裁判所・部 | 名古屋地方裁判所・刑事第五部 | ||
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事件番号 | 平成15年(わ)第30号 | ||
事件名 | 身代金拐取、拐取者身代金要求、殺人、逮捕監禁 | ||
被告名 | A、B、C | ||
担当判事 | 伊藤新一郎(裁判長)丹羽芳徳(右陪席)鈴木清志(左陪席) | ||
日付 | 2005.9.13 | 内容 | 最終弁論 |
9月13日午後3時30分から、身代金拐取・拐取者身代金要求・殺人・逮捕監禁の罪に問われているA、B、Cの3被告に対する最終弁論が名古屋地裁(伊藤新一郎裁判長)であった。 3被告ともに丸坊主で、B被告は整った顔立ちの真面目そうな男で、A被告は眼鏡をかけた眉が薄く目の小さな小柄で童顔の男で、C被告は眉をひそめたやや大柄な男だった。 中国語の通訳が同時通行的に入る。 B被告とA被告の弁護人は、死刑廃止や死刑と無期の境界線などを取り上げた本を新たに証拠として提出した。 −B被告弁護人− Bは、Kという男と出会う前までは正業に就いていて、母国の中国では教員になっていた。 日本に来てからは韓国風エステ店や居酒屋で働いていた。そのなかで福建省出身者には悪い人が多いという噂もあったが、違法行為に接することなく真面目に稼動していた。だがKを通じて知り合ったAと出会ったのがきっかけで、2週間あまりの短期間で変化していった。 Aが「一緒に悪いことをする仲間を探していた」と言った。 誘拐事件においてもBは最初から悪事を働くつもりはなく、犯罪の親和性は高くない。 咄嗟にaの殺害を計画したもので稚拙かつ場当たり的で計画性はない。検察側の主張する6人の間に事前共謀があったというのは誤りで、西尾市の経営者宅への強盗が失敗した車中での帰りに初めてaを略取する話が出たのであり、具体的な計画には程遠かった。 一般に誘拐事件は綿密な計画なくして成功するのは不可能に近いというのが定説であり、周到性が高くなければならない。だが、本件は極めて無謀な犯行で、犯罪行為に慣れておらず場当たり的だ。 Aが「じゃあ殺せばいい」と車中で言ったことは、冗談だと思っていた。確かにAは「(夫の)Kをさらったほうがいい」とも発言しており、日本で成功を収めているaへの妬みがあった。 Bが「バン」と言ったのを他の共犯者が「誘拐」と勘違いした要素もある。 またBがグループの主導的立場だったというのは誤りで、6人の間に上下関係や服従関係はなかった。 共犯者がBに根拠のない恐れを抱いていたので、その証言や供述が、Bが主導的役割を果たしたことになっている。だが、犯行の計画や立案は皆無で、確かにaの名前を出したり、殺すという言葉を最初に使ったのはBだが、今は反省している。 11月30日の侵入強盗未遂事件以前に前科はなく、aの夫だった遺族のKに謝罪の手紙を書いて真摯な反省の態度を示している。 Bは「当時は命の価値を考えられず、事件のことを考えると辛いが、若さや無知ゆえの暴走だった。それは許されない行為だ」と述べて最大限可能な慰謝の措置を講じていくことを決意している。 そのほか、事件前のK宅への侵入事件では消極的で、共犯者にわざと誤った部屋番号を教えて失敗するようにした。 またaの殺害を思いとどまらせるよう共犯者に進言しており、謙抑的で犯行に対する躊躇があった。 捜査内容もいつの時点で謀議が成立したのか明らかにされておらず、辻褄合わせの杜撰な取調べだ。 Bは犯行当時23歳で未だ26歳の若年で、犯罪性向も進んでいない。 犯行当時は命の重さを理解できずに人を殺すという重大性が分からない状態だったが、長期間の拘留のなか、祖母の死に直面するなどして内省が深まっている。 検察が主張する永山判決以降の同種事件では死刑判決しか存在しないというのは、トリッキーかつミスリーディングだ。日弁連の量刑基準調査によると1名殺害の誘拐事件で、死刑求刑に対し、2件の無期懲役判決が出ている。 Bは謝罪の念も顕著で終生に渡り罪を償わせるのが相当で、死刑制度の違憲性に鑑み、懲役刑を言い渡すべきだ。 −A被告弁護人 Aも含め、中国人留学生は親元からの仕送りだけでは生活できず、日常的にアルバイトをしなければならなかった。 事件の共犯者達とはBの部下として知り合った。 殺害事件では検察はAの「天が知る。地が知る。6人が知る」という発言を証拠として見ているが、Bを除く5人に殺害の意志はなかった。Aは金を手に入れたらaを解放するつもりだった。 Bが積極的に役割分担を計画し、何も知らされなかったAは運転手役に過ぎなかった。 Bが他の共犯者に常に指示を下し、Kが警察に通報したことを知ったD、E、Fもa殺害を決意したが、Aはそれを知らず関係がない。本件は場当たり的かつ無計画な犯行で、西尾からの帰りの車中での謀議では意思の統一は図られておらず、Aはaの解放を提案していた。 グループに原則として主従関係はなく、主犯格を強いて言うなら、Bである。Aは単なる情報提供役と運転手役を任されていたに過ぎず、a殺害については無罪だ。 警察がAを主犯格として決め付け、そのシナリオに会わない部分は故意に無視されたり、捏造されている。 担当捜査官が被告6人を騙すような形で進められている。 共犯者の供述ではaを殺害するのが決まったのは、直前で顔も見られていなかったという。犯罪に手を染めていないAが最初から殺害を計画するわけがない。これをもとにした検面調書は具体的で一致し過ぎており、却って不自然だ。 Fもa殺害の共謀は成立しておらず検面調書は間違っていると真摯な態度で証言している。これは捜査員による誘導の危険が多分にある。公判廷における供述のほうが信頼性が高く、証人のX1の供述は不自然だ。a殺害の直前も共謀が成立していないという公判廷における供述は信用性が高い。 犯人が誰であるか分からないよう犯行を進めており、開放を視野に入れて行われていた。開放を提案していたにもかかわらず、検察側はAが「天が知る。地が知る。6人が知る」という発言を理由に、殺害する共謀が成立しているという。だがこの言葉は中国の歴史ある文書の一節で「犯行を秘密にしておく」ではなく「犯行を止めさせる」内容の文で、誤って訳している。 Aは他の5人の共犯者の名前も知らない状態で、いわゆるよそ者であり、免許を取得していたため運転手役になったに過ぎない。もし検察の主張するAが主犯なら、グループのメンバーから「小(シャオ) 瞻」という失礼な呼称を付けられることはありえない。 検察側は中国人の文化を理解していない。身代金を平等に分けるという計画をしていた事実からも皆がほとんど平等な関係だったことが分かる。また電話記録からもAからの指示が一切なかったことが判明している。強いて言うならBが主導的な役割で提案や指示をしており、Aが主犯格というのは誤りである。共犯者に対して意欲的にa殺害を指示したのも、AでなくBだ。共犯者の証言も公判廷において大きく揺れており、捜査段階でいかに事実が歪められているかを物語っている。これは言語の隔たりも大きい。つまりaの殺害は決まっていたことでなく実行直前に決められたことと、殺害を指示したのはAでないことは明白である。 続いて情状であるが、犯行の動機・原因としてAが金銭的に困窮していたことが挙げられる。 中国人留学生は出稼ぎに来ているようなもので、財政的に厳しく常にアルバイトをしていないと生活できない状況だった。これは中国人留学生にとって厳しい現状である。 本件は集団心理が働き、歯止めが効かない状態でなされた素人を寄せ集めた非組織的犯行だ。aの誘拐に2度も失敗したことはそれを端的に示し、もし計画的な犯行であるならば2度も失敗を繰り返すはずがない。 またAは誘拐されたaに菓子パンを与えたり、トイレにも行かせており、人間性を無視したものとはいえない。 殺害の共謀も成立していないことは明らかなので、検察が指摘する残忍で冷酷な犯行と言われる責任はない。リーダー格は強いて言うならBで、Aは運転免許証を持っていたので運転手役を割り当てられたに過ぎず、中心的役割を果たしていない。 Aがaの解放を主張していたことは考慮すべきだ。 Aの生い立ちや性格、家庭状況であるが当時は愛知学院大学の大学院生で、中国では両親と妹と暮らし、内向的で素直な性格だった。日本語の勉強に励み、文化水準の違いから苦労することも多かったが深夜までアルバイトをしていた。 父親は日中の貿易事業に寄与しており、いつかAに後を継いでほしいと思っていた。事件を受けて父親はショックを受け、被害者のaに哀悼の意を示すとともに、一度の失敗から犯罪を犯してしまった息子のために、老齢でわずかであるが被害弁償をしたいと述べている。 Aは一ヵ月後には遺族に手紙を書き、本件犯行を深く悔悟しており、検察の主張は根本的に誤っている。 前科・前歴もなく犯罪性向は弱い。また大学院に進むなど学習能力が高く、事件を自らの視点で深く見つめている。 父親や叔父も更生に向けて尽力することを誓っており、更生可能性は認められる。また起訴されていない余罪を考慮して処罰することは許されない。 2005年には死刑存置国が76カ国、死刑廃止国が120カ国で死刑廃止は国際的な潮流である。日弁連の梶谷剛会長は現在死刑が確定している74人への死刑執行を停止するよう南野法相に要請している。 被害者が1名の事件で死刑判決を受けた、それぞれの裁判例は本件とは態様が異なり、おおよそ当てはまらない。いずれも本件より犯情が重く最初から被害者を殺害するつもりであったり、被害者を2名以上出している。ここでそれらの事件の概要が読み上げられたが、宮崎勤事件、広域指定118号事件、坂本正人事件を例に挙げていた。総合すると検察の求める量刑は重すぎて不当で、懲役刑を選択すべきだ。 −C被告弁護人− 情状であるが、Cは被害者のaを窒息させようとしたができなかったが、何らの落ち度のないaを殺害してしまったという厳然たる事実に直面するといたたまれない気持ちになる。 その生育歴であるが、両親と祖父と暮らし、中国では中程度の経済状態だった。 来日してから右手の小指が不自由なのが原因でパソコン学校を中退した。 その後、他の中国人仲間から恐喝や暴行を受け警察に相談したが、相手にしてもらえず、日本の警察に不信感を持った。希望を持って本邦に来たのに、学友からの激しい暴力に苛まれ、職場でも誰も助けてくれなかった。 生活の困窮さは被告人1人に起因するものではない。力の被害者が力の加害者になってしまったのである。 Cはaが暴力団と関係があり怖いと主張したが、聞き入れられず、AやBに引っ張られていった。AやBが自分の手を汚したくないがために、殺害の実行役を担ったのであり、犯行現場にCの家が使われたことも従属的だったことの顕れだ。 Cはaが殴られないように共犯者を制止したり、水を与えるなどしている。 事件後は謝罪文を遺族に送付し、「本当に申し訳なく、辛い思いをさせてしまいました。母を殺された息子さんは生きています。私と一緒に来日したクラスメートは金を稼ぎ、充実した生活を送っているのに、犯罪の道を選んだ自分を後悔しています。ママの尊い命を奪うというこんな重い罪を犯してしまい申し訳ありません」と述べている。 Cは将来を嘱望される若年であり、短絡的かつ場当たり的な犯行で共犯者からの勧誘を断りきれなかったことに端を発しており矯正は可能だ。 ここで弁護人の最終弁論が終わり、裁判長に促されて被告人3名が最終陳述。 まずBが中国語で用意した紙を読み上げる。 −B− 私は一度の誤りによって犯罪の道を選んでしまったことを深く後悔しています。 自分の行動を深く考えなかったために、重大な犯行を犯し、こういった局面に立たされています。 自分の良心に従って真実を供述して参りました。 人の生命に対して無知であったことに関しては残念に思います。 aママの命を奪ってしまったことで、aママの関係者に深い悲しみを持たせてしまい心苦しく思っています。今は心からaママの冥福を祈っています。 今回の事件は、社会に対しても関係者に対しても良くない影響を与えました。 この2年あまりで自分のことを思い出して反省しました。たくさんの間違いがあったことに気づきました。 もう一度の希望としては中国の両親に息子としての役割を果たしたい。 裁判官に伝えたいことは、できることなら私にもう一度やり直す機会を与えてください。 続いてAが涙声でたどたどしい日本語で陳述した。 −A− 私の不徳の致すところで、このような結果になってしまい誠心誠意謝罪します。その恥ずかしさに身も心も消え入る思いです。 かけがえのないaさんの命を奪ってしまい、謝っても謝りきれなく、心が締め付けられる思いです。 人としてやってはいけないことをしてしまい慙愧の念に堪えません。誠に申し訳なく、安易な行動で取り返しがつかないことをしてしまい天国に召されたaさんに心からお詫び申し上げたいと思います。 万死でも償いきれない思いで、もちろん罪を免れるための法廷闘争などもってのほかです・・・ そう前置きした上で、検察の主張する内容を事細かく批判した。とりわけAを主犯格と位置づけたことに対し、「どうして知り合ったばかりなのに、私が主犯格になるのでしょうか。私にカリスマ性はありません。それは小(シャオ) 瞻と言われていたことでも明らかです」と強調した。 最後に「渡る世間に鬼はないといいます。罪滅ぼしをするチャンスを下さい」と締めくくった。 −C− 自分の金銭的な目的を叶えるために今回の事件を引き起こしてしまいました。とても後悔しています。 残酷にもaママの命を奪ってしまいました。ご主人や息子さんに対しては本当に辛い思いをさせてしまいました。 事件の後は遺族のことを考えました。事件のことを考える度に、自分を恨まざるを得ません。 最後にもう一度罪のない人に謝りたいと思います。私は自分がやった酷いことに対して、責任を取らなければならないことは理解しています。 謝罪の気持ちを一生、体に刻み付けたいです。余生の全てを謝罪に向けて努力していきたいです。本当の意味で償うことができたら、と希望しています。 これで審理は全て終結して、判決は11月29日に言い渡される。 | |||
報告者 | insectさん |