裁判所・部 福岡地方裁判所・第三刑事部
事件番号 平成18年(わ)第1191号
事件名 危険運転致死傷罪、道路交通法違反(ひき逃げ)
予備的訴因:業務上過失致死傷罪、道路交通法違反(酒気帯び運転)
被告名
担当判事 川口宰護(裁判長)柴田寿宏(右陪席)行廣浩太郎(左陪席)
日付 2008.1.8 内容 判決

 福岡海の中道大橋で起こった飲酒運転死亡事故の判決の日。
 裁判所門前は、朝早くから報道カメラが待機していた。保釈の身である被告人は公判の度に、この場所で情け容赦ないまでにカメラを向けられる。
 判決日の今日は、テレビ中継車が並び、上空にはヘリコプターが旋回。裁判所前は報道関係者や大勢の傍聴希望者で騒然とした雰囲気だった。
 一般傍聴券の抽選の列には、他の交通事故被害者遺族の人達も並んでおり、人ごみの中をかき分けながら互いに挨拶を交わしていた。
 世間の注目を浴びた裁判なので、毎回傍聴希望者が多く傍聴の機会は少なかったが、この日はなんとか抽選に当たり、法廷入口前で携帯電話の預かり、手荷物検査、金属探知機によるチェックを済ませ席に着いた。
 検察官は、眼鏡の奥がギラギラと使命感がみなぎった感じの若い男性。
 弁護人は、柔和な喋りの年配男性と若い男女の計三人。

 午前十時、裁判官の着席と同時にビデオ撮影が行われた。その後、被告人入口ドアから黒いスーツにネクタイを締めた被告人が入廷した。被告人は20代前半の青年。手提げ鞄を握りしめ傍聴席に向かい深々と一礼した。被害者遺族が座らない傍聴席に、毎回頭を下げ続ける姿は、市の職員だった青年が市民に対しても謝罪してるかのようで、張り詰めた重苦しい空気に包まれていた。裁判官席に一礼後、弁護人が被告人に話しかけ、一緒に右側傍聴席に向い頭を下げた。私は前列に座っていたので後ろの様子は分からなかったが、この日、記者席側中央付近の席に亡くなった3児の遺影を抱えた被害者夫妻が座っていたらしい。弁護人が顔を上げた後も、被告人は腰を深く折り曲げたまま頭を下し続けた。どんな日々を送ってきたか憔悴した顔を見れば目に浮かぶようで息が詰まりそうだった。

 判決の前に、予備的訴因を追加した為の審理が再開され、検察官が業務上過失致死傷罪の予備的訴因を読み上げた。認否を問われた被告人は用意した紙を取り出し「時速100キロという点を除いては間違いありません。私の認識としては80キロから90キロ程度です」と述べ10分程で結審した。

裁判長「それでは、前に出てください」
 証言台前に立った被告人に裁判長から主文が言い渡された。

―主文―
 被告人を7年6月の刑に処する。未決勾留日数のうち180日をその刑に算入する。

 主文が言渡された直後、記者達が慌ただしく出て行った。被告人は証言席に座りうつむいてじっと聞き入った。

―理由―
○危険運転致死傷罪の成否について
 刑法は、アルコール等の影響により正常な運転が困難な状態で自動車を走行させ…と規定している。ここで言う正常な運転が困難な状態とは、アルコール等を摂取している為に正常な運転が出来ない可能性がある状態でも足りず、現実に道路や交通状況等に応じた運転操作を行う事が困難な心身の状態にあることを必要とする。
 被告人は、海の中道大橋に入って5,60メートルの緩やかな左カーブが終わって直線道路に入った辺りから、自然に右側の景色を眺める感じで脇見を始め、その後前を振り向くと突然目の前にRV車(被害車両)が現れたと供述する。被告人の脇見供述は、本件事故の態様と整合しているだけでなく、道路状況に照らしても不自然でない上、逮捕当初から一貫しており、十分信用性を認める事が出来る。RV車を間近に迫るまで発見できなかった原因は脇見だったと認めるのが相当である。そうすると被告人がRV車を間近に迫るまで気付かなかった事について説明できないことを前提に、正常な運転が困難な状態だったとする検察官の主張は誤ったものと言わざるを得ない。
 被告人は本件事故当時、酒に酔った状態にあったことは明らかである。しかしながらスナックを出た後、事故現場に至るまで車を走行させてきた間に、アルコールの影響によるとみる事ができる蛇行運転とか、居眠り運転等に及んだことはなく、しかもその間衝突事故等も全く起こしていなかったことが明らかである。
 被告人が当時、現実に道路や交通の状況等に応じた運転操作を行う事が困難な心身の状態にあったかどうかについて見ると、スナック前の駐車場を出発後、事故を起こして停車させるまでの約8分間、左右に湾曲した道路を道なりに進行し、その途中に点在している交差点を左折し、あるいは右折し、さらには直進通過することを繰り返していただけではなく、住宅街の中の車道幅員約2.7メートルしかない道路においても、接触事故等を起こすことなく、車幅1.79メートルの車を運転、走行させている事、また、事故直前、RV車を間近に迫って発見するや、急制動の措置を講じるとともにハンドルを右に急転把するという衝突回避措置を講じている。さらに、事故直後、反対車線に進出している事に気付くや、慌ててハンドルを左に急転把して自車線に戻していることが認められ、これらの事実はいずれも、被告人が現実に道路及び交通状況等に応じた運転操作を行っていた事を示すものであって、事故当時も正常な運転が困難な状態にはなかった事を強く推認させる事情と言える。
 他方、正常な運転が困難な状態にあったのではないかと疑わせる事情としては、事故直前に時速80ないし100キロメートルに加速させ、相当時間にわたって脇見運転を継続した事を指摘できるが、本件事故当時の具体的な道路及び交通の状況等にかんがみれば、時速80ないし100キロメートルという速度で走行する事が必ずしも異常とは言えない。脇見運転を継続していた区間は、ほぼ完全な直線道路である上、車道幅員は約3.2メートルと広かった事、しかも被告人にとっては通勤経路で通り慣れた道であった事、交差点を左折してから進路前方を走行している車両は見えなかったことからすると、脇見をしやすい状況にあったと言える。
 また、脇見運転の継続中も蛇行等をした形跡はなく、車を走行車線から大きくはみ出させることなく運転していたと認められるから、漫然と進行方向の右側を脇見していたとはいえ、進路前方に対する注意を完全に欠いてしまっていたとまでは言い切れない。
 そして何より、脇見運転の前後で現実に道路及び交通の状況等に応じた運転操作を行っていたことをも併せ考慮すると、結局脇見運転の事実をもってしても、正常な運転が困難な状態にあったと認めるには足りないと言うべきである。
 事故前後における被告人の言動の中には、検察官が指摘する様に酒に酔っていた事をうかがわせる事情が存在する一方で、事故後は車を道路左側に停車させた後、後続車に追突されない様にハザードランプをつけて降車したり、車の損傷状況を確認し煙が出ているのを認めるとY1(助手席同乗者)に降車するように指示したり、携帯電話機を使ってY2に電話をかけ、身代わりになってくれるように頼んだり、少しでも飲酒の事を隠そうと考えて水を持ってくるように頼んだものの、Y2から弟を身代わりに連れて行こうかと提案された時はこれを断るなど、被告人がいまだ相応の判断能力を失ってはいなかった事をうかがわせる事情も多数存在する。しかも、事故の48分後に実施された呼気検査の結果において酒気帯びの状態にあったと判定されていることからすれば、酒酔いの程度が相当大きかったと認定する事は出来ない。
 以上を総合すれば、事故当時、被告人がアルコールの影響により正常な運転が困難な状態にあったと認める事はできないと言うべきである。
 検察官の主張に照らして関係証拠を検討しても、主位的訴因である危険運転致死傷の事実を認める事はできず、被告人については予備的訴因である業務上過失致死傷及び道路交通法違反(酒気帯び運転)の事実を認める事が出来るにすぎない。なお、弁護人はRV車を運転していたdが居眠り運転をしていた事により被害結果が拡大したと主張するが、dの供述の信用性に疑問を差し挟む余地はないので主張は失当である。

○量刑の理由
 事故の結果はd夫妻に傷害を負わせるとともに、長男a、次男b及び長女cをいずれも溺水により死亡させるという誠に深刻かつ悲惨なものである。
 3児は両親に連れられて昆虫採集に出かけた帰途、車内で眠りについたところを被告人の車から追突された結果、乗っていた車ごと真っ暗闇の海中に放り込まれ、おそらくは何が起こったのかさえ分からないまま意識を失い、溺水の苦しみの中でその尊い生命を断たれたものである。
 3児は、いずれも両親から最大限の愛情を注がれ、宝物の様に育てられて幸せで楽しい日々を送っていただけでなく、これから夢や希望に満ち溢れた人生を迎えようとしていた矢先、理不尽にも短い一生を終えなければならなかったもので、誠に哀れと言うほかはない。
 また、生き残った夫妻が味わった驚愕、恐怖、苦痛は計り知れず、3児の命を救うべく海中で必死の救助活動に当たる中で体験した不条理で残酷な極限的状況には想像を絶するものがある。3人の子らを一度に失ったもので、3児を愛し慈しんでいた夫妻の悲しみや喪失感は筆舌に尽くし難く、癒やされる日が来る事はないと言わざるを得ず、現在も被告人に対して峻烈な処罰感情を抱いているのは当然である。
 ひき逃げについても、酒気帯び運転の発覚を恐れて逃走を図ったもので、その動機は誠に身勝手かつ自己中心的であって酌量の余地は微塵もない。友人に促されるまで事故現場に引き返そうともせず、市職員の身分を失いたくないという自己保身の気持から、友人に電話をかけて身代わりを頼み、浅はかにも水を飲めば飲酒検知の数値が低くなるのではないかと考えて、友人に水を持って来てもらうなどしている。追突事故を起こしておきながら、自己保身に汲々としていたものであって、ひき逃げの犯情も誠に悪質である。飲酒運転に起因する悲惨な交通事故が後を絶たないことは公知の事実であり、一般予防の見地からも被告人には厳しい態度で臨む必要がある。
 被告人は、事故後一旦はその場から逃走したものの、友人に促されて自首している事、当裁判所が認定した各犯行については認めて争っていないだけでなく、d夫妻に謝罪の手紙を出すとともに、亡くなった3人の子らの冥福を祈る生活を続けている上、公判においても、今後も命のある限り償い続けていくことを誓うなど、被告人なりに真摯な反省の情を示している事、被害については、いずれ自動車保険による財産的損害の賠償が見込まれる事、被告人の家族並びに友人らが被告人を支えている事、被告人は本件がマスコミで大きく報道され、一定の社会的制裁を受けている事、いまだ23歳と若年であり、これまで前科はないことなど、被告人の為に酌むべき事情を十分考慮に入れても、本件事故における過失の程度の大きさ、結果の重大性等にかんがみると、執行猶予を付すべき事案ではなく、刑の上限に当たる実刑をもって臨むのが相当であると判断した。

 再び証言台前に立った被告人に主文が言い渡され、裁判長は最後に「これから一生かけて償ってほしいと思います」と言葉をかけた。
 閉廷後、裁判所裏口の通用口付近に沢山の報道カメラが集まっていた。被告人はこの後収監された。

 事故当時、追突させた車が海に転落した事に気付かぬまま逃げてしまった被告人は、その後警察官のいる事故現場で、絶望的な光景を目の当たりにし、人生終わったような姿をしていたという。法廷で見た実際の被告人は、純真さを感じさせる未だ若い青年だったので、取り返しのつかない重い現実を前に、胸が塞がる思いだった。
 事故の後、現場の海の中道大橋は、歩道と車道の境界に車両用防護柵が設置された。当初から防護柵があれば、或いは橋の欄干が車の衝撃に耐えられるものであったなら、今回の事故が大事故に至らずに物損事故で済んだといわれるだけに何ともやり切れない。

事件概要  A被告は、2006年8月25日、福岡県福岡市の自宅や居酒屋で飲酒した上で運転し、同市の橋の上で乗用車に追突して海に転落させ、転落した乗用車に乗車していた子供3人を溺死させたとされる。
報告者 福太郎さん


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