裁判所・部 大阪地方裁判所・第五刑事部
事件番号 平成17年(わ)第4842号等
事件名 住居侵入、強盗殺人、銃砲刀剣類所持等取締法違反、強盗
被告名 大橋健治
担当判事 中川博之(裁判長)入子光臣(右陪席)塩田扶友(左陪席)
その他 検察官:長谷透
日付 2005.12.22 内容 冒頭手続

 12月22日、強盗殺人や住居侵入の罪に問われた大橋健治被告の第2回公判(冒頭手続)が大阪地裁(中川博之裁判長)であった。
 大橋被告は前回と同様グリーンがかったスーツにノーネクタイという出で立ち。手にはハンカチを握っていた。
 傍聴席には揖斐川事件の遺族関係者がかなり来ていた。

 今回は前の事件に併合された岐阜事件の検察官立証で、京都での窃盗2件は次回に審理入りすることになった。

−検察官の起訴状朗読−

 10月12日付け起訴状の公訴事実は以下の通りである。
 被告人は生活費に窮したことから、民家に立ち入り、家人から金員を強取しようと企て、岐阜県揖斐郡のa(当時57歳)宅に東側和室の掃き出し窓から侵入し、室内で金品を物色中に同女に発見されたことから、aの上腕部を掴み、「静かにせい!金を出せ!」を言って反抗を抑圧して、1万5000円の入った封筒を奪った。
 aが助けを求めようとしようとしたところ、被告人は犯罪行為を隠滅するため、首に腕を回して締め付けた。また床に倒れた同女の首をさらに扼して殺害した。
 罪名強盗殺人、住居侵入。

裁判長「今検察官が読み上げた公訴事実について間違いはありませんか」
被告人「犯罪の事実については私がやったことなので間違いありません。しかし最初首に手を回したとき、殺意は全くございません。首に手を回したのは、逃げたいという気持ちだけで、その時点で検察官が言われるような殺意はありませんでしたが、2回目に首を絞めに行ったときには完全な殺意がありました」
裁判長「首を絞めたのは2回あって、最初の1回目で首を絞めたのは逃げたいという気持ちからで、あとの2回目は被害者を殺そうとしたことは認めるということですか」
被告人「はい」
裁判長「弁護人の方、ご意見は」
弁護人「被告人と同じ意見です。殺意の発生時期については被告人の言った通りです」

−冒頭陳述−

 まず被害者のaさんの身上関係であるが、被害者は主婦(兼パートタイム従業員)であり、夫との間に一男二女を儲けて、事件当時は夫と長男と同居していた。
 被告人は借金を重ねて本件犯行に及んだ。
 被告人は平成13年末以降、有限会社グランド商事で新聞販売員として勤務し始めた。グランド商事では取引先の新聞販売店から借金をすることを固く禁じていた。
 平成17年4月9日、取引先から5月2日を期限として、3万円を借り入れたが、それはパチンコで使ってしまった。「このままでは3万円が返せない。もし借金が勤務先にバレたら、勤務先を解雇される」と借金の返済に窮した被告人は窃盗を決意する。もし発見された場合、家人を脅迫することも視野に入れており、あらかじめバールや果物ナイフも準備していた。
 4月27日の10時30分に勤務先のグランド商事に出勤し、同僚とともに車で新聞販売の拠点であるYC読売センターに向かった。事件を起こす揖斐郡まで自動車で来て、そこで同僚と別れた。
 午後1時ごろ、揖斐川町内で新聞勧誘のため家を訪問しているうちに、遠くから見るのが困難な位置にある被害者宅を発見した。
 被害者の夫は当時自宅の右隣で畑仕事をしており、自宅にはa一人しかいなかった。
 呼び鈴を鳴らしてドアを叩いて家人がいるか確認したところ、応答がなかったので留守だと思い、両手に手袋をつけ、無施錠の掃き出し窓から侵入した。そこで台所から食堂に物色を進めて階段で2階に上がると、室内で布団の上に座っている被害者を発見した。被害者は被告人を見て「誰?おとうさん!」という声を出したが、被告人は脅して現金を奪おうと決意し、両腕を掴んで「静かにせえ!金を出せ!」と言った。これに怯えた被害者は大人しくなり「1階に現金がある」と言ったので、1階の食堂内に連行し、さらに「金をはよ出せ」と申し向けた。被害者は食堂内の棚から1万5000円の入った封筒を取り出し、被告人はそれを受け取った。そのとき被害者は被告人の腕を振り払って「おとうさん!」と叫んで居間に逃げた。被告人はそれを追いかけ居間で被害者の口を手で塞いだあと、「犯行の証拠を残さないようにするには殺すしかない」と決意し、首に腕を回し数分間に渡って締め上げた。被害者が失神して床の上に倒れたので、一度立ち去ろうとしたが、「ゲホッ」という声を上げたのでさらに両手で首を絞めて窒息死させた。
 犯行後の状況であるが、午後5時ごろ、帰宅した被害者の夫が被害者を発見し、警察に通報した。
 被告人は午後3時20分ごろ被害者宅を出て逃走し、急いで電車に乗ろうとしたが、適当な電車が見つからなかったので、「勧誘場所を変えたい」と同僚に電話をかけ車で迎えに来てもらった。
 午後9時ごろ勤務先に戻り帰宅した。奪った現金はパチンコに使っている。
 4月29日に「背広姿の不審人物」という事件の新聞報道を見て、cとともに大阪に逃走した。

 冒頭陳述を終えると、甲24〜27、30号証、乙1〜5、16、25〜30号証を拡張請求した。

裁判長「弁護人の方、ご意見は」
弁護人「立証趣旨は異議ありません」
裁判所「では同意ということで告げてください」

 甲号証では、まず以下のようなものが挙げられた。
・被害者の夫の立会いのもとの実況検分書
・被害者の身上や志望事実について記載された揖斐川町長作成による戸籍謄本
・司法解剖の結果、司法解剖を元にした岐阜大学竹内教授の鑑定書(頸部に出血や表皮剥脱が認められ、絞頸による窒息と推認される。手袋をした手で首を絞めたなら表皮剥脱が発生するが、扼頸でも矛盾はない。被害者の上腕部の内出血も被告人が強く掴んだがらできたとして矛盾しないというもの)
・被告人とともに働いたグランド商事の同僚の供述(大垣に到着して各勧誘員が新聞勧誘をした。被告人に携帯で呼び出され、揖斐川町内のコンビニで待ち合わせて車の助手席に乗せたというもの)
・被告人の3年4か月分の借財関係(勤務先から合計34万円の借り入れをしていた。また新聞販売店の知人からも「どうしても大阪に行かなければならない」と3万円借りて、「何とか本社には黙っていて下さい」と口外しないようにしたというもの)
・グランド商事の支店長の供述(被告人に対し、前渡し金などを渡していたが、トラブルを避けるため同僚や販売店との間で金銭のやりとりをしないよう固く禁じていたというもの)
・被告人が居住していた大家の供述(被告人は妻という女性と同居していた。7万円を貸していたが、「妻が京都で交通事故に遭った」と言われさらに5万円を貸したというもの)
・cの供述(被告人がグランド商事に勤めている間、月平均19万の収入があった。それを全部私が受け取り、一日千円を小遣いとしてあげた。そのおかげで100万もの蓄えができたが、被告人がギャンブル好きなので、蓄えのことは内緒にしていた。ところがある時から手取りが前の半分以下の7〜8万円になってしまった。被告人の会社が傾いているとの言葉を受け、蓄えの100万を切り崩して生活していた。被告人に「このまま岐阜にいても仕事がない」と言われ、大阪に来たというもの)
・「スーツに革靴姿の男性が目撃された」との当時の新聞報道

 甲61号証からは被害者の家族の供述調書で、それぞれ以下の通り。

−被害者の夫の供述−
 私は4月27日に、現在警察に逮捕されている大橋健治という男に、安全であるはずの自宅で無残にも首を絞められて殺されたaの夫です。
 今はaを失った悲しみや犯人に対する悔しさでいっぱいです。何でaを殺したのか、aが何か悪いことをしたのかと思う。また私が畑仕事をしていて何で自宅に入っていく犯人に気づかなかったのか、何でaを守ってやれなかったのかと思い、この悔しさを断ち切ることは出来ない。
 aと知り合ったのは、妻が29歳のときのお見合いで、末っ子の私が坪井家の跡を取ることになってトントン拍子に進み、aが嫁に来ました。その後、長男・長女・次女を儲けましたが、次女は生まれつき心臓が悪く、わずか3ヶ月で死んでしまいました。aの悲しみようは凄く、親戚のなかにはわずか3ヶ月で死んだのだから葬式を挙げる必要はないと言う人もいましたが、私たちは次女を普通の葬式で送り出しました。私は沢山子どもが欲しいと考えていたのですが、aは「もう子どもはいらない」と子宮を縛って子どもが出来ない体にしました。
 aは愚痴の一つも言わず、家族に尽くしてくれました。ここまで来れたのはaのおかげです。私が退職するときにこれからの収入は不安だったものの「お疲れ様」とだけ言ってくれました。私はそれまで仕事人間だったので、この言葉に仕事をやっていたことの充足感に満たされました。
 私たちの夢は他に負けない大きな家を建てることでした。今は違いますが、昔の古い家はまるで民族資料館のような家でした。このような目標を持って私は仕事に集中、aは家庭を守っていました。
 ようやく貯蓄を5千万ほどにして、新築の家を購入しました。新築の家は3500万円で、その気になれば一括払いも可能だったのですが、65歳まで働くことを決めていたので、1500万円を払って、残金はローンを組むことにしました。
 私は脳溢血で倒れて平成13年ごろ退職して、このような病気を患い挫折した気持ちになっていたのは事実ですが、私の気持ちのなかには「同年代の2倍は仕事をした。残り3分の1の人生はaと一緒に旅行でも行ってのんびりしよう、今度は家庭菜園でもしよう」というのがありました。その後私の母が寝たきりになったのですが、aが献身的に介護してくれました。よく嫁姑問題とか世間では言われますが、私の家ではそのようなことは全くありませんでした。長男と長女も親孝行で、近い将来授かるだろう初孫を楽しみにしていました。平和で人から羨ましがられるような家族でした。
 妻は最期に「誰か助けて、おとうさん!」と叫んだといい、そのときのaを思うと、辛かったでしょう、怖かったでしょう、私が何とかできなかったのか悔やまれてならない。どうしてこんな被害に遭わなくてはいけないのか。この憎い犯人には極刑以上の刑を与えてください。aや私たちの無念を法をもって裁いてください。

−被害者の長男の供述−
 母がどのような人だったかというと、母はいつも人の役に立ちたいと考える人間でした。アイバンクに登録していたように他人の役に立つことを第一に考えていました。第2の人生をどう考えるかによって、その人の人柄が出ると言いますが、母は他人の役に立ちたいという思いが強かったです。そんな立派な母の命を奪った犯人は許せません。母は人一倍臆病で怖がりやだったので、このように意識が遠のいていったことを思うと可哀相でなりません。
 心残りなのは母に孫を抱かせてやれなかったことです。今となってはもっとたくさんの時間を母と過ごしたかったです。母と「北のゼロ年」という映画を見たりして、最近は親孝行するようになったのですが、こんなことになるのだったらもっと早く親孝行しておけばよかったです。
 一人暮らししてから母の手料理を食べるようになり、「美味しいね」と言ったら母も喜び、腕によりをかけるようになりました。このようなことから私は弁当を作ってもらうようになっており、事件当日母は弁当箱を買いに行く予定でした。もし弁当箱を買いに行っていたら、殺されることはなかったのです。母の手料理は食べられないままです。母は幸せを噛み締めていた矢先に、死んでしまいました。
 一体大橋健治とはどういう人間なのかと思いました。今が一番幸せだと言った、かけがえのない母の命を奪った犯人には死刑しかありません。裁判官には遺族の気持ちを汲んでいただき、判決を下してください。

−被害者の長女の供述−
 母は思いやりのある素敵な女性でした。反面私が間違ったことをしたら、厳しく叱られました。母はお金のことはきちんとしていないとだめと言っていました。それなのにお金にだらしない犯人に命を奪われました。
 母は畑に囲まれて孫を抱けたら、もう思い残すことはないと言っていました。もう母と一緒に花を見たり、母が好きだった稲荷寿司を食べたりすることはできません。
 事件を知ってから、私はショックで通夜の記憶がほとんどありません。安置されている遺体が母だとは分からないくらいでした。これから母は解剖されて体が開かれるので可哀相でした。葬式のとき私は自宅に咲いてあった綺麗な花を折って、母の棺に入れました。そのとき外で、ツガイの雀が飛んでいくのを見ました。おばあちゃんが亡くなったときも同じく雀が飛んでいき、母も「あれはおばあちゃんかもしれない」と言っていました。私はそれを見たとき「あ、お母さんだ」と思いました。父はそれからしばらくの間、母の遺骨のある仏間で寝ていました。
 その後犯人が大阪で逮捕されたことや、大阪でも殺人事件を起こしていたことを知り、どんな人間なんだろうと驚きました。私はこんなことになるんだったら、ああしとけばよかった、こうしとけばよかったと思うことがたくさんあります。今となっては母から手料理を教わることはできません。また母と山登りをするなど、もっとたくさんの思い出を作っておけばよかったです。私が結婚して子どもを産んで、その子どもを抱かせてやれなかったことが悔やまれます。今から思うと母は私の花嫁姿を見たり、子どもを抱っこしたかったのかもしれません。
 また田舎で突如としてこのような恐ろしいことが起きるのだと思い、私は絶えず怖い思いをするようになりました。車に乗っていても、ドアをちゃんとロックしていないと誰か来るような感じがしました。またすぐに110番できるよう携帯電話を片手に持つようになりました。父は9時ごろ帰宅して、私や兄やみんなと他愛ない話をするのが楽しみのようです。
 一番やってはいけないことをした犯人には一番重い罪が当然で、私のこのような気持ちを汲み取って戴き刑を決めてほしいと思います。

 他に甲号証では被告人の逃走経路を示したものが挙げられた。

 乙号証は被告人の供述調書が中心であり、被告人の身上経歴や本件各犯行の状況について冒頭陳述に沿う内容の供述をしている。
 犯行の動機や強盗の犯意、強盗殺人の犯意について被告人自ら次のように語っている。

−犯行の動機−
 平成17年の4月3日から一週間後にいよいよお金に困るようになり、どっかで泥棒に入らなしゃあないなと思った。というのもグランド商事の北村さんは曲がったことが大嫌いだったからです。販売店とのお金の貸し借りは金銭トラブルのもとになるので、禁止されていました。いよいよこの借金を返さなければならない、もういっぺん泥棒をやるしかないと考えていました。
 被害者から「わー誰?おとうさん!」と言われ、すぐに旦那や近所の人が駆けつけてきて、逃げないと俺が捕まってしまうと思いましたが、見ると被害者は小柄で年も取っていたので、このまま逃げるよりは脅して黙られようと思いました。そして脅して黙らせてから現金を奪おうと決めました。

−強盗の犯意−
 現金入りの封筒を奪ってすぐに被害者が大声を出して逃げました。それを見た私は大変慌てました。こんなことがバレたら所長や内妻に迷惑がかかってしまう。捕まりたくない、被害者を家の外に出すわけにはいかないと思い、咄嗟に口を塞ぎましたが、被害者が暴れ続けたので、口を塞いだだけでは大人しくなりませんでした。そこで首を絞めましたが、「こんだけ強く絞めれば、息ができず死んでしまうかもしれない」と思いました。

−強盗殺人の犯意−
 首を絞められた被害者は床の上に倒れたのですが、また大きな声を出して逃げました。近所の人が来るといけないと思い、手袋をはめたうえで全体重をかけて首を手で絞めました。心のなかで「死んでくれ、死んでくれ」と思いました。

 ここで検察官の読み上げは終わり、次回は京都の窃盗関係の立証で、2月6日の1時30分と指定して閉廷した。

 大橋被告は審理の最中、ずっとさめざめと泣いていた。手に持った白いハンカチで涙を拭う。鬼の目にも涙といったところか。
 閉廷したあと「dさんは・・」と言ってaさんの遺族を探すような素振りを見せた。
 aさんの遺族は意見陳述もするという。
 法廷の外で検察官が遺族に「遠いところお疲れ様でした。次回は京都の窃盗関係のみなので来てもらっても構いませんが、大橋から直接話を聞けるということはありません。その次がおそらく弁護人からの大橋への質問になると思いますので、期日が決まったらすぐに連絡します」と遺族関係者に話していた。

事件概要  大橋被告は、強盗目的で以下の事件を起こしたとされる。
1:2005年4月27日、岐阜県揖斐川町で、パート従業員を殺害。
2:2005年5月11日、大阪府大阪市旭区のマンションで、主婦を殺害。
報告者 insectさん


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