裁判所・部 東京地方裁判所八王子支部・第三刑事部
事件番号 平成19年(わ)第624号
事件名 殺人
被告名
担当判事 山嵜和信(裁判長)来司直美(右陪席)菅原暁(左陪席)
日付 2007.10.4 内容 弁論

 A被告の第三回公判は、10時から305号法廷で開始された。
 被告人は、わりと整った真面目そうな顔立ちの、30代の男性。丸坊主で、眉がやや太い。色白で大柄。ややがっしりした体格。チェックの長袖のワイシャツ、黒い長ズボンを着ている。緊張したような面持ちで被告席に座っていた。
 弁護人は、眼鏡の中年男性二名。
 検察官は、眼鏡の中年男と、口髭と顎鬚を生やしたスキンヘッドの中年男。
 裁判長は、白髪交じりの老人。裁判官は、眼鏡の青年と、髪の長い30代ぐらいの女性。
 十数人傍聴人は居たが、何時ものように、被害者遺族らと、被告人の関係者たちが殆どのようだった。この事件は若干は報道されていた筈だが、今日は論告だというのに新聞記者らしき人の姿は見えなかった。前回まではそれらしき人も居たのだが。

裁判長「それでは開廷します。今日は、被害者側の意見陳述からという事で宜しいですね」
検察官「はい」
裁判長「それでは、X1さん、前に来てください」
 被害者の母、証言台の前に立つ。初老の女性である。
裁判長「名前を仰ってください」
遺族「X1です」
裁判長「住所年齢職業等はこれに書いた通りですね」
遺族「はい」
裁判長「では、意見陳述を行なっていただきますが、立ったままで良いですか?座っても出来ますが」
 被害者の母は、促され、証言台の椅子に座った。そして、涙声で意見陳述を行なった。

○意見陳述
 娘が亡くなってから、五ヶ月がたちますが、未だに娘の死を受け入れることができません。笑っている娘の写真を毎日見るたびに、娘が生きていた時の事を思い出しては、涙を流しています。もしかしたら、何処かで元気に生きているのではないかと思う事もあります。娘がこのような形で殺害されてしまい、私達家族は毎日が辛く、耐えられない気持ちでいっぱいです。
 aは、三姉妹の真ん中で、親としては三人とも同じ愛情を注ぎ、育ててきたつもりですが、日々の生活に追われ、知らず知らずの間に絆を深める事ができず、三人の中では一番寂しい思いを我慢させる事が多く、辛い思いをさせてしまったかもしれません。
 でも、aは姉妹の中でも、一番家族思いで、頑張り屋で、明るく、とても優しい子でした。特に、私の事は、一番最初に考えてくれました。
 家族の中では、自分ががんばらなければ、と、少し背伸びをしずぎるところもあったので、私自身、心配もありました。
 人より幸せになりたいという気持ちが強く、今度こそは、と、仁志さんに対する気持ちもとっても強かったと思います。
「a、幸せだよ。仁志君ね、優しいんだよ。とってもとっても。今度は必ず幸せになるから心配しないで」
と、とっても幸せそうにしていました。仁志さんという信じ甘えられる人が出来て、本当に良かったね、私も安心していました。
 ところが、幸せで良いと思っていた所、娘から電話があり、「aってやきもち焼きかなあ。仁志君ね、家の中じゃなくて、外に出て長電話する事が多いんだよ。おかしいよね」と電話してきた事もありました。
 毎晩仕事の帰りも遅く、会話も少ないと聞いていたので、大丈夫かなあと心配をしていました。でも、娘は、「大丈夫だよね、心配かけてごめんね」と言うので、仲良くやっているんだと思っていました。
 娘と最後に会ったのは、五月の連休でした。その時の娘は、結婚式を楽しみにしていて、幸せそうな顔で過ごしていました。今度住むマンションに案内してくれました。娘は、幸せな家庭を築いて、生きていこうと思っていたのです。
 しかし、その次は、変り果てた娘との再会でした。気が狂いそうになるくらい、信じられない気持ちで、怒りで、涙が止まりませんでした。一生忘れる事が出来ません。
 今思うと、こんな事になるなら、一緒に帰ればよかった、悔しくてたまりません!
 娘は、少しの間でも、幸せだったと、私は信じたいです。そうでなければ、あまりにもaがかわいそうでなりません。
 殺人という、けして許されない罪を犯しながら、その原因を、全て娘にあるかのように、娘が何もいえないのをいい事に、自分で刑を軽くしようとしているとしか思えません!たとえ、憤る事があったとしても、何故殺す必要があったのでしょうか!
 自分が、どれほど酷い事をしたのか、そもそも事件の重大性を理解しているのか、疑いたくなるほどです!人の命を奪った重大性の認識の無さを感じました!失った命は、二度と戻ってこないのです!娘を、元に戻して、返してください!私達家族の元に、返して欲しいです!本当に悔しいです!
 私達家族は、aがなくなってしまった事が、とても残念でなりません!aを失った事の辛さ、哀しさ、悔しさで、胸が張り裂けそうです!死んでしまった娘は何も言えず、とても悔しいです!
 被告人に、謝罪の念が全く感じられず、怒りの気持ちでいっぱいです!自分の犯した罪に対しても、反省も無ければ、私達家族、そして、aに対しても、謝罪の気持ちも無い!
 死にたくないのに死ぬ事の辛さを、被告人に身をもって感じて欲しい!極刑を望みます。
 X1。

 意見陳述の間、被告人は、大体伏目がちだった。また、終始遺族たちの間から啜り泣きが聞こえた。
 因みに被害者の二度の離婚の原因は、元夫に対する激しい暴力である。それは、刑事事件として立件されてもおかしくないほど激しいものであった。また、被告人が帰宅を渋っていたのは、被害者の暴力を恐れていたためである。そして、被害者の家族は、被告人に、被害者に関する詳しい話をしていなかった。

裁判長「それじゃ、書面を提出していただくという事で、宜しいですね?」
 意見陳述書は提出される。
裁判長「それじゃ、ご苦労様です」
 被害者の母は、傍聴席に戻る。
裁判長「それでは、えっと、論告弁論となっていますね。それでは、論告をどうぞ」
 眼鏡の検察官が立ち上がり、論告を読み上げる。声は何処か哀しげだった。異様に感傷的にさえ思えた。

○論告
 それでは、本件に関する検察官の意見を申し上げます。
 第一に事実関係です。
 本件の公訴事実は、当公判廷で取り調べられました関係各証拠によって、証明十分であります。
 第二に情状関係について述べます。
 本件犯行の動機は、短絡的で、かつ身勝手な物であり、酌量の余地は乏しいといえます。被告人は、被害者の情緒不安定が落ち着く事は期待できず、婚姻生活を継続する事は出来ないばかりか、他人にも迷惑をかける事になるだろう、等と思い、被害者を殺すしかないと決意して、本件犯行に及んだ旨供述しております。
 確かに、本件の背景事情として、境界性人格障害や神経症の診断名で通院、治療歴のある被害者が、時に情緒不安定になり、被告人に対して粗暴な言動に及ぶ事があった事は否定できません。しかし、被告人には、悩みを相談できる実母や妹、会社の上司や同僚などがおり、被害者の精神的障害等について相談をし、助言を得る事は十分に容易かつ可能な状況でありました。
 また、被害者との離婚を考えるのであれば、弁護士などの専門家に相談する事もでき、被害者からの暴力や、被害者の言う暴力団の存在を警戒するというのであれば、警察に相談する事も十分可能な状況にありました。
 そして、被告人がこのような、夫であれば講じるであろう容易かつ可能な措置を講じてさえいれば、妻である被害者をその手で殺害するという最悪の結果は当然回避する事ができたのであります。
 ところが被告人は、病める妻を目の当たりにしながら、自らは何ら現実的な解決方法をとる事はなかったのであり、いつかは被害者の情緒不安定も落ち着くであろう、等という、安易で身勝手な空想しか持たず、漫然と日を過ごした挙句、被害者が手におえないと感じるや、容易くその殺害を決意したというのでありますから、まことに身勝手短絡的と言う他ありません。
 そして、被告人は犯行直前に、被害者が電話で、被告人の元交際相手のY1を罵り、被告人に対して「Y1をぶっ殺してやる」等と言って、食器やパイプ椅子等を部屋のスチール戸に向かって投げつける等した事が、犯行の引き金になったとしております。しかし、このような被害者の言動は、これまでの日常生活において、情緒不安定な時の被害者の言動と比較して、その激しさの点においても極端に異なるものでは無く、勿論、実際に被害者がY1に危害を加えるなどという現実性は到底生じなかったのでありますから、これをもって被害者が被告人の手に負えなくなった等とは到底言い難いものでありました。
 にもかかわらず、被告人は、被害者やその家族の思いを一顧だにせず、手に負えないと感じるや、身勝手にも、もう我慢の限界を超えた、こうなったらいっそ殺すしかない、等と考え、容易く被害者の殺害を決意し、何ら躊躇する事無く本件犯行に及んだものでありまして、その犯行に至る経緯や動機は極めて短絡的かつ身勝手で、酌量の余地は乏しいといえます。
 本件犯行は強固な殺意に基く冷酷な犯行です。
 被告人は被害者の殺害を決意すると、被害者を確実に殺害できるように、小柄な被害者の体をいきなり両手で掴んで、思いっきり後方に投げ飛ばして床の上に転倒させ、仰向けになった被害者の体の上に馬乗りになると、何の躊躇も無く被害者の首を両手で絞め、次第に変色していく妻である被害者の貌を見ても翻意する事無く、被害者の体が完全に動かなくなるまで10分くらいに渡って首を絞め続けており、犯行態様は冷酷で悪質であります。
 そして、被告人は被害者が動かなくなると、その顔面にティッシュペーパーをかぶせて、被害者が死亡したか否かを確認し、もしティッシュペーパーが動いて被害者が息をしている事が解れば、再び被害者の首を絞めて、確実にその息の根を止め様と思っていたというのでありますから、本件犯行は被告人の強固で確定的な殺意に基くもので、極めて悪質であります。
 本件犯行の結果は誠に重大で、被告人の責任は極めて重大であります。
 被告人は、かけがえの無い被害者の命を奪い、取り返しのつかない重大な結果を発生させており、その刑責は極めて重大であります。
 被害者は、被告人と喧嘩をしても、翌日には被告人に謝り、会社に行く被告人のために毎日目玉焼きをつくり、被告人の遅い帰りを夕食を作って待っていました。
 被告人にも幸せと話し、実母にも必ず幸せになる等と話していたように、被告人との結婚生活に幸福感を感じていたのであります。
 そして、本件事件の数週間後には、平成19年5月15日に新居となるマンションへの引越しを控え、同年六月には新婚旅行をかねたイタリアでの結婚式を控え、本格的に始まる被告人との更なる幸せな結婚生活に、期待に胸を膨らませていたのであります。かかる幸せな結婚生活を送る中で、夫である被告人に突然命を奪われる事になった被害者の無念は察するに余りあるものであります。
 確かに被害者は時に情緒不安定になり、被告人に対し粗暴な言動に及ぶ事があった事は否定できません。
 しかし、時に被害者が被告人に対し突発的に激しい怒りを向けていたのは、被告人に対し、強く愛されたいと求めながら、それが被告人に拒絶され裏切られる事を極度に恐れ、そのため何かあれば被告人に裏切られたのではないかと思い込んでいた。被害者の突発的で激しい怒りは、何時も被告人に愛されていたいという被害者の魂の叫びであります。
 被告人はその事を十分認識していながら、被告人に愛されたいと渇望する被害者に対し、殺害を持って応えたのであり、被害者の無念、無惨は想像を絶すると言えます。被告人の刑責は誠に重大です。
 そして、被害者は、28歳の若さで、被告人が被害者との婚姻生活を継続する事が出来ないと思ったのであれば、被害者と離婚する事で被害者に別な形での幸せを与える事ができました。しかし被告人はその可能性すら一方的に奪ったものであり、その刑責は重大であります。
 遺族等の処罰感情は峻烈であります。
 遺族らは、被害者が被告人との間で幸せな結婚生活を送っていたものと思っており、とりわけ被害者の母親と妹は、殺害される前の日まで被害者と会い、その際、被害者が、被告人のお弁当箱を楽しそうに見せたり、新居となるマンションの場所を嬉しそうに案内したり、イタリアでの結婚式の事を幸せそうに話す様子を見て、被告人との間で幸せな結婚生活を送っていたものと確信していたにもかかわらず、突然被告人に被害者が殺害されたという悲報を知らされたのでありまして、その時受けた衝撃や、被害者の遺体と対面した時に受けたであろう、深い悲しみ、悔しさ、絶望感は筆舌に尽くしがたいものであります。最愛の家族の命を奪われた遺族が、心に負った深い痛みは、到底癒される事なく遺族の心を苛み続ける事を思うと、本件犯行は到底許されるものではない。
 被害者の母親は、
「aは三人の娘の中でも、一番母親思いの娘で、上京した後も、体の弱い私の事を気遣ってくれていました。警察から、aが被告人に殺されたと聞かされ、家族で町田署まで赴き、aの遺体と対面したとき、aは口を開け、本当に悔しそうな顔をしていました。首を絞められて殺されるとこんな状態になってしまうのかと思うと、本当に残酷でなりませんでした。あんなにも結婚式の事を楽しみにしていたaが変り果てた姿になってしまい、可哀想でなりませんでした。aの遺体を見て、実際にaが殺されたと解ったとき、被告人に対する憎しみがわいてきました。今はaを殺した被告人の事が憎くてたまりません。必ずaを幸せにするといっていたのに殺すなんて最低です。同じ目にあって欲しい気持ちです。被告人には一生罪を償って欲しいです。一生刑務所から出て欲しくないです。aを殺されて、頭がおかしくなりそうなくらい哀しい思いをしています。今でもaが戻ってくるような気がします。娘を殺されてしまった親の気持ちがどんなものかわかってほしいし、aを返して欲しい」
等と、娘を失った親の悲痛な心情と被告人に対する峻烈な処罰感情を吐露しております。
 被害者の父親及び妹も、一様に被告人に対する峻烈な処罰感情を抱いています。
 最愛の娘や姉の命を短絡的で身勝手な被告人の考えで、無惨にも奪われた被害者の遺族が、深い悲しみと被告人に対する厳重な処罰を求めるのは至極当然であり、その言葉は命を奪われた被害者の無念を代弁するものでもあり、遺族の処罰感情は本件で考慮されるべきであります。
 被告人には真摯な反省の態度がありません。
 被告人は、遺族に当てた手紙の中で、また、遺族の悲痛なる声が響いている公判廷においてすら、自らが殺めた被害者の粗暴な言動を言うのみで、被害者を殺害するという最悪な結果を招いたのに、被告人がどうすれば良かったのかという事について自ら思いをはせる事無く、あの場面においては殺すしか解決方法が無かった等と、自己の行為を正当化するかのような供述をしているばかりであります。このように被告人は犯行の前後を通じて自己保身の態度と行動を取り続けており、その態度と行動は、自己の罪に真摯に向き合うべき法廷においても変らなかったものであります。その行動は、自己の罪に真摯に向き合うべき公判廷においてすら変らなかったものであります。
 そして、被告人は、被害者の無念や遺族の深い悲しみに対し謝罪の言葉を述べてはおりますが、いまだ、この世に殺すしかない命など無い事を自覚していない上、被害者に救いの手を差し伸べる代わりに、人の命を奪った事すら思いを致していないのであって、謝罪の言葉は何れも表面的な感がある事は否めません。真摯な反省の情があるとはいえません。
 以上により、病気に起因する物と思われる、とはいえ、被害者の暴行に被告人が悩んでいた事があり犯行の背景にあったという汲むべき事情があること、被告人は本件犯行を素直に認めそれなりに謝罪と反省の念を示していること、被告人に前科が無い事等、被告人にとって斟酌すべきを最大限考慮しても、その動機は短絡的かつ身勝手で、態様も強固な確定的殺意に基く冷酷なものである事、被害結果は誠に重大であり、遺族の処罰感情は峻烈である事を考えると、被告人の刑責は誠に重大であって、被告人に対しては相当長期間矯正施設に収容して罪の意識を自覚させると共に、その性格を改めるより他ありません。
 第三に求刑ですが、以上の情状を総合考慮し、相当法条を適用の上、被告人を懲役12年に処するのを相当とします。

裁判長「それでは、弁論を行ないます」

○最終弁論
 本件犯行事実について、特に争う事はありません。
 情状について
 本件は、情緒不安定人格障害を有する妻の度重なる暴力行為に思い悩み、ひたすら耐えていた被告人が、妻の攻撃の対象が妻とは全く関係のない第三者に及ぶに至り、これを回避するためにはもはや妻を殺害する以外に、エスカレートする妻の暴力行為をとめる事は出来ないと思いつめるに至り、ついに突発的に妻を絞殺してしまったという事案です。
 本件の事案の重要な特徴として、被害者が情緒不安定性人格障害の患者であった事が挙げられます。この情緒不安定性人格障害の症状が、本件において妻を殺害する事に至った最大の要因です。
 情緒不安定性人格障害とは、情緒不安定性、衝動コントロールの欠如、突発的な怒りの爆発や、暴力の優勢なものを言う、と言われています。その原因として幼児期の虐待などが挙げられますが、症状の特徴としては、特定の人に強く愛情を求め、これが否定される事を極度に恐れ、これが裏切られたり妨害されたりする、と思い込むと、裏切ったり妨害したりする人間に対し、突発的な激しい怒りを爆発させ、暴力的な行動に出る事が挙げられます。対人関係は非常に不安定になるというものです。その症状は極めて深刻な物であり、Y2医師の説明によっても、危害を回避するためには、物理的に距離を置く、離れる逃げる以外にないというものです。
 被告人は結婚する前から、被害者との間で些細な事から喧嘩になり、気に入らないと被害者から一方的に物を投げつけられたり、家具家電製品を壊されたり、部屋の硝子を割られたり、殴られたりしていました。しかもその頻度、その程度は、通常の夫婦喧嘩の範囲を遥かに超えるものでありました。それは最早正常な物とは言えず、我々の想像を遥かに超えるものだったのです。
 被害者は被告人の母親に対しても、激情に任せて突然、「私達、離婚する事にしました。もうやっていけません」と一方的に電話して、被告人が被害者の持ち出した離婚話に同意したりすると、被害者は「お前の愛はその程度かよ。昔の彼女の方が良いのかよ」と言って、物を投げたり暴れたり、被告人を殴ったりしていました。
 被害者の激情の程度は、証人のY1が証言しているように、「何かもう本当に攻撃してきそうな、そういう印象だったので、自分も危険だと思い、普通じゃないなっていう風に思いましたし、自分に危険を感じるほど、本当に恐怖で体が震えてきた」というものです。被害者は被告人の中学高校大学時代の時の交際関係を被告人の母親から聞きだし、被告人が他の女性が写っている写真を見つけると、それを捨ててしまう事がありました。
 被告人が被害者の異常な行動に嫌気がさして、じゃあ別れよう、と言うと、被害者は「私の人生をぼろぼろにしやがって。お前の人生を駄目にしてやる。会社に知り合いのヤクザを乗りこませる。実家にもヤクザを行かせる。結婚詐欺だから慰謝料2000万円払え。10年付き合っているヤクザは家族ぐるみで付き合いがある。あんたを殺すことはわけない。あんたは別れる事は一生出来ないから覚悟しな」と言って、被告人を脅し、物を壊し、家具を壊し、被告人を殴っていました。
 本件犯行当日には、被告人は被害者から鉄アレイを投げつけられ、部屋の壁に穴を開けられる事もありました。被害者のかかる行為が、正に情緒不安定性人格障害の典型的な症状の表れであったのです。
 被告人は、被害者の異常な行動や、被害者が何か薬を飲んでいたことから、被害者が何らかの精神病ではないかと思っていた。被害者から自分はパニック障害だと聞かされ、被告人は被害者がパニック障害を患っていると考えていました。そして、被告人なりにパニック障害について調べ、被害者の病気はそのうち治る病気であると、軽く考えていました。そのため、被告人は、自分が我慢をしていれば、愛情を持って接していれば、被害者の病気は普通に治るものであると誤解してしまったのです。
 情緒不安定性人格障害は、本来到底素人の手に負えるような障害ではなく、正しい対処方法を知らない被告人は、常に被害者の機嫌を損ねないように神経を使い、被害者が暴れたり殴ったりしても、ひたすら抵抗せずに耐えてきました。
 被告人は被害者が暴れだすと、被害を最小限にするために、被害者を抱きしめ、押さえ込み、言葉をかけて、被害者の怒りが静まるまで我慢していたのです。
 被告人は被害者の望みを叶えてあげれば、被害者が良い方向に変ってくれるのではないかと信じ、婚約指輪、結婚指輪を被害者に送り、被害者の希望に従い入籍も済ませ、マンションの購入や海外挙式まで準備をしていました。
 被告人は被害者に対し、愛情を注げばそれに応えて症状も軽快すると思い込んでいましたが、情緒不安定性人格障害の患者に対する対応として、被告人が取った行為は、症状を一層深刻にさせる逆効果な物でしかありませんでした。被告人は不幸にも、自らを蟻地獄に陥らせる事になってしまったのです。
 本件事件当日、知人がイタズラで送ってきた猥褻画像のメールを被害者に見られた事から、被害者の怒りが爆発し、そのうちに被告人が以前付き合っていた女性の話題に発展し、被害者が女性の連絡先を調べだし、女性に電話をかけた事から、事態は急変しました。
 被害者は女性に脅しの電話をかけると共に、被告人に対し「あんたと別れる。あんたの物は全部壊してやる。Y1をぶっ殺してやる。いろんな男にまわさせて、二度と戻らないぐらい顔を無茶苦茶にして、素っ裸にして会社の前に捨てといてやる」などと言って暴れだすにいたり、被告人は、もう被害者の病状は良くなる事はない、このまま放っておいたら第三者にどんな危害が及ぶ事になるか解らないと考えるに至り、最早被害者の命を絶つ以外には解決方法は無いと考えるほどに精神的に追い込まれた状況となり、本件犯行に及んだものです。
 被告人は被害者が、被告人以外の第三者にまで危害を加えるという、切迫した恐怖を感じていました。
 確かに、被害者と暴力団組員とのつながりを示すものは、被告人の供述と、被害者が手にしていた名刺しか存在しません。しかし、被害者の左腕には般若の入れ墨があり、日ごろから尋常ではない被害者の暴力、暴言に曝され、精神的に追い詰められていた被告人にとって、被害者が暴力団組員を使って、被告人のみならず、被告人につながりのある第三者にまで、危害を加えるのではないかと思いこむに至ったのも、無理もない事であります。
 被告人は自分だけであれば、自分が我慢すれば良いと思って耐え忍んでいたところ、事件当日、被害者の状況から、第三者に危害が及ぶ危険を感じ、最早このまま放置するわけには行かないと思い、第三者を被害者の危害から守るために、被害者を殺害しようと決意するに至ったものです。厳格に言えば正当防衛の用件を満たしてはいないものの、正当防衛に順ずる事情があったといえます。
 被告人には被害者を殺害する以外に、他に方法はなかったのであろうか。
 確かに第三者の視点からは、被告人が犯行に及ぶ前に誰かに相談していれば、本件犯行は未然に防げたのかもしれません。
 しかし、被告人は被害者から正確な病名を聞かされてはおらず、改善可能な病気であると思い込んでいた。夫を亡くしたばかりの被告人の母親に心配をかけられなかった。
 店長という職責から部下に家庭の事まで相談できなかった。相談すればその相談相手にも危害が及ぶかもしれないと思った事。被害者の両親とは僅か二度しか、それも挨拶程度の機会しかなかった、などから、相談相手もいないままに、被害者からの攻撃暴力を耐え忍んでいたのです。そんな中で被告人は、被害者に常態繰り返される暴力的言動によって、自ら死にたいと思うほどに精神的に疲弊し、追い詰められていたのです。
 被告人は被害者の病状の完治を願って、出来る限りの愛情を注いでいたにもかかわらず、被害者の病状は回復する事はなく、更に悪化する様子まであり、先の見えない状況の中で、被告人は自分さえ我慢していれば、夫婦の中の出来事で収まっていれば、その内被害者は良くなるであろうと、一縷の望みにかけていたのです。相談して他人を巻き込む事が怖かったという特別の精神状態にあった被告人に、別の解決方法の選択を抽象的に要求するのは、酷と言うものです。
 被害者は情緒不安定性人格障害であり、その症状の特徴は前記の通り、特定の人に強く愛情を求め、それが否定される事を極度におそれ、それが裏切られたり妨害されたりすると思い込むと、裏切ったり妨害したりする人間に対し、突発的な激しい怒りを爆発させ、暴力的な行動に出るという事です。
 被害者には二度の離婚歴があり、何れも2〜3ヶ月の短期間で結婚生活が終っています。離婚の原因は被害者の暴力にあり、一回目の離婚の際には、離婚後も元夫の職場や自宅に嫌がらせ電話をかけ続けたり、被害者の実家の洗濯物に放火して逮捕拘留されています。二度目の婚姻中には、夫婦喧嘩の際に被害者が暴力を振るうという事等から警察に保護され、精神科医の鑑定を受けています。被害者の暴力行為がやむのは、被害者が新たに、自分に愛情を注いでくれる相手を見つけ、被害者の愛情の対象が変った時であり、それまでは被害者の暴力行為が止む事無く続き、時として刑事事件にまでなるのです。
 被告人が仮に他人に相談し得たとしても、三度目の離婚になる事を恐れ、被告人との関係に執着していた被害者が、相談をした被告人のみならず、自分と別れるようにアドバイスする相談相手に対しても、自分の欲求実現を妨害する人間とみなして、突発的な激しい怒りを爆発させ、暴力的な行動に出る可能性は十分考えられるのであり、被告人が他人に相談する事により、相談相手にどのような迷惑がかかるか解らないと心配懸念し、あえて相談する事をしなかったとしても、それは十分に根拠のあることであるし、その事を持って被告人を非難する事は、酷であると言わなければなりません。
 被告人は本件犯行後、猥褻メールを送ってきたY3に対して、被害者を殺害した旨を自ら告げ、Y3から被告人の本件犯行が伝えられて、電話による事情聴取をした警察官に対しても、被告人は素直に自分の犯行を自供し、その後の取調べに対しても一貫して犯行を認めています。しかも被告人は自ら出頭する意思のあった事も述べており、これら被告人の態度は罪を減ずるものであります。被告人は本件犯行の直後から潔く刑に服する事を覚悟していたのであり、被告人の本件犯行に対する反省の態度は十分に見て取れるのであります。
 被告人は、明るく、誰とでも仲良くなれて、優しく、争いを好まないタイプです。また仕事の上でも上司同様部下、顧客、多くの人から信頼され、その評判は高かったものです。
 弁解になって相手が一方的に話していても、言い合いが大きくなるのを嫌がって、所謂黙って聞いているような感じです。
 被告人は、部下に面倒見がよく、上司との人間関係もよく、顧客から信頼信望を得ていた。会社内で暴力沙汰を起こした事もない模範社員であった。被告人は、優しくて、明るくて、素直ないい子です。
 被告人には10年前に所謂自転車窃盗の前歴はあるものの、他に前科前歴はなく、前述のように被告人に対する周囲の評価は高いのです。被告人が本来社会に害悪を及ぼすような反社会的性格を有する人間ではない事は明らかであり、本件犯行を起こした事自体、誰もが信じがたい事だったのです。
 被告人は、当公判廷における検察官の質問に対し、被害者である妻と愛情がないまま結婚した、愛情を装っていた、と答えていますが、裁判長の質問に対し、愛情があったから我慢していればいつか治るのではないかと思っていた、と答えています。被告人の本心が後者にあることは、本件犯行以前の被告人の行動からも明らかであります。
 被告人は被害者の望みを叶えてあげれば、被害者の病状も良くなっていくのではないかと信じ、婚約指輪や結婚指輪を被害者に送り、被害者のために入籍も済ませ、マンションの購入や海外挙式等の準備もしていました。本件犯行前日には、被告人と被害者である妻の二人で、母の日のプレゼントとしてウェディングプードを買いに行っています。
 本件犯行当日も、被告人らは海外挙式のための衣装合わせに出かけようとして居たのです。
 被告人は、被害者やその遺族からは正確な病状、病名を知らされず、完治可能な病気であると思い込んでいました。被告人は被害者に対し愛情を注げば、それに応えて症状も回復すると思い込んでいたのです。しかし、情緒不安定性人格障害の患者に対する対応として被告人の取った行為は、症状を悪化させる逆効果なものでしかありませんでした。
 被告人は、被害者である妻から、一方的に物を投げつけられたり、家具家電を壊されたり、部屋の硝子を割られたり、殴られたりしたにもかかわらず、ひたすら抵抗せずになされるがままに耐えていたのです。
 被告人が今でも被害者である妻に対し「最後まで我慢できなくて申し訳ない気持ちでいる」という事からも、被告人が負った精神的悔の深さが解ります。被告人は当公判廷において遺族に対し、「家族を殺してしまい本当に申し訳ないと思っている」旨述べ、真摯な反省と謝罪の意思を示しています。
 被告人は本件犯行後、約五ヶ月間に渡り、自由を奪われた拘留生活の中で、弁護人との接見を重ねる中で、本件犯行に至ってしまった経緯を何度も思い返し、被告人なりに自省を深めてきました。しかし被告人はそれでもなお、本件犯行当時において、被害者を殺める他には、取るべき手段がなかった旨述べています。
 誰もが、被告人には、本件犯行に及ぶ前に、誰かに相談するなり、被害者と別れるなりの、他の手段がとる事が出来たのではないかと思うかもしれません。
 しかし、既に述べたように、被告人が被害者から受けた身体的精神的苦痛は、被告人から正常な判断能力を奪うほど深刻な物だったのです。被告人が置かれていた切羽詰った状況を正しく認識していただきたいと、切に願うものであります。
 被告人は、遺族に対して金銭的な損害賠償に応じる意思がある旨答えています。ただ、現段階においては、遺族の被害感情を考慮して、示談交渉に入る事は控えています。
 被告人には更正の意志が強固であり、本件犯行以前の被告人の生活ぶりからも、更正の可能性は高いといえます。被告人には、被告人の社会復帰を待ち望み、手助けをしてくれる多くの者がいます。被告人には出来るだけ早期に社会復帰をしたり、社会生活の中で更正の道を歩ませる事が、被害者に対する本当の償いになるのではと思います。
 本件判決を言渡すにあたっては、ぜひ、本件の本質を正しく深くご理解いただきたいと思います。本件は、単純な夫婦喧嘩の結果起きた事件とは異なるものであります。また、通常言われるDV事件、本件は逆DV事件とも報道されましたが、単純なDV事件とも性格を異にするものであります。本件の判決に当たっては、何よりも、情緒不安定性人格障害の医学的知識、現代の医学水準を十分踏まえた上で判断される事を、心より願わざるをえない。
 本件審理に当たっては、精神医学の専門家の意見をあえて聞く事は成されなかったが、最後に被告人本人尋問を終えた後、Y2医師に裁判の協力のお礼を言った際の、Y2医師のメールの要旨を繰り返します。
「山下さん、ご報告ありがとう御座いました。境界性人格障害の病理の深さや対応の困難さなどを改めて思いをめぐらしています。Y2。このような結果になったことは非常に残念であり、ご遺族に対して心より哀悼の意を表するものでありますが、被告人に正しい情報を伝えなかった遺族の責任も指摘せざるをえない」
 最後に、裁判所におかれましては、本件犯行に至るまでの被告人の置かれた事情、本件事件の特殊事情を最大限配慮された上で、被告人に対し、ぜひとも寛大な判決を下されるように望みます。人の命を奪ってしまった以上、執行猶予とまではいえないにしても、最大限の情状酌量をお願いするしだいであります。

 被告人は、論告、弁論の間、目を閉じたり唇を噛み締めたりしていた。他の傍聴人によれば、論告中は検察官を睨んでもいたらしい。

裁判長「それでは、被告人は前に出てください」
 被告人は、証言台の前に立つ。
裁判長「これで審理を終わりますけども、最後に何か述べておきたい事があったら、述べて下さい」

 被告人は、鼻を啜り上げながら、最終意見陳述を行なった。前回の被告人質問の際は、消え入りそうなぼそぼそとした声だった。しかし、この日の被告人の声は、途切れがちで、やや上擦り、鼻を啜り上げてはいたが、はっきりとしていた。最後に少しでも、自分の考えを理解して欲しいと思ったのだろうか。

被告人「私は本当に、えー、幸せな家庭を、築けると思ってましたし、築こうと、仕事も家庭も、うまくやって行きたいと、ずっと思ってましたが、・・・・どうしても、自分で、自分だけで何とかできると思ってしまったために、結局は、自分で、自分を、追い込むような、形になってしまい、最悪な結果となってしまいました。・・・・これは、最低の行為だと思いますし、特に、家族の方には、大変申し訳ないことを。本当に。・・・・これから、自分の罪を償うために、刑に服しますが、この、5ヶ月間、このような罪を犯したにもかかわらず、家族だけでなく、会社の、上司や、後輩や、部下たちが、さらにはその家族の方々や、会社のお客様、昔からの友人などが、毎日のように、手紙や、差し入れ、面会をしていただいて、大変ありがたく思います。其の上、帰りを、待っていてくれている、早く帰ってきてくれと言っていただいて、出てきたら、仕事を一緒にしようと、言ってくださる方もいらっしゃって、出てきた時の事は心配ないから、できる限りのサポートはするから、と言ってくださる方もいらっしゃって、一生かけても、其の方々に、お礼やお詫びをしていきたいと思います。時間が、与えられるわけですが、其の間に、しっかりと勉強、資格などを取って、社会復帰した際には、それらを生かして、しっかりとした人間に戻れるよう、頑張りたいと思います。・・・・以上です」
 最後の言葉は、小声だった。
裁判長「それでは、これで結審します。えー、判決ですが、11月8日午後1時半は如何でしょうか。宜しいですね?」
弁護人「はい」
裁判長「では、判決は、11月8日木曜日の午後1時30分に言渡されます。それではこれで終ります」

 11時までの予定だったが、10時47分に公判は終わった。
 遺族たちは、論告の間泣いていたが、弁論になると急に泣き止んだ。
 被告側の関係者らしき人は、公判中、小声で話している事があった。何に対してかは解らないが、やや不満そうな様子に思えた。
 被告人の母は、弁論の途中に泣き出し、ハンカチを顔に当てていた。前回の被告人質問の際も、その様な様子を見せていた。息子を助けられなかったと、悔いているのだろうか。
 被告人は、縄をかけられた後、下を向き、遺族の方に少し目をやり、退廷した。
事件概要  A被告は、2007年5月6日、東京都町田市の自宅において、妻からの暴力から逃れるため、妻を扼殺したとされる。
報告者 相馬さん


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