裁判所・部 大阪地方裁判所・第五刑事部
事件番号 平成16年(わ)第7321号
事件名 強盗殺人
被告名 A、B
担当判事 中川博之(裁判長)丸田顕(右陪席)小坂茂之(左陪席)
その他 弁護人:モリオカ
日付 2005.12.5 内容 論告

 12月5日午後2時30分から、強盗殺人の罪に問われたA・B両被告の論告・弁論公判が大阪地裁(中川博之裁判長)であった。
 A被告は黒のスエットにオレンジのトレーナー、B被告は上下青いスポーツウェアを着ていた。

−検察官の論告−
 本件各公訴事実は公判廷で取り調べ済みの関係各証拠により証明十分である。
 ところが被告人両名の弁護人は殺意と強盗の犯意、共謀の事実を否定している。
 またAにおいては当時飲酒していたので、責任能力の有無を争っている。
 被告人ら3人は26日、キャバクラで飲酒しており、グラス5杯、ボトル5本を開けていた。
 北区の駐車場近くで、Aの右肩と歩行中の被害者の左肩がぶつかった。Aは睨み付けるが、被害者は目をそらさなかった。Aが「何見とんねん」と言い、Bが間に入ったところ、被害者が「関係ないやろ」と言ってきたので、Bは激昂した。Bは両手で被害者の胸倉を掴み、Aも加勢して、路地裏に連れこんだ。そこでBが手拳で被害者を殴り、Aも手拳で殴打した。Bは倒れた被害者の頭部を、サッカーボールを蹴るかのように力任せに蹴り上げた。Aもこれを認識しつつ、被害者の腹や胸を蹴った。Bはスニーカーを履いた右足で、被害者の頭部を蹴り続けていた。
 被告人両名は当時借金をしていたので、被害者から金員を強取しようとして、それぞれ2,3回ずつ頭部を蹴ったあと、Bは完全に抵抗できない状態にした被害者から、Aに指示して5万1000円を奪った。
 被害者のショルダーバッグも奪ったが、Cと合流するため投げ捨てた。
 表の路上で携帯で話をしていたCは事件には気づかず、Cに携帯で連絡したBは「今、男をしばいて金取ってきたんや」と言い、Cに被害者を見せようと、その場所まで連れて行った。Cはそれを見て「行かないとまずい」と言ったが、Bは再度被害者をサッカーボールを蹴るように蹴り上げ、Aも踏みつけた。このことから分かるように、BはAに指示して金を奪っている。
 被害者はその後、救急センターに運ばれたが、頭部に重傷を負ってまもなく死亡した。
 Aは被害者を殴打した事実について公判廷で曖昧な証言をしているが、弁護人を早くから選任し、自ら取り調べ記録を残している。このような取調べ記録には、Aに不利益なことも書いており、捜査段階のAの供述の信頼性は高い。
 Aは取調官に被害者をグーで5,6発殴ったと言っており、BもAが殴打しているという事実を一貫して証言している。
 法廷で、Aは被害者を足蹴にした事実について否定もしくは曖昧な供述をしていて、被害者が倒れたあとの暴行は認めるが、その後の被害者の頭部を蹴った事実を否定している。Aは「記憶が作られたものではないか」と述べ、自分の思っていることと違うことが供述調書には書かれていると言っているが、捜査段階での供述は信用性が高く、公判供述は信用性がない。捜査段階のAの供述は、何ら不自然で不合理な部分がなく、Bもそのように供述している。
 Bは自分が被害者の頭部を蹴ったとも供述していて、Aに不利益な供述をする理由が見当たらない。
 強盗の犯意であるが、被告人は公判廷で被害者を足蹴にしたことについて供述を変遷させている。金目当てに殺したと言うと罪が重くなるから、意図的に供述を変遷されており、捜査段階での供述の信用性は高く、公判廷での供述は信用できない。
 Bも「私がTさんを蹴っている間、金を取れることに気づき、抵抗できないよう2、3発蹴った後、良彦に財布を取らせ、Tさんは私が見張っていました」と言って、「抵抗しないよう2,3発蹴った」と証言している。
 Bは「当時の記憶が蘇った」として公判廷でも自然かつ合理的な供述をしている。それなのに第5回公判からそれを否定し、その理由も「前の公判が終わったあと思い出した」というだけで、何ら合理的な説明がなされておらず信用性はない。この行為が強盗に当たるかは常識の範囲内で理解できるものであり、それを知らなかったはずはなく、現にBは捜査段階で強盗の罪は重いのに認めている。自己の不利益なことも話している捜査段階の供述は真実である。
 Aは「はっきりとは覚えていないのですが、殴っている最中に財布のようなものに当たった気がしました。金を奪ったとき、Tさんの右手がダラーッと下がりました」と供述しており、上着から二つ折りの財布を奪っている。このことにより暴行の途中で強盗の犯意が発生したことは認められる。だがAは公判廷で供述を変遷させて、「警察官に言われてそうかもしれないと思った。結局警察官にこういうことにしておくから、と言われ署名してしまった」などと話している。だが、Aは覚えていないことは覚えていないという態度を一貫して取っており、そんなAが上記のような供述を容認するはずもなく、Aが書いていた被疑者ノートにも特段の記載はない。以上によるとAの上記公判供述は信用性がなく、金を奪うために暴行したことは優に認められる。
 次に共謀の事実であるが、BがAに財布を探すように命じ、Aが被害者の財布を奪ったものであり、強取についての共謀が成立したものである。現にBは「自分じゃなく、良彦に被害者の財布を探させ、自分は見張っていた」などと供述しており、その供述は合理的で信用性は高い。
 Aは警察から、財布を取るようBに言われた事実を確認されており、Bが自らそのような供述をしていたことが分かる。AがBに声をかけられる以前から、被害者の財布を取ろうと思っていたかどうかでは、Aはこの点について記憶がないが、Bの供述の信用性を減殺させるものではない。
 C供述に裏付けられるBの供述は信用性が高く、公判廷のおけるこの供述の変遷について合理的な説明はなされておらず、Bは「もういいわという感じで言った」と述べているに過ぎない。
 次に被告人両名の殺害についての共謀であるが、まずBの殺意であるが、被害者の頭部を蹴ったことが未必の殺意の開始となった。
 スニーカーをはいた右足で被害者の頭部を力任せに蹴り上げた。Bも「右利きだったので左足を軸足にして蹴っていて、ボコボコにしたいという興奮状態だった。被害者が死なないように気をつけていたということはない。少なくとも10発以上は蹴り続けました」と供述している。また再び現場に戻ったとき、被害者が倒れているのを見てさらに5回蹴った。
 Bの足の先の速度は時速60キロにも達し、右足の親指は内出血までしていた。その内出血は犯行の1ヵ月後でも認められ、その衝撃がいかに大きかったのかが分かる。
 被害者は脳の損傷以外にも、両目瞼の皮下出血など顔面全体にも暴行の跡があり、いかに危険な行為だったことが分かる。
 頭部への暴行についてであるが、Bも人間の頭部が最も重要な役割を果たしていることは認識しているはずなのに、暴行に際し何らの配慮も行っていないことから、被害者の死亡の結果を認容していたのであり、この時点で未必の殺意が成立する。
 また被害者にこの後も執拗に暴行を加え、被害者が死ぬかもしれないと認識しながらも、救助の行動に全く出ておらず、未必の殺意を強く裏付けている。このことは被害者が死ぬかもしれないと認識しつつも、暴行を制止することなく、自らも暴行を継続していることから明らかである。
 次いでAであるが、Bの暴行を目撃しつつも、現に暴行に加わっている。
 Aは「右足の甲の部分が痛くてしょうがない。爪の色が変わった。腹部や胸をサッカーボールを蹴るように蹴った」などと供述していて、蹴る速度は時速53キロにも達し、蹴った回数は10回以上にも及んだ。このようにAは被害者に暴行を加えており、未必的な殺意は認められる。
 被害者の負傷状況であるが、18cmもの大きさの皮下出血があり、これは相当強い外圧が加わったことを示しており、これだけでも一つ間違えれば死亡する可能性もあるといい、Aの暴行自体も危険なものであった。
 以上のことから、被告人両名には被害者に対する未必的な殺意が認められる。お互い他者の暴行を認めながら、暴行を継続したことでも殺意は認められる。
 被害者の死因は脳室内血腫だが、これは相当強い力で頭部を蹴らないと起こらない。また被害者の死亡の結果から、未必的な殺意の発生後の暴行で死亡していることは明らかだ。
 次に強盗殺人の成立について言及すると、被害者の死亡の時期が明解でないことは事実だが、直接の死因が財物奪取前の暴行であっても、強盗殺人罪は成立する。現に昭和32年に最高裁は、同じような態様で強盗傷人罪に問われた被告人の上告を棄却している。つまり本件でも死亡の結果の時期は判然としないが、仮に財物奪取前の暴行での強盗殺人罪が成立するのは明白である。
 財物奪取前の暴行が致命傷だとしても、本来血液には凝固作用があり、脳室内血腫までは至らなかったのに、暴行を継続することによって凝固作用を妨げ、出血を助長させた。それにストレスなどの外圧も加わった。つまり暴行全体が死の結果をもたらした。
 財物奪取以前の暴行か、再度現場に行ったときの暴行かに死の結果がどちらにあるかに分からないが強盗殺人罪は成立する。
 また被告人はCに暴行のことを言って、直ちに現場に戻っており、態様も同一の機会に敢行されたことは疑いを入れる余地がない。
 結論として、本件は強盗殺人に当たる。
 次にAの責任能力であるが、犯行の前半部分について記憶が明確でないと言うが、後半部分の記憶は保たれている。Aが犯行当時酩酊状態だったというのは認められない。
 確かに飲酒量は相当だったが、Aは以前バイト先で売り上げを上げるために焼酎2本を毎日飲んでいた。A自身「ちょっと飲み過ぎたかなとは思うが、歩ける」と相当程度詳細に供述している。
 またAは母親に「先輩らと喧嘩してん。そいつピクリともせえへんかってん。動かんかったのに、先輩がめちゃくちゃ蹴ってん」などと話しており、記憶は十分保たれている。先輩のBが自分のためにやってくれているから自分も参加しなければ、というのは合理的な動機であり、完全責任能力が認められる。
 被告人らの情状であるが、本件は被害者に落ち度が全くなく、酌量の余地はない。
 事件はAの右肩と被害者の左肩が擦れ違ったことに起因しており、酔ってふらつきながら歩いていたAにこそ落ち度があったものである。目が合ったのに、目をそらさなかったという理由でAが激昂し、Bも被害者に「何や、お前に関係ないやろ」と言われたことに端を発して犯行に及んだ。
 動機は自らの力を誇示しようと因縁をつけて暴行したもので、犯行直後も誰でもいいから文句をつけようと、誰彼構わず相手を物色していたのであり酌量の余地は全くない。
 被害者は無抵抗の状態で暴行を受けていた。
 Bは定職に就かずに遊興費のために金を浪費し、多数多額の借金を抱えていた。
 Aも同じく借金を抱えていた。
 本件は金銭を得るためになされており、犯行態様も極めて残虐かつ執拗である。被害者の頭部を、自身の爪が変色するまで、サッカーボールのように蹴り、目撃した付近の住民もそのときの物音を「ドオン!ドカン!ガンガン!」という鈍くて物凄い音だったと証言している。前後して「すみません」「お前、コラ!」という声もあったという。
 被告人両名は被害者が助けを求めたのにもかかわらず、執拗な暴行を加え、被害者は顔面骨の骨折や両目瞼と皮下出血、眼球結膜の浮腫などがあり、顔面全体に打撲の跡があった。現場に到着した警察官も、通常の2倍くらい顔が腫れ上がっていたと証言しており、本件の暴行がいかに凄まじいものであったかを物語っている。
 被害者は殴打されて多大な肉体的苦痛を被ったが、それでも意識は保っている状態で、汚い路地の上で、死に対する恐怖感に絶望を抱いていたに違いない。
 被告人は被害者の助けを無視して、いわば嬲り殺しにしたものであり、おおよそ人間のすることとは思われず、あらゆる犯行態様のなかでも最も悪質な部類に入ると言わなければならない。結果も重大で、被害者は理不尽な言いがかりをつけられた上に、多数回にわたる熾烈な暴行を受け、28歳の若さで非業の最期を遂げたものである。
 被害者は起業ウェブを立ち上げ、同じ夢を持つ人と交流していた。その一節に「こんな夢を見た。ある日玄関に、ふざけたような遊び人風のおっさんが立っていた。事業が成功したという。それは20年先の未来からやって来た僕だった。彼は言った。ありがとう、君が今日大事な決断をしてくれたから、こんなに成功することができたんだ」というものがあり、希望に満ち溢れていた。
 恋人のKと結婚する予定で、「ずっと守って、おばあさんになっても幸せにするから」と言っていたにもかかわらず、本来希望に満ち溢れた人生を奪われたその無念さは察するに余りあり、被害者の母親も「私たちの生活は地獄のどん底のようです。今までのように笑うこともできず、泣いてばかりいます」と話している。また婚約者の人生も狂わせ、被害者の友人にも多大な喪失感と絶望を与えており、彼らは犯人を絶対に許すことができないと話している。
 それなのに、責任逃れの態度に終始する被告人らは反省の色が全くない。
 Bは最初は暴行を否定するなど、虚偽の供述をしており、「どうなるか怖かった。奪った金額が多いと、罪が重くなるので嘘を言った」などと話していた。Aも財布を奪ったのはCだと当初供述し、情状面に重要な事実を否認していた。このように被告人らは自己の刑事責任を軽減させることに腐心しているのであり、反省心は微塵も認められない。
 当然ながら遺族の処罰感情も峻烈である。被害者の母は「被害者の顔を見たとき、自分の息子とは思えませんでした。顔も凹凸がなく、耳も千切れたように真っ赤になっていて、瞼も腫れ上がって目を閉じることができない状態でした」と証言しており、1年ぶりにあった息子を見た驚愕や腹立ちは容易に想像できる。
 被害者の実父も「目を瞑れば暴行を受けている息子の様子が浮かんできて、眠ることができず、涙も止まりません。倒れている人をさらに蹴るというむごい仕打ちをする加害者は、人間とも思えず、畜生とも思えません。息子と同じような痛みを与えないと分からないと思います。Bを極刑にして、公正な世の中にしてください」と証言している。
 被害者の恋人も「これで軽い罪になるのでしたら、神様も仏様もいません。遺族の身になって、重い罪を与えてください」と証言している。
 被害者の友人の多くも被告人らに極刑を望んでいる。
 本件のあまりのも残虐かつ執拗な犯行態様を鑑みると、被害者の関係者が極刑を望んでいるのも至極当然である。
 本件は社会的影響も大きく、前途有為な青年が巻き込まれた路上凶悪事件で、広くテレビ等で報道され、社会の耳目を集めた。
 通り魔的犯行であり、誰がこのような被害に遭ってもおかしくなかったのであり、治安に対する国民の不安が高まっている現在、刑事司法が毅然とした態度を示し、厳然とした処罰をする必要がある。
 Bについてだが、刑事責任はより重大である。AはBに敬語を使っていて、強取した金銭はCに渡したのは除けば、ほとんどBが取っていたのであり、本件犯行の主導的な役割を果たしており、Bの刑事責任は極めて重い。そうすると前科前歴がないこと、偶発的な犯行であること、一応反省していることなどを踏まえても、あまりにも残虐な犯行であり、酌量減軽すべき理由はない。
 そこで求刑ですが、Bを無期懲役、Aを懲役15年にそれぞれ処するのが相当である。

−B被告弁護人の弁論−
 事実関係については争わないが、本件は強盗殺人ではなく傷害致死に当たるので、検察官の主張は誤りである。
 共謀関係でもなかった。
 財物奪取についてだが、暴行のどの時期が被害者の死因となったかは、医学的に不明であり、ただちに強盗殺人は成立しない。
 情状であるが、このような重大な結果になってしまい、被害者の苦痛は相当程度大きいのは確かである。Bは若気の至りで犯行を否認する態度を取ってしまった。犯情は軽微なものではないが、自らの罪を涙ながらに吐露している。
 検察官の言う、虚偽の事実を述べているとか反省の色がないなどということはない。
 何にもましてBには前科がなく、やや無軌道だった生活を送っていたかもしれないが、反社会的な生活を送っていたわけでない。
 事件はアルコールの影響で正常な判断ができなかったというのが大きい。
 Bは若年で更生の余地があり、これからの余生も罪の償いをすると拘置所内で言っている。被告人自身はいかような判決でも受け入れると話しているが、自らの責任を自覚させたり、我々法律家として捜査段階の供述が正しいのかそうでないのかを見極める必要があるのであり、決して被告人が自らの責任を軽減しようとしているものではない。
 被告人が重大な行為を犯したのは承知であるが、一生服役させるのは躊躇を感じる。是非とも有期刑を選択して、許される限り、温情ある選択をしてもらいたい。

−A被告弁護人の弁論−
 まず弁護人から一言、今傍聴に来ている方は遺族を含めて、被害者の関係者が多いかもしれない。あなた達から見て、Aは極悪非道な人間と見えるかもしれない。確かに事件はとんでもないことであり、責任は大きいのかもしれない。しかしAの国選弁護人としては、Aが当時どういう状況だったのかを明らかにする職責がある。
 AはBとCと、言わば遊び友達であったのであり、事件当時Bは24歳、Cは23歳で、Aは20歳になったばかりだった。
 3人で飲酒したあとのAの酔いの程度は、記憶が保持できている状況ではなかったのは明らかであり、少なくともAはふらついている状態だった。
 Aが被害者を怒鳴りつけたのは事実だが、その時、Aと被害者の間には1メートルの距離があった。それなのにどういうわけかBが割り込んできて、Aを制止して、被害者を路地に押し込んでいったのである。もしBが割って入らなかったら、何事もなく過ぎていたかもしれないという状況だった。
 本件犯行は1回目と(Cを呼んだあとの)2回目に分かれており、1回目、2回目は独立した暴行と見るべきである。1回目は財布を取って暴行は一旦終わり、Cがやってきて2回目の暴行は再開されている。
 Aの場合、1回目は積極的に暴行を加えていたわけでなく、2回目は被害者の臀部に飛びかかろうとしたが、しりもちをついて終わったものである。そのときBは威張りきっている様子で、B自身一番威張った態度だったと言っている。
 警察の調べであるが、Aの被疑者ノートにも「言い分を聞いてくれない」と書いてあり、検察の主張は間違っている。
 殺意の点だが、強力な暴行がなされたのは事実だが、被告人の両名は共謀関係になく、同罪という主張は当たらない。つまりBが被害者を路地に押し込んでいったとき、Aは何が何だか分からなかった。そのあと、Aは自分もやらなくちゃという気持ちになったのであり、そこに殺意があったのか了解不可能である。しかしAはふらついており、暴行も頭部ではなく、胸から腹、腰の部分が中心だった。Aがどこを蹴っているのか正常に判断できる状態だったのか、冷静に考えるべきだ。殺意があったら、1回目で殺してしまおうと思えばできたはずで、2回目が起こったことに対する根拠がない。
 Aは酔って物に当たってしまったことはあったが、人を傷つけたことはない。普段暴力的な性癖を持たない者が、この暴行に参加していたからといって、いきなり殺意が認定されるものなのですか。
 AはBから命じられて初めて、財布を取ろうとした意思が生じたのであり、Aの行った行為はBは別にしても、強盗の意思で財布を取ろうとしていないのは推測できる。この一連の暴行が被害者の死の原因になったのは間違いないが、その間の窃取が強盗になるのかは仙台高裁の判例を見ると違った結論になる。
 被告人は6歳のとき、両親が離別して、9歳のとき片方の親が戻ってきた。小さいころから、下の弟の面倒をよく見ていた。本来粗暴な性格ではないが、酒を飲むと、物や人に当たることがあった。だが家庭では優しく、まがいなりにも働き、自分で生活設計を立てている。そのような被告人がこんな重大な事件を起こしたことは、弁護人としてもなかなか理解するのが難しい。被告人の人となりを見ても、強盗殺人を起こしたなどとは到底感じられないのであって、私はこうした事態を見て困惑しています。
 被告人は深く反省していて、ひたすら般若心経でそれを唱えている。
 本件犯行は被告人が意図して計画したものではなく、被害者の命を奪ってしまったことを悔悟して、一生償っていくことを心から誓っている。遺族の方や皆さんの思いは別にしても、Aの弁護人がどのようなことを考えているかは理解してもらいたい。裁判所には公正な裁判を期待します。

−最終陳述−
 B被告「毎日毎日辛い気持ちでいっぱいです。一日でも早く刑に服して、罪を償っていきたいです」
 A被告「・・・と、とくにありません」

 傍聴席は団体傍聴の人が多数いたので、満席になり、急遽補助イスを用意していた。
 B被告は求刑の瞬間、目を伏目がちにして険しい表情をした。
 被害者の交際相手は論告でサッカーボールのように頭部を蹴ったことが読み上げられると、大泣きしていた。
 被告人2名が退廷するとき、被害者の母と交際相手が「息子を返して」「返してよ!!」と怒りをぶつけていた。A被告は後ろを振り向いたが、B被告はいつものようにそのまま退廷していった。
 判決公判は2月16日10時から。

事件概要  両被告は、他1名と共に2004年10月26日、大阪府大阪市で肩のあたった会社員を暴行して殺害し、金を奪ったとされる。
報告者 insectさん


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