裁判所・部 名古屋高等裁判所・刑事第二部
事件番号 平成14年(う)第27号
事件名 A:傷害、殺人(認定罪名傷害致死)、監禁、強盗致傷、強盗殺人、殺人、死体遺棄、恐喝、暴力行為等処罰に関する法律違反
B:傷害、殺人(認定罪名傷害致死)、監禁、強盗致傷、強盗殺人、殺人、死体遺棄、暴力行為等処罰に関する法律違反
C:傷害、殺人(認定罪名傷害致死)、監禁、強盗致傷、強盗殺人、殺人、死体遺棄
被告名 A、B、C’ことC
担当判事 川原誠(裁判長)
その他 検察官:濱隆二
日付 2005.8.19 内容 弁論

 8月19日午前10時から、通称長良川リンチ殺人事件のC’ことC、B、Aら3被告の検察官・弁護人双方の弁論が名古屋高裁(川原誠裁判長)で始まった。検察官は1名、弁護側は被告一人当たり2名の計6名だった。
 A被告は角刈りにぽっちゃりした優しげな顔をしており、そんな悪い人間には思われなかった。B被告は背が低く、眉毛がつながった男であった。C被告は出廷していなかったが、以前の公判では数珠を手にしていた。皆長い拘禁生活のためか色白である。

 まず最初に弁論を行ったのは原審で死刑判決を受けたA被告の弁護人からである。
 A弁護人「総合的に検討すれば、弁護人の主張は証拠によって裏づけられているものと考える。まず津島事件においては、被告人は凶器となったカッターナイフは、護身用の道具として持ち歩いていたのである。被告人は山健組や暴走族の花魁やコブラといった組織から追われていた。以前捕まって1時間ほどのリンチを花魁から受けたこともある。そのため捕捉されないようにするためカッターナイフを携帯していた。確かに誤解されやすい時期ではあったが、Uさんに対する財物奪取の目的で購入していたわけではない。窃盗の常習犯の手口は共通しているとされる。これは恐喝にも当てはまる。被告人には道具を使うのは恥で、弱い者がやる卑怯な行為という認識があった。被告人の恐喝の手口は、その最中相手の反応を見て、言葉巧みに相手を畏怖させていくものである。原因は金品はすでにAの確定的な支配下にあった上で、Uさんが財布のなかの金額について嘘を言ったので、殴打の際にカッターナイフを掴んで殴ったというものであり、傷害を与える目的でカッターナイフを使用していない。
 大阪事件では、AやCがVさんをタケヤビル405号に連れ込んだのは事実であるが、これまで3、4人を連れ込んだが、いずれも殺害には至っていない。事件になったのは洋服で縛り、CがVに八つ当たりしていたことが大きな影響を及ぼしている。BやDは現状を打開するため提案をして、Vさんを何とかするという場面に展開するが、お互いの認識が一致していない状況で具体的でなく、『何とかしろ』と言った側も言われた側も方針が定まっていなかった。Aに至っても『とにかく形を示さなあかん』程度の認識だった。Bの提案に対し、A、Cの受け止め方は異なっており、『何とかしよう』との提案に一致して殺害の意識を有した具体的な共謀とは評価できないので原判決は誤りである。
 次に木曽川事件については、AやEのみが突出した暴力を行っていたわけではない。Aは稲沢に戻ったとき、Wさんとも現に会っている。Wさんが『警察呼んでもいいんやぞ』とBに言ったのを、憶測で自らが犯した強姦事件と結びつけた。これはそのままB自身に向けられていた可能性もある。またWに対する暴行は中断と再開を繰り返している。これはまさに思いつきや感情の赴くままなされたことを示している。G方で、被告人がジュースやお菓子を食べたりしていた時も暴行は中断されている。この時はEが現に警察に電話をかけたところ、Wが刑事と話すのを拒否したため立腹し、Eが再開させたものである。シンナーを吸引していたIも『情けない先輩だ。こんな先輩は嫌だ』と暴行に参加している。AがWの頭にウイスキーをかけたあと、Eが醤油を続いてかけた時、醤油がCの衣服にかかった。これに怒ったCはホウキを持ってWに殴りかかった。G方から緑地公園に暴行の場所を移した際は、Cが暴行を再開させている。緑地公園から河川敷に移動しているときも、暴行は中断されている。再開したのはBで次いでCが加わった。Bは暴行を再開させた動機として、『寒い。Aに引っ張り回されている』と供述しており、そう動機においても時間においても隔絶がある。それゆえAが事件において主導的な役割を果たしたとの原判決の指摘は事件の評価を決定的に誤っている。原判決ではG方から移動を提案したのが誰か示されていない。暴行を中断させられたCは『川あるやろ』と河川敷に第一陣で到着して、暴行を継続している。原判決では木曽川河川敷の場面では主にAとEのみが暴行しているとあるが、Bもカーボン製パイプでWを殴打している。またCが河川敷にWを転落させている。Bに蹴り落とされたWは二度と立ち上がらなかった。Eもカーボン製パイプやホウキで身体の枢要部に攻撃を加えている。ただ、軽量・空洞のカーボン製パイプは衝撃力はそれほど強くなく、それと比較して蹴る行為のほうが力の作用は大きい。また殺害を考慮するに当たっては地元意識に着目すべきである。Wを殺害したら、地元の不良グループの報復が待っている。同害報復の危険を冒してまでWを殺害する必要はAにはないが、他2人は地元意識に配慮する必要がない。『川に沈める』とはCの言葉だが、全員の合意は成立していない。川に流すことは現実的には不可能であり、実際は雑木林で遺体は発見された。Wに至ってもシンナーによる酩酊状態でなければ助かったかもしれない。山田医師の鑑定は検察官が整理した一覧表をもとにしており、法医学の範疇を超え、鑑定そのものに信用性がない。その一覧表は誰か作ったのか、誰のどの点の供述か、検面調書なのか員面調書なのかどうかも明らかにする必要がある。山田医師の証言を持って矛盾がないとの検察の主張は概括的なものに過ぎない。山田医師は事実と推測を混同している。結論としてはWの死因は医学的に解明されていない。山田医師が証言した急性硬膜下血腫が死因とは合理的な疑いを差し挟む余地があり、暴行行為が具体的な蓋然性を持って死期を早めたとは評価できない。
 最後に長良川事件についてであるが、強盗の共謀については、被告人はZ1から金銭の要求行為に及んでいない。人目があるなかでも大阪で恐喝行為に及んでいた3人に、人目に付きやすいという理由が恐喝を中止する事由にはならない。あくまで目的はZ1さんらを暴行したのちに暴走族に引き渡すことであり、それが強盗の共謀にはならない。Cには好意を寄せていたFの前で喧嘩したいという固有の動機があったかもしれない。この暴走族に引き渡すというのはAが証言しているのみならず、被害者のXも供述しているので動かしがたい事実である。Cのみ金品を奪取するためと供述しているが、これとは次元が異なる問題である。この暴走族に引き渡す話を検察は否定しているが、Xも認めているにもかかわらず何ら反証の術を持っていない。AがXの財布に2,3千円しか入っていないのをBに示して確認したのは事実であるが、Y1の財布から8千円を奪ったのはCの独断であり、Aは知らなかった。Z1とY1の強盗殺人の認定にAの『徹底的にやりましょうよ』という発言が原審でも取り上げられているが、この発言はAの『家に帰したら、こいつらチクりよる』という発言にBが『親とか何時に出て行くの』と応じ、Y1が『朝の9時頃パートに出る』と言ったため、次にBが『お金取れんかったら、どないすんねん』と発言し、そのうえで『警察や家族に分からないように綿密に、徹底的にやりましょうよ』という会話の流れで発生したもので、この発言が原審では考慮されていない。この『徹底的にやりましょうよ』という発言を受けて強盗殺人の犯意を認定する重要なものとするのは、短絡的な評価で誤りである。『アベックがいるので、ここではヤキ入れできん』と江南緑地公園からの場所移動を提案したのはCであり、AやB、Cの認識の上には埋め難い齟齬がある。長距離の移動中、Aは暴行への躊躇いを示した。AがCとBを引っ張っていったのではなく、逆に2人に深刻に追い詰められていったのである。またCにしても八つ当たり的に暴行を加えることはあっても、その憤懣がただちに殺意とは結びつかない。BもXに『お前は助ける』とXに言っており、検察の主張する犯跡隠蔽には違和感を感じる。Aは『もうちょっとついてきて』とか『ここではちょっと』と現に決断を引き延ばしている。B→A→Cといった序列のなか運転手役のHが堤防通りに入る決断を促したのは否めない。Aは『堤防通りでもなかなか決められずに迷っていた』とも供述しており、Aに対して強盗を論じる余地はない。他2名にしても、Aに対する憤懣を強盗に結びつけるのは論理の飛躍である。Cによる金銭奪取とは時期的にずれている。したがってAに強盗殺人を適用したのは、強盗の正当な解釈を大きく逸脱したもので失当である。次にA被告人の情状について述べると、Aには被害者への凄まじい思いがある。反省の度合いも深く、更生の可能性も高い。それは大阪事件の自白によっても裏づけられる。被告人は生来はにかみや見栄が強く、当審においても不遜な態度と見受けられかねない印象を持たせてしまうが、それはAの精神状態で、内心では真摯に反省している。支援者も適切な指導があれば十分に矯正可能で、今後も全面的に支えていきたいと話している。被告人はつとめて真実を述べてきており、供述の齟齬に気づいていくことで、Aの供述の正しさが受け入れられた。各事件において被告人らが果たした役割は異なっている。Aは決して首謀者ではない。また量刑に格別の差があるとは言えない。例えば大阪事件の共犯のDは4年以上8年以下という判決に留まっており、Aが死刑、BやCが無期懲役というのも刑の均衡を失している。以上に照らすと被告人に死刑は重きに過ぎるのであり、寛大な判決を賜りたい。」休廷を挟んで次にB被告弁護人の弁論が始まる。

 B被告弁護人「弁護人の控訴の趣意は強盗殺人、傷害致死に量刑不当があり被告人Bには有期懲役が相当であるということだ。検察側は原審の傷害致死の認定について控訴しており、Wへの殺人罪が成立すると言うが、弁護人としてはWの死因について争いがある。山田証人は原審において取り調べ済みの証拠についてそのまま証言しており、証人尋問は無意味であった。原審で警察から事実関係を提示されていたので、当審における証言は原審と同じであった。検察は詭弁を弄している。あろうことか硬膜下血腫の可能性が高いが、内臓クモ膜下出血もあり得るとして逆転したのは矛盾である。次に本件の遺棄行為が殺人には当たらないのは最高裁判例から言っても明らかである。遺棄行為を取り立てて殺人行為と結びつけるのは困難だ。
 木曽川事件を傷害致死と認定したのは罪刑法定主義から言っても当然で、遺棄行為を殺人と捉えるのは検察の技巧的主張で、木曽川事件は傷害致死しかあり得なく、原判決に事実誤認はない。検察側がBを死刑に処すべき根拠として挙げているのは以下の4つであり、それについて反論したい。
@暴力団的集団を統制できる立場にいながら、兄貴分だった立場を否定しており卑劣である。
A長良川事件の犯意を徹底的に否認していて悔悛の情がない。
B各事件においてAとの間に刑責の差はない。
C遺族の処罰感情が峻烈で、被告に死刑を求めている。
 まず@だが、検察官は本件が少年事件であることを見落としている。検察は暴力団組織と同一で、配下の責任はその首謀者の責任でもあることを免れないと主張しているが、少年集団における事件の特徴は無責任性が限度なく拡大し、他人に責任を転嫁していって膨張することだ。本件はこの特性がまさに前面的に顕れている。また各自の関係は希薄で、お互い腹の内を見せない状態だった。確かにヤクザの物真似的な関係は存在していたが、リーダーに向かないBがリーダーだったことは、ヤクザらしい強さを誇示していただけである。当然そのなかでは意思決定のメカニズムは働いていない。つまり他の者への影響を考えられなかった。もしBに兄貴分としての役割があったら、4人もの命が奪われることはなかったというのが弁護人の主張であり、Bが兄貴分的存在だったという検察の主張は誤りである。
 Aであるが、原審の55回公判で、BはY1さんに対する未必的な殺意を認めた。ところが当審では否認に転じている。Bには、4人もの命を奪ったので死をもって償うしかないとの思いが強く、何度も自殺未遂を図っている。それは刑事から『人を虫けらみたいに殺すやつだ。お前みたいやつは一遍死んだくらいでは足らん』と言われたことも影響している。また拘置所で面会に来た年老いた父親の姿を見て、自分は生きていることが罪だと感じた。自己の体験を素直にそのまま認めたのが原審の認否(殺意を否認)である。心から罪の意識を持ち、被害者遺族に言い訳がましいと思われることを頭に入れつつも殺意を否認したが、遺族が投稿した週刊誌の内容を読んで、自分が否認することでこれ以上遺族を悲しませたくないとの思いから、55回公判を迎え、未必的殺意を認めた。ところが真相を究明することが自分にできる償いであると考えるに至り、真実で裁かれたいと考えるようになった。決して遺族を傷つけるために否認しているわけではない。殺意を認めて早く死刑になるほうがいいと考えていたくらいである。そのなかでBは自らの事なかれ主義を反省し、真実を明らかにすることが宿命であると考えた。生きて償うことは死んで償うことよりもはるかに大変である。ただこの苦しみが遺族にとってのせめてもの償いであると考えた。つまりBは長良川事件の犯意を否定しているわけでなく、検察側が悔悛の情が乏しいと指摘しているのは事実誤認も甚だしい。原判決はZ1らに対する強取を認定しているが、Z1ら3人と場所を移動するとき、Aが暴走族に引き渡す話をして、Bは後腐れがないよう解決したものと考えた。引渡しが確実であったかは荒唐無稽な部分もあったかもしれないが、それこそ少年事件の特徴である。Aは一宮の暴走族によく知られた存在であり、B自身、Aに助けられたこともありAの強さを知っていたので、引き渡す話は何ら不思議ではない。これはXも具体的な暴走族の名前を挙げて証言しており、原判決がそれらを認定しないのは失当である。暴走族に引き渡す話は現実に存在しており、強取することと暴走族に引き渡すことは矛盾しており、強取の意思も共謀もなかった。原判決が一緒に暮らしていて、厳しい上下関係や強固な連帯感を持った仲間意識があったというのは誤りで、長良川事件ではBとAの険悪な関係が露呈している。大阪事件に至るまで恐喝はしていたが、強取はしていない。そのことは被告人らが全く強取を計画していないことの証左で、基本的には強盗罪は成立しない。BにはZ1、Y1の両被害者を殺す動機がない。なにが口封じであるのか原判決では説明されておらず、検察の主張する犯跡隠蔽の解釈は無理がある。仮に強取の共謀があったとしても、喝取や暴行を加えられた張本人であるXを、犯跡隠蔽の対象外としたのは説明できない。犯跡隠蔽が目的であるなら、2名の殺害を目撃したXは何が何でも殺害しなければならない相手だったはずだ。Bは『早く愛知県から脱出して奈良や大阪に帰りたい』と大阪に帰りたかったゆえに、Aに喧嘩を売るように眦を変えてZ1さんらの解放を主張した。これはAに対する反感と憎悪の顕れである。『マサはやる気だ』と聞かされ、Wさんへの暴行と場面がダブってしまったと供述している。Cに『Fにヨシにするかマサにするか聞いてくれ』と言われたためFと話しており、積極的にZ1への暴行に加わっていない。すなわち濃密な共犯関係にはなく、共犯者も『Bは苛立っており、一触即発の状態だった』と供述している通りである。
 次にBであるが、大阪事件におけるVさんに対する暴行は消極的であった。他の2名より程度は軽く、場当たり的な犯行であった。検察が挙げる殺害後にVさんの体に火を付けたというのであるが、Bは死を確認するために火を付けたのではない。また事件後、腹が減ったので中華料理を食べに行ったり、死体を遺棄したりする行為は冷酷だと主張するが、中華料理店に行ったものの気が動転して手が付けられず、代わりにCが食べたのである。また死体遺棄についても直接遺棄行為をしに高知県に行ったのはAであり、冷酷な殺人鬼というのは当てはまらない。木曽川事件においても、Wに対する執着はなく、A、特にCの暴行と比べて明らかに程度は軽い。次に長良川事件であるが、本件におけるBの関与は消極的である。それはAの暴行をFが『あっちゃん、やめさせてよ』と言ったのを『どうせ無理だろ』と応じたことでも明らかである。原判決の、悲惨な結果を被告人の事なかれ主義によって止めることができなかったとの指摘は一理あるが、それは裏返せば被告人が消極的な態度に終始していたことを示している。
 最後にCである。被告人はトイレや洗面を終えると、本当に申し訳ないと思いながら遺族のために写経を完成させている。金魚を入れる袋に紐を通す作業などを請願作業として取り組み、夕方4時まで従事している。その後は本を読んだり、部屋の点検をして、お経を読み座禅をする。日によっては運動をすることもある。自己が行った行為を深く悔いているので、自己が楽しい思いをするためではない。被害者を蘇らせることができないので、写経は天国にいる人間にとってのお金のようなものであると捉えている。平成14年の10月から請願作業に従事しており等級を3級まで上げ、時給も23円になった。これで蓄えたお金は遺族のために使ってほしいと送金している。被告人はこれまでの公判を1回たりとも休んだことはない。頭痛や下痢を患っていても出廷した。自己が楽しい思いをしたいというのは考えたこともない。父親はリストラされ、病気を患い、自己の息子が犯した大罪に心を痛めている。今は近代付属病院で死の淵を彷徨っている状態であり、法廷には来られなかった。母親も交通事故で来ていない。このような大罪を犯した息子を断絶することなく『困ったことがあったら、いつでも言ってこい』と話した。このような惨めな親の姿を見て、自然と涙が出た。親の子に対する思いは、遺族や被害者4人にとっても同じだとの思いから毎年毎年遺族に手紙を送付している。これまで被告人は手紙を書いたこともなく、遺族に通じないところもあった。だが被告人の切実な思いは徐々にではあるが、遺族にも伝わっているのではないか。現に遺族のうち2人が賞与金を受け取っている。これはこのようなBの気持ちが伝わっていることと評価できる。被告人は死刑を避けるのではなく、死刑になるよりも生きて償いたいと思っている。篤志家も『現実から逃げず、一生冥福を祈っていくだろう。遠い将来Bが出所してきた折は、身元引受人になる』と話している。死刑制度についてであるが、検察側は永山判決以降の死刑判決者の表を提示している。だがそれらと同様の事案で無期懲役判決になった者も膨大な人数に上り、検察の主張はアンフェアだ。単に基準が曖昧になるだけで、死刑か無期かをミスリードさせるに過ぎない。冤罪と同じく、死刑の明確な基準はないのが実情で、永山判決では条件が提示されているだけだ。検察側も膨大な量の無期判決のリストは把握していないだろう。つまり死刑判断は各裁判官のさじ加減に帰するというのが実情であり、本件はいずれの犯行も欲望の赴くまま、虚勢を張る集団心理がはたらき、お互いが同調しないまま必ずしも統制されていない集団のなかで起こった、短絡的かつ場当たり的な犯行で、矯正は不可能ではない。永山判決以降も、少年における集団リンチ事件で死刑判決の前例はない。犯行時少年で死刑を受けた市川一家殺人事件は単独犯行であって、集団的な犯行ではない。Bの暴行は明らかに率先的でなく程度も軽い。勘案すれば生きて償いを与えることが相当で、強盗殺人の認定は事実行為に反している。無期懲役も実際は平均21年の服役期間を要するので重きに過ぎ、被告には有期懲役が相当であると申し上げて弁論を終える。」

 ついでC被告の弁護人の弁論。
 C被告の弁護人「大阪事件における共犯関係であるが、Vを工事会社に人夫として送り込もうとしたが叶わず、もてあますようになった。タケヤビルでAが『やってしまわなあかん』と言ったとき、Cは他人を待たせていた。Cのおかれた客観的な状況に照らすと、他の3名の場合『やる』というのは『殺す』ということだが、Cの場合には即時性を持つとは言いがたい。実際その後、2つのホストクラブに行っている。そのときCがタケヤビルを出たときから、提携を絶たれている。確かにCは『俺がやりますわ』と言って革のベルトを巻きつけ、締め上げたところでDに代わった。これは殺害行為と受け止められかねないが、虚勢の一種である。Aは『よし、お前どうする』と言ったが、指示や命令は一切なかった。つまりCは共謀の前に離脱している。その後どのように経過したかはCにとって定かではない。他3名の実行とベルトで締め上げた行為とは、隔絶がある。『俺がやりますわ』と粋がったが、そのときは友人の仕事探しに追われていた。その後、Aから『お前が遅いからやってもうたやないか』と詰る言葉を聞いたが、V殺害はきつい冗談としか認識していなかったのであり、原審がCにV殺害の共同正犯を認定したのは事実誤認である。
 木曽川事件についてであるが、Wの死因について山田証人は一覧表の記載内容を結論の前提にしており、証言の信用性に重大な疑義がある。検察官の独断で情報が取捨選択されている一覧表は不正確で、実際に現地を見に行っていない山田証言は机上の空論で、雑駁な結論である。長良川事件についてだが、Cは稲沢ボーリング場にボーリングをやりに行っただけで、『何がおかしいんや』とAが勝手に始めたもので『また恐喝か』と思っていた。植え込みでZ1らを暴行した時点で恐喝は成立するが、強盗の犯意はなかった。集団のなかでは一番下の地位に甘んじており、指示・命令する立場になく、迎合的かつ従属的な役割だった。『またやるんか』というのは自らへの憤りも意味していた。強烈なリンチを意図したのは確かであるが、強盗殺人とは似て非なるものである。強盗あるいは恐喝と殺人とは分けて考えるべきで、強盗殺人罪を認定したのは事実誤認である。またCの供述調書作成の際の、取り調べ続きにも違法な面があり、排除されるべきだ。大阪事件では事後の殺人行為を意外に思ったくらいであり、因縁を付けては生活費を得ていたのは事実で、腹立ちまぎれに暴行を加えたり、タバコの火を押し付けたのは認めるが、犯行が行われたときは友人の就職の世話をしていた。木曽川事件は不良グループの仲間割れとも取れるし、被害者にも原因があったのは事実である。もちろんCも反省悔悟の念を抱いており、疑わしきは罰せずに事実認定は基づくべきだ。続いて長良川事件であるが、Aが因縁を付け、集団の圧力が加わり集団リンチに奔ったものだ。集団で下位の地位だったCは必要以上に乱暴に振舞ってしまった。虚勢を張ることが激化した言動に影響し、お互いがお互いを収拾できない状況下で、情緒的に未成熟で負の価値を共有する集団においては、末端として惨めな服従者でしかなかった。CはAが立場が上のBを無視するのを目の当たりにし、Aになりたいと率先的に暴行に加わった。またAとの関係においては追従せざるを得ない立場だった。今、Cは信仰をする人々と交流し、毎日毎夜悔悟の念から祈っている。幼少期、まともな教育を受けられなかった分、学習活動に精を出している。被告人には判決を受けたあと、人生を1から再出発したいとの思いが強い。Cが遅まきながらXを解放したのは良心の顕れである。犯行当時少年で可塑性に富んでおり、生きる希望を残し、被害者の弔いの日々を送らせるのが相当だ。よって原判決を破棄して有期懲役を言い渡すべきだ。
 ここにCの上申書があるので朗読する。C『事件から11年の年月が過ぎました。遺族に耐え難い悲しみを持たせてしまい、心からお詫び申し上げます。今日は弁論ですが、法律のことはよく分かりません。ですが法律論とは別に、遺族の気持ちを読み合わせると結果の重大性があらためて分かります。最後の締めくくりにあたり、このような法律を論ずる弁論の場には出廷を控えさせていただきます。法律とは別に私の受けるべき罪責はあります。また共犯とされてしまった多くの方々にもお詫び申し上げたいです。本当に申し訳ございませんでした。』」

 次いで検察官の弁論が始まった。
 検察官「まずAについてであるが、木曽川事件を殺人でなく傷害致死と認定したのは、重大な事実誤認で看過できない。被告人3名からの暴行が死因なのが明らかで、司法解剖から死因が分からなくても、被告人らからの供述により推量される死因が、死因究明のための合理的資料である。Wの死因について内臓破裂による失血死、全身打撲による外傷性ショック死、硬膜下血腫による脳圧迫死の3つが推量されるが、硬膜下血腫による脳圧迫死が一番優勢で常識的な結論である。Wは意識レベルとしては健在であり、山田証言の信用性に欠けるものは何らなく、合理的な法医学の結論である。EがWにライターで火をつけて、堤防に蹴り落とし、まるでサッカーボールを蹴るかのように足で蹴り上げた。灌木や雑草が生い茂っていたため、それ以上は進むことができなかった。このように遺棄行為がその生命を侵害する殺人の提携行為に当たるのは明白である。またWの両手両足を持って引きずって、Wの死を早めた。この死期を早める行為が殺人に当たるかどうかは、法律とは別に一般人から見た感覚も重視すべきだ。Wの状況は瀕死であり、安静にして医療機関に運ばなければならなかったのに、暴行に及んだ。一般人から見た直感的な判断では、刑法199条の殺人の提携行為に当たるのは明らかである。まとめであるが、作為犯として殺人が優に認定され、傷害致死とした原判決は重大な事実誤認があり、極めて不当で破棄を免れない。
 Aの量刑不当の主張についてだが、控訴審でもより一層理不尽な供述を平然と続け、反省の情は微塵も伺うことはできない。Aの主張はまさに詭弁というほかなく、『自分は事実を述べているので、他の人が間違っている』などの発言は反省悔悟の情が微塵もないことを示している。
 Uさんの事件では、ゲームをわざわざやって3万円を奪っている。これは長良川事件にも連動しており、狡猾な態度だ。
 またV殺害においては、自分のなかでスイッチが切り替わってしまったと不可解な供述をして、まるで別人格のAが出現してVを殺害してしまったような狡猾な態度に終始している。Wの事件では、自己が主犯者と見られないような供述に汲々としており反省の情がない。
 長良川事件では、暴走族に引き渡すとか、Bとのやりとりのなかで『徹底的にやりましょうよ』との発言が出たとか、虚偽の事柄を述べている。またZ1の落ち度を強調したり、声なきZ1を冒涜している。あろうことか自分の主張の不備を原審の弁護人のせいにしたり、冷酷無情で反省の情は原審同様微塵もうかがえない。
 Z1の父親Z2の意見陳述を引用する。『お前は嘘だらけだ。誰が聞いても納得できない嘘を平気でつく。真実は常に一つである。自己に都合の良い供述をしている。』
 以上に照らすと、原判決を破棄して殺人を適用したうえ、被告人にはあらためて死刑を言い渡すべきだ。

 次いでBだが、無期判決は軽きに失して量刑不当である。
 被告人らは暴力団構成員であり、はるかに固い忠誠心で結ばれている。被告人はそのリーダー的な役割で、配下を統率する立場にいたのは明らかだ。その上下関係は対外的な場面だけで、仲間内ではなかったというが、率先的に被害者に暴行している。統率者の責任を配下の責任より軽く評価することはできない。暴力団の上下関係を見ずに、量刑を判断するのは不当だ。共犯者が『ヤクザの名前を使うな』と殴りかかったとき、Bは『連れてきたのは何とかしろ』と犯罪行為を押し付け、犯跡蔽のため殺害まで至っている。
 長良川事件は人間性のかけらもなく極めて悪質である。Aとともに精力的に敢行して率先的にY1に暴力を奮い、バックを奪っている。そのゆえ前の事件と同様の運命を食い止めることができなかった。Z1が逃げ出したとき、率先的に殴っているのもBであり、Aとの差異は見えない。55回公判で未必的殺意を認めたにもかかわらず、『投げやりになった』と両名に対して殺意はなかったと供述しているが、犯跡隠蔽のための強盗殺人の犯意があったのは明らかだ。
 長良川事件の遺族は被告人らの蛮行に怒っている。
 Y1の母Y2は『3人とも死刑になると思っていました。無期懲役と聞いてがっくりしました。被告が将来社会に出てきたらと思うとぞっとします。もし息子が生きていたら孫を抱けたことでしょう。謝罪の手紙を途中まで読みましたが、殺された光景が目に浮かんできたので最後まで読めませんでした。息子は19年も生きられませんでした。生きていたら同級生と同じだったでしょう。謝罪に手紙を死刑になりたくないから書いている。』と述べ、当審で死刑になることを願っている。
 唯一生き残ったXの供述である。『今でも人ごみが怖い。通っていた大学は1年休学したものの、結局中退した。本当は銀行員になりなかったが現在は土木関係の事務をやっている。自分だけが生き残ったという罪悪感に駆られて、暗い人生を投げかけている。被告人らは憎い。許せない。3人とも死刑にしてほしい。』
 またここでZ2の意見陳述を引用する。『おとなしい性格だったのは理由にならない。お前は本当のことを申し上げていると言うが、現実から目を背けていないか。俺は10年貴様らを見続けている。償いというが具体的にどんな償いをするのか聞きたい。俺は法の裁きを受けさせたい。息子は今冷たい土のなかにいる。死んだのではなく、お前らに殺されたんだ。世の中の不公平感を感じる。俺が述べたのは1人だが、4人分ある。お前らは支援者に囲まれ、ぬくぬくと生きている。』
 被害者感情のなかでも長良川事件の遺族の心情は特に重視されなければならない。強盗殺人は明らかに残忍極まりなく、犯跡隠蔽にために前途ある4人の命を奪ったのは自己中心的で冷酷非道だ。これは同一の機会に起こった事件よりも悪質性に格段の相違がある。短絡的・場当たり的などと、犯行の悪質性を過小評価することは許されない。苦悶のうちに絶命した被害者の精神的・肉体的苦痛や無念は察するに余りあり、生きていたら職場において良き社会人、家庭において良き夫になっていたことが容易に想像される。また被害者Z1の父親は10年に渡る法廷傍聴を余儀なくされ、不憫の一言に尽きる。以上の点から永山判決の基準に照らし、原判決を破棄したうえ被告人を死刑に処し、弁護人の控訴は棄却されるべきだ。

 最後にCについてであるが、Bと類似している部分は朗読を省略する。
 まず量刑不当についてである。木曽川事件の役割を従属的と認定した原判決は誤りで、面白がるように積極的に瀕死のWに暴行を加え、良心のかけらも持ち合わせていない。
 長良川事件の犯意を徹底的に否認して、共犯者のAの役割を強調し、自らは追従的で、好きだったFとの関係での八つ当たりをしたとの主張には反省が見られない。
 父親のZ2も『実によく責任という言葉を言ってくれているが、責任と言う言葉の意味をどう考えているのか。あれほどの暴行を加えていてなにゆえ従属的になるのか。』と意見陳述で述べており、被告人のうわべだけの反省に怒りを露わにしている。
 以上の点から被告人には原判決破棄の上、死刑を言い渡すべきで、弁護人の控訴は棄却されるべきだ。」

 以上で検察官の弁論は終結し、川原誠裁判長が「言い渡しには相当な時間を要するので、10月14日の午前10時から5時までということにします」と述べ、結審した。
 被告人ら2名は弁護人と打ち合わせをした後、退廷していった。

 法廷の外で、B被告の弁護人は『あの感じだと主文の言い渡しは後回しということになりそうですね』と話していた。

報告者 insectさん


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