被告人「母方のおばあちゃんとは交流があり、毎週土日になると泊まりに行っていました」
弁護人「おばあちゃんはあなたにとってどういう存在でしたか」
被告人「心の拠り所でした。(家に)に帰るのが嫌でよくホームで泣いていました」
弁護人「妹さんとの関係はどうですか」
被告人「話はするが、そう親しくもないです。妹は私からすれば、感心するくらい要領が良いという印象があります。妹は給料も少ないのに、家を出て一人暮らしを始めましたが、お金がないのでホイホイ家に戻ってきては「お金がないから貸して」と両親に言っていました」
弁護人「あなたに友達はいたのですか」
被告人「習字で一緒だった同級生とは仲が良かったです」
弁護人「あなたの趣味とか好きなことは何ですか」
被告人「機械いじりが好きでした。目覚まし時計を分解したり、おばあさんの家にその関係の本が多かったこともあって、電機をいじっていました」
弁護人「マンガ本はどうだったのですか」
被告人「親が駄目と言ったので、活字本に奔っていきました。最初はエジソンや昔の偉い人の伝記でしたね」
弁護人「事件のきっかけとなった推理小説はいつ読んだのですか」
被告人「小4のときで、その小説に性的興奮を感じたのは、誘拐シーンが多かったからだと思います」
弁護人「小5で人を襲うようになったのですか」
被告人「中2まではこれ(窒息させることが性的快感)が当たり前だと思っていました。欲望の赴くまま行動していました。当時からそういう傾向はありました」
弁護人「中学校での人間関係はどうだったのですか」
被告人「小学校と全く変化なしでした。3クラスしかなかったですから、人間関係がそのまま持ち越でいじめられました」
弁護人「新しい友達はできたのですか」
被告人「それはなかったですね。当時のいじめっ子の話が耳に入っていって、という感じでしたね」
弁護人「中学校でのいじめの態様は」
被告人「座っていたらいきなり顔面を蹴られたり、平手で殴られたりました。我慢していたが、中1、中2の間は特に酷かったです。「高校に入ったら、ええことあるよ〜」と両親に言われました」
弁護人「あなたは家出をしたこともありますね」
被告人「母親と口論になって、自宅からおばあちゃんの家まで自転車で行ったことがあります。泉北から車でも1時間はかかる距離で、途中で雨が降ってボトボトになったことは覚えています」
弁護人「結末はどうなったのですか」
被告人「おばあちゃんがびっくりして、父親が車で向かいに来ました。知人からそれを聞いた母親は「恥ずかしいやないの」という言い方をしました」
弁護人「江戸川乱歩の少年探偵団で、女の人に麻酔薬を嗅がせて失神させるシーンを見て、それを真似たくなったのですか」
被告人「はい、そういうことをすると性的興奮を感じました」
弁護人「中学校のとき、少年を襲って、どうやって収まったのですか」
被告人「男の子同士だったから、喧嘩であろうという結論が下されました。父親が先方に謝りに行きましたが、『何で喧嘩になったのか』とは母親も聞きませんでした」
弁護人「高校生になってからはどうですか」
被告人「知っている人間が一人もいなかったので、平和な一日を過ごしていました」
弁護人「友達はできましたか」
被告人「同じクラブの人間が2人ほど。自分の性的嗜好まで話さなかったです。そういう話をしない性格でしたね、2人とも」
弁護人「同じクラブの人間とは?」
被告人「コンピュータークラブです。自分のコンピューターはおばあちゃんが買ってくれました」
弁護人「今でも付き合いはあるのですか」
被告人「ないです。だけど1つ下の後輩とは付き合いがあります」
弁護人「36年間生きてきて、友達はその人しかいないのですか」
被告人「そうですね」
弁護人「その人は面会に来ましたか」
被告人「河内長野警察署に1回来ました。手紙は2回来ました」
弁護人「あなたは事件のことをどう話しましたか」
被告人「「刑事がそうさせたいみたいやで」とか話した」
弁護人「高校時代を振り返ってどうですか」
被告人「楽しい3年間でしたね。しかし事件は10件ちょい起こしています」
弁護人「友達と性癖について話したことはないのですか」
被告人「人と違うというのが分かっていましたから、逆に言えなかったです」
弁護人「大学ではどういう勉強をしたのですか」
被告人「情報工学科でコンピューターの勉強をしていました。学力不足で近畿圏は受からず、地方の大学に行くことになった」
弁護人「大学であなたは同級生の首を絞める事件を起こしているわけですが、その事件はどんなものだったのですか」
被告人「大学ではパスワードの教え合いみたいなことをしていたのですが、同級生が僕のパスワードでアクセスして、プログラムを見つけて丸々写して課題として提出したのです。1回生だったからそんなに難しい課題ではなかったのですが、いわば横取りされたという気持ちになりました」
 その後、表向きは相手と仲直りしたが、相手にいたずら電話がかかってきたことで警察に届けられて事件になった。動機が自分の性的欲求でムラムラしたから、ということは話していない。
弁護人「大学の中退の経緯は」
被告人「退学届けを出したのが父親です。このままだと強制的に退学になるので自主退学したほうがいいと学生課の職員が父親に言ったらしいです。話し合いはなかったです」
弁護人「その後どうしたのですか」
被告人「大阪に帰ってしばらくは、アルバイトをしていました。昭和63年の4月から平成元年の3月の半ばまでです。その後母親の知り合いの紹介で、建築資材の工場で働き始めました。しかし工場長とは折り合いが合いませんでした。内ベタで気弱そうな人を見るとガンガン言ってくるタイプで、坊主憎けりゃ袈裟まで憎いという感じでした。結局出社拒否みたいな感じで辞めるようになりました。その後はトラックの運転手をして配達していましたが、荷物を届けていた会社が新しく工場を作ったとかで引き抜かれ、印刷工として勤務しました。そこは人間関係は良好で、自分に合っていたので、辞めたいという気持ちはありませんでした。ですが印刷会社の元請けが倒産して、手形を発行するようになりました。そして親に「やっぱり公務員や」と多々勧められて、受かる気はなかったが、郵便局に受かってしまいました」
弁護人「なぜ公務員を受けたのですか」
被告人「その印刷会社はその後みんなで一致団結して、今では大きくなっているのですが、母親が食事を出さないこともあり、「受けて滑ったら満足するだろう」という感じです」
弁護人「お母さんはあなたに介入してくるのですか」
被告人「おばあさんが亡くなって、親戚と揉め事が起こってから、母の性格が変わりました。ねちこく、きつく、尾を引くように長い間文句を言うようになりました。1言えば10帰ってくるので、波風を立てないよう我慢していました」
弁護人「あなたに反抗期はあったのですか」
被告人「反抗期がどういう状態を指すのか分かりません。母親はよく郵便物のなかを見たりしてきました」
弁護人「郵便局で何かトラブルがあったのですか」
被告人「郵便局では、民間出身の人と現業系の公務員との間には隔たりがありました。僕はあまり良いようには思われなかったから、書留を隠されたこともあります。その書留はなくなっても大問題にならないもので、手が込んでいました。僕が朝のミーティングでコーヒーを出していると、「お前が仕事をすれば、わしらもせないかんようになる」ということでした。組合ぐるみだから、何も言えなかったです」
弁護人「郵便局のバイトへの暴行傷害については何も覚えていないのですね」
被告人「記憶がないです。自分の記憶がないところで、こういう事件を起こしてしまいました」
弁護人「それで郵便局は懲戒免職になったのですか」
被告人「はい。その後は陸運会社でキャリアカーの運転手になりました」
弁護人「そこで自殺未遂を図っていますね」
被告人「1回目の自殺未遂は職場の人間関係に悩み、2回目はトップと従業員との間の板ばさみになり、発作的に自殺未遂をしました。2回目のあとは全く歩けない、おしっこが出ない状態になりましたが、父親には「水を飲んで歩けば元気になる」としか言われませんでした」
弁護人「その後あなたにはガールフレンドができたのですか」
被告人「彼女は高校の後輩で、入院中にお見舞いに来たり、刑務所からの出所を待ってくれていました」
弁護人「その女性とも性交渉はなかったのですか」
被告人「ありません」
弁護人「彼女(ミチヨ)とはどのような関係だったのですか」
被告人「安い給料のなか、遊びに連れて行きました。父親や母親は彼女と別れろと言っていたが、別れられませんでした」
弁護人「運転手のあとは、どこに勤めたのですか」
被告人「生コンクリートの製造会社ですが、そこではコンクリートの改竄が行われていて、良心的に耐えられず辞めました。それから職安に行って、仕事を探すようになりました」
弁護人「仕事をしているなかで事件を起こしてるのは」
被告人「仕事でトラブルがなかったにも関わらずですので、よく分からなかったです」
弁護人「初めて実刑になったとき両親の様子はどうでしたか」
被告人「両親はオロオロしているという感じでした」
弁護人「刑務所に両親は面会に来てくれましたか」
被告人「父親は1日だけでしたが、母親は何度も来てくれました」
弁護人「父親は、こんな事件を起こしたのはインターネットにのめり込んだからだ、と言っていますがどうですか」
被告人「そうであったら、小・中・高のときの事件の説明がつきません。その時はインターネットなんかなかったですから。しかし父親は頑として他人の意見を聞かない人でした」
弁護人「彼女についてはどう思っていましたか」
被告人「(出所まで)待っててくれたんやから、恩返しせな、という気持ちでした」
弁護人「あなたは刑務所のなかでいじめられたのですか」
被告人「あのなかは利害関係がなく、人間関係があるだけなので。ある日仕事を真面目にやっていたら検査役をやってみないかという打診が来ました。ところが他に検査役になりたい人がいて、部屋のなかで(検査役から)出て行くよう仕向けられました。僕は2回懲罰落ちになっているのですが、その原因がそれでした。つまり真面目にコツコツやっていると、嫌がらせを受けることもあるわけで、例えばミシンの調節をいたずらされたり、それが嫌になって作業拒否しました。この作業拒否というのが刑務所のなかで一番重い罪で、また懲罰になったのです」
弁護人「あなたにとって、いじめられるのと懲罰はどっちがマシなのですか」
被告人「懲罰のほうがマシです」
弁護人「出所後はどうしましたか」
被告人「インターネットに書いてあった小説を消しました。ホームページに誰がアクセスしているか見れるのですが、6人来ていました。平成16年の8月に小説を抹消し、人材派遣でカメラ工場に勤めるようになりました」
弁護人「そこでの人間関係はどうでしたか」
被告人「人間関係は良好でした」
弁護人「ネットカフェに行くようになったのはなぜですか」
被告人「性的欲求を抑える方法はないか探すためです。自分でどうしたらいいか分からず、あきらめていました。投稿もしたのですが、結局見つからず、もう自殺するしかないと考えました」
弁護人「つまり最後に自殺サイトに出会ってしまったということですか」
被告人「はい」
弁護人「出所してしばらくして、彼女とはどうなったのですか」
被告人「彼女の誕生日を忘れていたことで、彼女と溝が深まり、平成17年2月15日に別れました」
弁護人「どういうことが原因だったのですか」
被告人「彼女の誕生日に友達と2人で旅行に行っていました。彼女にしてみれば「半年ぐらい前に言っていたのに」ということでしょうが、そんな前のことは覚えていませんでした」

 ここで寺田弁護人からの質問が終了して、主任の下村弁護人があとの質問は1時間ほどで終わり、公訴事実については聞くことがないと述べた。またあらかじめ申請していた精神鑑定の判断を裁判所に仰ぎたいという。
 次回期日は2月7日の午後全部で検察官の質問がある。

 前上被告はとても頭の良い男で分かりやすく話し、語彙力が豊富な印象を受けた。傍聴席を見ることもなく刑務官2人と退廷していった。

事件概要  前上被告は人の窒息するところを見たいため、以下の犯罪を犯したとされる。
1:2005年2月19日、大阪府河内長野市で女性を窒息死させた。
2:2005年5月21日、大阪府和泉市で中学生を窒息死させた。
3:2005年6月10日、大阪府河内長野市で大学生を窒息死させた。
 前上被告は2003年8月5日に逮捕された。
報告者 insectさん


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